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63.中津大陸の主
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アーヘルゼッヘの言葉に答えるように、何か悲鳴のような声が上がった。うめき声だったのかもしれない。欄干の影が一つ揺らいだ。と思ったら、ぽとりと虫が落ちるように影が下へ落下した。
ひとつ落ちると、二つ目がゆらりと揺れて、同じように下へ落ちた。
パソンの悲鳴がドーム中に響き渡った。アーヘルゼッヘの中で巨大な怒りがわき上がった。人は弱い。と教わった。事実だけで死んでしまうとも教わった。しかし、これではあまりに卑怯だ。
そう思ったとたん、アーヘルゼッヘの中で何かが破裂した。大きな音がうねりとなって、大地から全身へ湧き上がって、一気に外へ噴き出した。まっ白い光の球がドームを満たし、帝都へ広がり大陸中へと広がった。
チウが傍に立っていた。手を差し出してアーヘルゼッヘの片手をつかんだ。握手だったように思う。笑っていた。チウの向こうに北の主が立っていた。苦い顔をしてアーヘルゼッヘを眺めている。北の主が言った。
「おまえは北大陸のものだった。私はそう思っていたし、これからもそう思うだろう」
北の主の言葉に、チウが返した。
「悪いが、これは生まれた時から、中津大陸のものだったのさ。北の養い親としては会うのは許されるだろうが、口を出すのは遠慮しろ」
「遠慮しろとはよく言えたものよ。空の主が、北に口を出すのは今に始まったことではあるまいに、私にだけ遠慮しろとは口はばったい」
「しかたあるまい。小さなおまえが生まれる前から、世界は私のものなのだから」
チウの事がの後には沈黙が落ちた。
アーヘルゼッヘは二人を眺めながら、そこに光に輝く大地を感じていた。北の主の大地があった。自分の立つ大地があった。そして、その上に上空に駆け巡る大気のようなチウがいた。ふと気がつくと、ドームの下に立っていた。しんとして人気がない。
「そこにいるのは我が弟だ」
とチウの声が聞こえた。アーヘルゼッヘが見下ろすと、帝都の下に横たわり眠り続ける青年の姿が見えた。
「人に命を与えてから数万年、そこで眠りつづけている。彼が愛した人間を私は守りたいと思う」
そう言ったとたん、周囲の人々が現れた。欄干から今まさに落ちようとする若者の姿が見えた。アーヘルゼッヘの言葉に耐えきれなくて身を乗り出した者だ。まだ幼く子供のようなあどけなさが見えた。二人目は、泣き叫びそうな顔をしている女性だった。この顔と同じような顔の子供が岩に向かって落ちていったのを覚えていた。
アーヘルゼッヘは手をのばして彼らを掬いあげていた。大きな空の手を伸ばし、彼らをそっと欄干の上へ戻す。ドームが小さく感じるくらいに大きな気配になっていた。地中深くで眠りつづける青年は静かな顔をしていた。
「ああ見えても、わたしの弟だ。すべてが見える」
そう言って、チウはため息をついた。
「北の主は大地の主だが、中津大陸の主は人間の主になる。我が弟は、人間を作り、命を与えて喜びに浸っていた。その後、人の力の限界に悲しみを見出し、嘆きを感じ、後悔を抱えて、今はただ、人間に望みを託して眠りつづけている。目を覚まさない。いつかは覚ますだろうが、まだその時ではないのだろう」
チウが隣に立っていた。足元の血ぬられた大地を見つめている。
「人間は愚かだ。このような事をしなくても、見える者にはすべてが見えているというのに、いくら言っても気づかない」
「なら、あなたが立ち上がって、祈りなどしないで、水を引いていればよかったではありませんか」
アーヘルゼッヘの声は震えていた。
周囲に立つ人々は霞のように見えた。チウの存在が強烈過ぎて、全てがかすんで見える。アーヘルゼッヘが力を出すと、周囲の存在が驚くほど薄れて見えてしまうのと同じだった。
その薄れさすほどの存在感に、人々が恐怖するのだが、本人は気付いていない。アーヘルゼッヘはチウに向かって、
「あなたが帝都にいて、水を湧きあがらせる工夫をするというから、パソンは町に残って祭りを迎えたのでしょう。こんな力があったのなら、人間がしていたすべてが茶番になる。すべてが無駄死にで、すべてが意味のないものになってしまう」
「アーヘルゼッヘ。それは違う」
「何が違うというのです」
「私にだって限界がある」
嘘だと否定する視線に向かって、
「海の水をすべて空にすることができるかね? 人間を生かすために、力をどこまで使えたかい?」
「見ていたのですか」
「見えてしまうのだよ」
そう言って、チウは片手をあげた。
