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「バーテンしゃん、もっぱい、お代わりくりえ~」
相澤は小一時間ですっかりと出来上がった。
そういえば、直前まで平然と飲んでたくせに、前触れもなく急に酔い潰れるタイプだったな。
「すいません、お代わりはキャンセルで、これで会計お願いします」
俺はバーテンのクレジットカードを手渡した。
「なんらあ?次はどこで飲むんだあ?」
「帰るんだよ、俺もお前も」
「宅飲みか!?いいなあ、わけえころおもいだしゅなあ!」
「いやいや、互いに自分の家に帰って寝るんだって」
「いやだ!」
「はあ?」
「帰ったらあのバカおんにゃがいるんだ、俺は帰りゃん!じぇっったいに帰りゃん!」
なるほど、だから喫煙所でグダグダしてたのか。
「だったらホテルにでも泊まれよ」
「ちゅれないこと言うにゃってええ!お前んちに泊めてよおおお!」
「…はあ」
なんとも絶望的なため息が出た。
数時間前の俺は若くて美人な部下からお泊まりを誘われていたってのに、いまは同じ年のオッサンに自宅に押しかけられようとしている…なんていうか、高低差で耳がキーンと鳴りそうだ。
ただ、この状態の同僚を一人にさせとくのも忍びないし、心配でもあった。
家には当然ながら杏子もいるが、いつものように親戚で押し通せばなんとかなるか。
レジで会計を済ませたバーテンが戻ってきた
「おそれいります、カードをお返しします」
「ご馳走さまです。すいませんね騒がせちゃって」
「いえいえ、タクシーをお呼びしましょうか?」
「お願いします」
こうして俺は、相澤を引きずって、バーテンが呼んでくれたタクシーに乗り込み、なんとか帰路についた。
杏子に連絡しようとスマホを開いたが、タイミング悪くバッテリーが切れている。
でもまあ、彼女のアドリブ力なら問題ないだろ。
「ほら、あともうちょいだから頑張れ」
「…うう」
いちおう歩いてはいるし、話しかければ返事もするが、ほとんど意識は無いんでだろう。
自分より遥かにデカい男を肩で支えながら歩くマンションの廊下は、いつもの五倍くらい長く感じる。
他の部屋の電気は消えていて、ご近所さんは漏れなくお休みのようだ。
あと数メートルで、この虚しくて重くて長い旅路も終わる。
安堵のため息が出そうになったところで、ガチャリと俺の部屋のドアが開いた。
出てきたのはいつもの寝巻きであるショーパンとTシャツに、パーカーを羽織った杏子だった。
やけに切羽詰まった様相がの彼女は、俺の方を向くと目を見開いて、大きく息をした。
「た、ただいま、どうかしたのかい?」
「いま…探しにいこうと…」
彼女は呆然としたまま答える。やはり様子が変だった。
「誰を?」
「岩城さんを」
「どうしてまた?」
「だって…今から帰るってメッセくれたのに…」
「あ!?」
そうだ並木さんを見送ったあと、杏子にそんなメッセージを送ったことを、すっかり忘れていた。
あれから少なくとも一時間半は経過している。
「ごめんごめん!実はあのあとこいつと会って、飲み直すことになって…その…え?」
途中で言葉を失い、息を呑んだ。
杏子が、泣いていたから。
呆然とした顔のままポロポロと大粒の雫をこぼし、ついには破顔した。
俺は肩を貸して支えていた相澤を放って地べたに座らせ、彼女のもとにかけよる。
「どどどどうした!?何かあったのか?」
「な゛ら゛連絡じろしい!死ぬほどじんぱいしただろおがあ!」
杏子は泣きながら俺の胸をポカポカと殴る。
俺はますます混乱した。連絡しなかったのはたしかに悪いが、泣くほど心配になることか?
若い女の子とかならまだしも、いい歳した独身のおっさんだぞ?
