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★本編★あなたのタマシイいただきます!

【15-1/2】 再会はここで、突然に

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喫茶【シロフクロウ】のオーナーである九鬼が暮らす海沿いのタワーマンションの最上階。
たくさん部屋のある中でも主に使用しているワンルームのように全てが揃っている部屋で、ベッドヘッドのクッションにもたれ掛かりながらサイドに置いたノートパソコンを弄っていた九鬼が他者の気配に気づき、ベッドカーテンを手元のボタンを押して閉める。

「入ってイイヨ。……ナニ?ここに来る程の用事?」

外部から自分達の姿が見えないようにベッドをカーテンで囲うと九鬼は来訪者に声をかける。
一緒に住む者が他者の気配を嫌うため、部下もこの最上階のフロアには近付けていない。
冷たい静かな九鬼の声が部屋に染み渡るように広がると、部屋に通ずる扉が開いていく。

「すんません……携帯繋がらなかったんで」

九鬼の日本でのお守り役である井上竜司〈いのうえ りゅうじ〉が部屋へと入ってくると、扉の直ぐ側で頭〈こうべ〉を垂れた。

「あ~切っちゃってた気がする~。
で?なに?今、やっとボクの気が済んだから寝かせてあげたとこなんだよネ~」

九鬼は自分の脚の間で、体を丸めて泥のように眠っている人物の長い髪を掬うようにして梳き、口付ける。
そのシルエットがカーテンに映し出されると、元から寄り気味の井上の眉が更に寄った。

「ソイツ、ウィステリアですか?……いや、すんません、何でもないッス。この近辺でクスリを売り始めた奴らが居て、それが今日大きく動くんで知らせに来ました。どうするんスか?この辺は誰のシマでもねぇッスけど」
「この辺?愛輝凪〈アテナ〉大学近辺だよネ?んー……平和なら手を出すつもりは無かったんだけどナ~。
ドラッグとか左千夫くん嫌がりそうだし、喫茶【シロフクロウ】に影響でても困るしネ~。分かったボクがこの近辺貰うヨ、オジサンにもキミにもあげない」
「お、俺はいらねぇス!!もうカツカツッス!と、言うか九鬼さんがシマにするってなると、俺にシワ寄せくるんスけど…!」

声のボリュームは落とすがいつも通りの勝手な問答に井上は慌てて声を上げる。
溜息を大きく吐いてから、井上はカーテン越しにウィステリアと九鬼のシルエットを見つめた。

眠っているウィステリアとは神功左千夫〈じんぐう さちお〉の事である。
神功左千夫〈じんぐう さちお〉が変装して地下闘技場で遊ぶときの偽名がウィステリアなのだが井上は別人だと思い込んでいる。
髪色や髪の長さが違うもののシルエットだけでは二人の区別がつかないし、井上は九鬼がウィステリアを奴隷として囲っている事は知っているので、勘違いが続いている。
逆に井上に神功と九鬼の恋人兼奴隷の関係は知られていない。
九鬼からのただならぬ執着が神功に向かっている事は知っているが、ただの仕事仲間だと思っている。

お守り役である井上的には神功を見付けてから九鬼の行動が落ち着いたので、ウィステリアの存在は好ましくない。
また昔の様に夜中に遊び歩き、いろんな事に手を出し、その後処理を自分がしなくてはならなくなると気が気でないからだ。
それに、九鬼は強者だ。
中華系マフィアの龍鬼頭〈ロングゥイトウ〉を継ぐ者でもあるし、井上は精神論や実力的に尊敬しているところも多々ある。
そんな彼が、神功左千夫〈じんぐう さちお〉のように家柄、経歴、容姿、頭脳、実力を全て持っている者の横に並ぶなら分かるが、ウィステリア如きを私室にまで引き連れている事に納得がいかなかった。
今だって自分がここに来ている事にすら気付きもせず、眠っている弱者に眉間に皺が深く刻まれていく。
不釣り合いだ。
そんな考えと共に僅かに井上から殺気が剥き出しになった、その瞬間──────。

肌を焼き尽くすような殺気が部屋中を充たした。

「─────ッ!!!!」

井上の視界が紅く染まる錯覚さえ覚える程の殺気に、汗腺からブワッと汗が滲み出る。
萎縮するように身構えるよりも速く、九鬼の脚の間で眠っていた筈のウィステリア、基い神功が殺意を放ったまま動く姿がカーテンのシルエットに映し出された。

「おっと、ゴメンゴメン。ボクの部下……、折角寝てたのに起こしちゃったネ、……ウィステリアちゃん?」
「──────ッ!!!?…………」

井上に飛び掛ろうとする寸での所で神功の緋色の瞳を目隠しするようにして後ろから九鬼が抱き締めた。
九鬼が自分達の関係がバレぬ様にと引いたカーテンを持ってしても、“能力”を使ったときに朱く不思議な色に揺らめく彼の瞳は隠す事は出来ないからである。
九鬼の父がおさめているマフィア“龍鬼頭〈ロングゥイトウ〉”は赤目の者を嫌うので、神功が赤目だとはバレていない。
彼の“能力”を使えば情報操作は容易いので緋色の瞳はコンタクトであると認識されている。
九鬼が神功を捕まえる事により神功の殺気が収まる。
ウィステリアと呼ばれた事により神功は全てを理解し、井上に関係を知られたくない彼は声を聞かれては不味いので喋ることはない。
隠された目許を離すようにと九鬼の腕を叩き合図する。
しかし、解放される事はなく神功の殺気に欲情した九鬼によってベッドにうつ伏せに押し潰される。
そして、情事後に体液を掻き出し綺麗にしたもののまだ熱を持ち熟れたアナルに性器を埋められ、奥まで一突きされた。

「──────ァアアアア♡」

撒き散らされた殺気からは一変して甘い声が室内に響く。

「………君が悪いヨ。あんな、肌が焼けるような……殺意、敵意……、憎悪………ッ、ボクが我慢できるわけないデショ?」
「─────ゃめ………く、───っ!!!───ッ!!!──────ッ!?」

神功は驚きに目を見開いてから自分の腕に歯を立てるようにして声を殺す。
喫茶【シロフクロウ】の連休中セックスし続けていて、甘く蕩けてしまった神功の体は快楽を我慢できなかった。
どこか優しげな声で恍惚とした表情のまま、九鬼は激しく腰を打ちつけながらカーテン越しに完全に萎縮してしまった井上を見据えた。

「用件はソレだけ?あ、そうだ、まー、イノッチだから一回目は許すけど、………ッ、今度この子が寝てるとこで殺気なんか、…はぁ、…立てたら──」
「────んーッ!!ッッッ!!く、ンー!!」


「…………キミでも殺すヨ?」

肉がぶつかり合う音と神功のくぐもった声が漏れる室内に、次は九鬼の背筋が凍るような殺気が支配する。
ビクッと大きく井上の肩が揺れると、更に深く頭を下げた。

「はぁ…ウィステリア…ちゃん、そんな締め付けないでヨ?ボクの、気配に当てられちゃった?」
「ぅ…………ッ!!!は、ぅ……ぅ」
「申し訳…あ、ありません……、ウィステリアの実力を誤解してま…した……」
「んー……まぁ、それは仕方ないカナ。この子は隠すのが上手だからネ~、……はぁ、気持ちイィ……ウィステリアちゃんも、キモチイイ?……ハハッ、怖い怖い…」

