9 / 19
アリタユズル、あるいは大人とガキの間に居座るタブー。
09
しおりを挟む(こんな関係、もう我慢出来ない)
はっと、奈義の顔色が変わった。唇、震わせて何かを叫んだ。
でも、俺の耳には何も聞こえない。
「もう、歌えない」
(奈義の音じゃなきゃ、我慢出来ない)
「俺────」
ふっ、と視界が暗くなる。釣られて見上げたら、奈義の無精髭が見えた。次の瞬間、俺は奈義に顔を殴られて、床に倒れていた。
「鳴海、本気で言ってんのか?」
怒りに染まった低い声でさえ、俺には媚薬だ。じんじんと心が痺れていく。頬が熱い。殴られたところに新しい心臓が脈打っている。
「俺を馬鹿にしてんのかよ!! 今さら、四年も経ってこんな馬鹿げた終わり方でさよならなんて出来ると思ってんの!? 俺は、鳴海と……頂点取りたかったんだよ! 土屋真幸に────鳴海と二人なら勝てるって思ってたのに……っ!!!」
ぱたた、と温い水が降って来た。
(……奈義)
俺は手を伸ばす。俺の上に馬乗りになって、静かに泣いている奈義のこけた頬に触れた。
「……触んな……」
爪を立てて手を引き剥がそうとする奈義に俺は笑う。
「俺、奈義が好きだよ」
射殺すような眼で睨まれても、俺の胸にふつふつと沸き上がるのはどうしようもない愛しさだった。
「奈義が好きだよ。頭ん中、馬鹿になるくらい好き」
奈義の爪が、ぐりっと俺の手の甲に突き刺さる。赤い血が滲む。ぽわりと穏やかな熱を感じた。
痛くないから、これは現実じゃないのかもしれない。
「……ごめんな。振り回して。こんな馬鹿、相手にさせて。俺のわがままで四年も付き合わせて。ごめん。ごめんなさい。ごめ……っ」
「────やめろ。ナル」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん、もう、やなんだ……。俺が、やなんだ。苦しくて、苦しくて、怖くて、このままじゃ……気が狂いそうで」
「────鳴海……」
ふ、と奈義の体から力が抜ける。手の平を反して、爪痕を乾いた指の腹で愛撫され、俺の身体に電気が走った。
「お前、疲れてんだろう。馬鹿なこと言ってないでさっさと寝────」
皆まで言わせないで、俺は奈義の唇に自分の唇を押しつける。
空白。
驚きすぎて固まった奈義の下で半身を起こし、真っ直ぐに奈義を見つめる。
なかったことにはしたくなかった。大人な奈義とは違って、八歳も年が離れてる俺と奈義じゃ、どう逆立ちしたって俺は死ぬまでガキのままだ。だけど、俺の気持ちは、なかったことには出来ない。思い通りにはならないことも、奈義に受け入れてもらえないことも承知していた。
「……こんな俺なんか、もう捨てていいよ。奈義。俺に縛られないで────俺、奈義が好きだから。奈義の音、好きだから、俺なんかのレベルに合わせなかったら奈義はもっと上を目指せるよ」
本当は、離れたくない。このままがいい。でも、いつまでもそうは言ってられない。結果が出ないバンドをいつまでも事務所が取ってくれるわけじゃない。
(四枚目、売れなかったら?)
