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第二章 森林の街 ペンピスト
異世界の犬事情
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異世界に来て十日が経った。その間僕がなにをしていたかというと……引き籠もっていた。というのは半分冗談で、アルメリス精霊書店で働いていた。
最初に自宅兼店舗の掃除と倉庫整理を叩き込まれ、ここ数日は店番も任されるようになった。
店を閉めたあと、夕食までの時間と就寝前が僕の自由時間だ。一度だけ閉店後にアルメリス家の周囲を散策してみたんだけど民家は発見できず、大自然しかなかった。
夕食のあとは僕がこの世界の文字を習得するための読み聞かせ会が開催される。そのおかげで日常生活に必要と思われる言葉は一通り読めるようになった。だけど書くほうはまだまだで、紙の上にミミズを量産している。もっとも、元々字が綺麗なほうじゃないから上達するかどうかは自分でも分からない。
そして就寝前には精霊術の練習をしている。こっちもまだまだだけど、加減して使えばいい感じでぐっすり眠れる。
そんな感じでこの十日間をアルメリス家からほとんど出ることなく過ごしていた。マギナは時々街に出掛けていたけど、僕は毎回留守番を任された。
というわけで、今日も今日とて店番をしている。
ちなみに僕が着ている服はマギナの父が着ていたものだそうで、長袖の白いシャツにブラウンのズボンとベスト。コーデのテーマは「村人A」である。もっともほかのコーディネートを試す余地はない。なにせ部屋のクローゼットにはこれと同じものが五セット収められている。まあ、服を選ぶ手間が省けると思えば悪くはないのかな。
そういえば、成功者の多くは毎日同じ服を着ているって話があったような……僕もこの世界で成功者になれるのかもしれない。
しかしながら……アルメリス精霊書店の来客者数は少ない。多い日で二十人くらい、少ない日は五人以下、しかもそのほとんどが常連客のようで……正直この店の台所事情が心配で仕方がない。
僕が店番をしている間、マギナは隣の部屋で精霊書と精霊器を作成している。だけど僕がお客さんに質問攻めされていると、それを聞きつけた彼女が店に顔を出してくれる。
ちなみに、僕とマギナの関係は「遠い親戚」ということにしている。なんともベタな設定だけどね。
それにしても暇だ……。
ボーッとカウンターの椅子に座って算盤の珠を指で弾くくらいしかやることがない。
楕円形の珠をぶつけ合うパチパチという音が店内に響く。
――と、扉が開く音がした。
慌てて顔を上げたけど、店の入口は閉まったままだった。
「クーヤ、頑張ってる?」
声のしたほうを向くと、店の奥へと通じる扉に笑顔のマギナがいた。
今日の彼女は白のブラウスと緑のキュロットパンツを着ている。仕事着であるブラウンのローブは置いてきたみたいだ。
「まあ、ぼちぼちかな」
「そっかそっか~」
頑張るもなにも、もう昼過ぎだというのにまだ三人しかお客さんは来ていない。
と、マギナがカウンターの端に両手を置いた。
「ねぇねぇ、明日って空いてる?」
「店を開けないなら空いてるよ」
そう答えると、マギナは両腕を突っ張って身を乗り出してきた。
ちょっと近いっす。
「じゃあ、明日は街に行こう!」
「う、うん……」
テンション高めのマギナに気圧されながら僕は応じた。
「だけど、なんでまた急に?」
「クーヤがこの世界に来て十日? だよね。そろそろ街デビューしてもいい頃だよ! それにいろいろ買い物もしなきゃだし」
子供の公園デビューみたいに言ってくれちゃってるけど、間違いなく荷物持ちとかさせられそうだ。まあ、それは言われなくてもやるけど。
まあ、いい加減そろそろ半引き籠もり状態から脱却したかったし、この世界の街並みも見てみたい。
「分かったよ。それで、いつ頃出かける?」
「午前中!」
「また大雑把な……」
僕は呆れながら苦笑した。
さすがに十日間も一緒に暮らせばマギナの奔放さにも慣れる。
それにしてもなんだろう? 今日の彼女は妙に機嫌がいいような、そわそわしているような……。
「ところでマギナさん、なんかあった?」
マギナは突っ張った腕を緩めて首を傾げた。
「なにもないけど、どうして?」
「いや、なんか機嫌がいいような気がしたから……」
「あぁ、ばれちゃった? 実はもう少ししたら紙屋さんが来るんだよ」
そう言って照れたように笑う。
「紙屋? まあ確かに、紙の在庫は少なくなってきてるけど……」
それしにてはそわそわし過ぎだ。
――と、犬の鳴き声が聞こえた。声の大きさからして距離はありそうだ。
「来た!」
嬉しそうにその場で飛び跳ねたマギナは駆け足で店の外へと出て行った。
やっぱりおかしい。紙が届くくらいであのはしゃぎよう……まさか! マギナだってお年頃の女の子だ、そういうお相手がいてもおかしくはない。だとすれば、僕が出て行くというのは野暮ってもんか……。それにしても、なんで犬を連れてるんだろう? というか、この世界にも犬がいるのか。
さて……と……あれ? おかしいな……あ、足が勝手に!!