「え、え、えっと、スマホのバッテリーが切れて…その…ごめん…な?」
杏子は叩いていた拳を開き、俺のジャケットを掴んで、そのままおでこを俺の胸に当てる。
「あいつが戻ってきて…なんかしたのかと思ったじゃん」
胸の中でポソリと呟く彼女の声は、細くて真っ直ぐで、心臓をくすぐるみたいに届いた。
同時に、自分の思い違いに気づかされた。
そうか、この子は、杏子は、自分の身を案じてたんじゃないのか。
急に俺の家に押しかけてきたのも。
早起きが苦手なのに毎朝ちゃんと起きて、俺と一緒に駅まで歩いていたのも。
毎晩のように、ベランダから俺を出迎えていたのも。
ぜんぶ、俺のことが心配だったからなのか。
「…そうだよな」
「んだよお?」
「なんでもない」
そうだよな。自分の身の安全のために、図々しくなれる子じゃない。
地田のことだって、とことん追い込まれて、限界くるまで言い出せなかったくらいだしな。
俺は杏子の頭をよしよしと撫でながら言った。
「ごめんよ、本当に」
この気持ちを、感情を、なんて言えばいいんだろうか?
泣かせてしまったことへの罪悪感。
あまりのいじらしさへの愛おしさ。
どこまでも自分の身を案じないことへの呆れ。
そのどれもが、しっくりくるようで、微妙に違う気もした。
この眩暈にも似た感情の渦に、無理矢理名前をつけるなら、やっぱり恋だ愛だになるのかね。
正直、そんな言葉でおさまる気もしない。でも他に適当な言葉も見つからないから、仕方ないか。
「あっくしょい!」
顔を顰めたくなる、典型的なオッさんくしゃみにより、現実に引き戻された。
相澤の方を見やると、地べたに座り込み、マンション壁にもたれかかり、小刻みに震えている
冬の夜風にキンキンに冷やされた鉄筋コンクリートの床と壁はさぞ冷たかろう。
「このままじゃ風邪ひくくね?」
平静を取り戻した杏子は、いまにも凍えそうな初対面のおっさんを案じた。
俺はシャンプーの甘い香りが漂う杏子のそばから離れ、酒臭いおっさんの元にいき、肩を貸して抱き起こした。
はあ、高低差で耳キーンだ。
相澤は小一時間ですっかりと出来上がった。
そういえば、直前まで平然と飲んでたくせに、前触れもなく急に酔い潰れるタイプだったな。
「すいません、お代わりはキャンセルで、これで会計お願いします」
俺はバーテンのクレジットカードを手渡した。
「なんらあ?次はどこで飲むんだあ?」
「帰るんだよ、俺もお前も」
「宅飲みか!?いいなあ、わけえころおもいだしゅなあ!」
「いやいや、互いに自分の家に帰って寝るんだって」
「いやだ!」
「はあ?」
「帰ったらあのバカおんにゃがいるんだ、俺は帰りゃん!じぇっったいに帰りゃん!」
なるほど、だから喫煙所でグダグダしてたのか。
「だったらホテルにでも泊まれよ」
「ちゅれないこと言うにゃってええ!お前んちに泊めてよおおお!」
「…はあ」
なんとも絶望的なため息が出た。
数時間前の俺は若くて美人な部下からお泊まりを誘われていたってのに、いまは同じ年のオッサンに自宅に押しかけられようとしている…なんていうか、高低差で耳がキーンと鳴りそうだ。
ただ、この状態の同僚を一人にさせとくのも忍びないし、心配でもあった。
家には当然ながら杏子もいるが、いつものように親戚で押し通せばなんとかなるか。
レジで会計を済ませたバーテンが戻ってきた
「おそれいります、カードをお返しします」
「ご馳走さまです。すいませんね騒がせちゃって」
「いえいえ、タクシーをお呼びしましょうか?」
「お願いします」
こうして俺は、相澤を引きずって、バーテンが呼んでくれたタクシーに乗り込み、なんとか帰路についた。
杏子に連絡しようとスマホを開いたが、タイミング悪くバッテリーが切れている。
でもまあ、彼女のアドリブ力なら問題ないだろ。
「ほら、あともうちょいだから頑張れ」
「…うう」
