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72.暖かい目になった
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守りたくない、と言った瞬間、帝都がどうなるか想像するまでもなかった。大地を割って、弟をひっぱりだして、そのまま、どこかへ消えるだろう。水が消えてがれきの街になろうが、大地が割れて建物が崩壊しようが、きっとチウにはどちらでも関係ないに違いない。アーヘルゼッヘはそんな“空”を感じた。
「あなたを慕っている姫巫女がいた」
アーヘルゼッヘが言うと、チウは暖かい目になった。そして言った。
「あの子はずっと弟のためにいてくれた。温かい言葉も、温かい心も、信じる強さも、何もかもが、あの弟が望んだ人間の姿であった。もちろん、私も救われた」
「なら、彼女が悲しむようなことは…」
と言った瞬間、恐ろしいような視線を向けた。
「焼身自殺を迫ったのは皇帝である。この帝都がある限り、何度でも同じようなことが起こるだろう。パソンは弟の花嫁だ。弟を起こして共に連れて参ればいい」
「しかし、砂漠の町のアゼル殿は」
「そうだな。アゼルがいた。あの二人がともにいるのもいい」
「あなたは単なる北の者だ。人間の求める神じゃない」
「そうだ。私は神じゃない。神は弟であり、パソンが神だと崇めだしたのは、おまえ自身だ」
「私も違う。私も単なる北の者だ。そして、帝都に眠るあなたの弟も単なる北の者なんだ」
「単なる? 人間を作った弟が単なる北の者だと言うのか? 同列か?」
「そうだ。世界を作ったあなたが単なる北の者なら、世界中の生きとし生ける者は単なる者だ。あなただって、心はどうしようもできないって知っている。だから、千年もこうやって弟が眠る大地に立ちつくして、弟が目覚めるのを待っているんだ」
「しかし、おまえが生まれたろう? 南の大地を守護する者が」
「ならば、南の大地で眠る者を守護するものでもあるはずだ。眠りたいなら眠ればいい。それが北の者のやり方じゃないか」
「そうさ。北の大地のやり方だ」
そう言って、チウは床をじっと見つめた。視線の先には、あの、弟の姿があった。アーヘルゼッヘは樽の傍から離れた。
「水晶宮で眠る者を強引に起こしても、彼らは再び眠りにつく場所を探すだけだ。きっとあなたの弟も同じだろう」
「試してみないで何を言う」
とチウは床を見つめながらつぶやいた。しかし、自分で起こす勇気がない。弟が大事にしていた全てを壊してまで起こして、弟が、すぐさま目をつぶり、この先二度と眼を覚ます気がなくなってしまうのではないかと、恐れている。
「引っ張り出してみてはどうです? 代わりに岩を入れて。水は流れ出したのだから、隙間を作ることもない」
チウは顔をあげた。顔はゆがんでいた。アーヘルゼッヘは気が付いた。毎日、自分のために人間が贄にされた。あれを見つづけて、無意識に大地の底にもぐった者が、果たして起きて正気でいられるかどうか。アーヘルゼッヘには分からなかった。そして、きっとチウも分からないのだろう。
「この世界はおまえの者だ。おまえが生まれた時に、私は中津大陸の主が生まれたと感じた。おまえがこのままにせよと言うなら、私は従うしかない。己の作った世界だが、一番己の思った通りにならない。まるで、人間の世界は自分の世界の写しのようだ」
そう言って、チウは半歩下がった。
「テンネは、北の者ではない。北の血をひくものだ。もちろん、そんな者は存在しないが、この都ではそうなっている。そして、野望に燃えて、帝国を覆そうと闘っている。人間の知恵と力で」
そう言って、後ろを見た。