ということで、僕も店を出てマギナの横に陣取った。
マギナは先程にも増して顔を輝かせ、両手を握り締めている。
さてさて、どのようなお相手でございましょうか……。
マギナの視線を辿ると、遠くから一匹の犬が小走りでこちらに向かっていた。その後ろには帽子を被った人が乗った幌付きの荷車――
…………ん?
おかしいな……遠近感がおかしい。まるで犬が荷車を引いているように見える。
目を細めたり、閉じてまた開いたりしてみる。だけどなにも変わらなかった。むしろ距離が縮まった分、逃れようのない現実が牙を剥いた。つまり――
犬、でかくね?
「マ、マギナさん、なにあれ?」
「さっき言った紙屋さんだよ!」
マギナはこちらを見ることもなく答えた。
「いや、そうじゃなくてあの犬? 乗り物? なにあれ?」
ようやく顔だけをこちらに向けたマギナは不思議そうな顔をしている。
「犬車だよ。知らない?」
「ケンシャ? 知らないよ。なんで馬じゃないの? いやいやそれよりもあの犬、大き過ぎるよね!?」
異世界だから特殊な動物に乗っててもおかしくはないのかもしれない。小型の竜だったり、大きな鳥だったり、虎だったり。だけど犬って……。
「馬車もあるけど、この国は犬車が普通だよ。それに犬ってあれくらいの大きさでしょ?」
マギナは御機嫌斜めの御様子だ。
「僕の世界の犬はあんなに大きくないよ。もっと小さくて……これくらい?」
僕は膝を折って、中型犬の大きさを両手で表現する。
「それはそれで可愛いかもだね!」
マギナは一転して顔を輝かせた。
そうこうしているうちに大きな犬は、その姿がはっきり分かるくらいまで近づいていた。
体毛は薄い茶色。腹と足は白。口と鼻の周りから顔を両断するかのように伸びたラインも白。ぴんと立った大きめの耳。愛嬌のある顔立ち。そして、短い足。
「コーギーだ……」
「そうだよ! 可愛いよね!」
いや、ちょっと怖い。犬は嫌いじゃないけど大きさが違い過ぎる。地球のコーギーの十倍近くある。迫力はそれ以上だ。
犬車が近づくにつれ、その全貌がはっきりとする。
コーギーの首と胴には太いベルトが巻き付けられていて、馬車馬のように荷車に繋がれている。
御者台ではハンチング帽を被った小太りの男が手綱を握っていた。顔に刻まれたいくつもの皺と口髭の白髪を見る限り、六十歳前後だと思われる。
犬車が店先まで来ると、御者は手綱をゆっくりと引っ張った。
「よぉし、止まれー」
コーギーは足を止め、マギナの前でお座りをした。
やっぱり大きい。座った状態だと僕よりも少し大きい。
コーギーは僕を一瞥すると、鼻先を下げてマギナを見た。対する彼女はもの凄く嬉々としている。
なるほど。マギナのお目当ては紙屋ではなく、犬か。
しばらく見つめ合っていたひとりと一匹だったが、突然コーギーが遠吠えでもするかのように鼻先を振り上げた。そしてその無防備な首元に、待ってましたと言わんばかりにマギナが飛びついた。
「会いたかったよぉ~~~スチム~~~」
マギナはコーギーの体毛にぐりぐりと顔を埋めた。彼女の後ろ髪が尻尾のように乱舞する。
「うぇへへ~~もふもふ~~~しゃ~わせ~」
これはいけない。マギナの狂喜っぷりが半端ない。
時折見える彼女の顔は、とろとろに蕩けていた。
コーギー――スチムも舌を出し、目を細めてご満悦といった感じだ。
これは止めるべき……か? いや、そんなことしようものなら本気で燃やされそうな勢いだ。
「はっはっは、マギナちゃん、待たせちまったみたいじゃの」
