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49.アーヘルゼッヘは片膝をついたまま
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大地は大きく揺らぎ、遠くから濃紺の影が波のように押し寄せてきた。野原の地平線から濃紺の幕が広がり、大地を覆うように近づいてきて、アーヘルゼッヘ達の前ではじけて砕けた。大きな揺れは、アーヘルゼッヘを大地に転がし、濃紺の波はすぐそこでたゆたっている。まるで、行先を迷っているように見えた。
「行くな」
とアーヘルゼッヘはつぶやいていた。激しいうねりの濃紺に、体を横倒しにしながら手を伸ばし、
「行くな。ここにいなさい」
と言って、さらに伸ばした。手の先で波に触れた。全身がしびれ、まるで、荒れ狂う波にのまれたように激しく倒され、目の前で波がはじけ、中から真っ白な光が生まれて、スパークした。
気がつくと、アーヘルゼッヘは片膝をついたまま、正面で真っ青な顔で中腰になっているパソンを見つめていた。外のざわめきは静まり返り、声を殺しているのが分かる。アーヘルゼッヘは、唐突に、テントの周りの人々の顔が見えた。おき火になり掛けている薪や、その周囲で立ち上がりかけている人々の様子や、彼らの周囲の五本ほどの木、その向こうに野原が見え、彼らの息づく声が聞こえた。
人々の気配はもちろん、夜空も、湿った夜露の香りも、草原を渡る緑の風も、また、そこに息づく小さな獣たちの気配も、思いも、何もかもが体に流れ込んできていた。世界は恐ろしいほど広く、大陸は驚くほどの思いと気配で満ちていた。そして、目の前に中腰で構えた少女の恐れが、アーヘルゼッヘの胸を鷲づかみにした。
「パソン殿…」
と言うと、パソンは思わず身を引いて、引いた直後に顔をこわばらせた。おびえた自分が信じられないようだった。
「あまりに綺麗な色で輝かれるものですから。わたくし、わたくし、美しすぎて恐れ多いと思ってしまって。ですから」
怖いのではない、と伝えようとしていた。
アーヘルゼッヘは自分が光を放ったのだとわかった。しかし、それは自分の光ではなく、やってきた何かだったのだ、と言いたかった。実際言おうとしたのだが、大きな音が大地から全身に振動となって伝わって、アーヘルゼッヘは動けなくなる。
目を見開いてテントの幕の向こうを見透かすと、すぐそこに帝都が見えた。夜だと言うのに煌煌と光がともる、高い塔の群れが、草原の向こうに、すぐ下に海を背にして広がっている。海へ競り出た半島に巨大都市が広がっている。その都市の根元から、視界がぶれそうなほどの揺れを感じる。
巨大な音は、揺れの陰でゆっくりと巨石が石組を組みかえようとしているのかきしみながら崩れるような音にもきこえた。アーヘルゼッヘは振動とともに、目を見開き、音と音の間に響く、五月雨のような馬蹄の音を聞いた。巨石群の灯火の間から小さな黒い影が生まれ集まり、一か所に集まり始める。
視線を戻すと、ドレスを調えた少女が蒼白ながらも気丈に顎をあげ背筋を伸ばして、アーヘルゼッヘの前で立ち上がっていた。
「大祭の前に光られた時以上に強烈な光でした。まるで、太陽が落ちてきたような明るさで、神々の光だとわかっていても、神々しすぎて怖くなってしまうほどでしたわ」
とはっきりした声で言った。
少女の全身から震えが湧き上がっているのが見えた。もちろん、人間の目には微笑さえ浮かべて立つ大らかな巫女姫の姿が見えただろう。しかし、アーヘルゼッヘの視線の前には、おびえを一切自分に許さず、気丈さだけで立っているようにしか見えない。
「少し外で頭を冷やしてまいりますわ。夜空を見上げるのも素敵ですもの」
と、先ほどの無邪気さが消し飛んだ顔で、笑って見せた。一時たりともここにはいられない、と言う心の恐怖の声が、アーヘルゼッヘの肌にしみこんでくる。アーヘルゼッヘは黙ったまま、片膝をついた姿勢で、威嚇しないように低く中腰のまま、部屋の端へと膝をにじってよけた。普段だったら、パソンも自分のおびえを悟られたと気づいただろう。しかし、今のパソンにそんな余裕はないようだった。
