呼ばれてもいないのに行ったら大変なことになりました

七瀬ななし

文字の大きさ
1 / 3

呼ばれてもいない春の訪問者

春は、往々にして、思いがけぬ過ちを赦す季節である。

あるいは、赦すふりをして、あとになって静かにその代償を取り立てる季節と言ってもよい。冬の名残を引きずる風の中に、どこか浮き立つような気配が紛れ込み、人の理性をわずかに緩める。そのわずかな綻びこそが、しばしば運命を大きく転回させるのである。

その年の春、王都は、まさにそうした微かな狂気に満ちていた。

公爵令嬢ソフィーは、その中心に立つにはあまりにも無自覚で、あまりにも純粋で、そして——あまりにも危険な存在であった。

ソフィーは、いわゆる「天然」であった。

だが、その語が軽々しく用いられる昨今の意味とは異なる。彼女は、意図して可憐さを装うことも、計算して人心を操ることもない。むしろ逆である。彼女は、人の心の機微に対して鈍感であるがゆえに、無垢な刃のように、ためらいなく他者の核心へと踏み込む。

そして、その踏み込みは、悪意なきゆえに防ぎがたい。

彼女が発する言葉は、しばしば真実であり、しかしそれゆえに残酷であった。彼女の微笑みは曇りなく、だからこそ逃げ場を与えない。

人は、敵意には備えることができる。だが、無垢には備えようがない。

ソフィーは、そのことを知らなかった。

王太子との婚約は、彼女にとって当然の帰結であった。

公爵家の娘として生まれ、申し分のない教育を受け、容姿にも恵まれた彼女が、王家と縁を結ぶことは、政治的にも自然な選択であった。

だが、彼女自身にとって、その婚約は「約束」というよりも、「遠くにある灯」のようなものだった。

そこにあることは知っている。だが、手を伸ばして触れることは少ない。

近頃、王太子は忙しかった。

政務、軍事、外交——若き後継者に課せられた責務は重く、彼がソフィーと顔を合わせる機会は次第に減っていた。

ソフィーは、それを「寂しい」と感じていた。

しかし、その寂しさの表現の仕方を、彼女は知らなかった。

ある日の午後、彼女はふと耳にした。

「小さな集まりがあるらしい」

それは、侍女たちの何気ない噂話であった。具体的な招待状もなければ、正式な名称もない。ただ、限られた者だけが知る、ささやかな集い。

ソフィーの心に、ひとつの考えが浮かんだ。

——サプライズで行ってみよう。

その発想は、無邪気であり、同時に危うかった。

彼女にとって、訪問とは歓迎されるべきものであり、喜ばれるべきものだった。なぜなら、彼女は常にそう扱われてきたからだ。

「突然の訪問は失礼にあたるかもしれない」という常識は、彼女の思考の外にあった。

むしろ、「きっと喜んでくださる」という確信があった。

春の空気が、その確信を後押しした。

会場となっていた館は、王都の外れにあった。

華やかさを抑えた外観。だが、近づくにつれて、内側に潜む熱のようなものが、微かに感じられた。

灯りが漏れている。

音がする。

笑い声——いや、それは、どこか崩れた響きだった。

ソフィーは、胸を弾ませながら階段を上がった。

そのとき、彼女は耳にした。

「——帝国からの品だ」
「これで……もう……」

断片的な会話。意味はわからない。ただ、そこには、彼女の知る社交とは異なる気配があった。

それでも彼女は躊躇しなかった。

むしろ、期待が高まった。

——きっと、特別なパーティーなのだわ。

扉は、軽く押すだけで開いた。

「サプラーイズ!」

その声は、明るく、よく通り、そして場の空気を一瞬にして凍りつかせた。

そこにあったのは、彼女の想像とはまったく異なる光景だった。

男たちは、乱れていた。

衣服は整っておらず、姿勢も崩れ、目は焦点を失っている。女たちもまた同様で、笑い声はどこか空虚で、身体の動きはぎこちなく、制御を欠いていた。

香の匂いが濃すぎる。

空気が重い。

そして、どこか異様に甘い。

ソフィーは、首をかしげた。

「……あの、皆さま?」

返事はない。

ただ、誰かが笑った。

意味のない笑いだった。

その瞬間、彼女は理解した。

——これは、おかしい。

しかし、その理解は、彼女の行動を止めるものではなかった。

むしろ、彼女の中の「正しさ」が、強く働いた。

「なんということでしょう!」

その声は、先ほどよりもさらに大きく、さらに明瞭であった。

「なんということでしょう!」

彼女は繰り返した。

そして、ためらいなく、扉の外へと向かい、廊下に向かって叫んだ。

「誰か! 人を呼んでください!」

その瞬間、すべてが動き出した。

後の記録によれば、それは帝国による巧妙な工作であった。

若き貴族たちを、薬物によって理性を奪い、さらに低位の女性たちを用いて関係を結ばせ、その証拠を握る。

支配のための罠。

未来の権力者たちを、静かに、しかし確実に縛り上げる計画。

それは、ほぼ成功しかけていた。

——ただ一人の例外を除いて。

ソフィーは、その中心に立っていた。

状況の重大さを完全には理解していないまま、しかし「これはよくない」という直感だけで動いた結果、すべてを暴き出した。

兵が来る。

役人が来る。

記録が取られる。

関係者は拘束される。

王都は揺れた。

王太子も、その中に含まれていた。

