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第1章1節 学園生活/始まりの一学期
第54話 ガラティア観光旅行
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「ふぅ……やっぱり母さんのシチューは美味しいねえ」
「お代わりもらってもいい?」
「まだまだあるから、どんどん食べてちょうだい。ほらアーサーも」
「……ああ」
ランタンがほんのりと照らすリビングで、ゆったりと食べる夕食。優和な匂いが時間の流れを遅らせ、幸福な空間を作り出す。
そんな食事の最中。
「それでさ、実はいい話があるんだよね~……」
ユーリスが突然ポケットを漁り出し、他の全員の視線を集めた。
「じゃん。こんなのもらっちゃった」
数十枚の紙切れを見せつける。手描きの文字と絵が描かれているが、お世辞にも上手とは言えない。
「……ガラティア観光券?」
「その通り。これはね、ガラティアの観光協会が発行しているチケット。これ見せれば店で好きな物頼めるし旅館にも泊まり放題! 前の出張販売のお客さんに観光協会の人がいてさ、ご厚意でもらってきたんだよね」
「……配る相手がいなかっただけじゃないの?」
「うっ」
看破した後、エリシアは幻滅したように溜息をつく。
「まさかガラティアが観光政策を行っているなんてねえ。もうお構いなしって感じ。醜いわ」
「な、何でそんなに厳しいのお母さん……」
「だってこの流れ。観光券もらったから旅行に行こうって言うんでしょ。嫌よガラティアなんて、あそこ岩だらけで何もないし……ウィーエルやリネスじゃ駄目なの?」
「し、仕方ないだろ! 今年の稼ぎは殆ど魔術研究に回すし! だからもう旅行にはいけないなって思ってた所にこれだよ? ありがたく思って行ってみないかい?」
「うーん……」
「ほら、エリスも授業でやっただろうガラティアは。実際に見てみた方が知識として身に着くんじゃない?」
「あー……そういう名目なら、ね」
エリスを一瞥した後、飲み込むようにゆっくりと頷くエリシア。
「それで肝心のあなた達はどうなの?」
「わたしは別にいいよ。色んな所に行けるならそれに越したことはないし」
「オレも同じだ」
「よし決まり。数日で準備してそれから向かおう。エリスと一緒に、ログレス平原から先に旅行行ったことないからな。楽しみだな~」
「はいはい。わかったから早くご飯食べちゃって」
「ほーい。もぐもぐ」
そして数日後。
現在エリス達は、ガラティアから派遣されてきた馬車に揺られ平原を進んでいる。
チケットの裏にそのようなサービスを行っていると書いてあったので、頼んでみたらすっ飛んできたのだ。
「あ~この感覚。自分で馬車を動かさないっていうのは気楽でいいなあ」
「伝書鳩飛ばしてくれればわざわざ村まで来てくれるって、観光協会は随分暇なのねえ」
「はっはっは。心からのサービスってやつですよ。奥さん厳しいすねえ」
「そうねぇ……」
馬車に揺られながら、エリシアは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「お母さん、何かガラティアに辛い思い出があるの?」
「特にないわ。ないけどイメージというものがあるじゃない」
「旅行っつったら美味しいものに綺麗な景色っすからねえ。ガラティアにはそんなもん微塵もないっす」
「よくもまあ言い切るわね。見上げた根性だわ」
馬車はどんどん進んでいき、辺りの風景が徐々に寂れていく。
地面は徐々に土が剥き出しになり、花の代わりに岩が転がり始める。
そして、一行を乗せた馬車は巨大な門の前に着いた。
「この山を切り分けてできた門をくぐるとヴァレイス荒野。ガラティア国の領土に入るっす」
「え、こんな分かりやすいんですか」
「まだ帝国があったころからね。ずーっと決まっていることなんですわ。おーいあんちゃーん」
御者は馬車から降り、門の近くにいた男に話しかけている。
「はぁ……暇だね。この辺何かないの?」
「関所に何もあるわけないじゃない……強いて言うなら詰所とか?」
「じゃあ兵士達にちょっかいかけてこよう。エリス達もあんまり遠くに行かないでね」
ユーリスは門の近くの古ぼけた小屋に移動する。
アーサーと共に取り残されたエリス。ユーリスの後に続こうとしたが、
