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67.皇帝の庭
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年老いた男はこの帝都の主である皇帝であり、皇帝の庭にやすやすと入れるのは、宮殿にいるのが当たり前のテンネであり、石段を駆け上がり警備の者の前を堂々と通れるのは、やはり、顔を知られたテンネくらいしかいなかった。
そう気が付いたアーヘルゼッヘが動き始めて、宙を抜けて、皇帝を抱えるようにして守りぬいた。はずだったのに、暗殺者として捕らえられ、押し倒された。
「誰だ! 海岸に押し寄せた諸島のものか!」
近衛の声に、アーヘルゼッヘは唇をかむ。
「どこの暗殺者だ!」
「私じゃない」
と言い返したのだが、聞こえないのか、
「内部のものか? 東部か? 狂ったのか?!」
とたたみかける。アーヘルゼッヘは奥歯を噛みめしめる。剣の下で、テンネにいっぱい食わされた、と声なくうめく。皇帝は、側近達が抱え上げ、離れながら歩きだす。最後に、回廊の角を曲がる時に、皇帝がちらりとこちらを振り返える。アーヘルゼッヘは、大声で、
「テンネです。テンネが、帝都の転覆をたくらんでいるのです!」
といった。
しかし、皇帝は、側近に危険ですからとせかされると、唯々諾々と従った。立ち止まって、意味を問いただすことはない。庭にいた女性達も女性兵士に囲まれ奥へとせかされ、姿を消した。剣と棒で押さえられたアーヘルゼッヘが残された。
「北の者か?」
という半信半疑の声がかかった。こんなにたやすく捕まるとは思えない、と言う響きがあった。
「北の者です」
とアーヘルゼッヘは顔をあげて言った。
「髪を染めているのか」
という男の言葉に、
「生まれつきの銀髪です」
と言い、
「私に敵意はありません。北の者が自分から約定をほごにすることはあり得ません」
とつぶやいた。男は、まったく聞いていなかった。それどころか、
「まったく、面倒な事をしてくれる。おまえは狂っているだけだ。北の者だと思いたくてそんな恰好をしているだけだ。犯罪者だが、狂っているなら仕方がない。バッソン家への預かりにしてやろう」
とまるで、気のない声で言った。
アーヘルゼッヘが顔を上げると、腕を掴んで立ち上がらせた。そして、耳元で誰にも聞こえないように、
「どうせなら、しくじらずにいてほしかった。北の方がやったと言えば、大戦だ。誰も公にはしたがらない。狂った人間の仕業だろうとしか言わないだろう。あんたなら、殺されることもないんだからな。北の方を殺して、さらに大きな大戦をしたいと思う人間はいないさ」
腕を掴んで歩かせながら、
「バッソン家に入る前に逃げてくれよ。でなければ、バッソン家に迷惑がかかる。門を出たあたりでぱっと消えてくれれば、誰も何もいわない。今度は誰もいない時にこっそりやってきて、こっそりとやってくれ」
と言って、近くの兵士に、
「連れて行ってくれ。狂人だ。力はない」
と言って引き渡した。
アーヘルゼッヘは言われるがままのしゃちほこばった兵士に引き渡されて、腕を引かれて歩きだした。アーヘルゼッヘは信じられなかった。自分たちの主を、まるで物か何かのように語り、じゃまだから捨ててくれとでも言うような口ぶりで、殺してくれとささやいてくる。その気持ちが本当に分からなかった。
ただ、わかったことは、アーヘルゼッヘを混乱させようと作為的に言ったことではない、と言うことだけだった。心から、面倒くさいと感じ、心から、こんな老人のために働くのかと嘆いていた。
美しい宮殿だった。アーヘルゼッヘが顔を上げると、白亜の石が森の中に積み重なっていた。なだらかの丘の上に、青空を背に、白い三重の層の平たい建物が積み上がる。回廊だけの層もあれば、荘厳な広間が奥へ広がっている層もある。