と、その時再び、大地に響く馬蹄を聞いた。今度は、パソンにも聞こえたらしい。顔をあげ、先ほどよりもずっとはっきりした表情で顔を出口へ向けた。外はにわかにざわめきはじめ、となりのテントがさらに明るくなった。ほんの数秒だっただろうか。数十分だったかもしれない。パソンは立ちつくして入口を見つめ、アーヘルゼッヘは中腰になったまま、となりのテントの様子を眺めた。
「行くな」
とアーヘルゼッヘはつぶやいていた。激しいうねりの濃紺に、体を横倒しにしながら手を伸ばし、
「行くな。ここにいなさい」
と言って、さらに伸ばした。手の先で波に触れた。全身がしびれ、まるで、荒れ狂う波にのまれたように激しく倒され、目の前で波がはじけ、中から真っ白な光が生まれて、スパークした。
気がつくと、アーヘルゼッヘは片膝をついたまま、正面で真っ青な顔で中腰になっているパソンを見つめていた。外のざわめきは静まり返り、声を殺しているのが分かる。アーヘルゼッヘは、唐突に、テントの周りの人々の顔が見えた。おき火になり掛けている薪や、その周囲で立ち上がりかけている人々の様子や、彼らの周囲の五本ほどの木、その向こうに野原が見え、彼らの息づく声が聞こえた。
人々の気配はもちろん、夜空も、湿った夜露の香りも、草原を渡る緑の風も、また、そこに息づく小さな獣たちの気配も、思いも、何もかもが体に流れ込んできていた。世界は恐ろしいほど広く、大陸は驚くほどの思いと気配で満ちていた。そして、目の前に中腰で構えた少女の恐れが、アーヘルゼッヘの胸を鷲づかみにした。
「パソン殿…」
と言うと、パソンは思わず身を引いて、引いた直後に顔をこわばらせた。おびえた自分が信じられないようだった。
「あまりに綺麗な色で輝かれるものですから。わたくし、わたくし、美しすぎて恐れ多いと思ってしまって。ですから」
怖いのではない、と伝えようとしていた。
アーヘルゼッヘは自分が光を放ったのだとわかった。しかし、それは自分の光ではなく、やってきた何かだったのだ、と言いたかった。実際言おうとしたのだが、大きな音が大地から全身に振動となって伝わって、アーヘルゼッヘは動けなくなる。
目を見開いてテントの幕の向こうを見透かすと、すぐそこに帝都が見えた。夜だと言うのに煌煌と光がともる、高い塔の群れが、草原の向こうに、すぐ下に海を背にして広がっている。海へ競り出た半島に巨大都市が広がっている。その都市の根元から、視界がぶれそうなほどの揺れを感じる。
巨大な音は、揺れの陰でゆっくりと巨石が石組を組みかえようとしているのかきしみながら崩れるような音にもきこえた。アーヘルゼッヘは振動とともに、目を見開き、音と音の間に響く、五月雨のような馬蹄の音を聞いた。巨石群の灯火の間から小さな黒い影が生まれ集まり、一か所に集まり始める。
視線を戻すと、ドレスを調えた少女が蒼白ながらも気丈に顎をあげ背筋を伸ばして、アーヘルゼッヘの前で立ち上がっていた。
「大祭の前に光られた時以上に強烈な光でした。まるで、太陽が落ちてきたような明るさで、神々の光だとわかっていても、神々しすぎて怖くなってしまうほどでしたわ」
とはっきりした声で言った。
少女の全身から震えが湧き上がっているのが見えた。もちろん、人間の目には微笑さえ浮かべて立つ大らかな巫女姫の姿が見えただろう。しかし、アーヘルゼッヘの視線の前には、おびえを一切自分に許さず、気丈さだけで立っているようにしか見えない。
「少し外で頭を冷やしてまいりますわ。夜空を見上げるのも素敵ですもの」
と、先ほどの無邪気さが消し飛んだ顔で、笑って見せた。一時たりともここにはいられない、と言う心の恐怖の声が、アーヘルゼッヘの肌にしみこんでくる。アーヘルゼッヘは黙ったまま、片膝をついた姿勢で、威嚇しないように低く中腰のまま、部屋の端へと膝をにじってよけた。普段だったら、パソンも自分のおびえを悟られたと気づいただろう。しかし、今のパソンにそんな余裕はないようだった。
と、その時再び、大地に響く馬蹄を聞いた。今度は、パソンにも聞こえたらしい。顔をあげ、先ほどよりもずっとはっきりした表情で顔を出口へ向けた。外はにわかにざわめきはじめ、となりのテントがさらに明るくなった。ほんの数秒だっただろうか。数十分だったかもしれない。パソンは立ちつくして入口を見つめ、アーヘルゼッヘは中腰になったまま、となりのテントの様子を眺めた。
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