50 / 89
50.隣のテントがにわかにぼぉっと光りだす
しおりを挟む
街道を、帝都から馬を飛ばしてきた男は、馬を飛び降りると手綱をそばにいる者に投げるように渡して、衛兵の顔をすばやく見た。ゼ大臣補佐のテントがどちらか衛兵の顔で判断したのだろう。誰に断わるでもなく、ずかずかとテントに近づくと幕を跳ね上げて中に入った。
そこで、ランプに灯りがたされ、隣のテントがにわかにぼぉっと光りだす。アーヘルゼッヘは明るくなった隣を、テントの布越しに眺めた。几帳に腰かけ、台座に地図を広げていた。ゼ大臣補佐とセノ卿は、帝都が近づいていたと言うのに、全くくつろいだ様子はなかった。
ゼ大臣補佐は、手もとのランプを天上へつるさせ、入ると同時に片膝をついた使いの男にねぎらいの言葉をかけた。男は、敷かれた美しい絨毯をにらむと、さっと顔をあげ、
「やられました。暴動です。帝都の東部から、火の手があがりました」
「はやまったことを!」
と言うゼ大臣補佐の唸るような声に、いつものひ弱な姿からは信じられないほど冷静な、
「テンネの動静はどうなっている? 宮殿に動きはあるのか?」
とセノ卿の声音が続いた。
「申し訳ありません。動静を探る前に飛び出してまいりました。変化がありしだい次の者がまいるかと存じます」
と男ははっきりした声で告げた。セノ卿は短くうなずく。そうだろうと初めから分かっていた様だ。ゼ大臣補佐は膝を片手で音高く叩き、首を左右に振った。それだけで、悔しさがにじみ出るような動きだった。男は自分が迫られたかのように顔をしかめ、同じく悔しそうな顔をした。
「先週までは、チウ閣下が外へお出ましになり、何くれとなく皆の言葉を聞いてくださっていたのです。おかげで、誰も不安はあっても不満はない、安心する方法をお互いに見つけることができたのです。それが」
と言って言葉を切った。ゼ大臣補佐のテントでは、家人がグラスにいれた水を素早く差出し、男に一息つきさせた。が、男は、目で軽く一礼して飲み干すと、すぐに、
「チウ閣下のお姿が、七日前からぷつりと見えなくなったのです。誰も気にするほどのことではなかったのですが、不思議と、これからずっと来なくなる、と言う噂が広がりだし、二日前に、身罷られたと言う話になったのです」
「テンネの出した噂だろう」
ゼ大臣補佐のしわがれ声が返った。
「しかし、宮殿の締め付けがさらに酷くなりだしたと言う噂に、アジェンタ広場では毎日のように死刑囚がさらされ出したと言われ、ついに昨日は、チウ閣下の首までさらされた、と噂になったのです」
「それも、テンネの噂だ。チウ閣下に手を出せるものはおらぬ」
「ええそうです。私もそうだと思います。しかし、都の東部に住む者は、西地区にも中央区にも移動ができません。中央区から来た者は、アンジェンタ広場では確かに人がさらされていると言いますし、我らは、中央へはおろか、外苑部への移動も禁じられたのです。金持ちは、帝都から逃げ出し始めたと言う噂も広がって、塔をねぐらにしている男が、確かに人が荷物を押して移動しているのが見えたと言う始末です。信じるなと言っても、それを信じさせる方が難しい」
と悔しそうに下に唾を飛ばす。セノ卿が怖い声で聞いた。
「姫巫女のパソン様のお戻りを言わなかったのか」
「もちろん、噂はもちろん、公示もしました。昨夜はそれで、町に穏やかさが戻ったくらいです。東部地区の地方神殿では、門戸を開いて祭りの準備が始まって、疑うものも出ないほどです」
「ならば、なぜ!」
「つい数時前、姫巫女がチウ閣下の骸をご覧になり命を絶たれたと言う噂が流れたのです」
「真実ではない」
「しかし、もっともありそうな話です」
「姫巫女が、神以外に身を捧げる場所などないはずだ」
「そんな説明が誰に通じましょう? この帝都で、唯一心を許せる、姫巫女を守り続けている方がお亡くなりになったのです」
「閣下は生きておいでじゃ!」
短いがびりっとあたりが震えるようにな一括だった。ゼ大臣補佐の一喝に、男ははっと居住まいを立だした。そして、目がしらからほろほろと涙を落し、
「もちろんです。ですが、我らにどうやってそれを信じさせてくださるのでしょう? 昨夜夜半近くにやってきた中央区の役人が、チウ閣下の首を見たと言う話をするのです。チウ閣下を嫌って言うのではありません。笑って言うわけでもない。青ざめて、さすがにこれでは、帝国はまずいのではないかと話しだすのです」
