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78.単なるペンの墨の羅列
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「最大の危機こそが、最大のチャンス」
トローネは厳しい顔で言った。
「その話は、しばらくは他言しないでいただきたい」
そう言って、
「それで、来ていただけるのでしょうか? 人間ごときのことは関係ないとぱっと消え失せてしまわれるのでしょうか?」
それが最良の判断だ、とアーヘルゼッヘは思った。人間の生死にかかわってはいけない。約定に障りそうなことはするんじゃない、と心の声は言っていた。しかし、
「参りましょう」
とアーヘルゼッヘは言った。トローネはうなずいて、先に立って歩き出した。老人は、着せかけられた着物をだらんと垂らしながら、テーブルの椅子に腰かけてクッションに埋もれていた。手には甘い香りのパンを握ってちぎって、寄り添う女性の口に運ぶ。あーんと自分の歯茎の口を開いて見せて、女性達を笑わせている。アーヘルゼッヘとトローネのことは興味がなくなっているようだった。
アーヘルゼッヘが消えたとたん、周囲の者に殺されるかもしれない、と思った自分は馬鹿だったと思いながら、アーヘルゼッヘはトローネの後に従った。皇帝の後ろに立って、そんなアーヘルゼッヘの姿をうかがうように見ている者もいた。しかし、何も起こらなかった。
皇帝の持っている書庫と言うのは絶大な力を持つらしい。トローネが語って聞かせてくれたことには、その書庫の目録に書かれたことが議会で正式なものとして通されるらしい。皇帝と切り離して、新しい目録を作ってしまってはどうでしょう、アーヘルゼッヘはたずねた。権威と専横は別でしょう、と言いながら。
すると、トローネは苦い顔で答えた。すぐに権力闘争に発展しますと。一つ新しい目録をつくれば、次から次へと新しい内容が付け加えられ出して、どこの誰に何の権限があるのか分からなくなるらしい。時には新目録をねつ造しだすこともあり、それを取り締まる役所ができても、取り締まるそばから新しい権限が造られて、ねつ造の、別の取り締まりの役所ができてしまったこともあると言うくらいだ、と言う。
そうして、結局、民の生活が圧迫され、最終的に正しいものに戻そうとなった時に、行きつく先が、皇帝が持っている書庫の記録になるのだそうだ。
好き勝手に皇帝が書き加えても削除しても無効だそうだ。議会や大臣、それぞれの権限者や役職者のサインがあって初めて効力を持つのだそうだ。しかし、それでも、数十年も前に勝手に皇帝が付け加えていたせいで、新しい権力をもったものもいれば、逆に失脚していった者もいる。
新目録への切り替えのせいで動乱が起き、表の役所の記録が消えて、それを正せる記録がどこにもなくなったせいで、皇帝のごり押しが通るのだ。その記録が必要になると知っているから、皇帝は大事にルールを守って保存している。しかし、何を勝手に付け加えているのかは、皇帝以外は誰も知らない。動乱があって以来、新目録への挑戦する者はいなくなり、逆に、皇帝の機嫌しだいで数年後、または、数十年後の自分たちの未来がねじ負けられるかもしれないと言う恐怖が生まれた。
内乱がおこり表の記録が焼け、皇帝に伺いを立てに行くことになれば、これまで皇帝が勝手に造り変えつづけた目録が有効になる。だから、内乱は危険なんだと、まことしやかに言いだす者もいると言う。皇帝は常に内乱の機会をうかがっているとも言われるほどだ。
「くだらない人間の組織だと思わないでいただきたい。巨大な組織であればあるほど、正義と秩序が必要になるものです」
トローネは、正義と言う部分に力を入れて、アーヘルゼッヘへ話し続けた。
「バテレスト家は古い家系です。大戦では、大陸をまとめるために家人が大陸中へ散って行き、帝都には僅かばかりしか残っていません。が、逆に、大陸中に影響力があるほどに力が付いた家系です。すべてが対等であり、主がいないことが、彼らの誇りでもありました。ですから、これからあなたが立つ立場は、うらやましいものではありません」
「私は人ではありません。ですから、特に影響もないかと」
「言ったではありませんか。記録に載ることになったのです。今後、全ての人間があなたに、バテレスト家の主としての判断を仰ぎに来ますぞ。大陸中に影響力がある家計です。どこにいても、あなたの機嫌を取るために、あらゆる人々が動き出すでしょう」
「それでも、私には判断する権限もなければ、力もないし、知識もない。単なるペンの墨の羅列にすぎないのです」