九鬼の殺気が鳴りを潜めると、またくぐもった声と淫猥な音、甘い香りが室内を満たしていく。
神功は肩越しに九鬼を睨みつけるように一瞥すると、直ぐに自分の腕へと唇を押し付ける。

「終わったら、行くから……人集めといて……ッ、ネ~」
「承知しました……」

井上は了承の意を伝えると直ぐ様部屋から出ていく。
井上の気配が完全に無くなることを感じ取ると九鬼は両腕を引っ張るようにして背中を撓らせて、無遠慮に前立腺を擦り押し上げる。

「ヒッ!!───ぁああああっ、九鬼ッ、も、感じ過ぎて…深く、深くッイかさないでッ……ひぐ♡ぅあああ゛!!!」
「んー?チョット、無理なご相談…かなッ…ふ、……今日、は、喫茶店…手伝えそうにないから、早めに終わらせる努力は、…ッするネ?」
「あぅ♡はぁ、はぁあああっ!!♡♡イく、イくからッ、イったら、止めてッ…ッあああアッ♡♡♡イッた♡イきましたッ♡♡もうッ、お願いッ♡♡壊れるッ!!」
「嗯〈ウーン〉……、もうちょっと、もうチョットだけ、……はっ♡絡みついてッ……んッ」
「も、もうッ!!♡また、…クるッ!!はっ、お願いッ!!お願いで…すッ!口で、くち…で、するッ!!もう、もう、中はっ、ゆるしッ、ゆるしてっ!!♡」
「ムリだって…、ずっと、繋がってたいね……はぁぁ────ッ、ッイきそ…昨日の?一昨日の?夜から…は…何十回……め、カナ?百回、イってる?……ホント、朱華〈ヂュファ〉が、悪いんだ…ヨ?」

神功はもう精液も出ないピアスのついたペニスを空打ちに痙攣させる。
神功が懇願しても熱に染まった九鬼は、神功につけた朱華〈ヂュファ〉と言う名前を呼びながら行う腰の打ち付けを止めることはなかった。
逃げようと腰をくねらす神功の膝裏に九鬼の膝を載せてガッチリと固定してしまうと、パンパンパンパン─ッと、神功の肉が揺れる程の打ち付けを繰り返し、うねる腸壁を満足が行くまで愉しんだ。



▲▲ sachio side ▲▲


ピピ ピピ ピピ ピピ♪

いつもはアラームの鳴る前に起きるのだが今日は久々に携帯のアラームの音で目が覚めた。
いつもある筈の体温が今日は横にない。
神功家を出てからは一人で寝るのが当たり前だったのに、これが物足りないと感じてしまう。人とは恐ろしいものだ。
ベッドヘッドの近くに畳んでくれてあるバスローブを肩に引っ掛けると、カーテンを開いてベッドから降りる。
風呂に向かう途中にある鏡に映る自分の姿に目が止まった。
一緒に暮らす事になった時に部屋の要望を聞かれ、僕が提示した条件の一つに鏡がある。
多ければ多いほど良いとは伝えた。
ただ、セックスの途中にこの前に立たれるのは好きではないが。
バスローブが床に落ちるのを気にせず鏡に映る自分の体を見詰める。
自分の体は鏡を見なくても大体は分かるのだが、矢張り少しの変化も見逃さないようにするには直接見るに越したことはない。
ただ、今日の自分は連夜の彼との行為により髪は乱れ、唇の血色も悪く、酷くやつれた顔をしていた。
とても人間らしかった。

彼は組織に呼ばれたようで“こんな”僕を置いて外に出ていった。
余りにも不釣り合いな自分の見た目に当たり前だな、と心はストンと納得してしまう。
元より彼のお家稼業に僕は手を出せない。
この緋色の瞳のせいである。
幻術で誤魔化せば無理ではないがそれには沢山の嘘を重ねなければならない。
そして何より、彼は僕を呼んではくれない。
一緒に来いと言われたことはない。
彼に向けられる刺客の情報はお守り役である井上竜司〈いのうえ りゅうじ〉から横流ししてもらっているので彼にバレないように片付けてはいるが。
自分が嫌いな訳ではないが釣り合わないなと何度も自覚させられる。
不必要なのだと。
永遠に愛されないとは分かっているんだが、せめて能力、外見くらいは釣り合う者で居たい。
例え横に並べなくても、彼が見える範囲にはずっと居たい。
歯型やキスマースがひどく散らばっている体躯。
彼はいつまで興味を持ってくれるのかと思うと凄く醜い笑みが浮かんだ。
ますます人間っぽくて笑ってしまう。
彼は僕が人間なのだと何度も現実を突き付けてくれる。
こんなにバケモノに近い体をしているのに。

「僕もまだまだ……弱いですね。さて、早く用意しないと間に合わなくなってしまう」

いつものように自分を魅せる事を考える。
表情の統制を考えて、視覚的に人を魅入らせるために如何すればいいかを実行していく。
珍しくハイネックでも隠れることの無い位置までついているキスマースと歯型は幻術で消してしまう。
彼はバレないようにと、見えるところには基本付けないのだが。
周りに知らせる事なく始まって、知らせないまま終わっていくこの関係に僕が執着してしまっていることには何の後悔も無いのだけれど。
いつ何を言われても動じないように心の整理を常にしないといけないな、と小指のリングへと視線を落とした。
リングを首に掛ける為のチェーンを手に取ると、時間がないので早足に浴室に向かい、シャワーだけ浴びると髪を結び、喫茶【シロフクロウ】へと降りた。


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「マスターお疲れ様です、着替えてきました」
「那由多くんもお疲れ様です、今日の講義は如何でしたか?」
「……ほどほど…です」
「那由多、また寝てたんでしょ……」
「巽、うるせーぞッ」
「俺も一般教養、同じ講師の講義だから今度ノート見せるよ」

朝から慌ただしい一日がいつも通り過ぎ、もうすぐ閉店の時間だ。
晴生くんが早めの時間に上がり大学の教授に会いに行く日だったので、那由多くんには大学の講義が遅い時間まである日だったのだがクローズ作業を手伝ってもらうためにシフトに入ってもらっていた。

巽くんがキッチンから此方に出てくるといつものやり取りが始まっている。
那由多くんが巽くんのことで悩んでいそうな気配があったが、今日のやり取りを見ている限りは大丈夫そうな気はした。
今居る客のオーダーは全て通したので彼らの会話をカウンターで眺めていると、喫茶【シロフクロウ】の扉の鈴が鳴り響く。
入ってきた人物は僕の記憶にある人物だったが僕は表情を変えることなくいつも通りの対応をする予定だった。
しかし、那由多くんは来客者に近付き名前を呼んでしまった。

「お、オトさん…ッ!?」
「え!?えー…と、どちらさん?俺達どこかで……あれ、そういえば…」

拙い…。
僕の催眠術はこちらからアクションしない限り消える事は無いのだけれど、那由多くんがオトと呼ばれるくすんだ金髪の青年に対してアクションを掛けてしまったために僕の催眠術に亀裂が入る。

「え、あ!!コウくん?…うわ、まさかまた会えるなんて…」
「あ、はい…この前は、そのすいません…庇ってもらったのに何も出来なくて…」

那由多くんが会話を続けると僕の催眠がパキンッとひび割れて解けてしまう。
那由多くんはそれが何を意味するかを気づいていないと思うので、確認を取るためにも“オト”と呼ばれる人物との間に割って入るようにいつもの笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ。那由多くんのお知り合いの方ですか?良ければゆっくりと……奥の席へどうぞ」
「あ、すんません……おじゃましまーす」