怖いんだ。たとえあの土屋真幸が曲を書いても、俺なんかの歌じゃ、売れないんじゃないかって。そうやって、奈義を潰して、あの土屋真幸までも潰すはめになったら、俺は――。
「……はは、」
低い、笑い声。
奈義の肩が震えている。
「奈、義?」
「俺がお前を捨てる……? 違うだろ、ナル」
「え」
「お前が俺を捨てるんだろう」
子供に言い聞かせるようにはっきりと大きな声で奈義は続けた。馬鹿な俺に、諭すように。
「土屋真幸に会ったんだろう。だから、こんなことを言い出すんだ……そうだな?」
奈義は視線を落とし、小さく息を吐いた。一瞬、全てを悟ったみたいな澄んだ目をしたのが見えた。だけど、違った。
小さく諦めたんだ。
奈義はきっと今までそうやって生きてきた。土屋真幸が手に入れれば手に入れたぶんだけ、奈義は諦めてきた。仕事も、夢も。
「俺とは歌えないけど、土屋真幸となら歌えるのか……」
奈義の手が、するりと俺の腕を滑り降りて来る。
「……奈義……?」
「あの男が、どういう奴かお前は何もわかってない!」
「っ、あ」
肩を掴まれ、そのまま床に押さえ付けられる。衝撃に後頭部をぶつけて、目が眩んだ。
「あの男に壊されるのは、アリタユズルだけで充分なんだ!」
(……誰? アリタユズル?)
その名前は、どこかで聞いたことがあった。どこでだか思い出せない。でも、俺は、その名前を知っている。
「……俺が好きだって言ったな?」
奈義の瞳に暗い光が宿った。自嘲ぎみに引きつった笑いを浮かべて、奈義の顔が近付く。
「好きだよ」
迷いもなく俺は告げる。だって、嘘をついたってしょうがない。
「……どれくらい?」
「……量で測れんのか、そんなの」
「どれくらい俺のこと好きなんだよ」
それ以上近付かないで。勘違いしてしまう。
(受け入れないで。許さないで。愛さないで。こんな俺なんか)
そう思うのに、心は期待で溢れかえる。
近付いて。抱き締めて。許して。愛して。
「……そう、だな。たとえば……このまま死んでもいいくらい」
「死んでも? 俺に殺されても?」
「いいよ。別に」
「本当に……?」
大好きで、大きな、錆び付いた指先が俺の首に食い込んだ。
「俺に殺されてもいいくらい────ナルは俺が好き?」
ぐっ、と指が肉に沈んでいく。
俺は、もう疲れて何かを考えることさえ放棄したかった。こんな苦しくて辛い感情なんかいらなかった。
俺たちは、お互いが永遠なんてものを信用してこなかったから、保障がない未来なんて、怖すぎてしかたなかったんだ。
臆病で、お互いを信じることさえ、出来なくて。
ただ、訳も分からず、求めてる。
空っぽの穴を埋める何か。がらんどうの身体を埋める何か。すかすかで足りなくて哀しくて伸ばした手は届かなくて、虚しさを噛み締めながらそれでも求めてやまない、何かを。
「………っ」
俺は、奈義の抱えている闇を知っていた。知りながら気付かないふりをして、馬鹿な道化を演じて、そんな自分に疲れ切ってしまった。
本当はずっと、ずっと知りたかった。
(俺は────本当のパートナーに、ずっとずっとなりたかったんだよ、奈義……)
俺は卑怯だった。
一番楽な方法で奈義を縛ろうとしている。この線を越えたら、二度と戻れない闇に奈義を引き摺り込もうと────。
0
あなたにおすすめの小説
異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる
七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。
だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。
そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。
唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。
優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。
穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。
――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
過去のやらかしと野営飯
琉斗六
BL
◎あらすじ
かつて「指導官ランスロット」は、冒険者見習いだった少年に言った。
「一級になったら、また一緒に冒険しような」
──その約束を、九年後に本当に果たしに来るやつがいるとは思わなかった。
美形・高スペック・最強格の一級冒険者ユーリイは、かつて教えを受けたランスに執着し、今や完全に「推しのために人生を捧げるモード」突入済み。
それなのに、肝心のランスは四十目前のとほほおっさん。
昔より体力も腰もガタガタで、今は新人指導や野営飯を作る生活に満足していたのに──。
「討伐依頼? サポート指名? 俺、三級なんだが??」
寝床、飯、パンツ、ついでに心まで脱がされる、
執着わんこ攻め × おっさん受けの野営BLファンタジー!
◎その他
この物語は、複数のサイトに投稿されています。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる