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第2話「星を呼ぶ音」
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夜更けの街は、風がやわらかく吹き抜けていた。
高校三年の少女・美琴(みこと)は、ケースに入れたヴァイオリンを抱え、石畳の路地をとぼとぼ歩いていた。明日の音大受験が頭から離れず、練習しても指は震え、音は硬くなるばかり。
「心がこもってない」――先生の言葉が耳に刺さって、どうしても眠れなかったのだ。
気づけば、見知らぬ小道に迷い込んでいた。
その奥で、黒鉄の看板がゆらりと揺れ、文字が月光に浮かび上がる。
「Midnight Café」
普段は見たこともない建物。古びたレンガ造りの二階建て。
1階の窓からは、オレンジ色の灯がこぼれていた。
――こんな時間に、カフェ?
半信半疑のまま扉を押すと、カラン、と小さな鈴の音が夜に溶けた。
⸻
「いらっしゃませ!」
ぱっと顔を上げたのは、黒髪の少女・灯だった。十五歳ほどの小柄な体に、白いエプロンをきゅっと結んでいる。慌てて水を運び、コップを少し傾けてこぼしてしまった。
「わっ、ご、ごめんなさい!」
慌てて布巾で拭く灯を見て、美琴は思わず小さく笑った。少し心が軽くなる。
「お疲れのようですね」
カウンターの奥からマスターの声がした。白髪まじりの髪を後ろで束ね、懐中時計の指輪を光らせながら、落ち着いた手つきでポットを傾けている。
「……明日、試験なんです」
美琴はヴァイオリンを抱きしめたまま、ぽつりと打ち明けた。
「でも、先生に“音に心がない”って言われて……ずっと弾いても、自分でも冷たい音しか出せなくて……」
灯はまっすぐな目で彼女を見つめる。
「でも……美琴さんはヴァイオリン、好きなんでしょう?」
「……うん。小さい頃から、ずっと」
「なら、大丈夫。好きって気持ちは、ちゃんと音になるから」
その言葉に、美琴の肩の力がふっと抜ける。なぜか、この少女の言葉は胸の奥まで響いてきた。
⸻
やがてマスターが、淡い光を湛えたカップを差し出した。
「どうぞ。月影のハーブティーです」
一口、口に含んだ瞬間、店内のランプがやわらかく揺れた。
窓の外の夜空が淡い銀色に光り、厚い雲の切れ間から満ちた月が姿を見せる。
「……すごい」
美琴は思わずヴァイオリンを取り出し、弓を引いた。
その音は、今までになく透きとおっていた。
まるで月光に溶け、夜の空気そのものを震わせるような響き。
灯は瞳を輝かせ、手を胸にあてて言った。
「きれい……星が、呼ばれてるみたい」
その言葉どおり、空には次々と星が瞬きはじめる。
美琴の頬を涙が伝った。自分の音に、こんなにも温かさがあったなんて――。
⸻
「……ありがとう」
演奏を終えた美琴は、深く頭を下げた。
「私、もう少し……自分を信じてみます」
マスターは静かに頷き、言葉を添える。
「月は雲に隠れても、必ずまた輝く。君の音も、きっとそうだ」
美琴はヴァイオリンを抱え、笑顔を取り戻した顔で店を後にする。扉を開けると、夜明け前の淡い光が広がっていた。ケースは不思議と、いつもより軽い気がした。
⸻
店内に静けさが戻る。
灯はカウンターの下から古びた楽譜を取り出し、じっと見つめた。
「……この曲、いつか私も弾けるかな」
マスターは少しだけ目を細め、穏やかに答える。
「その日が来るのを、楽しみにしているよ」
チクタク……チクタク……
壁の時計の音が、また一つ、違う時刻を刻み始めた。
高校三年の少女・美琴(みこと)は、ケースに入れたヴァイオリンを抱え、石畳の路地をとぼとぼ歩いていた。明日の音大受験が頭から離れず、練習しても指は震え、音は硬くなるばかり。
「心がこもってない」――先生の言葉が耳に刺さって、どうしても眠れなかったのだ。
気づけば、見知らぬ小道に迷い込んでいた。
その奥で、黒鉄の看板がゆらりと揺れ、文字が月光に浮かび上がる。
「Midnight Café」
普段は見たこともない建物。古びたレンガ造りの二階建て。
1階の窓からは、オレンジ色の灯がこぼれていた。
――こんな時間に、カフェ?
半信半疑のまま扉を押すと、カラン、と小さな鈴の音が夜に溶けた。
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「いらっしゃませ!」
ぱっと顔を上げたのは、黒髪の少女・灯だった。十五歳ほどの小柄な体に、白いエプロンをきゅっと結んでいる。慌てて水を運び、コップを少し傾けてこぼしてしまった。
「わっ、ご、ごめんなさい!」
慌てて布巾で拭く灯を見て、美琴は思わず小さく笑った。少し心が軽くなる。
「お疲れのようですね」
カウンターの奥からマスターの声がした。白髪まじりの髪を後ろで束ね、懐中時計の指輪を光らせながら、落ち着いた手つきでポットを傾けている。
「……明日、試験なんです」
美琴はヴァイオリンを抱きしめたまま、ぽつりと打ち明けた。
「でも、先生に“音に心がない”って言われて……ずっと弾いても、自分でも冷たい音しか出せなくて……」
灯はまっすぐな目で彼女を見つめる。
「でも……美琴さんはヴァイオリン、好きなんでしょう?」
「……うん。小さい頃から、ずっと」
「なら、大丈夫。好きって気持ちは、ちゃんと音になるから」
その言葉に、美琴の肩の力がふっと抜ける。なぜか、この少女の言葉は胸の奥まで響いてきた。
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やがてマスターが、淡い光を湛えたカップを差し出した。
「どうぞ。月影のハーブティーです」
一口、口に含んだ瞬間、店内のランプがやわらかく揺れた。
窓の外の夜空が淡い銀色に光り、厚い雲の切れ間から満ちた月が姿を見せる。
「……すごい」
美琴は思わずヴァイオリンを取り出し、弓を引いた。
その音は、今までになく透きとおっていた。
まるで月光に溶け、夜の空気そのものを震わせるような響き。
灯は瞳を輝かせ、手を胸にあてて言った。
「きれい……星が、呼ばれてるみたい」
その言葉どおり、空には次々と星が瞬きはじめる。
美琴の頬を涙が伝った。自分の音に、こんなにも温かさがあったなんて――。
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「……ありがとう」
演奏を終えた美琴は、深く頭を下げた。
「私、もう少し……自分を信じてみます」
マスターは静かに頷き、言葉を添える。
「月は雲に隠れても、必ずまた輝く。君の音も、きっとそうだ」
美琴はヴァイオリンを抱え、笑顔を取り戻した顔で店を後にする。扉を開けると、夜明け前の淡い光が広がっていた。ケースは不思議と、いつもより軽い気がした。
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店内に静けさが戻る。
灯はカウンターの下から古びた楽譜を取り出し、じっと見つめた。
「……この曲、いつか私も弾けるかな」
マスターは少しだけ目を細め、穏やかに答える。
「その日が来るのを、楽しみにしているよ」
チクタク……チクタク……
壁の時計の音が、また一つ、違う時刻を刻み始めた。
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