僕を見上げた青年は一瞬目を見開いてから歩み始める。
金髪の青年が僕たちに背中を向け奥のテーブル席へと進んでいくと、僕はそっと那由多くんの耳元へと唇を寄せた。

「記憶消しますか?消すなら早いほうがいいんですが……」

僕と一緒に那由多くんが違法カジノに潜った時の記憶は誰にも残らないようにしてある。
なのでこの青年の記憶も蘇らせないほうがいいのかと那由多くんに声をかけた。
彼は僕の質問の意図に気づいたのか慌てたように目を白黒させて、首を横に振った。

「消さないままとかも、…で、できますか?」
「…………、勿論構いません。現状僕の幻術は完全に解けてしまってますので那由多くんとコウくんは同一人物と彼にバレている状況になってます」

その言葉に僕の方が数度瞬くことになる。
僕は自分の意図しないところで痕跡を残すのは考えられないのだが、那由多くんはそうでは無いようだ。
そう小声で続けられてしまうと仕方がないので僕は那由多くんから体と共に唇を引いた。

那由多くんは訪れた青年を追いかけるようにテーブル席へと早足で進んで行った。
先に座った青年を見詰めると僕の瞳が朱く揺らめいた。
那由多くんの記憶を覗いたとき、確か彼に取り憑いていた《紅魂ーあかたまー》 は那由多くんが《食霊》していたはずなのだが。
静かに僕の視線が細くなるが、他の客からの視線を感じて其方へと急いだ。




∞∞ nayuta side ∞∞


こんな偶然があるのかと驚いた。
もう会えないと思っていた人物か俺の目の前に現れる。
くすんだ金髪、小柄で華奢な体躯は出会った時と変わらなくて思わず声をかけてしまった。
直ぐ様マスターが気づいて記憶を消すかと問い掛けてきたが、俺はそれを断わった。
俺が違法カジノに潜入した時の痕跡が他人に残らないようにしてくれたのに、俺は自らそれを破ってしまったようだ。
けれど、もう一度逢いたい人物だったし、出会いこそ闇カジノと言う違法な場所だったが、俺は彼との関係をその日限りにしたくはなかった。

「オトさん、元気そうで何より…デス…」
「おう、元気元気!え~と、コウくん?…いや多分名前違うよね…アソコで本名名乗る程馬鹿じゃないだろうし…、因みに俺は六架、佐久間六架〈さくま りっか〉つーのが本名な。あと、敬語無しにしようぜー!折角こうしてまた会えたんだし!六架って呼ばなきゃ口聞いてやんない」

オトさんの近くまでくると、グイッと遠慮なく肩の辺りを引っ張られて耳打ちされた。
本名を告げられると自分もオーダーを送信するハンディの裏側に書かれた千星那由多〈せんぼし なゆた〉 という字を見せながら本名を告げた。
オトさん改め六架さん、…いや、六架は相変わらず、俺のプライベートゾーンに深く入り込んでくるが、不思議とそこまで不快ではなく会話が弾んでしまった。

「あ、そう言えば俺、閉店間際だったけどまだ行けますかーって聞くとこだったんだ。ラストオーダーの時間過ぎちゃった?」
「え?……あ、過ぎてるけど───」

視線をマスターに向けると、マスターは最後のお客さんを見送っていた。
俺が注文を聞かずに喋りこんでしまったことにも原因があるし、マスターは駄目とは言わないと思うけどちゃんと許可を取ったほうが良いのかと悩ましげに視線を彷徨わせていると、後ろから巽が声を掛けてきた。

「構わないと思うよ。ちょうど皆の晩御飯作るとこだったんだけど一緒にどうかな?構いませんよね、マスター?」
「勿論。と、言いましても作ってくれるのは巽くんですしね、クローズ作業があるので僕はおもてなし出来ませんがゆっくりしていってくださいね」
「え!?でも、そんなの悪くないですか?俺、金どれくらい持ってきてたかな……」
「晩御飯って言っても余り物で作るまかない程度のものだからお金取るのは気が引けるな……どうしてもって言うならコーヒーセットの代金だけ貰おうかな?」

見送りから戻ってきたマスターに巽は声を掛けると、マスターはいつもの表情のまま頷いていた。
巽は六架が慌てて財布をとりだし札や小銭を手の上に広げているところから500円玉を一枚指差していた。
そもそもうちでセットもので500円となるとお子様メニューくらいしか頼めないと思うんだけど、そのへんの配慮は巽にとって普通のことなんだろう。
その後も出来るまでの間に飲みたいものはあるか、食べ物で嫌いなものはあるかなど、スマートなやり取りに自分の幼馴染ながら見直してしまったのは言うまでもない。
俺では無理だ、絶対無理だ。

「じゃあ、俺はキッチンに戻るね、那由多は外のクローズ作業だけお願いしてもいい?」
「……お、おう」
「那由多、行ってらっしゃい~。俺ここから那由多の仕事ぶり眺めとくな」
「え?……なんだよそれ……」

六架が茶化すように言葉を掛けてくるが、こっちもこっちで俺が動きやすいように配慮された言葉なんだと外に出てから気づいた。
結局二人ともサービス業のプロなんだと改めて思い知らされると、いつも通りに自分に自信が無くなりそうになる。
防犯と宣伝に必要な場所だけ外灯を点けたり、メニューボードを中に入れたりといつもの作業を終えて中に片付けると、六架は頬杖を付きながら水栽培がされている土のない中庭を眺めてコーヒーを呑んでいた。
何となく儚げに見えてしまったその姿に俺の視線が自然と細くなると、速歩に駆け寄った。

「お?おつかれ~那由多。会ったときも良かったけど俺はこっちのお前のほうが好きかも、落ち着くー」
「は?…なんだよそれ、その含みがありそうな言い方」
「ははっ、気しない。こうやってまた会えたのも何かの縁だし仲良くしよーぜ?つーかさ、那由多」

六架に引っ張られるように横に座らされてしまい、ヒソヒソ話をする為に耳元に唇を寄せられるが、六架の視線はカウンターを片付けているマスターへとそそがれていた。

「ここのマスターって男だよな?ちょっと声が低い女性とか言わねぇよな?」
「は?……男に決まってんだろ?」
「だよな。なーんか、見れば見るほど人形みたいでわかんなくなってきてさ…」

俺はマスターと長い付き合いと言ってもいいだろう。
男物の制服を着ている姿も見ていたし、なんなら股間についてるイチモツも見たことがある。
普通に立派だった。
だから六架みたいに女性だとは思ったことがないけど、中性的な顔立ちが綺麗でドキドキしてしまうのはわかる、と言うか何度もなってる。
この前なんてキスしてしまって色々俺の妄想が大変だった。
そんな邪な考えの元マスターを二人で見つめていると、既に俺達の視線に気づいているマスターはこっちに微笑みを返してくる。

「どうか、されましたか?…………!!すいません、九鬼が…ここのオーナーが帰って来たようなので少し抜けますね」

いつ見ても完璧な微笑みを浮かべながらカウンターから出てこようとしていたが、何かに気づいたように立ち止まるとカウンターの下からおしぼりを持って裏口の方へと向かっていった。
それを見た六架が不思議そうに首を傾げた。