「それさえも、テンネの策じゃ」
男は目線を下げて先を続けた。
「それでも、明日になれば姫巫女のご尊顔を拝せるはずだと、手の者達を東部区域に走らせました。それだけは、わたし達にとって、本当に知っている事実ですから。説得もこれならばと思っていたのです。ですが、それも、宮殿で喪鐘が鳴り始めては、私どもではどうしようも、抑えようがありません」
「誤って鳴らした者がいるのだろう。テンネに言わせればな」
とセノ卿が覚めた声で言った。男は顔を片手でぬぐった。そして、真剣な顔でセノ卿を見上げ、
「閣下も姫巫女も生きておいででございますか?」
と聞いた。ゼ大臣補佐は再び厳しい目で男を見たが、次の瞬間驚くほどやさしい声で、
「隣のテントで休まれておられる。お起こしさせよう」
「いえ。そんな、恐れ多い」
と言いながらも、男の声は震えていた。
アーヘルゼッヘは頬に冷たい夜気を感じた。見ると、パソンのいた場所にはカップが置かれているだけで誰もいなかった。外で番をしている少年が、入口の幕が静かに下ろしているところだった。気がつくと、となりの天幕にパソンが飛び込んでいる場面が見えた。アーヘルゼッヘはゆったりと袖を払って、クッションを背に腰をおろした。
パソンの顔色は真っ青だった。パソンの飛び込む姿に、帝都の男が目を見開いて感動に唇を震わせていたのだが、パソンは帝都の男の襟首に飛びつくように両手を伸ばして、
「従兄上さまは、本当に生死が分からないのですか」
と絞り出すような声で聞いていた。
アーヘルゼッヘは全ての景色を追い出すように目を閉じた。パソンを、ゼ大臣補佐が丁寧だが断固とした動きで男から引き剥がしている。セノ卿が思ったよりもずっと優しい動きで自分の几帳をパソンに進め、支えるように床に片膝をつく。パソンはぐらつく自分を許さないとでも言うような形相でドレスを払って腰かけると、正面の男に、ねぎらいの言葉を、謝罪の言葉とともにかけ始めていた。
そこで、ランプに灯りがたされ、隣のテントがにわかにぼぉっと光りだす。アーヘルゼッヘは明るくなった隣を、テントの布越しに眺めた。几帳に腰かけ、台座に地図を広げていた。ゼ大臣補佐とセノ卿は、帝都が近づいていたと言うのに、全くくつろいだ様子はなかった。
ゼ大臣補佐は、手もとのランプを天上へつるさせ、入ると同時に片膝をついた使いの男にねぎらいの言葉をかけた。男は、敷かれた美しい絨毯をにらむと、さっと顔をあげ、
「やられました。暴動です。帝都の東部から、火の手があがりました」
「はやまったことを!」
と言うゼ大臣補佐の唸るような声に、いつものひ弱な姿からは信じられないほど冷静な、
「テンネの動静はどうなっている? 宮殿に動きはあるのか?」
とセノ卿の声音が続いた。
「申し訳ありません。動静を探る前に飛び出してまいりました。変化がありしだい次の者がまいるかと存じます」
と男ははっきりした声で告げた。セノ卿は短くうなずく。そうだろうと初めから分かっていた様だ。ゼ大臣補佐は膝を片手で音高く叩き、首を左右に振った。それだけで、悔しさがにじみ出るような動きだった。男は自分が迫られたかのように顔をしかめ、同じく悔しそうな顔をした。
「先週までは、チウ閣下が外へお出ましになり、何くれとなく皆の言葉を聞いてくださっていたのです。おかげで、誰も不安はあっても不満はない、安心する方法をお互いに見つけることができたのです。それが」
と言って言葉を切った。ゼ大臣補佐のテントでは、家人がグラスにいれた水を素早く差出し、男に一息つきさせた。が、男は、目で軽く一礼して飲み干すと、すぐに、
「チウ閣下のお姿が、七日前からぷつりと見えなくなったのです。誰も気にするほどのことではなかったのですが、不思議と、これからずっと来なくなる、と言う噂が広がりだし、二日前に、身罷られたと言う話になったのです」
「テンネの出した噂だろう」
ゼ大臣補佐のしわがれ声が返った。
「しかし、宮殿の締め付けがさらに酷くなりだしたと言う噂に、アジェンタ広場では毎日のように死刑囚がさらされ出したと言われ、ついに昨日は、チウ閣下の首までさらされた、と噂になったのです」
「それも、テンネの噂だ。チウ閣下に手を出せるものはおらぬ」