壁は極端に少なく、本当に美しい白い石の床が積み上げられているように見えた。その隙間から空が見える、白い層の間を、軽やかな生地やレースの上着や、きらびやかな刺繍の上着をなびかせて、けだるげに漂い、淵近くにあるベンチのような台座に横ずわり座り、扇子を手に笑いさざめいている人々がいる。
遠くを眺めながら、顔を突き合わせてささやきあう男女は、外で起こった騒乱も、海から攻めてきた敵兵も、まるで、別世界のような顔をしている。
庭近くの回廊を行く、アーヘルゼッヘを建物の上から見つけると、遠目に眺めてはレースを振ったり扇子を傾けて合図を送る。それは、暗殺者を見る目と言うよりも、屋敷に紛れ込んだ蝶を見るようなまなざしだった。
実際、旅で疲れた銀の上着や、洞窟でついた土があっても、アーヘルゼッヘは美しかった。それは、造形美の粋を極めた自然の妙技のなせるもので、アーヘルゼッヘの気分とはまるで関係ないものだった。
もし、よく見知った者が見ていれば、戸惑いと疲れと、言い知れない奇妙なけだるい空気のせいで、青ざめて口の端についた深い皺を見つけた事だろう。しかし、それさえも、憂いを含んだ美しさになるのだが、見知った者からすれば、どうしたのと声をかけたくなるような、鬱鬱とした顔だった。
白亜の層は、森の中から、あちこちへ顔を出す。いくつもの建物が、空中に渡された回廊でつながっている。回廊を行きかう金や赤の衣装が、これまた幻想的だった。屋敷街の、巨大で立派な煉瓦の建物が、武骨に思えるほどだった。
東部地区で渇水におびえて、救いのチウや姫巫女の生死一つで絶望する。そんな人々がいる同じ都の人間達には見えなかった。水を呼ぼうと毎日のように神殿で人を付き落す儀式をしている、そんな都で暮らしているようには見えない。
「こんなに水があるではないか」
アーヘルゼッヘはつぶやいた。木々に含まれた水はもちろん、回廊の両側にこんもり茂る植え込みも、日当りのいい草原のように刈った芝生も、どこもかしこも水と土の香りがする。
「汲みあげているからさ」
と共に歩いていた兵士がつぶやいた。
そう気が付いたアーヘルゼッヘが動き始めて、宙を抜けて、皇帝を抱えるようにして守りぬいた。はずだったのに、暗殺者として捕らえられ、押し倒された。
「誰だ! 海岸に押し寄せた諸島のものか!」
近衛の声に、アーヘルゼッヘは唇をかむ。
「どこの暗殺者だ!」
「私じゃない」
と言い返したのだが、聞こえないのか、
「内部のものか? 東部か? 狂ったのか?!」
とたたみかける。アーヘルゼッヘは奥歯を噛みめしめる。剣の下で、テンネにいっぱい食わされた、と声なくうめく。皇帝は、側近達が抱え上げ、離れながら歩きだす。最後に、回廊の角を曲がる時に、皇帝がちらりとこちらを振り返える。アーヘルゼッヘは、大声で、
「テンネです。テンネが、帝都の転覆をたくらんでいるのです!」
といった。
しかし、皇帝は、側近に危険ですからとせかされると、唯々諾々と従った。立ち止まって、意味を問いただすことはない。庭にいた女性達も女性兵士に囲まれ奥へとせかされ、姿を消した。剣と棒で押さえられたアーヘルゼッヘが残された。
「北の者か?」
という半信半疑の声がかかった。こんなにたやすく捕まるとは思えない、と言う響きがあった。
「北の者です」
とアーヘルゼッヘは顔をあげて言った。
「髪を染めているのか」
という男の言葉に、
「生まれつきの銀髪です」
と言い、
「私に敵意はありません。北の者が自分から約定をほごにすることはあり得ません」
とつぶやいた。男は、まったく聞いていなかった。それどころか、
「まったく、面倒な事をしてくれる。おまえは狂っているだけだ。北の者だと思いたくてそんな恰好をしているだけだ。犯罪者だが、狂っているなら仕方がない。バッソン家への預かりにしてやろう」