彼は、完全に堕ちていたわけではない。だが、関与していたことは否定できなかった。

責任は問われた。

そして、決定は下された。

継承権の剥奪。

前線への派遣。

それは、名誉ある処罰であり、同時に事実上の追放であった。

代わって浮上したのが、第二王子であった。

彼は以前から、ソフィーに対して好意を抱いていた。

その感情は、決して表に出されることはなかったが、静かに、確実に存在していた。

今回の一件により、彼は評価を高め、王は決断した。

——婚約の変更。

ソフィーは、新たな王太子妃となることが決まった。

王は、彼女に深く感謝した。

「国を救ったのだ」

その言葉は、誇張ではなかった。

もし、あのまま計画が進行していれば、この国の未来は、見えない鎖に繋がれていただろう。

だが、ソフィーは、微笑まなかった。

春の風が、庭を渡る。

花は咲いていた。

すべては、いつも通りに見える。

だが、彼女の中には、ひとつの小さな変化があった。

「……勝手に行くのは、よくないのね」

それは、あまりにもささやかな学びであった。

だが、彼女にとっては、大きな一歩であった。

第二王子は、優しく微笑む。

「あなたのおかげです」

ソフィーは、少しだけ首をかしげる。

「そうなのかしら」

彼女には、まだよくわからない。

だが、ひとつだけ、確かなことがあった。

あの日、彼女は呼ばれていなかった。

それでも行った。

そして、すべてが変わった。

春とは、そういう季節である。

呼ばれていない場所へと、人を導く。

そして、そこで起こる出来事によって、世界の形をわずかに変える。

ソフィーは、そのことを、まだ言葉にはできなかった。

ただ、心のどこかに、静かに刻んだ。

——次は、少しだけ、気をつけよう。

それが、彼女なりの成長であった。

そして、その成長が、再びどのような騒動を招くのか。

それは、まだ誰も知らない。

ただ、ひとつだけ確かなことがある。

春は、また巡るのだ。
感想 1

あなたにおすすめの小説

妹の方が大切なら私は不要ですね!

うさこ
恋愛
人の身体を『直す』特殊なスキルを持つ私。 毒親のせいで私の余命はあと僅か。 自暴自棄になった私が出会ったのは、荒っぽい元婚約者。

本日をもって

satomi
恋愛
俺はこの国の王弟ステファン。ずっと王妃教育に王宮に来ているテレーゼ嬢に片思いしていたが、甥の婚約者であるから届かない思いとして封印していた。 だというのに、甥のオーウェンが婚約破棄をテレーゼ嬢に言い渡した。これはチャンス!俺は速攻でテレーゼ嬢に求婚した。

「最初から期待してないからいいんです」家族から見放された少女、後に家族から助けを求められるも戦勝国の王弟殿下へ嫁入りしているので拒否る。

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢に仕立て上げられた少女が幸せなるお話。 主人公は聖女に嵌められた。結果、家族からも見捨てられた。独りぼっちになった彼女は、敵国の王弟に拾われて妻となった。 小説家になろう様でも投稿しています。

皇太子から愛されない名ばかりの婚約者と蔑まれる公爵令嬢、いい加減面倒臭くなって皇太子から意図的に距離をとったらあっちから迫ってきた。なんで?

下菊みこと
恋愛
つれない婚約者と距離を置いたら、今度は縋られたお話。 主人公は、婚約者との関係に長年悩んでいた。そしてようやく諦めがついて距離を置く。彼女と婚約者のこれからはどうなっていくのだろうか。 小説家になろう様でも投稿しています。

最後に、お願いがあります

狂乱の傀儡師
恋愛
三年間、王妃になるためだけに尽くしてきた馬鹿王子から、即位の日の直前に婚約破棄されたエマ。 彼女の最後のお願いには、国を揺るがすほどの罠が仕掛けられていた。

ミュリエル・ブランシャールはそれでも彼を愛していた

玉菜きゃべつ
恋愛
 確かに愛し合っていた筈なのに、彼は学園を卒業してから私に冷たく当たるようになった。  なんでも、学園で私の悪行が噂されているのだという。勿論心当たりなど無い。 噂などを頭から信じ込むような人では無かったのに、何が彼を変えてしまったのだろう。 私を愛さない人なんか、嫌いになれたら良いのに。何度そう思っても、彼を愛することを辞められなかった。 ある時、遂に彼に婚約解消を迫られた私は、愛する彼に強く抵抗することも出来ずに言われるがまま書類に署名してしまう。私は貴方を愛することを辞められない。でも、もうこの苦しみには耐えられない。 なら、貴方が私の世界からいなくなればいい。◆全6話

安息を求めた婚約破棄

あみにあ
恋愛
とある同窓の晴れ舞台の場で、突然に王子から婚約破棄を言い渡された。 そして新たな婚約者は私の妹。 衝撃的な事実に周りがざわめく中、二人が寄り添う姿を眺めながらに、私は一人小さくほくそ笑んだのだった。 そう全ては計画通り。 これで全てから解放される。 ……けれども事はそう上手くいかなくて。 そんな令嬢のとあるお話です。 ※なろうでも投稿しております。

わたしに冗談なんて通じません。だから二度と婚約者面なんてしないでくださいね

うさこ
恋愛
特殊な騎士の家で育った私には婚約者がいた。 今思えば、彼は私に好きになれと強要していた。 そんな私は婚約破棄を言い渡されーー ※ざまぁです