「いえふぃえ、ぜんぜん~」
いつの間にか御者台から降りていた老人がスチムの横に立った。
服装は僕とほとんど同じで、彼のベストとズボンは僕のより少しだけ色が薄い。
まあ、ありがちな服装だけど被っちゃうとは……。
マギナたちを見ていた老人が笑顔のまま僕のほうへと向き直った。
「君は初めましてかの?」
「あ、はい、初めまして。僕はクウヤ・ソラノといいます。マギナさんとは遠い親戚でして、住み込みで働かせてもらっています。どうぞよろしくお願いします」
僕はこの世界での自己紹介をした。
我ながら何度言っても胡散臭い。遠い親戚とか下手すりゃ他人じゃんって話だ。そんな男が住み込んでるとか怪しすぎる。だけど老人はにこやかなままだ。
「わしは紙屋をやっておるペイルズじゃ。そうかいそうかい、女の子ひとりじゃあなにかと物騒じゃからの。マギナちゃんのことよろしく頼むよ、クゥ……クーヤくん」
「は、はい、もちろんです」
僕の返事にペイルズさんは満足そうに頷いた。
僕が自己紹介をすると、店のお客さんもペイルズさんと同じような反応をする。こっちとしてはありがたいけど、人を信用しすぎだと思う。僕がヘタレなのを見抜かれているのか、マギナの信頼度が高いのか、どちらにしても、もうちょっと疑ったほうがいいと思う。
それと、この世界では僕の名前は発音が難しいらしい。
「さて、荷を運び込むとしようかの」
ペイルズさんはゆったりとした足取りで荷車の後ろへと向かった。
マギナは依然としてスチムと熱狂的にじゃれ合っている。しばらくはあのままだろう。
それじゃあ、住み込み従業員として働きますか。
僕はペイルズさんの元に走った。
紙を運び終えた僕とペイルズさんは店先へと戻った。
マギナとスチムのじゃれ合いは最初に比べれば少し落ち着いていた。頭を下げたスチムを爪先立ちのマギナが撫でている。
「マギナちゃん、終わったよ」
「はぁい」
ペイルズさんが声をかけるとマギナは名残惜しそうにスチムから離れ、こちらへと歩いてきた。スチムもなんだか残念そうにマギナを見ている。
「ありがとう。ペイルズおじさん。クーヤもね」
髪も服も毛だらけになったマギナは笑顔でお礼を言った。
ペイルズさんは嬉しそうに頷いた。
僕は苦笑で応じた。
「お代はいつもと同じでいいの?」
「あぁ、特製記述法用紙二千枚、一万八千ルトだ」
マギナはキュロットパンツのポケットから金属音のする布袋を取り出し、両手でペイルズさんに「はい」と差し出した。
それを受け取ったペイルズさんは巾着袋を開けて中身を確かめる。
「ルト」とはこの世界の通貨だ。だけど日本にはない特殊な物しか売ったことのない僕には、一ルトがどれくらいの価値なのか分からない。精霊書用の紙も特殊な材料を混ぜて作られているらしいから、日本円に換算することは難しい。
まあ、明日街に出ればちょっとは分かるだろう。
「うむ、丁度じゃの。ありがとう」
「こちらこそだよ」
「じゃあまたの。クーヤくんも手伝ってくれて助かったよ」
「いえ、お気をつけて」
ペイルズさんはゆったりとした足取りで犬車に向かい、スチムを撫でて御者台に登った。
スチムが腰を上げる。
「スチム! またね!」
マギナは笑顔で両手を振った。
僕はペイルズさんに軽く頭を下げ、スチムにも軽く手を振った。
「スチム、行くかの」
ペイルズさんがそう言うと、スチムはもう一度マギナを見て、次に僕を一瞥して小さく吠え――
『またな』
――た。
……ん? 今、スチムが吠えるのと同時に声が聞こえたような……。
辺りを見回しても僕たち以外は誰もいない。
そうこうしているうちに犬車は方向転換して進み始めていた。
空耳? いや、確かに聞こえたはずなんだけど……。まさかスチムとか? それはないか。
釈然としないまま、来た道を戻って行く犬車を見送った。
その日の夜、僕は寝間着姿で自室のベッドに腰掛けていた。就寝前の日課である精霊術の練習をするためだ。
深呼吸して右手を伸ばす。
『我が手に出でよ小さき光』
精霊に語りかけるように唱えると、手の上に小さな光が現れた。そしてその光を維持する。
マギナが言っていたように、精霊術は何度も使うことで代償を軽くすることができる。実際、この光も最初に比べて長い時間維持できるようになっている。といっても、数分が十分程度になっただけだけど。
まあ、こうして毎日続けていれば、いつかは一時間以上維持できる日も来るだろう。
日本にいた頃はできないことをすぐに投げ出すことが多かったけど、せっかく異世界に来たんだから簡単に諦めないようにしたい。だからまずは精霊術を使いこなせるようになってみせる!
さて、そろそろ限界か……。倒れるまでやると朝起きられなくなってしまう。
ゆっくり手を閉じて光を消す。
……眠い。やっぱりまだまだだけど、続けないと意味がない。
布団に入って枕元の壁に埋め込まれた”点灯””消灯”と書かれた銅板に触れる。
「”消灯”」
部屋の照明が消える。これも精霊器だ。
機会があれば記述法も教えてもらおう。
さて、明日は街か……。
僕は目を閉じて睡魔に身を委ねた。
最初に自宅兼店舗の掃除と倉庫整理を叩き込まれ、ここ数日は店番も任されるようになった。
店を閉めたあと、夕食までの時間と就寝前が僕の自由時間だ。一度だけ閉店後にアルメリス家の周囲を散策してみたんだけど民家は発見できず、大自然しかなかった。
夕食のあとは僕がこの世界の文字を習得するための読み聞かせ会が開催される。そのおかげで日常生活に必要と思われる言葉は一通り読めるようになった。だけど書くほうはまだまだで、紙の上にミミズを量産している。もっとも、元々字が綺麗なほうじゃないから上達するかどうかは自分でも分からない。
そして就寝前には精霊術の練習をしている。こっちもまだまだだけど、加減して使えばいい感じでぐっすり眠れる。
そんな感じでこの十日間をアルメリス家からほとんど出ることなく過ごしていた。マギナは時々街に出掛けていたけど、僕は毎回留守番を任された。
というわけで、今日も今日とて店番をしている。
ちなみに僕が着ている服はマギナの父が着ていたものだそうで、長袖の白いシャツにブラウンのズボンとベスト。コーデのテーマは「村人A」である。もっともほかのコーディネートを試す余地はない。なにせ部屋のクローゼットにはこれと同じものが五セット収められている。まあ、服を選ぶ手間が省けると思えば悪くはないのかな。
そういえば、成功者の多くは毎日同じ服を着ているって話があったような……僕もこの世界で成功者になれるのかもしれない。
しかしながら……アルメリス精霊書店の来客者数は少ない。多い日で二十人くらい、少ない日は五人以下、しかもそのほとんどが常連客のようで……正直この店の台所事情が心配で仕方がない。
僕が店番をしている間、マギナは隣の部屋で精霊書と精霊器を作成している。だけど僕がお客さんに質問攻めされていると、それを聞きつけた彼女が店に顔を出してくれる。
