北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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57.あれが残像でなければ

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アーヘルゼッヘは、そこで初めて、誰もチウが生きていると思っていなかったのだと気が付いた。だから、力が戻ったと言っても、チウが生きているか見てほしいと言わなかったのだ、と思った。もしかしたら、死を確かめる情報があったのかもしれない。アーヘルゼッヘは不安になった。

「あれが残像でなければ、生きています」
「残像?」
「生前強く念じていたことはその場に残るので」
「でも、あなたに伝えるために力を使ったのですよね? それは、生きているからこそではありませんか?!」
パソンがアーヘルゼッヘの腕を握った。爪を立て、腕に食い込むほどの強さだった。アーヘルゼッヘは静かに、悲しみの波が襲ってくることを身構えながら、
「チウ殿は人間です。あれが人の力だとは思えません。北の者の力です。誰かがメッセージを伝えるために手助けをしたのだと思います」
「そんな方は帝都にはいません」
とパソンは悲しむどころか歓喜の気配を投げてきた。
「しかし!」
「神のお力があったのかもしれません。チウ従兄上が、神のお力を引き出されたのです」
「そんな。神の力は、そもそもが大自然と人々との共鳴作用にすぎない。だからこそ祈りが通じることもあれば、恐れが現実になることもあるのです。あのような、光を放ち、われわれの意識を引っ張る力はないのです」
「あなたに神の何がおわかりですか! チウ従兄上はわたくしの血縁です。神の力を使えてどこがおかしいのです!」
と言い放たれると、アーヘルゼッヘは口ごもるしかなくなった。

目の前に立つパソンからは、アーヘルゼッヘが放った光の破片が見える。まるで、光の粒がこぼれおちるようにはらはらと、大地に向かって散って行く。少しでも、アーヘルゼッヘの光を押えて、周囲の恐怖を鎮めようとしたのだろう。これが人間の力だとすれば、あの光だって人間の力だといえないのではないだろうか、と疑問に思う。しかし、
「それでは、人間と北の者との差がなくなってしまう」
交配が可能なほど、近いとは思えない。種が異なる意味や理由がなくなってしまう。と思ったのだが、パソンが、
「人が北の方に近づいてるのかもしれません。神々を信じるわれわれの力は、北の方が思っているよりもずっと柔軟性があって、変化に富んでいるのかもしれませんわ」
と言って、パソンは胸を張って見せた。

 確かに、ゼ大臣補佐の何もかも読みつくしたような姿からは、北の者以上の力があるような気がしてならない。しかし、それは、北の者の力がないからこそもちえた力なのではないだろうか? 北の者では計り知れない力があるだけで、同じ力であるはずがない、と思うのだが。しかし、パソンが、
「従兄上さまがおいでなら、急がなければなりません。どの場所だったか、わかりますか?」
と問われると、
「石段のある暗い場所でした」
と答えるしかなかった。パソンは驚いた顔をしたが、すぐにも笑った。

「神殿です。チウ従兄上は生きています。ゼ大臣補佐! どの屋敷に上がるか分かっていますか?」
「セルトンネ家の桟橋に付けようと思っております」
「そこから、神殿へは距離がありすぎます」
「しかし、海上からの声を拾えるものは、あの家くらいしかありませんが」
「海の家から入りましょう」
「しかし、これから満潮になるので無理でしょう」
「しかし、地下神殿への最良の近道は、そこか、草原の道しかないのですわ!」
と言った。そして、その場に静寂が落ちた。みなセノ卿のことを考えていた。アーヘルゼッヘ達を追ってくる者はいなかった。そして、セノ卿もその一家も草原で消えたのだ。

「戻りましょう。草原の地下水路から行けば」
とアーヘルゼッヘが踵を返そうとした。ゼ大臣補佐は、
「無駄でしょう。今頃は、全ての入口が閉じられていましょう」
「そんな全ての入口が分かるほど、地下水路に詳しいのですか?!」
「地下水路には詳しくなくても、地下神殿の入口に続く道なら、誰でもが知っています。外部からの侵入者を防ぐために、警備に当たらせているからです」
パソンは泣きそうな顔をしていた。が、両手を握って顔をあげると、厳しい顔へ切り替わる。
「神殿へ直接入りましょう。セルトンネ家から中央区へ入ります」
「しかし、中央区と商人地区の間に門が」
「わたくしの名前を出せば、門を開かずにはいられないはず」
「しかし、それでは向こうに準備をさせることになります」
「従兄上に手を出してはまずいと言う警告にもなるでしょう!」
とパソンが言うと、海に向かって歩き始めた。