「あれ?あの人、今携帯か何か見た?」
「え?マスター?……いや、多分、見てねぇよ」
「じゃあ、何でその九鬼って人が帰ってきたのわかんの?音かなんかした?つーか、那由多ここ美形揃いでヤバいじゃん…こんなとこで働いてるならお前あんなとこ来る必要なくね?」
「あ、あれは……その……」
「ま、俺も色々あるから深くは聞かねーけどさ?」

そう言って苦笑混じりに笑った六架を見ると、ほっておけないと思ってしまうほど危うい雰囲気があった。
あんなとこで働いているからそんな先入観を持ってしまうのかと思ったけど、先にそう言われてしまうと深く聞けなかった。

「おまたせ、できたよ」
「うわっ、すげー、料亭みたい。那由多の友達ってすごいなっ」
「大皿に盛ったから好きなのどうぞ。あ、那由多は俺がよそうよ」
「は?自分で取れるし」
「那由多は自分で取ると好きなのしか取らないでしょ?」
「ゔ…んなことねぇし」

巽のオカンモードが発動した。
偏食の俺に対してコイツは容赦なく苦手な野菜類を多めに盛り付けていく。
めちゃくちゃ不満を言いたいのだが、そもそも作ってもらってるし巽が盛り付けたほうが栄養のバランスが取れていることが見ただけで分かるので言い返せず、自分の前に置かれた皿を見つめた。
その様子を見ていた六架は笑っていて恥ずかしかったけど、いつも通りに「いただきます」をして夕食にありついた。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


夕食を平らげて何もしないのも癪なので、後片付けくらいは俺がすると見栄を張って食器を下げると下洗いをして食洗機につっこんだ。
六架が食後はアイスコーヒーがいいと言っていたので六架と俺の分を入れてテーブルへと向かう。
今は接客中じゃないからいいかと自分のストローに口を付けて飲んで歩いていたのが間違いだった。

「ねね、巽って那由多のことが好きなん?」

戻る途中で凄い会話が聞こえてきて、“ブホォッッッッ”と俺はアイスコーヒーを吹き出すように咽た。
ゲホゲホと激しく咽せながらなんの会話をしてんだよって、ツッコミたかったけどそれよりも巽の返答のほうが早かった。

「好きだけど?」

ストレートな返答に俺の顔がボンッと弾けるように真っ赤に染まる。

こっからは巽の背中しか見えなかったのでどんな表情をしていたか分からなかったけど、こっちから見てるとニマニマしている六架と目が合って俺は慌てて駆け寄った。

「ちょ!なんの話して───」
「で、那由多はどうなん?」
「は?……え?……いや、その」

六架から更に問を詰められ俺はドキマギしてしまう。
てか、これ、俺の今の返答ってアウトじゃねぇ?
もっと冗談っぽく流す方法もあったのに何してんだよ那由多!!
巽からのどこか真剣な視線もめちゃくちゃ心に刺さる。
この前気持ち悪くてセックスできなくて、喫茶【シロフクロウ】の皆となぜかディープキスする羽目になって、たまたま、きっと、あの時は俺の体調とか気持ちが追いついてなかっただけで次はイケる!とか、結論付けれたとこなのに。
《霊ヤラレ》 の発散を通り越した幼馴染から向けられている恋心について突っ込まれて、俺は最上級にテンパった。
しかも最近ちょこちょこ、コイツかっこいいんじゃね?とか思い直してるとこだったので冷や汗がタラタラと落ちる。

「ぅえ、え、え、………と」
「戻りました。……まだいらっしゃいます───」
「お、おおおお俺はマスターが好きですッッッッ!!」

そんなタイミングでマスターが戻ってくる。
テンパり切った俺はマスターを指差して絶叫した。
マスターは特に表情を変えることなくこっちを見ていたが、俺以外の二人からの執拗な視線を浴びていた。
そして更に違う方向に話は流れる。

「はい。僕も那由多くんが大好きですよ……、キスが出来る仲ですしね?」

はい。しました。確かにこの前しましたとも…!
ニッコリといつもの神々しい微笑みを湛えながら返答するマスターだったが、巽からの視線が俺へと流れて色んなところが縮んだ気がした。
マスターが言うと冗談に聞こえない。
実際本当だし、俺は益々どうしたらいいかわからなくなった。

「さて、冗談はこの位にしまして、九鬼が久々に呑みたいらしいのでBARを開けると……六架さんも良ければご一緒にどうですか?」
「え?行きます、迷惑じゃなければ行きたいです、那由多がまた作ってくれるんだろ?楽しみー!」
「え?俺!?!?あ…そうか、俺か…」
「ん?どうかしたのか?那由多?」
「い、いや、なんでもねぇーし…」

そうだった…!
俺は六架と会ったときは喫茶店のキャストとしてじゃなくて、バーテンダーとして出会ったんだ。
それだと俺が作れないとおかしくなるわけでこの矛盾に頭を抱えた。
だからマスターは消した記憶を容易に戻していいのかと俺に聞いたんだろう。
でも、多分、今ならバーテンダーは出来る、実はまだこっそり練習してたりする。
ちょっと飽きかけてたから調度良かったかもしれない。

「それでは30分後に。BARは屋上のVIPルームに併設してますので巽くん、六架さんのご案内をお願い致します。僕は少し那由多くんをお借りしますね」
「屋上ですね、わかりました」
「え、あ、マスター……」
「那由多、行ってらっしゃい~」
 
あれよあれよと事は進み、なぜかマスターに手を引かれてエレベーターへと乗り込む羽目になる。

「那由多くん、催眠術がなくてもバーテンダーいけそうですか?」
「あ!…はい、実はこっそり練習してたんで、まだ……なんとか」
「それは良かったです。なら、やはり君用に揃えた道具を使うのが良いですね。後、服も前回みたいなものでいいですか?まだデータは残っている筈なので」

マスターは俺達の部屋があるフロアのボタンを押すといつもの表情のまま言葉を綴り始めたけど、珍しく三つ編みを気にするように結び目に触れていた。
あまり見ない姿を見ていると、俺はふとマスターのうなじの辺りにある赤い鬱血に目が行く。

「なんでも…大丈夫です……あの、マスター、首の所に何か、赤いものが……」
「え?……嗚呼、すいません、……血液ですよ。全部拭ったと思っていたんですが……」
「血ですか…!?」
「僕のものでも九鬼のものでも無いので大丈夫です。その、……僕臭くないですか?」
「へ?……マスターは甘い匂いはしますけど、臭くは無いです」
「………甘い?」
「いや、そのッ、深い意味はなくて!大丈夫デスっ!臭く無いです!ちゃんといい匂いですッ!」
「なら、良いですが…九鬼が凄い血を浴びて帰ってきてたので移ってないか心配で……、那由多くんは血の臭い気付きませんでしたか?」
「え゙!!!全然!?なにやってんスか!?オーナー!!??」
「彼のお家事情とでも言っておきましょうか……流石に一般人にあの状態を見せるのは刺激が強すぎるので風呂に押し込んで来ましたけど」