ちなみに、僕とマギナの関係は「遠い親戚」ということにしている。なんともベタな設定だけどね。
それにしても暇だ……。
ボーッとカウンターの椅子に座って算盤の珠を指で弾くくらいしかやることがない。
楕円形の珠をぶつけ合うパチパチという音が店内に響く。
――と、扉が開く音がした。
慌てて顔を上げたけど、店の入口は閉まったままだった。
「クーヤ、頑張ってる?」
声のしたほうを向くと、店の奥へと通じる扉に笑顔のマギナがいた。
今日の彼女は白のブラウスと緑のキュロットパンツを着ている。仕事着であるブラウンのローブは置いてきたみたいだ。
「まあ、ぼちぼちかな」
「そっかそっか~」
頑張るもなにも、もう昼過ぎだというのにまだ三人しかお客さんは来ていない。
と、マギナがカウンターの端に両手を置いた。
「ねぇねぇ、明日って空いてる?」
「店を開けないなら空いてるよ」
そう答えると、マギナは両腕を突っ張って身を乗り出してきた。
ちょっと近いっす。
「じゃあ、明日は街に行こう!」
「う、うん……」
テンション高めのマギナに気圧されながら僕は応じた。
「だけど、なんでまた急に?」
「クーヤがこの世界に来て十日? だよね。そろそろ街デビューしてもいい頃だよ! それにいろいろ買い物もしなきゃだし」
子供の公園デビューみたいに言ってくれちゃってるけど、間違いなく荷物持ちとかさせられそうだ。まあ、それは言われなくてもやるけど。
まあ、いい加減そろそろ半引き籠もり状態から脱却したかったし、この世界の街並みも見てみたい。
「分かったよ。それで、いつ頃出かける?」
「午前中!」
「また大雑把な……」
僕は呆れながら苦笑した。
さすがに十日間も一緒に暮らせばマギナの奔放さにも慣れる。
それにしてもなんだろう? 今日の彼女は妙に機嫌がいいような、そわそわしているような……。
「ところでマギナさん、なんかあった?」
マギナは突っ張った腕を緩めて首を傾げた。
「なにもないけど、どうして?」
「いや、なんか機嫌がいいような気がしたから……」
「あぁ、ばれちゃった? 実はもう少ししたら紙屋さんが来るんだよ」
そう言って照れたように笑う。
「紙屋? まあ確かに、紙の在庫は少なくなってきてるけど……」
それしにてはそわそわし過ぎだ。
――と、犬の鳴き声が聞こえた。声の大きさからして距離はありそうだ。
「来た!」
嬉しそうにその場で飛び跳ねたマギナは駆け足で店の外へと出て行った。
やっぱりおかしい。紙が届くくらいであのはしゃぎよう……まさか! マギナだってお年頃の女の子だ、そういうお相手がいてもおかしくはない。だとすれば、僕が出て行くというのは野暮ってもんか……。それにしても、なんで犬を連れてるんだろう? というか、この世界にも犬がいるのか。
さて……と……あれ? おかしいな……あ、足が勝手に!!
ということで、僕も店を出てマギナの横に陣取った。
マギナは先程にも増して顔を輝かせ、両手を握り締めている。
さてさて、どのようなお相手でございましょうか……。
マギナの視線を辿ると、遠くから一匹の犬が小走りでこちらに向かっていた。その後ろには帽子を被った人が乗った幌付きの荷車――
…………ん?
おかしいな……遠近感がおかしい。まるで犬が荷車を引いているように見える。
目を細めたり、閉じてまた開いたりしてみる。だけどなにも変わらなかった。むしろ距離が縮まった分、逃れようのない現実が牙を剥いた。つまり――
犬、でかくね?