アーヘルゼッヘは海を見た。海を見ながらできるだろうかと、手を差し伸ばして海を指さす。潮が満ちる。海から上がれる洞窟がある。洞窟が潮で埋まる。ゆっくりと指先を下へ降ろす。そして、さらに考える。水を下に押えれば、反発して脇へ噴き出す。水が別の場所で引き上げられれば、水かさは下がり、洞窟に道ができる。アーヘルゼッヘは水を見て指をそっと上へはじいた。大洋の中央で、月の白い影の真ん中で白い筋が一本上がった。

水をあげることはたやすい。流れを変えることは難しくても、空の場所を空けてあげれば、水は否でも吸い上がる。アーヘルゼッヘは手を差し出してそっと掴んだ。空気を掴んで引っ張った。すると、月の下で海が小さな山になり、静かに落ちた。
「何をしてるんだ?」
震える声に顔を向けると、漁師だった。夫人を抱えたまま扉を杖に立ちあがり、目を皿のようにして海を見る。
「潮の満ち引きを換えれば、洞窟に入れます」
「そんなことができるのか?」
「わかりません。水を動かすくらいのことしかできないかもしれない」
漁師はかっと眼を見開いて、
「それなら、通れる場所があります」
そう言って、夫人をその場に置いて、海に向かって歩き出した。
「大臣様。神殿への道は、浦の崖下にあります」
「水の道は一つだったはずじゃ」
「ええ。たるを逆さにして空気を吸っても、途中までしか行きつけない通路です。ですが、時折、潮の引きが激しい時に、その先へ出られることがあります」
神殿への侵入がそんなに簡単にできるのか、と一瞬、苦い思いがしたようだった。が、漁師は気付かず、さらに、
「台風や竜巻の時には、中に入れる場合がある、と言う言い伝えです」
「言い伝えを信じて行くわけにはいかん」
姫巫女がいるから、と言う言葉を押さえて、ゼ大臣補佐が言うと、
「いいえ。向こうから流れてくるものがございます。香の残りかすや、献花などです」
「それも、人が通れる場所だと決まったわけではあるまい」
「しかし、子供の頃の、あれの爺様の友人が、確かに行ったと言うたのを聞いたんです。嘘をつかない奴だったから本当にあるはずだ、と爺様が言ったんです」
ゼ大臣補佐は首を横に振って苦く笑う。そんな話を信じて動くわけにはいかない、と言うのが分かる。すると漁師が、
「なら、私が行って見てきましょう。それで、行けなかったら、商家から行かれたらいいんです」
と言う。と、アーヘルゼッヘが、
「見てみればいいんですね」
と今更ながらな事を云った。自分は力の使い方を知らない、と思いつつ目をつぶる。が、どこを見たらいいのかさっぱり分からない。
「すいません、地図は?」
と言うと、漁師は、片手を顔の前で軽く振った。
「そんなしゃれたもんはありゃしませんぜ。海の顔は口伝で伝わるもんなんです。行きましょう」
「あんた」
と言うか細い声に、漁師は顔をあげた。夫人は扉にしがみついたままだった。
「まってな。お客さんを送って帰ってくるから」
「でも」
「船だけだして戻りを待つなんざ、俺にはできねぇよ」
と言うと、夫人は何も言わなかった。変わりに、中に入って慌てて、上着を手にして近づいてきた。
「夜の海は冷えるから」
「ああ。だな」
と言いながら、上着を着せかけてもらう。漁師は夫人の手を大事そうに何度もたたいた。アーヘルゼッヘへは近寄らなかったし、視線を上げたりはしなかったが、夫を守ってください、という祈りの声だけは痛いほど聞こえてきた。
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