いちおう歩いてはいるし、話しかければ返事もするが、ほとんど意識は無いんでだろう。
自分より遥かにデカい男を肩で支えながら歩くマンションの廊下は、いつもの五倍くらい長く感じる。
他の部屋の電気は消えていて、ご近所さんは漏れなくお休みのようだ。
あと数メートルで、この虚しくて重くて長い旅路も終わる。
安堵のため息が出そうになったところで、ガチャリと俺の部屋のドアが開いた。
出てきたのはいつもの寝巻きであるショーパンとTシャツに、パーカーを羽織った杏子だった。
やけに切羽詰まった様相がの彼女は、俺の方を向くと目を見開いて、大きく息をした。
「た、ただいま、どうかしたのかい?」
「いま…探しにいこうと…」
彼女は呆然としたまま答える。やはり様子が変だった。
「誰を?」
「岩城さんを」
「どうしてまた?」
「だって…今から帰るってメッセくれたのに…」
「あ!?」
そうだ並木さんを見送ったあと、杏子にそんなメッセージを送ったことを、すっかり忘れていた。
あれから少なくとも一時間半は経過している。
「ごめんごめん!実はあのあとこいつと会って、飲み直すことになって…その…え?」
途中で言葉を失い、息を呑んだ。
杏子が、泣いていたから。
呆然とした顔のままポロポロと大粒の雫をこぼし、ついには破顔した。
俺は肩を貸して支えていた相澤を放って地べたに座らせ、彼女のもとにかけよる。
「どどどどうした!?何かあったのか?」
「な゛ら゛連絡じろしい!死ぬほどじんぱいしただろおがあ!」
杏子は泣きながら俺の胸をポカポカと殴る。
俺はますます混乱した。連絡しなかったのはたしかに悪いが、泣くほど心配になることか?
若い女の子とかならまだしも、いい歳した独身のおっさんだぞ?
「え、え、えっと、スマホのバッテリーが切れて…その…ごめん…な?」
杏子は叩いていた拳を開き、俺のジャケットを掴んで、そのままおでこを俺の胸に当てる。
「あいつが戻ってきて…なんかしたのかと思ったじゃん」
胸の中でポソリと呟く彼女の声は、細くて真っ直ぐで、心臓をくすぐるみたいに届いた。
同時に、自分の思い違いに気づかされた。
そうか、この子は、杏子は、自分の身を案じてたんじゃないのか。
急に俺の家に押しかけてきたのも。
早起きが苦手なのに毎朝ちゃんと起きて、俺と一緒に駅まで歩いていたのも。
毎晩のように、ベランダから俺を出迎えていたのも。
ぜんぶ、俺のことが心配だったからなのか。
「…そうだよな」
「んだよお?」
「なんでもない」
そうだよな。自分の身の安全のために、図々しくなれる子じゃない。
地田のことだって、とことん追い込まれて、限界くるまで言い出せなかったくらいだしな。
俺は杏子の頭をよしよしと撫でながら言った。
「ごめんよ、本当に」
この気持ちを、感情を、なんて言えばいいんだろうか?
泣かせてしまったことへの罪悪感。
あまりのいじらしさへの愛おしさ。
どこまでも自分の身を案じないことへの呆れ。
そのどれもが、しっくりくるようで、微妙に違う気もした。
この眩暈にも似た感情の渦に、無理矢理名前をつけるなら、やっぱり恋だ愛だになるのかね。
正直、そんな言葉でおさまる気もしない。でも他に適当な言葉も見つからないから、仕方ないか。
「あっくしょい!」
顔を顰めたくなる、典型的なオッさんくしゃみにより、現実に引き戻された。
相澤の方を見やると、地べたに座り込み、マンション壁にもたれかかり、小刻みに震えている
冬の夜風にキンキンに冷やされた鉄筋コンクリートの床と壁はさぞ冷たかろう。
「このままじゃ風邪ひくくね?」
平静を取り戻した杏子は、いまにも凍えそうな初対面のおっさんを案じた。
俺はシャンプーの甘い香りが漂う杏子のそばから離れ、酒臭いおっさんの元にいき、肩を貸して抱き起こした。
はあ、高低差で耳キーンだ。
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