その目に門の近くのテント群が目に入る。
「……アーサー、あれ」
「ん……」
「……あれは……」
テントの近くにはローブを纏った人間が密集していた。子供も大人も、老人も若者も、様々な人間が身を固め合って、周囲からの好奇の視線を気にも留めない。
「見る物ではないと思うぞ」
「でも……」
それでも何故か気になってしまう。
「さーて、今日も配給の時間だ貧民共」
兵士の詰所から、袋を持った男がそう言って出てくるのが目に入った。
男はテント群に真っ直ぐ向かっていく。
すると、ローブを纏った人間達は次々と男に群がる群がる。
「やったぁ……今日はパンだぁ……!」
「ほらほら~美味しいパンでちゅよ~ありがたく受け取りやがれなさいよ~」
男は袋からパンを取り出し、ローブの人間達目掛けて放り投げていく。
その光景は、さながら鳥の群れに餌をやるようで。
「おおお……今日もありがとうございます……」
「わーったから食うもん貰ってさっさとあっち行け。臭えんだよオメーはよぉっ」
「ごぶっ……」
男は、パンを受け取って去ろうとした老母を蹴り飛ばす。
「……ほれよ」
「ありがとうございます」
「ちゃんと目を見て言いやがれ」
今度は若い女の顔面を殴る。
だが、その場にいる者、パンを受け取った者。
誰一人として男の行動を指摘しようとはしない。
「……」
「……」
エリスとアーサーは、遠くからその光景が見えてしまっていた。
そして言葉を選べずに愕然としていると。
「……くぅん」
アーサーの足元でカヴァスが怯えるように縮こまっていた。
「……何だ」
「くーん……」
「あっちか……?」
アーサーはカヴァスの向いている方向を見つめる。
そして一気にその表情を引き攣らせた。
「……どうしたの?」
「……いや……」
「ねえ、何かあった……の……」
思わずエリスも、テント群の奥の方に視線が向いていく。
「あ……」
そこには酷く痩せこけた男がいて、
苦悶に満ちた表情で手に何かを握っていた。
「……はぁ……」
握り締めたそれを口に含むと、
少しずつ、快楽の沼に足を滑らせ、堕ちていく。
「いやあ……やっぱり『エム』は最高だぁ……」
身体のあちこちに、まるで悲鳴を上げるように走り出した、黒と青の線を気にも留めずに。
「お待たせしました、入国手続き済ませて、一応兵装とかもらって来たんで……って」
御者の目にテント群を眺めるエリスとアーサーが入る。エリスは彼に気付くとすぐに質問しようとした。
「すみません、あの人達は……」
「おっと嬢ちゃん、あれは見ていいもんじゃないぜ」
「わわっ」
御者がずいずいと迫り、エリスの壁になるように立った。
「いいかい、世の中には構わないで放っておいてほしい人だっているんです。あいつらはそういう人間なんで、無視して構いません」
「でも……」
「ほら、面倒な手続きは済んだんで。さっさと乗ってください」
御者に押し込まれるような形でエリスは馬車に乗る。アーサーもその後ろに続く。
そこにユーリスとエリシアもやってきて、全員馬車に乗り終えた。
「エリス、何を見ていたんだい?」
「えっと……テントの方」
「テントの方?」
「何か持ってる人がいて……それを食べたら、すごく変な感じになって……」
言葉を切り、エリスは両手で顔を覆う。アーサーは黙ってそんな彼女を見つめている。
「……ごめんね。わたし、街に着くまでちょっと寝てるね……」
エリスは身体を横に向け、右手を顔の下に置いて目を閉じる。
「……だからガラティアには来たくないって言ったのよ」
「数年経てば改善してると思ってたんだけどなあ……悪化してるじゃないか」
エリスに対して申し訳なさそうにしながら、ユーリスとエリシアはこっそりとぼやいた。
御者が大声で愚痴るのが聞こえる――
「あーあー、聖杯がありゃあなあ。ラグナルにあるちっこいのじゃなくて、昔々にあった、本物の大聖杯。あれに願えばこんな国もぱぱっと良くなるってのによぉ……」
「……」
「何? アーサーも今の声、聞こえちゃった?」
「……」
前方を見ていたので返事はなくともユーリスは気付いた。
「大昔、騎士王とその臣下達に守られていた大聖杯……君が守っていたんだぜ?」
「……」
「まっそんなの知らないかあ。別にいいけどさ……『今は聖杯が存在しない時代』。これイングレンスで大分有名な慣用句ね。覚えておきな」
「……」
またしても彼の中にある思いが生まれる。