そうだった。
九鬼オーナーって確かマフィアの息子とかそんなんだった気がする。
だからさっきマスターは何も無いのにオーナーが帰ってきたってわかったのか。
多分マスターなら血の匂いとかがなくても「気配でわかります」とか、言うんだろうけど。
改めて自分の周りの異常さに気づいた俺は、色々考えただけでまだバーテンダーのバの字も始まってないのに疲れてきた。
マスターはハンカチで首元を拭っているけどなんか消えてない気もするし。
でも三つ編みで隠れる位置だしこれ以上言ってもマスターが余計気にするだろうと、それ以上口を挟む事はしなかった。
そして、あれよあれよという間に俺の部屋の玄関までマスターが来たが、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。
初めて恋人が家の前まで不意打ちで来てるとかそんな気分になって無駄に興奮する。
落ち着け那由多、今日はキスしそうなモーションは無い。
……いや、有った。

マスターは玄関から部屋に上がることはなかったので、俺は急いで必要なものを持って玄関へと戻った。
流れるような手つきで俺のカクテルセットに手を伸ばされて、渡してから自分で持てるとハッとしたけど時既に遅し、マスターは次の行動へと移っていた。
マスターは俺のチョーカーの宝石をすくい上げると、逆のカクテルセットを持ったままの手で俺の腰を引き寄せるようにして体を密着させる。
絶対、絶対勘違いだって分かってるのにさっき言ってた甘い香りが一気に俺を満たして高みへと上っていく。

「マ、マスター…そのッ!」
「すいません、端末が有れば瞬時に可能なんですが、何も無い状態で僕は晴生君みたいにスムーズにはできなくて……」
「……へ?」

勘違いだと分かっても俺の体温は上がったままだった。
何をするのかわからないままマスターを見つめていると、彼はチョーカーの宝石の部分に触れる。
SF映画などでよく見る空中に映像が浮かんで、タッチできるディスプレイが浮かび上がると、左手で物凄いスピードで打ち込んで行き、俺の服が一瞬輝いて前回とほぼ同様のバーテンダーの服装へとチェンジする。
システムの言語が羅列するように足元から輝く様は映画のワンシーンみたいで見惚れてしまった。

「やっぱり、似合いますね」

そう言ってマスターは微笑むと験担ぎ〈げんかつぎ〉のための持ってきたピアスケースからピアスを取り、耳に付けてくれた。
巽とはまた違うスマートさと安心感のある微笑みにグッと来ない訳がない。
顔が熱い、股間がヤバイ。

「さて、行きましょうか。
那由多くんもBARを先に色々見ておきたいでしょうし。後、一つ言い忘れてましたけど彼また憑いてますね」
「また?…憑いてる?六架の事ですか?」
「はい、那由多くんの記憶を見せてもらった時も《紅い魂》は彼に憑いていて《食霊》も成功していた筈なんですが、また《紅魂》が居ます。それも一緒に《食霊》しようと思いましてBARに誘ったんです」
「え!?そうなんですかッ!?俺はまた九鬼オーナーのいつもの突発的な、思い付きみたいな奴かと……」
「勿論、それも有りますが……。問題は誰が《食霊》するかなんですが…対人に対して、一番違和感なく《食霊》出来るのは九鬼なんですが、ちょっと今日の彼は気が立ってますし……僕が“幻術”を掛けても構いませんが普通の人間に何度も掛けるのは躊躇われますしね……」
「だったら…俺が……」
「そうですね、那由多くんはノンアクションで出来ますし、巧く《食霊》していただけると助かります。無理なら無理で僕が《食霊》するのでチャンスがあればお願いしますね」

無茶苦茶レアな事が今起きてる。
この前もそうだったけど、あれはあくまで人も居なかったし、新人って役割だったから俺だったのに今日は違う!
これだけのメンバーが揃ってるのにマスターが俺に《食霊》をお願いしているッ!
まさかこんな日が来ようとは!あのマスターから頼られる日が来るとは!!
俺の心は感動に震えたけどそんな俺をマスターは不思議そうに見て首を傾げるだけであった。



-- rikka side --


職業的に働く場所が不定期に変わるため友達の家を転々としてんだけど、今日来るエリアは初めてだったし、仕事も無かったので引き寄せられるように入ったカフェに知った顔がいた。
サービス業だし割と顔を覚えるのは得意な方なんだけど、コウくん改めて那由多は話しかけられるまで分からなかった。
出会った場所と全然違う場所で再会したし、見た目の印象も異なったからだとは思うけど不思議な感覚を俺に対して与えて来た。
色んな意味でめちゃくちゃ気になったんだけど、既に男が居るっぽい。
しかも那由多を恋愛感情で好きそうな巽はなかなか面の皮が厚くて当たり障りのない話はある程度続くんだけど、深い話は全くできなかった。
そして俺はこれからラッキーなことに、この喫茶店のオーナーのBARに招待してもらえるらしい。
那由多に再会できた上にタダ酒まで飲めるなんてこんなにツいてる日はもう無いかもしれない。

巽に案内されるとタワーマンションの屋上までエレベーターで一気に上がっていく。
海沿いなので景色もかなり良くてこんな所でカフェを経営しているオーナーってどんな人なのかと色々妄想が膨らんだんだけど、屋上に着いたら更に気になった。
エレベーターが開くとめちゃくちゃ豪華なプールがある。
なんか滝まで付いてるし、こんな時期にもかかわらず手入れされていて、きれいな水が流れていた。
俺は仕事柄色んな金持ちとは会うけど、ここのオーナーはずば抜けてるなと思いながら案内された部屋へ進んだ。

「ヤッホー、巽おつかれ~。あ、キミがなゆゆの友達?へー、普通にカワイイじゃん、なゆゆには勿体無いネ~」
「ちょ!オーナー!!いつも一言多いんスよ!」
「ホントウの事じゃん。ま、いいや、固っ苦しい事抜きにして今日は飲も~」
「六架です、よろしくお願いしまーす」
「ボクは九鬼。クッキーて呼んでくれていいよ~」

入口から一番奥にオーナーと呼ばれる人物は居た。
殆ど前面に布が無いハイネックを着ていてびっくりしたけど凄く鍛え抜かれた筋肉質な体だった。
しかもオーナーって言ってたからかなり歳を食ったダンディな紳士かと思ったら、俺よりも若いと思われる人物だった。
しかも非の打ち所がないイケメンだ。
俺が部屋に入ると直ぐにマスターが立ち上がり、那由多の正面になる真ん中の席の椅子を引いてくれた。

「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

端の席に行こうと思ってたんだけど、せっかく気を利かせて那由多の前の席に案内されたので腰を掛けた。
そのマスターも喫茶店の制服のベストとエプロンは付けていなくてかなりセクシーなハイネック一枚だった。
瞳の色も黒くなっていて、こっちが彼の本当の色なんだろうな。

「おつかれ~。巽、飯食ったぜ、ごちそうさん、ありがとなー」
「どういたしまして」
「……っス。千星さんお疲れ様です!その服装凄く似合ってますね!!」

俺が席に座っていると扉が開きまたイケメンが入ってきた。
俺の側まで来て握手しながら話し掛けてくれているのが明智剣成〈あけち けんせい〉 君。
少し離れた入口付近に腰掛け、剣成君が紹介してくれているのが日当瀬晴生〈ひなた はるき〉 君。
タイプは違えど二人とも普通に格好いい。
でも、なんか、この二人もお付き合いしているとかでは無さそうだけど普通の関係じゃ無い気がした。
特に剣成って人から晴生って人への好きですオーラが凄い。
残念ながら晴生君は気付いてなさそうだけど。
この凄い顔ぶれを集めたのはオーナーと呼ばれる人物なのか、いやでも、こぞって何かある時に呼ばれるのは神功左千夫〈じんぐう さちお〉と紹介してもらったマスターの方なんだよな。