荘厳な神殿が背後に広がって見えた。過去の情景だとわかる。同じように高いドームの下で、突き出た岩の場所に立って、指さす方に輝く岩壁が見える。大地で眠るチウの弟が息を吐くと淡く輝き、息を吸うと鈍く光る。不思議な岩だ。人々が光の岩を見て祈り、その正面の床を磨いて広場を作り、洞窟を広げようとして天井がくずれおちた。
神の傍に近づきすぎたせいで怒りに触れたと恐れた人々は、洞窟の上に天井を作り、欄干を張り巡らせて祈りの場所を作って行く。チウの弟はただ人々を感じて眠りつづけるだけだ。なのに、人は神に祈り、神に願い、彼らの心のありどころとしながら、彼らのパワーで帝都を作り上げていく。小気味いいほどのパワーの裏には、容赦ないほどの生き残りをかけた闘争もあった。
アーヘルゼッヘは彼らの歴史を、洞窟に立ちながら眺めていた。北との戦いがはじまり、祈りの回数は増え、この場で生贄を捧げ始める。大地に眠る青年の顔はみじんも変わっていなかった。しかし、そこにチウが登場する。バテレスト家の若者として、片足を引きずりながら、大陸中を奔走していく。気がつくと、岩の壁の光がすっかり消えていた。
「より深くに沈みこんでしまったのさ」
チウの声に見下ろすと、帝都の下の青年が、深みに降りて行ったのか小さくなっていた。
「人の愚かさは十分知っていたとしても、自分に毎月注がれる命の叫びは耐えられなくなったらしい。徐々に下へさがりはじめ、それとともに、地形が変わった」
と言うと、息でやわらかく上下していた大地が固く動きのないものへと変わって行くのが見えた。帝都の下で縦横に張り巡らされていた水脈が、呼吸とともに波打って水をながす。その水脈が、青年が下へ下ることで止まりだす。
「さあ、ここはおまえの大陸だ。主としてしたいことをなせ」
アーヘルゼッヘははっとした。チウは、空気中に溶け込もうとしていた。
「おまえは成人したかった。成鳥を探していたはずだ。その役目を私がやった。初めて握手をした時に、おまえを大人として扱ったからだ。おまえはとっくに成人している」
「だから力が戻っていたんだ」
とつぶやくと、チウが首を左右に振った。
「消えることなどありえない。北の主という制約が消えて、使い勝手が分からなくなっていただけだ。力を使う目的がなければ、出す方法も分からなくなる。おまえはまだまだ十分じゃないだろう。しかし、この大陸はおまえを主として迎え入れた。だから、きっと十分なはず」
消えそうなチウは、本当に空気になって消え去った。その間際、
「幼子よ。成人になりたかったのだろう? 責任を果たせよ」
と声がして、静かになった。
ひとつ落ちると、二つ目がゆらりと揺れて、同じように下へ落ちた。
パソンの悲鳴がドーム中に響き渡った。アーヘルゼッヘの中で巨大な怒りがわき上がった。人は弱い。と教わった。事実だけで死んでしまうとも教わった。しかし、これではあまりに卑怯だ。
そう思ったとたん、アーヘルゼッヘの中で何かが破裂した。大きな音がうねりとなって、大地から全身へ湧き上がって、一気に外へ噴き出した。まっ白い光の球がドームを満たし、帝都へ広がり大陸中へと広がった。
チウが傍に立っていた。手を差し出してアーヘルゼッヘの片手をつかんだ。握手だったように思う。笑っていた。チウの向こうに北の主が立っていた。苦い顔をしてアーヘルゼッヘを眺めている。北の主が言った。
「おまえは北大陸のものだった。私はそう思っていたし、これからもそう思うだろう」
北の主の言葉に、チウが返した。
「悪いが、これは生まれた時から、中津大陸のものだったのさ。北の養い親としては会うのは許されるだろうが、口を出すのは遠慮しろ」
「遠慮しろとはよく言えたものよ。空の主が、北に口を出すのは今に始まったことではあるまいに、私にだけ遠慮しろとは口はばったい」
「しかたあるまい。小さなおまえが生まれる前から、世界は私のものなのだから」
チウの事がの後には沈黙が落ちた。
アーヘルゼッヘは二人を眺めながら、そこに光に輝く大地を感じていた。北の主の大地があった。自分の立つ大地があった。そして、その上に上空に駆け巡る大気のようなチウがいた。ふと気がつくと、ドームの下に立っていた。しんとして人気がない。
「そこにいるのは我が弟だ」
とチウの声が聞こえた。アーヘルゼッヘが見下ろすと、帝都の下に横たわり眠り続ける青年の姿が見えた。
「人に命を与えてから数万年、そこで眠りつづけている。彼が愛した人間を私は守りたいと思う」
そう言ったとたん、周囲の人々が現れた。欄干から今まさに落ちようとする若者の姿が見えた。アーヘルゼッヘの言葉に耐えきれなくて身を乗り出した者だ。まだ幼く子供のようなあどけなさが見えた。二人目は、泣き叫びそうな顔をしている女性だった。この顔と同じような顔の子供が岩に向かって落ちていったのを覚えていた。