しかしそれを言葉にすることはできなかった。加えてそれをぶつけるべきであろう相手も、今この場にはいなかった。
「お代わりもらってもいい?」
「まだまだあるから、どんどん食べてちょうだい。ほらアーサーも」
「……ああ」
ランタンがほんのりと照らすリビングで、ゆったりと食べる夕食。優和な匂いが時間の流れを遅らせ、幸福な空間を作り出す。
そんな食事の最中。
「それでさ、実はいい話があるんだよね~……」
ユーリスが突然ポケットを漁り出し、他の全員の視線を集めた。
「じゃん。こんなのもらっちゃった」
数十枚の紙切れを見せつける。手描きの文字と絵が描かれているが、お世辞にも上手とは言えない。
「……ガラティア観光券?」
「その通り。これはね、ガラティアの観光協会が発行しているチケット。これ見せれば店で好きな物頼めるし旅館にも泊まり放題! 前の出張販売のお客さんに観光協会の人がいてさ、ご厚意でもらってきたんだよね」
「……配る相手がいなかっただけじゃないの?」
「うっ」
看破した後、エリシアは幻滅したように溜息をつく。
「まさかガラティアが観光政策を行っているなんてねえ。もうお構いなしって感じ。醜いわ」
「な、何でそんなに厳しいのお母さん……」
「だってこの流れ。観光券もらったから旅行に行こうって言うんでしょ。嫌よガラティアなんて、あそこ岩だらけで何もないし……ウィーエルやリネスじゃ駄目なの?」
「し、仕方ないだろ! 今年の稼ぎは殆ど魔術研究に回すし! だからもう旅行にはいけないなって思ってた所にこれだよ? ありがたく思って行ってみないかい?」
「うーん……」
「ほら、エリスも授業でやっただろうガラティアは。実際に見てみた方が知識として身に着くんじゃない?」
「あー……そういう名目なら、ね」
エリスを一瞥した後、飲み込むようにゆっくりと頷くエリシア。
「それで肝心のあなた達はどうなの?」
「わたしは別にいいよ。色んな所に行けるならそれに越したことはないし」
「オレも同じだ」
「よし決まり。数日で準備してそれから向かおう。エリスと一緒に、ログレス平原から先に旅行行ったことないからな。楽しみだな~」
「はいはい。わかったから早くご飯食べちゃって」
「ほーい。もぐもぐ」
そして数日後。
現在エリス達は、ガラティアから派遣されてきた馬車に揺られ平原を進んでいる。
チケットの裏にそのようなサービスを行っていると書いてあったので、頼んでみたらすっ飛んできたのだ。
「あ~この感覚。自分で馬車を動かさないっていうのは気楽でいいなあ」
「伝書鳩飛ばしてくれればわざわざ村まで来てくれるって、観光協会は随分暇なのねえ」
「はっはっは。心からのサービスってやつですよ。奥さん厳しいすねえ」
「そうねぇ……」
馬車に揺られながら、エリシアは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「お母さん、何かガラティアに辛い思い出があるの?」
「特にないわ。ないけどイメージというものがあるじゃない」
「旅行っつったら美味しいものに綺麗な景色っすからねえ。ガラティアにはそんなもん微塵もないっす」
「よくもまあ言い切るわね。見上げた根性だわ」
馬車はどんどん進んでいき、辺りの風景が徐々に寂れていく。
地面は徐々に土が剥き出しになり、花の代わりに岩が転がり始める。
そして、一行を乗せた馬車は巨大な門の前に着いた。
「この山を切り分けてできた門をくぐるとヴァレイス荒野。ガラティア国の領土に入るっす」
「え、こんな分かりやすいんですか」
「まだ帝国があったころからね。ずーっと決まっていることなんですわ。おーいあんちゃーん」
御者は馬車から降り、門の近くにいた男に話しかけている。
「はぁ……暇だね。この辺何かないの?」
「関所に何もあるわけないじゃない……強いて言うなら詰所とか?」
「じゃあ兵士達にちょっかいかけてこよう。エリス達もあんまり遠くに行かないでね」
ユーリスは門の近くの古ぼけた小屋に移動する。
アーサーと共に取り残されたエリス。ユーリスの後に続こうとしたが、
その目に門の近くのテント群が目に入る。
「……アーサー、あれ」
「ん……」
「……あれは……」
テントの近くにはローブを纏った人間が密集していた。子供も大人も、老人も若者も、様々な人間が身を固め合って、周囲からの好奇の視線を気にも留めない。
