北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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51.天の星は降るように美しかった

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アーヘルゼッヘは男の気配の流れを追った。

テントから街道へ、そして、暗い石だらけの道を明かりのない高い塔の一群へ。帝都は北に宮殿が広がっていた。中央には巨大な機能美のある建物群が見えた。南には華やかな屋敷の群れが、西には荘厳な森に囲まれた屋敷の群れが広がっていて、東に二重の門をはさんで高層だが狭い通りの密集した町が広がっていた。

その東の街区の向こうに黒い海が広がっている。帆船の帆を畳んだマストがぽつりぽつりと海上に見える。崖下の入江には倉庫群が広がり、海に突き出た桟橋は、艀が幾艘ももやっている。今は静かだ。

アーヘルゼッヘは、首をかしげた。静かすぎるほど静かだった。つい先ほどの人々の動きは空気を水にするような、押し寄せる湯水のような重さがあった。それが、まったく消えている。東部と言われる町の通りには人っ子一人見られない。暗がりには野良犬一匹見当たらない。

アーヘルゼッヘは腰を上げた。隣のテントを見ると、相変わらず明々としていた。男の気配がない。アーヘルゼッヘは入口の幕を押し上げ、入口で控えていた少年が慌てて脇へまとめているのを見下ろして目で礼を告げて外へ出た。

天の星は降るように美しかった。広場の火は落とされて、うずくまっている人々の姿が見えた。隣のテントの前では、剣を持つセノ卿の家人が歩哨に立って、細めた眼を宙に向けていた。アーヘルゼッヘが近寄ると、慌てて眼を瞬いて起立した。そして、中に向かって、
「アーヘルゼッヘ殿がおこしです」
と正面を向いたまま低い声で告げた。あたりには響かない、しかし、中にはよく通る、不思議な声の出し方をする青年だった。

「お通ししなさい」
と答えたのはゼ大臣補佐だった。アーヘルゼッヘは彼の言葉とともに押し上げられた天幕の入口から、中を見て眼を見開いた。帝都から来た青年が、肩から胸へ剣をあてられ息絶えていた。パソンが座ったまま青ざめて眼を見開いている。その脇で、セノ卿が、剣を拭って鞘に収めていた。冷静な顔をしている。

「何があったんでしょうか」
アーヘルゼッヘは思わず言葉が漏れた。つい先ほど、あれほど危急を告げに来た者を、彼を囲んで和気あいあいと言えば言いすぎだが、それでも、見方が来たと言う、仲間らしい空気があった。それが、ほんのわずかの間、帝都を見に心を飛ばしている間に、何が変わったと言うのだろうか。

「暗殺者が飛び込んでまいっただけです」
セノ卿はそう言うと、入口に立つ者に、
「これを外へ。匂いがかなわん。今日は我らは外で寝る」
と告げた。言われて初めて、むせるような血の匂いに気が付いた。
「この男は、帝都のことを話に馬を飛ばして来たのでしょう?」
アーヘルゼッヘの確信を込めた問いに、
「そう言って、ここへ姫巫女の様子を探りに来たのです」
「しかし、帝都では」
「何も起こっていないはずです」
セノ卿は、そう言ってからアーヘルゼッヘをまっすぐ見た。剣を鞘ごと腰にさしなおしているが、かまえた気配はそのままだった。
「アーヘルゼッヘ殿。あなたは、なぜご存じなのでしょう? それほど大きな声で話していたとは思えません」
「そうじゃ。なぜ、ご存じなのか? この天幕は、音が漏れぬように布に工夫がされておる」
と、ゼ大臣補佐も用心した声を出した。アーヘルゼッヘが後ろを向くと、天幕の入口は幕が下ろされ歩哨の男は見えなくなっていた。気がつくと、すぐそこで血ぬられていた若者も消えていた。慣れた手順だとでも言えそうな、素早さだった。

 アーヘルゼッヘは彼らを見た。暗殺者が出て、命を脅かされた直後だと言うのに、驚くほど落ち着いている。それに比べて、パソンは几帳に腰かけたまま身じろぎしない。と思っていると、視線が上がった。アーヘルゼッヘを見ると、少しずつだが生気が戻る。
「従兄さまが亡くなったと言うのです。嘘だと詰めると、嘘ではないと言い返して泣き出してしまい、わたくし何と慰めていいのか分からなくなって、手を差し伸べたのです」
「それを待っていたのでしょう」
セノ卿が言うと、ゼ大臣補佐は、
「よく訓練されておる」
と言い足した。しかし、アーヘルゼッヘは信じられなかった。アーヘルゼッヘはこの場を見ていたわけではない。この場の空気を通して感じていたのだ。
「信じられない。そんな若者には見えなかった」
と言った。言ったとたん、セノ卿が表情を消した。目の中の感情が消えると、人間は冷酷な雰囲気になる。しかし、アーヘルゼッヘには用心して恐怖を消した気配にしか見えなかった。おかげで、セノ卿が、
「ご覧になっていたのですか」
と聞いた時に、
「灯りがともったのでつい、見てしまいました」
と正直に答えた。その答え方は、いつでも剣が抜ける雰囲気の男の前だと言うのに、驚くほど寛いで見えた。
「力はなくなられたのではありませんか?」
「それが、ついさきほどから戻ったようです」
「信じられませんね」
と鼻で息を吐きながら、まるで、突き放すように言った。アーヘルゼッヘには、力が戻ったと言うことが信じられないのか、それとも、力がなくなったと言っていたのが信じられなかったのか、どちらのことを言っているのか分からなかった。しかし、パソンは違った。
「まあ、セノ卿。この方は北の方です。嘘をお付きにはなれないのですよ。何を失礼な事をおっしゃっているのです」
とはっきりした声でたしなめた。
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