「ならば、それをみなさんに納得させることですな」
そう言って、トローネは立ち止まった。
トローネは厳しい顔で言った。
「その話は、しばらくは他言しないでいただきたい」
そう言って、
「それで、来ていただけるのでしょうか? 人間ごときのことは関係ないとぱっと消え失せてしまわれるのでしょうか?」
それが最良の判断だ、とアーヘルゼッヘは思った。人間の生死にかかわってはいけない。約定に障りそうなことはするんじゃない、と心の声は言っていた。しかし、
「参りましょう」
とアーヘルゼッヘは言った。トローネはうなずいて、先に立って歩き出した。老人は、着せかけられた着物をだらんと垂らしながら、テーブルの椅子に腰かけてクッションに埋もれていた。手には甘い香りのパンを握ってちぎって、寄り添う女性の口に運ぶ。あーんと自分の歯茎の口を開いて見せて、女性達を笑わせている。アーヘルゼッヘとトローネのことは興味がなくなっているようだった。
アーヘルゼッヘが消えたとたん、周囲の者に殺されるかもしれない、と思った自分は馬鹿だったと思いながら、アーヘルゼッヘはトローネの後に従った。皇帝の後ろに立って、そんなアーヘルゼッヘの姿をうかがうように見ている者もいた。しかし、何も起こらなかった。
皇帝の持っている書庫と言うのは絶大な力を持つらしい。トローネが語って聞かせてくれたことには、その書庫の目録に書かれたことが議会で正式なものとして通されるらしい。皇帝と切り離して、新しい目録を作ってしまってはどうでしょう、アーヘルゼッヘはたずねた。権威と専横は別でしょう、と言いながら。
すると、トローネは苦い顔で答えた。すぐに権力闘争に発展しますと。一つ新しい目録をつくれば、次から次へと新しい内容が付け加えられ出して、どこの誰に何の権限があるのか分からなくなるらしい。時には新目録をねつ造しだすこともあり、それを取り締まる役所ができても、取り締まるそばから新しい権限が造られて、ねつ造の、別の取り締まりの役所ができてしまったこともあると言うくらいだ、と言う。
そうして、結局、民の生活が圧迫され、最終的に正しいものに戻そうとなった時に、行きつく先が、皇帝が持っている書庫の記録になるのだそうだ。
好き勝手に皇帝が書き加えても削除しても無効だそうだ。議会や大臣、それぞれの権限者や役職者のサインがあって初めて効力を持つのだそうだ。しかし、それでも、数十年も前に勝手に皇帝が付け加えていたせいで、新しい権力をもったものもいれば、逆に失脚していった者もいる。
新目録への切り替えのせいで動乱が起き、表の役所の記録が消えて、それを正せる記録がどこにもなくなったせいで、皇帝のごり押しが通るのだ。その記録が必要になると知っているから、皇帝は大事にルールを守って保存している。しかし、何を勝手に付け加えているのかは、皇帝以外は誰も知らない。動乱があって以来、新目録への挑戦する者はいなくなり、逆に、皇帝の機嫌しだいで数年後、または、数十年後の自分たちの未来がねじ負けられるかもしれないと言う恐怖が生まれた。
内乱がおこり表の記録が焼け、皇帝に伺いを立てに行くことになれば、これまで皇帝が勝手に造り変えつづけた目録が有効になる。だから、内乱は危険なんだと、まことしやかに言いだす者もいると言う。皇帝は常に内乱の機会をうかがっているとも言われるほどだ。
「くだらない人間の組織だと思わないでいただきたい。巨大な組織であればあるほど、正義と秩序が必要になるものです」
トローネは、正義と言う部分に力を入れて、アーヘルゼッヘへ話し続けた。
「バテレスト家は古い家系です。大戦では、大陸をまとめるために家人が大陸中へ散って行き、帝都には僅かばかりしか残っていません。が、逆に、大陸中に影響力があるほどに力が付いた家系です。すべてが対等であり、主がいないことが、彼らの誇りでもありました。ですから、これからあなたが立つ立場は、うらやましいものではありません」
「私は人ではありません。ですから、特に影響もないかと」
「言ったではありませんか。記録に載ることになったのです。今後、全ての人間があなたに、バテレスト家の主としての判断を仰ぎに来ますぞ。大陸中に影響力がある家計です。どこにいても、あなたの機嫌を取るために、あらゆる人々が動き出すでしょう」
「それでも、私には判断する権限もなければ、力もないし、知識もない。単なるペンの墨の羅列にすぎないのです」
「ならば、それをみなさんに納得させることですな」
そう言って、トローネは立ち止まった。
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