人間観察を続けていると神功マスターは全員の席にチャームにしては豪華な品々がならんでいるプレートを置いて、九鬼オーナーには軽食の皿も並べていた。
こっちからの視線に気付くと微笑みを向けてくるが、そのままオーナーに引っ張られて横に座らされているのを見ると表情とかの変化はないんだけどピンときた。
つーか、九鬼オーナーの方はパッと見分かりにくいだけで自分のものだと言う事を隠すつもりは無さそうな感じ。

「ボク、まさか、なゆゆにお酒作ってもらう日が来るとは思わなかったナ~」
「俺もオーナーに作る日が来るとは思わなかったです…つーか、そのハイネック寒くないんですか?なんか、いっぱい引っかき傷?あるし……」
「ああ、これ?ネコにやられちゃったんだよネ~、ね、左千夫くん?」
「それは、僕は初耳ですね」

含みのある言い方をしてるのに神功マスターが全く表情を変えないので、那由多は気づいて無いようだ。
流石那由多、この中でやっていける訳だ。
イケメンばっかなのに不毛じゃね?とか思ったけど俺もそっちの気があるので人の事は言えなかった。

「じゃあ始めよっか☆お客さんからどーぞー」
「え!俺からいいんですか?俺あんまし強いの好きじゃねーからカシオレで!」
「おー。りょーかい」

那由多は前あった時とは全然違う感じでぎこち無い笑みとか浮かべてなかった。
でも、緊張はしてる感じでそこは変わんないなー、と思いながら見つめる。
カクテルは作るときの動作とか出来るまでの過程、出来たものの見目、全てが大事だと思う。
まぁ、俺は呑めたらなんでもいいんだけど。
凄く初々しさがあるのに、那由多の動きは凄く優雅に思えた。
氷を注いだグラスにまずはカシスリキュールを注いで、グラスを斜めに傾けて、ゆっくりとコップの縁を滑らせるようにオレンジジュースを注ぐ。
それだけなんだけど、凄く丁寧に思えた。
最後にフルーツを添えた、見た目もオシャレな2層のカシスオレンジを俺の前に置いてくれた。

「何回見ても那由多がお酒いれてんのなんか、落ち着く」
「なんだよそれ…」
「お、なゆゆ、イイ感じじゃーん!じゃ次はボクね。グリーン・アラスカお願いできる?普通のアラスカじゃなくてグリーンのほうネ」
「それくらい知ってますよ、オーナーみたいな目立ちたがり屋の人が頼むやつですよね?」
「ナニそれ~、なゆゆ言うようになったネ」

九鬼オーナーの人柄なのか。
オーナーという地位の人と話しているのに那由多は緊張している様子は無かった。
軽い会話をしながらカクテルグラスを氷で冷やし、メジャーカップでジンと、シャルトリューズヴェールを計量してシェーカーへと注ぐ。
右手でしっかりとトップを押さえて、左手で底を押さえる。
左側の肩前方でシェーカーを構えて手首のスナップを効かせて癖のないスタイルで振り、注意深く親指とシェーカーの霜の付き具合を観察してから頃合いを見計らい、冷やしたグラスへと注いでいく。
そのまま九鬼オーナーの前に差し出したんだけど、なんか極一部を除いて周りがシーンとしてる。


「…………………やっばい、普通にカッコイイじゃん!なゆゆ、ナニそれウケる!!」
「…………………なんか、ナユがかっこいいのって無駄に…笑えて…ッ」
「は!?なんだよ!オーナーはわかるけど、剣成まで!!……くそ、もう作ってやんねーぞ!」
「ハハッ悪かったって!いやーでもマジ、イイ感じッスよね、オーナー?」
「ウンウン♪また夜BAR開けるときお願いしようかな~。ボクも左千夫くんも作れるけど、左千夫くんは喫茶店忙しいし、ボクも呑みたくなるときあるしネ~」

「マスターの為に作るのは良いですけど、オーナーの為はちょっと……」
「えー。いつの間に人選べるほど偉くなったの?このお酒キレイな色だよネ~。はるるのおめめみたい」

那由多はすっごく恥ずかしそうだし、照れ隠しで怒っているようにも見えた。
そして九鬼オーナーが話の流れを晴生君に振っていたがすぐ返答は帰ってこない。

「────ハッ。すいません、見惚れました」
「晴生………お前もかよ……」
「いや、その……格好良過ぎて、心臓バクバク言ってます……俺も同じの……」
「はぁ!?ちょっと待て日当瀬!!あれはぜってーだめだ!絶対アルコール度数高い気がする!!」
「はぁ?なんで明智が口出してくんだよ!」
「いいから、ヤメとけって…!なゆ、なんか代わりの!!アルコール入ってないやつ!!俺にも!!」
「おー……っても、さっきマスターに教わったとこなんだけどよ。
バージンブリーズとサラトガクーラーってやつ」

グレープフルーツとクランベリージュースをシェイクしたものを晴生君に、グラスにライム果汁とリキュールではなくシュガーシロップを入れてよくかき混ぜてから氷を入れてジンジャーエールを注いだものを剣成君に差し出していた。
ちょっと照れ臭そうなのがまた可愛いなと思いながらグラスを傾ける。

「すっげぇ……千星さんが俺のために……」
「お、うまそうじゃん、いただきまーす」
「おー。…んで、巽はこれ」
「なゆゆ、それボクが買ってくる茶葉ジャン」
「そうですよ、台湾烏龍茶の白桃の香りがついているやつ。
後、ノンアルコールのブドウの白ワイン、後なんか、色々……」
「那由多……ありがと」

色々って所は名前を覚えて無さそうだったけど、相変わらず丁寧に作っていく様子を見つめ、ミキシンググラスでステアしてからワイングラスへと注いでいた。
巽はそれを手に取ると、飲むのが勿体無いと言わんばかりにグラスを見つめてからゆっくりと味わって微笑んだ。

「おいしい…お茶をそのまま飲むのとはまたちょっと違うね。那由多、とてもおいしいよ」

イケメンは飲む様も絵になるけど、巽は人を褒めるのもうまい。
那由多も満更じゃなさそうな顔してるし、ここもやっぱり時間の問題なのかもしれない。
ちょっと苦味を感じながら残ったグラスを傾けた。



∞∞ nayuta side ∞∞


なんかむちゃくちゃ恥ずかしい!
オーナーは茶化してくるし、剣成は無駄な合いの手入れてくるし。
晴生からの尊敬の眼差し、巽からのなんとも言えない視線が痛い。
あの後も成年組にはバンバンカクテルを作ったのでなんか全体的にテンションが高くなってる。
剣成、お前は呑んでないだろっ!と、言いたかったが六架と意気投合して色々話したり肩組んだりしてる。
そこにオーナーも混じってとりあえず目の前が五月蝿い。
俺は巽と晴生といつものように会話しながら一番はじめに座った席のまま動いていないマスターに視線を向けた。
はじめにマスターにも呑みたいものを聞いたんだけど、他の人を先に満足させてあげてくださいと自分でアイスティーをロックグラスに注いでいたので、結局まだ何も作れていない。
マスターは楽しそうにはしゃいでいるメンバーに視線を遊ばせていたが俺から視線が向くとこっちに絡めてきて更に口角を緩める。
この辺りはホント接客業のプロだと思う。
まぁ、昔からマスターはこうだけど。
なんか聞きたい!って思うだけでマスターから、何でも聞いてください。って受け入れて貰える感じだ。
なのでこんなに整った容姿をして文武両道、いやもう美しさも頭の良さも強さも人間離れしているのに、こんな俺なんかでも話しかけやすいんでだろう。