「見る物ではないと思うぞ」
「でも……」
それでも何故か気になってしまう。
「さーて、今日も配給の時間だ貧民共」
兵士の詰所から、袋を持った男がそう言って出てくるのが目に入った。
男はテント群に真っ直ぐ向かっていく。
すると、ローブを纏った人間達は次々と男に群がる群がる。
「やったぁ……今日はパンだぁ……!」
「ほらほら~美味しいパンでちゅよ~ありがたく受け取りやがれなさいよ~」
男は袋からパンを取り出し、ローブの人間達目掛けて放り投げていく。
その光景は、さながら鳥の群れに餌をやるようで。
「おおお……今日もありがとうございます……」
「わーったから食うもん貰ってさっさとあっち行け。臭えんだよオメーはよぉっ」
「ごぶっ……」
男は、パンを受け取って去ろうとした老母を蹴り飛ばす。
「……ほれよ」
「ありがとうございます」
「ちゃんと目を見て言いやがれ」
今度は若い女の顔面を殴る。
だが、その場にいる者、パンを受け取った者。
誰一人として男の行動を指摘しようとはしない。
「……」
「……」
エリスとアーサーは、遠くからその光景が見えてしまっていた。
そして言葉を選べずに愕然としていると。
「……くぅん」
アーサーの足元でカヴァスが怯えるように縮こまっていた。
「……何だ」
「くーん……」
「あっちか……?」
アーサーはカヴァスの向いている方向を見つめる。
そして一気にその表情を引き攣らせた。
「……どうしたの?」
「……いや……」
「ねえ、何かあった……の……」
思わずエリスも、テント群の奥の方に視線が向いていく。
「あ……」
そこには酷く痩せこけた男がいて、
苦悶に満ちた表情で手に何かを握っていた。
「……はぁ……」
握り締めたそれを口に含むと、
少しずつ、快楽の沼に足を滑らせ、堕ちていく。
「いやあ……やっぱり『エム』は最高だぁ……」
身体のあちこちに、まるで悲鳴を上げるように走り出した、黒と青の線を気にも留めずに。
「お待たせしました、入国手続き済ませて、一応兵装とかもらって来たんで……って」
御者の目にテント群を眺めるエリスとアーサーが入る。エリスは彼に気付くとすぐに質問しようとした。
「すみません、あの人達は……」
「おっと嬢ちゃん、あれは見ていいもんじゃないぜ」
「わわっ」
御者がずいずいと迫り、エリスの壁になるように立った。
「いいかい、世の中には構わないで放っておいてほしい人だっているんです。あいつらはそういう人間なんで、無視して構いません」
「でも……」
「ほら、面倒な手続きは済んだんで。さっさと乗ってください」
御者に押し込まれるような形でエリスは馬車に乗る。アーサーもその後ろに続く。
そこにユーリスとエリシアもやってきて、全員馬車に乗り終えた。
「エリス、何を見ていたんだい?」
「えっと……テントの方」
「テントの方?」
「何か持ってる人がいて……それを食べたら、すごく変な感じになって……」
言葉を切り、エリスは両手で顔を覆う。アーサーは黙ってそんな彼女を見つめている。
「……ごめんね。わたし、街に着くまでちょっと寝てるね……」
エリスは身体を横に向け、右手を顔の下に置いて目を閉じる。
「……だからガラティアには来たくないって言ったのよ」
「数年経てば改善してると思ってたんだけどなあ……悪化してるじゃないか」
エリスに対して申し訳なさそうにしながら、ユーリスとエリシアはこっそりとぼやいた。
御者が大声で愚痴るのが聞こえる――
「あーあー、聖杯がありゃあなあ。ラグナルにあるちっこいのじゃなくて、昔々にあった、本物の大聖杯。あれに願えばこんな国もぱぱっと良くなるってのによぉ……」
「……」
「何? アーサーも今の声、聞こえちゃった?」
「……」
前方を見ていたので返事はなくともユーリスは気付いた。
「大昔、騎士王とその臣下達に守られていた大聖杯……君が守っていたんだぜ?」
「……」
「まっそんなの知らないかあ。別にいいけどさ……『今は聖杯が存在しない時代』。これイングレンスで大分有名な慣用句ね。覚えておきな」
「……」
またしても彼の中にある思いが生まれる。
しかしそれを言葉にすることはできなかった。加えてそれをぶつけるべきであろう相手も、今この場にはいなかった。
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