とまるで、気のない声で言った。
アーヘルゼッヘが顔を上げると、腕を掴んで立ち上がらせた。そして、耳元で誰にも聞こえないように、
「どうせなら、しくじらずにいてほしかった。北の方がやったと言えば、大戦だ。誰も公にはしたがらない。狂った人間の仕業だろうとしか言わないだろう。あんたなら、殺されることもないんだからな。北の方を殺して、さらに大きな大戦をしたいと思う人間はいないさ」
腕を掴んで歩かせながら、
「バッソン家に入る前に逃げてくれよ。でなければ、バッソン家に迷惑がかかる。門を出たあたりでぱっと消えてくれれば、誰も何もいわない。今度は誰もいない時にこっそりやってきて、こっそりとやってくれ」
と言って、近くの兵士に、
「連れて行ってくれ。狂人だ。力はない」
と言って引き渡した。
アーヘルゼッヘは言われるがままのしゃちほこばった兵士に引き渡されて、腕を引かれて歩きだした。アーヘルゼッヘは信じられなかった。自分たちの主を、まるで物か何かのように語り、じゃまだから捨ててくれとでも言うような口ぶりで、殺してくれとささやいてくる。その気持ちが本当に分からなかった。
ただ、わかったことは、アーヘルゼッヘを混乱させようと作為的に言ったことではない、と言うことだけだった。心から、面倒くさいと感じ、心から、こんな老人のために働くのかと嘆いていた。
美しい宮殿だった。アーヘルゼッヘが顔を上げると、白亜の石が森の中に積み重なっていた。なだらかの丘の上に、青空を背に、白い三重の層の平たい建物が積み上がる。回廊だけの層もあれば、荘厳な広間が奥へ広がっている層もある。
壁は極端に少なく、本当に美しい白い石の床が積み上げられているように見えた。その隙間から空が見える、白い層の間を、軽やかな生地やレースの上着や、きらびやかな刺繍の上着をなびかせて、けだるげに漂い、淵近くにあるベンチのような台座に横ずわり座り、扇子を手に笑いさざめいている人々がいる。
遠くを眺めながら、顔を突き合わせてささやきあう男女は、外で起こった騒乱も、海から攻めてきた敵兵も、まるで、別世界のような顔をしている。
庭近くの回廊を行く、アーヘルゼッヘを建物の上から見つけると、遠目に眺めてはレースを振ったり扇子を傾けて合図を送る。それは、暗殺者を見る目と言うよりも、屋敷に紛れ込んだ蝶を見るようなまなざしだった。
実際、旅で疲れた銀の上着や、洞窟でついた土があっても、アーヘルゼッヘは美しかった。それは、造形美の粋を極めた自然の妙技のなせるもので、アーヘルゼッヘの気分とはまるで関係ないものだった。
もし、よく見知った者が見ていれば、戸惑いと疲れと、言い知れない奇妙なけだるい空気のせいで、青ざめて口の端についた深い皺を見つけた事だろう。しかし、それさえも、憂いを含んだ美しさになるのだが、見知った者からすれば、どうしたのと声をかけたくなるような、鬱鬱とした顔だった。
白亜の層は、森の中から、あちこちへ顔を出す。いくつもの建物が、空中に渡された回廊でつながっている。回廊を行きかう金や赤の衣装が、これまた幻想的だった。屋敷街の、巨大で立派な煉瓦の建物が、武骨に思えるほどだった。
東部地区で渇水におびえて、救いのチウや姫巫女の生死一つで絶望する。そんな人々がいる同じ都の人間達には見えなかった。水を呼ぼうと毎日のように神殿で人を付き落す儀式をしている、そんな都で暮らしているようには見えない。
「こんなに水があるではないか」
アーヘルゼッヘはつぶやいた。木々に含まれた水はもちろん、回廊の両側にこんもり茂る植え込みも、日当りのいい草原のように刈った芝生も、どこもかしこも水と土の香りがする。
「汲みあげているからさ」
と共に歩いていた兵士がつぶやいた。
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