アーヘルゼッヘは手をのばして彼らを掬いあげていた。大きな空の手を伸ばし、彼らをそっと欄干の上へ戻す。ドームが小さく感じるくらいに大きな気配になっていた。地中深くで眠りつづける青年は静かな顔をしていた。
「ああ見えても、わたしの弟だ。すべてが見える」
そう言って、チウはため息をついた。
「北の主は大地の主だが、中津大陸の主は人間の主になる。我が弟は、人間を作り、命を与えて喜びに浸っていた。その後、人の力の限界に悲しみを見出し、嘆きを感じ、後悔を抱えて、今はただ、人間に望みを託して眠りつづけている。目を覚まさない。いつかは覚ますだろうが、まだその時ではないのだろう」
チウが隣に立っていた。足元の血ぬられた大地を見つめている。
「人間は愚かだ。このような事をしなくても、見える者にはすべてが見えているというのに、いくら言っても気づかない」
「なら、あなたが立ち上がって、祈りなどしないで、水を引いていればよかったではありませんか」
アーヘルゼッヘの声は震えていた。
周囲に立つ人々は霞のように見えた。チウの存在が強烈過ぎて、全てがかすんで見える。アーヘルゼッヘが力を出すと、周囲の存在が驚くほど薄れて見えてしまうのと同じだった。
その薄れさすほどの存在感に、人々が恐怖するのだが、本人は気付いていない。アーヘルゼッヘはチウに向かって、
「あなたが帝都にいて、水を湧きあがらせる工夫をするというから、パソンは町に残って祭りを迎えたのでしょう。こんな力があったのなら、人間がしていたすべてが茶番になる。すべてが無駄死にで、すべてが意味のないものになってしまう」
「アーヘルゼッヘ。それは違う」
「何が違うというのです」
「私にだって限界がある」
嘘だと否定する視線に向かって、
「海の水をすべて空にすることができるかね? 人間を生かすために、力をどこまで使えたかい?」
「見ていたのですか」
「見えてしまうのだよ」
そう言って、チウは片手をあげた。
荘厳な神殿が背後に広がって見えた。過去の情景だとわかる。同じように高いドームの下で、突き出た岩の場所に立って、指さす方に輝く岩壁が見える。大地で眠るチウの弟が息を吐くと淡く輝き、息を吸うと鈍く光る。不思議な岩だ。人々が光の岩を見て祈り、その正面の床を磨いて広場を作り、洞窟を広げようとして天井がくずれおちた。
神の傍に近づきすぎたせいで怒りに触れたと恐れた人々は、洞窟の上に天井を作り、欄干を張り巡らせて祈りの場所を作って行く。チウの弟はただ人々を感じて眠りつづけるだけだ。なのに、人は神に祈り、神に願い、彼らの心のありどころとしながら、彼らのパワーで帝都を作り上げていく。小気味いいほどのパワーの裏には、容赦ないほどの生き残りをかけた闘争もあった。
アーヘルゼッヘは彼らの歴史を、洞窟に立ちながら眺めていた。北との戦いがはじまり、祈りの回数は増え、この場で生贄を捧げ始める。大地に眠る青年の顔はみじんも変わっていなかった。しかし、そこにチウが登場する。バテレスト家の若者として、片足を引きずりながら、大陸中を奔走していく。気がつくと、岩の壁の光がすっかり消えていた。
「より深くに沈みこんでしまったのさ」
チウの声に見下ろすと、帝都の下の青年が、深みに降りて行ったのか小さくなっていた。
「人の愚かさは十分知っていたとしても、自分に毎月注がれる命の叫びは耐えられなくなったらしい。徐々に下へさがりはじめ、それとともに、地形が変わった」
と言うと、息でやわらかく上下していた大地が固く動きのないものへと変わって行くのが見えた。帝都の下で縦横に張り巡らされていた水脈が、呼吸とともに波打って水をながす。その水脈が、青年が下へ下ることで止まりだす。
「さあ、ここはおまえの大陸だ。主としてしたいことをなせ」
アーヘルゼッヘははっとした。チウは、空気中に溶け込もうとしていた。
「おまえは成人したかった。成鳥を探していたはずだ。その役目を私がやった。初めて握手をした時に、おまえを大人として扱ったからだ。おまえはとっくに成人している」
「だから力が戻っていたんだ」
とつぶやくと、チウが首を左右に振った。
「消えることなどありえない。北の主という制約が消えて、使い勝手が分からなくなっていただけだ。力を使う目的がなければ、出す方法も分からなくなる。おまえはまだまだ十分じゃないだろう。しかし、この大陸はおまえを主として迎え入れた。だから、きっと十分なはず」
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