カフェ・ミッドナイト

Y-z

文字の大きさ
3 / 19

第2話「星を呼ぶ音」

しおりを挟む
 夜更けの街は、風がやわらかく吹き抜けていた。
 高校三年の少女・美琴(みこと)は、ケースに入れたヴァイオリンを抱え、石畳の路地をとぼとぼ歩いていた。明日の音大受験が頭から離れず、練習しても指は震え、音は硬くなるばかり。
 「心がこもってない」――先生の言葉が耳に刺さって、どうしても眠れなかったのだ。

 気づけば、見知らぬ小道に迷い込んでいた。
 その奥で、黒鉄の看板がゆらりと揺れ、文字が月光に浮かび上がる。

 「Midnight Café」

 普段は見たこともない建物。古びたレンガ造りの二階建て。
 1階の窓からは、オレンジ色の灯がこぼれていた。

 ――こんな時間に、カフェ?
 半信半疑のまま扉を押すと、カラン、と小さな鈴の音が夜に溶けた。



 「いらっしゃませ!」
 ぱっと顔を上げたのは、黒髪の少女・灯だった。十五歳ほどの小柄な体に、白いエプロンをきゅっと結んでいる。慌てて水を運び、コップを少し傾けてこぼしてしまった。

 「わっ、ご、ごめんなさい!」
 慌てて布巾で拭く灯を見て、美琴は思わず小さく笑った。少し心が軽くなる。

 「お疲れのようですね」
 カウンターの奥からマスターの声がした。白髪まじりの髪を後ろで束ね、懐中時計の指輪を光らせながら、落ち着いた手つきでポットを傾けている。

 「……明日、試験なんです」
 美琴はヴァイオリンを抱きしめたまま、ぽつりと打ち明けた。
 「でも、先生に“音に心がない”って言われて……ずっと弾いても、自分でも冷たい音しか出せなくて……」

 灯はまっすぐな目で彼女を見つめる。
 「でも……美琴さんはヴァイオリン、好きなんでしょう?」
 「……うん。小さい頃から、ずっと」
 「なら、大丈夫。好きって気持ちは、ちゃんと音になるから」
 その言葉に、美琴の肩の力がふっと抜ける。なぜか、この少女の言葉は胸の奥まで響いてきた。



 やがてマスターが、淡い光を湛えたカップを差し出した。
 「どうぞ。月影のハーブティーです」

 一口、口に含んだ瞬間、店内のランプがやわらかく揺れた。
 窓の外の夜空が淡い銀色に光り、厚い雲の切れ間から満ちた月が姿を見せる。

 「……すごい」
 美琴は思わずヴァイオリンを取り出し、弓を引いた。
 その音は、今までになく透きとおっていた。
 まるで月光に溶け、夜の空気そのものを震わせるような響き。

 灯は瞳を輝かせ、手を胸にあてて言った。
 「きれい……星が、呼ばれてるみたい」

 その言葉どおり、空には次々と星が瞬きはじめる。
 美琴の頬を涙が伝った。自分の音に、こんなにも温かさがあったなんて――。



 「……ありがとう」
 演奏を終えた美琴は、深く頭を下げた。
 「私、もう少し……自分を信じてみます」

 マスターは静かに頷き、言葉を添える。
 「月は雲に隠れても、必ずまた輝く。君の音も、きっとそうだ」

 美琴はヴァイオリンを抱え、笑顔を取り戻した顔で店を後にする。扉を開けると、夜明け前の淡い光が広がっていた。ケースは不思議と、いつもより軽い気がした。



 店内に静けさが戻る。
 灯はカウンターの下から古びた楽譜を取り出し、じっと見つめた。
 「……この曲、いつか私も弾けるかな」

 マスターは少しだけ目を細め、穏やかに答える。
 「その日が来るのを、楽しみにしているよ」

 チクタク……チクタク……
 壁の時計の音が、また一つ、違う時刻を刻み始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

なほ
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模るな子。新入社員として入った会社でるなを待ち受ける運命とは....。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...