「マ、マギナさん、なにあれ?」
「さっき言った紙屋さんだよ!」
マギナはこちらを見ることもなく答えた。
「いや、そうじゃなくてあの犬? 乗り物? なにあれ?」
ようやく顔だけをこちらに向けたマギナは不思議そうな顔をしている。
「犬車だよ。知らない?」
「ケンシャ? 知らないよ。なんで馬じゃないの? いやいやそれよりもあの犬、大き過ぎるよね!?」
異世界だから特殊な動物に乗っててもおかしくはないのかもしれない。小型の竜だったり、大きな鳥だったり、虎だったり。だけど犬って……。
「馬車もあるけど、この国は犬車が普通だよ。それに犬ってあれくらいの大きさでしょ?」
マギナは御機嫌斜めの御様子だ。
「僕の世界の犬はあんなに大きくないよ。もっと小さくて……これくらい?」
僕は膝を折って、中型犬の大きさを両手で表現する。
「それはそれで可愛いかもだね!」
マギナは一転して顔を輝かせた。
そうこうしているうちに大きな犬は、その姿がはっきり分かるくらいまで近づいていた。
体毛は薄い茶色。腹と足は白。口と鼻の周りから顔を両断するかのように伸びたラインも白。ぴんと立った大きめの耳。愛嬌のある顔立ち。そして、短い足。
「コーギーだ……」
「そうだよ! 可愛いよね!」
いや、ちょっと怖い。犬は嫌いじゃないけど大きさが違い過ぎる。地球のコーギーの十倍近くある。迫力はそれ以上だ。
犬車が近づくにつれ、その全貌がはっきりとする。
コーギーの首と胴には太いベルトが巻き付けられていて、馬車馬のように荷車に繋がれている。
御者台ではハンチング帽を被った小太りの男が手綱を握っていた。顔に刻まれたいくつもの皺と口髭の白髪を見る限り、六十歳前後だと思われる。
犬車が店先まで来ると、御者は手綱をゆっくりと引っ張った。
「よぉし、止まれー」
コーギーは足を止め、マギナの前でお座りをした。
やっぱり大きい。座った状態だと僕よりも少し大きい。
コーギーは僕を一瞥すると、鼻先を下げてマギナを見た。対する彼女はもの凄く嬉々としている。
なるほど。マギナのお目当ては紙屋ではなく、犬か。
しばらく見つめ合っていたひとりと一匹だったが、突然コーギーが遠吠えでもするかのように鼻先を振り上げた。そしてその無防備な首元に、待ってましたと言わんばかりにマギナが飛びついた。
「会いたかったよぉ~~~スチム~~~」
マギナはコーギーの体毛にぐりぐりと顔を埋めた。彼女の後ろ髪が尻尾のように乱舞する。
「うぇへへ~~もふもふ~~~しゃ~わせ~」
これはいけない。マギナの狂喜っぷりが半端ない。
時折見える彼女の顔は、とろとろに蕩けていた。
コーギー――スチムも舌を出し、目を細めてご満悦といった感じだ。
これは止めるべき……か? いや、そんなことしようものなら本気で燃やされそうな勢いだ。
「はっはっは、マギナちゃん、待たせちまったみたいじゃの」
「いえふぃえ、ぜんぜん~」
いつの間にか御者台から降りていた老人がスチムの横に立った。
服装は僕とほとんど同じで、彼のベストとズボンは僕のより少しだけ色が薄い。
まあ、ありがちな服装だけど被っちゃうとは……。
マギナたちを見ていた老人が笑顔のまま僕のほうへと向き直った。
「君は初めましてかの?」
「あ、はい、初めまして。僕はクウヤ・ソラノといいます。マギナさんとは遠い親戚でして、住み込みで働かせてもらっています。どうぞよろしくお願いします」
僕はこの世界での自己紹介をした。
我ながら何度言っても胡散臭い。遠い親戚とか下手すりゃ他人じゃんって話だ。そんな男が住み込んでるとか怪しすぎる。だけど老人はにこやかなままだ。
「わしは紙屋をやっておるペイルズじゃ。そうかいそうかい、女の子ひとりじゃあなにかと物騒じゃからの。マギナちゃんのことよろしく頼むよ、クゥ……クーヤくん」
「は、はい、もちろんです」
僕の返事にペイルズさんは満足そうに頷いた。
僕が自己紹介をすると、店のお客さんもペイルズさんと同じような反応をする。こっちとしてはありがたいけど、人を信用しすぎだと思う。僕がヘタレなのを見抜かれているのか、マギナの信頼度が高いのか、どちらにしても、もうちょっと疑ったほうがいいと思う。
それと、この世界では僕の名前は発音が難しいらしい。
「さて、荷を運び込むとしようかの」
ペイルズさんはゆったりとした足取りで荷車の後ろへと向かった。
マギナは依然としてスチムと熱狂的にじゃれ合っている。しばらくはあのままだろう。
それじゃあ、住み込み従業員として働きますか。
僕はペイルズさんの元に走った。
紙を運び終えた僕とペイルズさんは店先へと戻った。
マギナとスチムのじゃれ合いは最初に比べれば少し落ち着いていた。頭を下げたスチムを爪先立ちのマギナが撫でている。
「マギナちゃん、終わったよ」
「はぁい」
ペイルズさんが声をかけるとマギナは名残惜しそうにスチムから離れ、こちらへと歩いてきた。スチムもなんだか残念そうにマギナを見ている。
「ありがとう。ペイルズおじさん。クーヤもね」
髪も服も毛だらけになったマギナは笑顔でお礼を言った。
ペイルズさんは嬉しそうに頷いた。
僕は苦笑で応じた。
「お代はいつもと同じでいいの?」
「あぁ、特製記述法用紙二千枚、一万八千ルトだ」
マギナはキュロットパンツのポケットから金属音のする布袋を取り出し、両手でペイルズさんに「はい」と差し出した。