「どうしましたか?」
「いや……その、マスターも何か呑みますか?」
「僕……ですか……僕はその、酔わないので何を飲んでも…」
「あ~酒の席でそんなこと言ってるやつはダメ~、白ける~神功マスターも呑まなきゃ!!」
「そーそー、左千夫クン、ノリ悪ーい!」
「だな!!マスターもたまにははっちゃけよーぜ!」
「ちょ!お前等!んで、剣成!!そもそもお前にはアルコール入ってるやつ出してねぇのに…ッ」

マスターの周りを完全に出来上がっているヤツらが囲む。
まぁ、囲まれてもマスターなのであしらいもうまいし、とくに困っては無さそうだったけど、六架にはうまく誘導して水を飲ませていた。
流石マスター、俺はこんな絡み酒は耐えられない。

「そうですね……それじゃあ、楊貴妃をいただきましょうか?」
「え!?…なんですか?それ…ッ」
「そんなに難しいものではないですよ。シェーカーに桂花陳酒…金木犀のお酒ですね、それを30、ライチリキュール10、グレープフルーツジュースを20、ブルーキュラソーをバースプーン1杯が基本です。先にステアしても良いですし、そのまま氷を入れてシェイクしても」

前回潜入したときにマスターの声を元に全てのカクテル、いやあの時俺はお茶を入れてるつもりだったけど!
とりあえず、マスターの声で全てのオーダーをこなしていたからか不思議とすんなり入ってくる。
今日は目の前にいてどこにどのお酒があるかも全て把握しているマスターは場所も教えてくれていた。
他のメンバーから注文を頼まれたりして分からないときは視線で教えてくれたりするのでほんとに助かった。

言われたままの基本をシェーカーに入れて、先にステアしてから氷を入れる。
このシェイクの作業が実際意識してやってみると割と難しい。
気になって動画とかを見てみたら基本動作は決まってるんだけど個性もあるって感じだった。
取り敢えず俺はまだそんなかっこいいことは出来ないので、マスターが体に教え込んでくれた一番の基本動作を行っていく。

「はぁ~、なゆゆがやっぱり、かっこいい…明日雨降る……いや、槍が降るナ」
「うるさいですよっ!オーナー!!
グラスは、カクテルグラスでいいですよね?」
「はい。花を添えたりするところもありますね。ブルー系のカクテルなんですが、桂花陳酒を抜くとチャイナブルーと言うカクテルになります。青みが増して那由多くんの澄んだ瞳のような色になりますよ」

流石マスター。
何故か俺が口説かれてるみたいになる。
こういった色んな例えを添えてくれるからかマスターの言葉は覚えやすい。
俺がカクテルグラスを差し出すと一口口に含んで更に笑みを深めていた。

「おいしい……基本は完璧ですね。流石、腕のいいバーテンダーさん。
同じく桂花陳酒は使わず、ライチを30にして、カシスリキュール10、グレープフルーツジュースに炭酸水にすると楊貴妃の涙と言う僕が喫茶店で付けているコンタクトのような赤いお酒になります」

本当にマスターは博識だ。
知識という点に置いては何でも知ってそうな気がする。
マスターは喫茶店が終わっているので今は瞳が黒い。
実はこっちがコンタクトなんだけど、六架が居るからこっちが自前で有るように表現しているみたいだ。
あまり公に自分が朱い瞳だって事をバラしたくないようで、高校時代からずっと人前では黒いコンタクトをしていた。
今は喫茶【シロフクロウ】では緋色の瞳、自前なんだけどコンタクトとお客さんには言っている。
大学で会う時は、瞳が黒い。
瞳を黒くしたところで身長と容姿で目立つ事には変わらないんだけど。
俺的にはどっちも似合ってると思うので正直どっちも好きだ。
勿論普通の意味で…いや、ちょっと邪な感情も入って。

「後………」

マスターは騒がしくはしゃぐ仲間内に何かを確かめるように視線を向けた後、全員がこっちを向いていなかったからか立ち上がり、俺のすぐ前に顔が────寄ってきた。

流石マスター。
人が居るのに隙をつくのがうますぎる。
誰も気付いていない、今ならキス再来!が出来る。
いやいや、俺は何を考えているんだ。
今日はちょっと上手くできたからマスターからご褒美のキスとか考えていない、決してそんな邪な感情は………!!!

なんて俺の思考は終わらないけどマスターはキス………………では無くて俺の耳に唇を寄せてきた。

「那由多くん、そろそろ《食霊》できそうですね」


わ す れ て た !!!


「ちょっと俺、タバコ吸ってきまーす」

そう言ってVIPルームから出ていった六架を追うように俺も「ちょっと休憩」と、外に向かっていく。
そして気づいた、俺の《食霊》ってキスであることを。
ヤバイ更にテンパってきた。
前みたいにうまいシチュエーションとか二人きりだったら起こるはずも無いし、逆に皆がいるところのほうがキスしやすかったかもしれない。
でも、マスターに俺もできるところを見せたいし、何としても今回の《食霊》は成功させたい。

入口を開けると滝のように流れている水が一番に目に入る。
その後にプール際で靴を脱いで足を水に突っ込んだ六架を見つけた。
晴生とは違っていかにも体に悪そうな煙草の臭いが風に乗って俺のところまで届く。
泥酔とまでは行かないけど、酔っている様子で上機嫌に鼻歌を奏でながら水面の足を動かしていた。

「お?那由多も休憩??まー、あのマスターって人でも普通にバーテン出来そうだもんな。オーナーも二人とも作れるつってたし」
「なんで分かんだよ……」
「んー?なんとなく??那由多の普段は全く似てないけどカクテル作ってる時はなんか似てるんだよねー、マスターから習ったんだろ?カクテル」
「ゔ…流石だな。そうだよ…」
「なら、あんなとこ行ってたら怒られるんじゃね?まー那由多まだ未成年だし色々したいのもわかるけどよ」

ポンポンと俺の癖っ気を撫でるように頭を叩かれる。
どこか儚げな笑顔に心臓が痛くなるのはなんでなんだろ。
六架の横に座って俺も月明かりを映すプールを見つめた。

「もー、行かねーよ。だから六架も止めろよ、あーゆーとこ」
「んー。大人には色々あるんだよ」
「俺とそんな歳変わらねぇし……」
「かな?……でも、今日は呼んでくれて楽しかったけど住んでる世界違うよな~マジ、金持ちに生まれてぇ…!」
「俺……は普通だけど」
「あんな友達居るだけで普通じゃねぇって、しかもなんかすげぇー仲良いじゃん」
「まぁ、なんだかんだ高校からだからなー、俺はオマケみたいなもんだけど。なんか、でも、金持ちなりにみんな大変そうだぞ?九鬼オーナーを除いて…」
「ブハッ…。ああいう人がいっちばん業を背負って生きてるかもよ?」
「…マジか…あんなんだぞ?」