長い時が流れたような気がしていた。しかし、廊下をランプをもった兵士たちが下りてくるわずかな時間しか経っていなかった。兵士たちの声が聞こえてくる。のんびりした声は、敵と戦ったことがないのではないかと思えた。兵士の一人が言う。
「どうして、こんな場所に逃げ込んだんだ?」
「北の方だから、外へ消える時間が欲しかったんじゃないのか? ほら、呪文を唱えたりとか」
「それは、インチキ呪術者の話だろう。そんなことをしなくても消えれるって話だ」
「なら、単に道に迷っただけなんじゃないのか?」
「北の方なのにか? 四方を見れる目を持つって話だ」
「どこにでも洞窟があるから、つながっているように見えたんじゃないのか?」
声はどんどん近くなる。
チウは軽く会釈をした。
「しばらくは敵味方だろう。おまえは帝国を維持する側につくらしい。北の力は使うなよ。約定は約定だ。力ある者が破ると、周囲に恐怖や驚きを生んで世界の均衡が壊れる。幼いころから習っているだろう? 嘘を言ってはならない。レヘルゾンは嘘をつけませんって」
「しかし、私は嘘がつける」
「成人したからさ。自分の判断で、嘘をつける時とそうでない時を判断できるようになった。だから、もう、レヘルゾンであると言う思い込みはいらないんだ」
「しかし、私は今もレヘルゾンだ」
「それは嘘だ。レヘルゾンとは、レヘルゾンになる為に努力する者であって、なるものじゃない。そんな役職や仕事は存在しないのだからな。主への忠誠心で自分の判断を後回しにする北の成人なんか想像できない」
アーヘルゼッヘは何とも言えない気分でチウを見た。
嘘をつける北の者は、どうしようもないかもしれない、と感じていた。自分が信望している北の主でさえ嘘をついたと言っているのだ。
「嘘も方便。そのうち慣れる。子育ては、われわれにとって厳戒体制下の非常事態だ。三人のうちの一人が成人してくれて助かるよ。あと、二人が成人するまで、レヘルゾンのことは公表するな。子供に、巨大な力や嘘があっても一利なしだからな」
と言って、さらに離れた。
アーヘルゼッヘは、気が付いた。島民を集め、今の体制に戦いを挑んでいるのはテンネだった。そしてテンネ側に回って闘っているのが、セノ卿だった。彼らとこれから敵対しようとしている。
「あなたを慕っている姫巫女がいた」
アーヘルゼッヘが言うと、チウは暖かい目になった。そして言った。
「あの子はずっと弟のためにいてくれた。温かい言葉も、温かい心も、信じる強さも、何もかもが、あの弟が望んだ人間の姿であった。もちろん、私も救われた」
「なら、彼女が悲しむようなことは…」
と言った瞬間、恐ろしいような視線を向けた。
「焼身自殺を迫ったのは皇帝である。この帝都がある限り、何度でも同じようなことが起こるだろう。パソンは弟の花嫁だ。弟を起こして共に連れて参ればいい」
「しかし、砂漠の町のアゼル殿は」
「そうだな。アゼルがいた。あの二人がともにいるのもいい」
「あなたは単なる北の者だ。人間の求める神じゃない」
「そうだ。私は神じゃない。神は弟であり、パソンが神だと崇めだしたのは、おまえ自身だ」
「私も違う。私も単なる北の者だ。そして、帝都に眠るあなたの弟も単なる北の者なんだ」
「単なる? 人間を作った弟が単なる北の者だと言うのか? 同列か?」
「そうだ。世界を作ったあなたが単なる北の者なら、世界中の生きとし生ける者は単なる者だ。あなただって、心はどうしようもできないって知っている。だから、千年もこうやって弟が眠る大地に立ちつくして、弟が目覚めるのを待っているんだ」
「しかし、おまえが生まれたろう? 南の大地を守護する者が」
「ならば、南の大地で眠る者を守護するものでもあるはずだ。眠りたいなら眠ればいい。それが北の者のやり方じゃないか」
「そうさ。北の大地のやり方だ」
そう言って、チウは床をじっと見つめた。視線の先には、あの、弟の姿があった。アーヘルゼッヘは樽の傍から離れた。
