カフェ・ミッドナイト

第15話「父の夜」

　深夜の路地を、重い足取りが近づいてきた。
　カラン……。扉の鈴がかすかに鳴る。

　入ってきたのは、コートの肩口を濡らした中年の男性だった。
　目の下には深い影が落ち、手には古びた鞄を提げている。

　「……こんばんは」
　灯（あかり）が小さく声をかけると、男はうなずき、静かにカウンターへ腰を下ろした。

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　しばらく沈黙が流れたあと、男はぽつりと呟いた。
　「……娘を、亡くしました」

　灯の胸がきゅっと締めつけられた。
　男は視線を落とし、続ける。
　「まだ幼くて……小さな声で呼んでくれた名前が、耳から離れない。
　帰り道では、いつもあの子の姿を探してしまう。もう、いないはずなのに」

　言葉は穏やかなのに、その声の底には深い哀しみが沈んでいた。

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　灯は、気がつけば指先を握りしめていた。
　胸が痛い。息が詰まる。
　そして理由も分からないまま――頬を一筋、涙が伝った。

　「……どうして、涙が」
　小さくこぼした声に、自分が一番驚いていた。

　マスターは静かに懐中時計を撫でながら、ただ見守っている。

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　「お待たせしました」
　マスターが置いたのは、淡い白い渦を描く 追憶のカフェオレ。

　男は両手でカップを包み込み、一口含んだ。
　その目がふと潤み、かすかな笑みが浮かぶ。
　「……ああ、まだ残ってる。あの子の笑顔が」

　しばらくグラスを抱いたまま、彼は静かに涙を流した。

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　やがて男は立ち上がり、深々と頭を下げる。
　「ありがとう。少し……眠れそうです」

　カラン……。扉の鈴が、夜に溶けて消えた。

　静けさが戻る。
　灯はカウンターに両手を置いたまま、目元をぬぐった。
　「……どうして、わたし……泣いてるんだろう」

　マスターは懐中時計を閉じ、淡く微笑んだ。
　「心は、覚えているものですから」

　東の空が白み始め、店内をやわらかな光が包んでいった。