それを受け取ったペイルズさんは巾着袋を開けて中身を確かめる。
「ルト」とはこの世界の通貨だ。だけど日本にはない特殊な物しか売ったことのない僕には、一ルトがどれくらいの価値なのか分からない。精霊書用の紙も特殊な材料を混ぜて作られているらしいから、日本円に換算することは難しい。
まあ、明日街に出ればちょっとは分かるだろう。
「うむ、丁度じゃの。ありがとう」
「こちらこそだよ」
「じゃあまたの。クーヤくんも手伝ってくれて助かったよ」
「いえ、お気をつけて」
ペイルズさんはゆったりとした足取りで犬車に向かい、スチムを撫でて御者台に登った。
スチムが腰を上げる。
「スチム! またね!」
マギナは笑顔で両手を振った。
僕はペイルズさんに軽く頭を下げ、スチムにも軽く手を振った。
「スチム、行くかの」
ペイルズさんがそう言うと、スチムはもう一度マギナを見て、次に僕を一瞥して小さく吠え――
『またな』
――た。
……ん? 今、スチムが吠えるのと同時に声が聞こえたような……。
辺りを見回しても僕たち以外は誰もいない。
そうこうしているうちに犬車は方向転換して進み始めていた。
空耳? いや、確かに聞こえたはずなんだけど……。まさかスチムとか? それはないか。
釈然としないまま、来た道を戻って行く犬車を見送った。
その日の夜、僕は寝間着姿で自室のベッドに腰掛けていた。就寝前の日課である精霊術の練習をするためだ。
深呼吸して右手を伸ばす。
『我が手に出でよ小さき光』
精霊に語りかけるように唱えると、手の上に小さな光が現れた。そしてその光を維持する。
マギナが言っていたように、精霊術は何度も使うことで代償を軽くすることができる。実際、この光も最初に比べて長い時間維持できるようになっている。といっても、数分が十分程度になっただけだけど。
まあ、こうして毎日続けていれば、いつかは一時間以上維持できる日も来るだろう。
日本にいた頃はできないことをすぐに投げ出すことが多かったけど、せっかく異世界に来たんだから簡単に諦めないようにしたい。だからまずは精霊術を使いこなせるようになってみせる!
さて、そろそろ限界か……。倒れるまでやると朝起きられなくなってしまう。
ゆっくり手を閉じて光を消す。
……眠い。やっぱりまだまだだけど、続けないと意味がない。
布団に入って枕元の壁に埋め込まれた”点灯””消灯”と書かれた銅板に触れる。
「”消灯”」
部屋の照明が消える。これも精霊器だ。
機会があれば記述法も教えてもらおう。
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転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする
初
ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。
これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
異世界で快適な生活するのに自重なんかしてられないだろ?
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机の引き出しから過去未来ではなく異世界へ。
飛ばされた世界で日本のような快適な生活を過ごすにはどうしたらいい?
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主人公の考えた手段は、ドン引きされるような内容だった。
(実践出来るかどうかは別だけど)
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
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加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
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"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
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「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
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人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
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不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
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気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
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