「水晶宮で眠る者を強引に起こしても、彼らは再び眠りにつく場所を探すだけだ。きっとあなたの弟も同じだろう」
「試してみないで何を言う」
とチウは床を見つめながらつぶやいた。しかし、自分で起こす勇気がない。弟が大事にしていた全てを壊してまで起こして、弟が、すぐさま目をつぶり、この先二度と眼を覚ます気がなくなってしまうのではないかと、恐れている。
「引っ張り出してみてはどうです? 代わりに岩を入れて。水は流れ出したのだから、隙間を作ることもない」
チウは顔をあげた。顔はゆがんでいた。アーヘルゼッヘは気が付いた。毎日、自分のために人間が贄にされた。あれを見つづけて、無意識に大地の底にもぐった者が、果たして起きて正気でいられるかどうか。アーヘルゼッヘには分からなかった。そして、きっとチウも分からないのだろう。
「この世界はおまえの者だ。おまえが生まれた時に、私は中津大陸の主が生まれたと感じた。おまえがこのままにせよと言うなら、私は従うしかない。己の作った世界だが、一番己の思った通りにならない。まるで、人間の世界は自分の世界の写しのようだ」
そう言って、チウは半歩下がった。
「テンネは、北の者ではない。北の血をひくものだ。もちろん、そんな者は存在しないが、この都ではそうなっている。そして、野望に燃えて、帝国を覆そうと闘っている。人間の知恵と力で」
そう言って、後ろを見た。
長い時が流れたような気がしていた。しかし、廊下をランプをもった兵士たちが下りてくるわずかな時間しか経っていなかった。兵士たちの声が聞こえてくる。のんびりした声は、敵と戦ったことがないのではないかと思えた。兵士の一人が言う。
「どうして、こんな場所に逃げ込んだんだ?」
「北の方だから、外へ消える時間が欲しかったんじゃないのか? ほら、呪文を唱えたりとか」
「それは、インチキ呪術者の話だろう。そんなことをしなくても消えれるって話だ」
「なら、単に道に迷っただけなんじゃないのか?」
「北の方なのにか? 四方を見れる目を持つって話だ」
「どこにでも洞窟があるから、つながっているように見えたんじゃないのか?」
声はどんどん近くなる。
チウは軽く会釈をした。
「しばらくは敵味方だろう。おまえは帝国を維持する側につくらしい。北の力は使うなよ。約定は約定だ。力ある者が破ると、周囲に恐怖や驚きを生んで世界の均衡が壊れる。幼いころから習っているだろう? 嘘を言ってはならない。レヘルゾンは嘘をつけませんって」
「しかし、私は嘘がつける」
「成人したからさ。自分の判断で、嘘をつける時とそうでない時を判断できるようになった。だから、もう、レヘルゾンであると言う思い込みはいらないんだ」
「しかし、私は今もレヘルゾンだ」
「それは嘘だ。レヘルゾンとは、レヘルゾンになる為に努力する者であって、なるものじゃない。そんな役職や仕事は存在しないのだからな。主への忠誠心で自分の判断を後回しにする北の成人なんか想像できない」
アーヘルゼッヘは何とも言えない気分でチウを見た。
嘘をつける北の者は、どうしようもないかもしれない、と感じていた。自分が信望している北の主でさえ嘘をついたと言っているのだ。
「嘘も方便。そのうち慣れる。子育ては、われわれにとって厳戒体制下の非常事態だ。三人のうちの一人が成人してくれて助かるよ。あと、二人が成人するまで、レヘルゾンのことは公表するな。子供に、巨大な力や嘘があっても一利なしだからな」
と言って、さらに離れた。
アーヘルゼッヘは、気が付いた。島民を集め、今の体制に戦いを挑んでいるのはテンネだった。そしてテンネ側に回って闘っているのが、セノ卿だった。彼らとこれから敵対しようとしている。
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