なんだろ。
なぜか分からないけど六架とは話がつきない。
まだ会ったばかりだけど、俺の周りにはない普通が彼にはある。
趣味とかそういう話をしている訳じゃないのに会話が弾む。
色々話している内に煙草が短くなって六架はそれを携帯灰皿に押し込んでいた。
そして俺に向けて微笑みかけてくれてるんだけど、急にその表情が崩れて額に手をやっていた。

「いててててて、…………なんか、前、お前とあったときに良くなったんだけど、最近また駄目なんだよねー、頭痛い」
「あ、ああ…そうなんだ…」
「そうだ、那由多キスしてよ」
「へ?!?!」
「前、事故チューしただろ?あれからよくなったからもっかい!」
「は!?!?…いや、その…」

チャンスだチャンスが到来した。
でも、直ぐ目の前に六架の顔が来てどきまぎしてしまう。
酒臭いし、タバコの臭いもするし、なんたって酔って顔が赤い。
めちゃくちゃ無駄にドキドキしまくって、ゴクリと大きく俺は喉を動かした。

「し、ししししかたねーからしてやるよ、でもあれな!恋人にするのじゃなくて、オカンが心配してー的な…」
「はは、分かってるって。でもそこわざわざ言わなくてもよくねー?」
「うるせー!日本では友達にキスはしないんだからな!普通!!」

男同士で何が悲しくてキスをしなきゃならないんだろうと思ったけど、六架の顔立ちならまだマシだと言い聞かせながら瞼を閉じて唇を重ねた。
六架の手が後頭部に回ってきてびっくりして直ぐに唇を離したけど俺の中が重くなったのできっと成功はしてる。

「────ッ!!」
「………ん、ごちそーさん。………あれ、なんかマジで軽くなった魔法のキス?除霊効果?デトックス?なに、那由多変な能力使う人?気功とか?」
「……………つつつつつつ、つかわねぇし!」
「ま、いっか!あ、そろそろ戻らねぇとダチから着信入ってるわ、那由多今日はありがとな。俺皆に礼言ったらかえるわ」

そう言って水面から足を引き抜いた六架を見つめたが《食霊》しても危うげな雰囲気が消えることは無かった。
それから少しして帰っていく彼を見送った。



----------------------------------



「なんか悪かったなー、タクシー代まで出してもらったし。俺の客もああ言う上客ばっかだったらいいのによ」

夜もすっかり更けた時間に喫茶【シロフクロウ】から少し離れた場所で、佐久間六架〈さくま りっか〉がタクシーから降りる。
ディーラだけでなくウリの仕事もやっている彼からすればまだ早い時間帯であるが、今日は仕事が休みのためこれからどこかに行くことはなく、点々としている内の一人の友人宅へと戻る。 

「お、鍵開いてんじゃん、不用心~……!!!?って、だれ!?おっさんたち」
「オイ!!てめぇがここのやつか!!」
「は?なんの事だよ、俺はここのやつの友達……ぅ…わっ」
「はぁ!!?嘘言ってんじゃねぇヨ!」

佐久間が部屋に入ると見るからにチンピラと言う表現が合う男たちが土足で部屋の中を荒らしていた。
床に散らばる袋を見ればなぜこうなったか理解が出来た。
ドラッグだ。
佐久間自身も自分が使う分は所持している。
しかし、ならず者の彼らが手にしていたのはその量を遥かに超えていて、それが意味することは佐久間の友達はドラッグを売る方に手を出したと言うことだった。

「しらね……俺は、買うけど……売ったりは……してねぇ」
「まだ、しらばっくれんのかよ!!痛い目みねぇとわかんねぇのか?」
「違っ!?やってねぇって…俺じゃない」

佐久間は胸倉を掴まれると壁が揺れるほど背中をぶつけられる。
ヤクザが懐から取り出したナイフが佐久間に向けられる。
壁とヤクザの一人に挟まれた佐久間は激しく暴れるがびくともせず、彼の頬の近くにナイフがギラついた。

「いやだ…違うッ、人違い───!!」
「何やってんだよ、テメェは!!」

ゴツンと、けたたましい音が部屋中に鳴り響く。

「いってぇぇぇ!!アニキ酷いっす!ヤクザは舐められたら終わりなんスよ!!」
「その前に頭使えよ頭!!」
「頭突きッスか?」
「殺すぞ、お前。つーか、写真送っといただろ?ここの住人の。こんなヒョロいやつじゃないし、髪の色も違うし、寧ろ何一つあってねぇ奴に濡れ衣きせんなよな!!」
「す、すいません~アニキ」

新しく来たスーツを着込んだ男によって佐久間は九死に一生を得る。
佐久間にナイフを突きつけていた男は遅れてきた井上によってゲンコツを食らわされていた。
井上とは九鬼のお世話係であると同時に九鬼の叔父が会長を務めている組の幹部だ。
井上が怯えている佐久間を見つめながらタバコを銜えた。

「ん?そいや、お前うちのカジノのやつか…」
「あ、はい、そ…そうです」
「取り敢えずよ、ちょーと色々あってお前の友達ダメなことやっちまったんだわ。ま、うちの若頭温厚な方だからいきなりドラム缶に詰めて沈めろとは言わねぇとは思うから、頭下げに来るよう言っといてくれよ」

井上は強面だが唇を笑みの形に口角を上げる。
そうすると少し親しみやすさが含まれ、その表情のまま佐久間に近付いてすぐ側にしゃがんで手を伸ばす。
少し気の緩んだ佐久間は唇が勝手に笑みの形に歪み、差し出された手を掴もうとするが井上から殺気が醸し出される。

「ちげーよ、携帯貸せって言ってんだよッ。知ってんだろ?その友達の番号。庇うならテメェも同罪になっから気をつけろよ、ま、よけーなことしなきゃ俺がちゃんと逃してやるよ」

「ヒッ!…わ、わかりまし…た。教える…教えます」

佐久間は呼吸と心臓の音を速め、急いで携帯を取り出すと、ここの住人の連絡先の画面を見せる。
井上はそれを見ると部下にメモらせ、携帯を佐久間へと返した。
ポンポンと慰めるように頭を叩くと次の指示を部下へと述べる。
佐久間は小さく震えるがそれよりも今日の寝床をこれから探す事になることに気づいた。
するとストレスが限界を超え色々なことがどうでもよくなって行く。
精神安定剤のように使用している薬をポケットから取り出すと、1錠口に含んで喉を通す。
速効性と言うには速すぎる効力に頼って佐久間は家の捜索を続けるヤクザ達に声を掛ける。

「なぁ、誰か今日、俺を買わねぇ?こんなとこで寝れねぇし今から客探すん大変なんだよねー…?」

シャツを捲りあげる佐久間の独特の色香を感じ、ゴクリとならず者たちの喉が鳴る。
一人なんの反応も示さなかった井上が溜息を吐いたあと部屋の合鍵を佐久間へと投げつけた。
そして、数枚の札と携帯に打ち込んだ住所を見せる。

「俺は今日帰らねぇから、寝るだけなら勝手に使ってろ。ウリがしてぇなら他に行け、こいつ等はまだやる事があるからな。
あ、俺んちで寝る場合は人連れ込むなよー、ネコ居るしな~」

軽い調子でそれだけ告げると井上はまた作業に戻る。
取り敢えず寝場所と金を確保した佐久間は示された住所へ向かう事にした。

END
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