「ええそうです。私もそうだと思います。しかし、都の東部に住む者は、西地区にも中央区にも移動ができません。中央区から来た者は、アンジェンタ広場では確かに人がさらされていると言いますし、我らは、中央へはおろか、外苑部への移動も禁じられたのです。金持ちは、帝都から逃げ出し始めたと言う噂も広がって、塔をねぐらにしている男が、確かに人が荷物を押して移動しているのが見えたと言う始末です。信じるなと言っても、それを信じさせる方が難しい」
と悔しそうに下に唾を飛ばす。セノ卿が怖い声で聞いた。
「姫巫女のパソン様のお戻りを言わなかったのか」
「もちろん、噂はもちろん、公示もしました。昨夜はそれで、町に穏やかさが戻ったくらいです。東部地区の地方神殿では、門戸を開いて祭りの準備が始まって、疑うものも出ないほどです」
「ならば、なぜ!」
「つい数時前、姫巫女がチウ閣下の骸をご覧になり命を絶たれたと言う噂が流れたのです」
「真実ではない」
「しかし、もっともありそうな話です」
「姫巫女が、神以外に身を捧げる場所などないはずだ」
「そんな説明が誰に通じましょう? この帝都で、唯一心を許せる、姫巫女を守り続けている方がお亡くなりになったのです」
「閣下は生きておいでじゃ!」
短いがびりっとあたりが震えるようにな一括だった。ゼ大臣補佐の一喝に、男ははっと居住まいを立だした。そして、目がしらからほろほろと涙を落し、
「もちろんです。ですが、我らにどうやってそれを信じさせてくださるのでしょう? 昨夜夜半近くにやってきた中央区の役人が、チウ閣下の首を見たと言う話をするのです。チウ閣下を嫌って言うのではありません。笑って言うわけでもない。青ざめて、さすがにこれでは、帝国はまずいのではないかと話しだすのです」
「それさえも、テンネの策じゃ」
男は目線を下げて先を続けた。
「それでも、明日になれば姫巫女のご尊顔を拝せるはずだと、手の者達を東部区域に走らせました。それだけは、わたし達にとって、本当に知っている事実ですから。説得もこれならばと思っていたのです。ですが、それも、宮殿で喪鐘が鳴り始めては、私どもではどうしようも、抑えようがありません」
「誤って鳴らした者がいるのだろう。テンネに言わせればな」
とセノ卿が覚めた声で言った。男は顔を片手でぬぐった。そして、真剣な顔でセノ卿を見上げ、
「閣下も姫巫女も生きておいででございますか?」
と聞いた。ゼ大臣補佐は再び厳しい目で男を見たが、次の瞬間驚くほどやさしい声で、
「隣のテントで休まれておられる。お起こしさせよう」
「いえ。そんな、恐れ多い」
と言いながらも、男の声は震えていた。
アーヘルゼッヘは頬に冷たい夜気を感じた。見ると、パソンのいた場所にはカップが置かれているだけで誰もいなかった。外で番をしている少年が、入口の幕が静かに下ろしているところだった。気がつくと、となりの天幕にパソンが飛び込んでいる場面が見えた。アーヘルゼッヘはゆったりと袖を払って、クッションを背に腰をおろした。
パソンの顔色は真っ青だった。パソンの飛び込む姿に、帝都の男が目を見開いて感動に唇を震わせていたのだが、パソンは帝都の男の襟首に飛びつくように両手を伸ばして、
「従兄上さまは、本当に生死が分からないのですか」
と絞り出すような声で聞いていた。
アーヘルゼッヘは全ての景色を追い出すように目を閉じた。パソンを、ゼ大臣補佐が丁寧だが断固とした動きで男から引き剥がしている。セノ卿が思ったよりもずっと優しい動きで自分の几帳をパソンに進め、支えるように床に片膝をつく。パソンはぐらつく自分を許さないとでも言うような形相でドレスを払って腰かけると、正面の男に、ねぎらいの言葉を、謝罪の言葉とともにかけ始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
道化たちの末路
希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。
ここは少女マンガの世界みたいだけど、そんなこと知ったこっちゃない
ゆーぞー
ファンタジー
気がつけば昔読んだ少女マンガの世界だった。マンガの通りなら決して幸せにはなれない。そんなわけにはいかない。自分が幸せになるためにやれることをやっていこう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる