ベル先生と混人生徒たち

清水裕

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第一章 賢者と賢者の家族

第35話 ディック、走る。

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「…………あの枝、ベルから貰ってたら良かったな」

 ぽつり、と呟きながらディックは薄暗い森の中を懸命に走る。
 ベルの家……いや、自分たちの家から薬草を探しに行くために森へと飛び出したディックは、薬草を採りに行ったときにベルが振るっていたあの長老の枝のことを思い出していた。
 あの枝があったらきっと、すぐに長老の下へと向かって……そこからすぐにとまでは行かなくても、薬草を採りに行く時間が短縮できたはずだ。
 だから今この状況で後悔しながら、ディックは森の中を走り続ける。
 ……が、ある程度進んだ辺りで、その足は止まった。

「スン、スンスン……。たぶん、こっちだ」

 立ち止まり、鼻を突き出すような体勢で自分が走った方向とは異なる位置をディックは嗅ぎ回り、目的地を探そうとする。
 半分は犬人の血を引いているディックだから出来る方法だろう。

 ……街の汚れた臭いとは違う、澄んだ森の香り。
 ――獣の臭い、――水のにおい、――――動物の糞の臭い……うっ。
 全身の神経を研ぎ澄ませながら、ディックはあのとき嗅いだ匂いを必死に掴もうとする。
 そして、3分ほど周囲を嗅ぎ続け……彼の鼻はほんの微かな香りを捉えた。
 確証はない。けれど、自分の鼻を信じるしかない。
 そう思いながら、ディックは再び駆け出した。

 ……しばらく走り続け、森の中を見渡すと木々の葉によって日光が隠されているのか、徐々に光が翳り始めていた。
 そして、それに呼応するかのように自分が向かおうとしている方向から獣の遠吠えが聞こえるのにディックは気づいた。

(も、もしかして……まちがえた……? も、戻る? けど、戻ってもじかんが……)

 どうするべきかと悩みつつ、ディックはその場で立ち尽くしてしまった。
 ……だが、それが失敗だった。

『グルルルルルル…………』
「っっ!?」

 唸り声が聞こえた。
 そして、ノシノシと落ち葉が積もった地面を踏み締める足音……。
 その足を見て、ようやくディックは目の前にいる巨大なオオカミ……グレートウルフがいるということにようやく気づいた。
 ……いや、ディックはグレートウルフと言う名前も知らないだろうが、目の前にいるのはグレートウルフの群れの長――グレートウルフリーダーだった。
 自分よりも遥かに巨大な獣を前に、ディックは恐怖に怯えてしまっているのか固まって動けなくなっていた。
 そんなディックをチラリと見ながら、グレートウルフリーダーはディックへと近づく。
 近づいてくる巨体。それを見ながらディックは丸呑みされてしまうのではないかという不安を感じているが、逃げることが出来ない。
 グレートウルフリーダーが近づくと、徐にディックの顔に鼻先を近づけ……スンスンとにおいを嗅ぐように……いや、においを嗅ぎ始めた。
 喰われるわけではない。そう理解したディックの緊張は解け始めたのか固まっていた体が徐々に柔らかくなってくるのを感じた……が、強大な獣を前にした恐怖は消えていないのかブワッと体中から汗が噴出すのを感じた。

(こわい……、にげたい……! くわれるってわけじゃない気がするけど……、どうしたんだ……?)

 目の前の巨大オオカミがいったい何をしたいのか。それが分からず、ディックは内心首を傾げる。
 そんなディックの疑問と裏腹に、グレートウルフリーダーはディックのにおいを嗅ぎ終えたのか……鼻先を彼から離す。
 そして、どこか呆れたように鼻をフンスと鳴らした。

グルルルル、グルルルルルルルルルルル……ガアッ!賢者め、何と馬鹿な真似をするか!
「え? い、いま……しゃべった、のか? き、気のせい……だよ、なぁ?」
グルほうグルルルルルルルルルルルルルルルルルル根源を同じくする者よ、儂の声が分かるか

 唸り声、オオカミの唸り声のはずなのに、ディックの耳には唸り声に混じるようにして言葉が聞こえた。
 こんなことは初めてだったからか、ディックは驚いた顔をしながらグレートウルフリーダーを見る。
 そんな彼を興味深そうに見ながら、グレートウルフリーダーは再度問いかけるように唸り声を上げる。
 またも聞こえた声に、ディックは驚いた顔をしながらグレートウルフリーダーを見ると……、彼はニィと白い歯を見せながら笑う。

『グルゥ……、もともとの特性か、はたまた賢者との生活が原因かは分からぬが、面白いのう。面白い』
「え、え……、いったいどうなってるんだ……?」
『さてなぁ、儂には知らぬ。じゃが、いまは聞こえるのだから嬉しく思うが良い。……して、小僧。お前はいったい何をしようとしているのだ?』

 唸り声、唸り声だったはずの声は普通に言葉として耳が捉え始めたのだが、ディックはまだ戸惑っているのか目の前の光景に目を点としていた。
 ……が、グレートウルフリーダーの言葉にやるべきことを思い出したのか、ピンと尻尾と耳を立てる。

「そ、そうだっ! お、おれ、ベルのためにやくそうを見つけに来たんだ!」
『ほう、薬草か? ……ああ、小僧からしている血のにおいは賢者の血じゃったか。手から漂う血の香りからして、が、傷口がパックリといっておるようじゃな』
「……ベルは、おれをかばって、背中にきずをおったんだ……。だ、だからポーションを作らないといけないから、やくそうを手にいれたいんだ!」
『そうかそうか……。小僧がこのような場所を走っていた理由はそれだったか。どれ、それならば儂が薬草が生えている場所へと連れて行ってやろう』
「えっ!? け、けど……」

 楽しそうに笑いながら言うグレートウルフリーダーだったが、ディックは目の前の巨大なオオカミに不安を感じ……断ろうと考える。
 だが、そんな彼へとグレートウルフリーダーが横入りするように言う。

『――小僧、儂は久方振りに会話が出来て嬉しいのだ。だからその礼を返させろ。
 それに……困っているときは利用できる物は何でも利用せよ。少なくとも野生で生き残るにはそれが大事だぞ』
「う…………わ、わかった……。けど、本当につれていってくれるんだよな?」
『うむ、任せよ。儂はどこぞの年寄りと違って幼子を騙す下種などではない。それに、このは見るに耐えんからとっとと終わらせてやるべきだろうからな』
「?」

 信用は完全には出来ない。けど、グレートウルフリーダーの言ってることは間違いじゃないと理解出来る。
 利用できる物は何でも利用する。そうすることでベルが助かるのなら利用してやろうとディックは考えた。
 だけど、最後に言った言葉は分からず、首を傾げることとなった。
 しかしグレートウルフリーダーは自身が言った言葉の理由を語らない。そして……。

「うっ、うわっ!?」

 突如、首を……いや、服の首部分を咥えられ、ディックは驚くがグレートウルフリーダーは知ったことでは無いと言うように彼の体を浮かし、ポンと放り投げた。
 体にやって来た浮遊感、それが宙を舞っていることだと気づきディックは驚きを隠せずに居たが……すぐに硬く温かい感触が彼の体を包んだ。
 そこでようやく彼はグレートウルフリーダーが放り投げたのは、自身の背に乗せるためだと言うことを知った。

「びっくりした……」
『カカカッ、そうそう驚くでない小僧。どれ、それでは向かうとしようか。しっかり捕まっておれ!』
「っ!? わわっ!?」

 ザッ、という音が耳に届き、乗っているから分かるような筋肉の動きがディックの手と脚に伝わり、駆け出したのが分かった。
 というよりも、駆け出し始めた瞬間に凄い風圧が彼の体を襲ったため、ディックは今必死に巨大な背中にしがみ付いていた。
 そして、時間にして5分。ディックにとっては長い時間しがみ付いていたと思った時間は終わりを告げた。

『小僧、着いたぞ』
「……え? スンッ、スンッ……ッ!?」

 グレートウルフリーダーの声に驚きながら張り付いていた背中から離れた瞬間、彼の鼻は少し前に嗅ぎ慣れた清涼感がある香りを捉えた。
 そして、ディックが目を開けると場所は違うようだが、そこには先日採取を行ったヒールグラスが生い茂っていた。
 目の前の彼にとってのお宝とも呼べるそれを前に、グレートウルフリーダーはディックが下りやすいようにしゃがむ。

『さあ、速く採るが良い小僧』
「わ、わかった……! その、あ、ありがとう!」

 グレートウルフリーダーへと礼を言いながら、危なげな感じに彼の背中から下りるとディックはすぐにヒールグラスが生い茂る地面へと飛び込むと、その若芽を採取し始めた。
 そんなディックを見ながら、グレートウルフリーダーはフンッと鼻を鳴らすとこの場には居ない詐欺師へと呆れながら心で想う。

「わかめ……、わかめを摘めば良いんだよ……な?」
賢者詐欺師よ……、貴様が何を企んでるのかは知らん。だが、必死になって貴様を救おうとするこの子……いや、においからして、この子らか……。この子らを裏切でないぞ?)

 ……ま、無理だろうがな。
 そう小さく呟き、グレートウルフリーダーはしゃがみ込んだまま目を閉じ、待機する。

 目を閉じ、軽く5分――、少し長い時間が経ち……グレートウルフリーダーへとディックが声を掛けた。
 薄っすらと目を開けた彼が見たディックは、上半身が下着一枚となっていた。
 良く見ると、上着を脱いでその中にヒールグラスの若芽を詰め込んだようであった。……というよりも、爽やかなにおいが充満しすぎていてかなり鼻に来るものだ。

『…………摘み終わったか?』
「う、うん。それで、あの……」
『なんだ?』
「お、おれを……おれを、ベルの――ううん、おれの家までおくってくれ、じゃなくて……ください!」

 巨大な存在に言うのを躊躇ったディックだったが、意を決して彼は頼んだ。
 それを聞きながら、グレートウルフリーダーはニィと笑ってディックを見る。

『よかろう。超特急でお前の家まで連れて行ってやろうではないか』
「あ、ありがとう!」
『ほれ、ではとっとと乗るが良い』

 自分の背に乗るように促すグレートウルフリーダーに従いディックは彼の背へと乗る。
 ディックが乗ったことを確認し、彼は森の中を疾走し始めた。
 そして、ディックは自身に叩き付けられるように来た風の圧力を感じながら、自身と摘んだヒールグラスが飛ばないようにギュッとしがみ付くのだった。

(まっててくれよ、ベル……! ぜったい、ぜったいに、おれとクラリスでなおしてみせるから……!)


 ――――――――――


 エ、キニナルトコロナンテナニモナイヨ?
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