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44 大切な幼なじみ 中
しおりを挟むアイリーネは戸惑ったようにルーディカを見た。
「ど……どうしてお父様が出てくるの……?」
別荘番の孫娘であるルーディカも、主であるドミナン伯のことはよく知っている。
近年、伯爵が娘たちと一緒にフォルザに滞在することはなくなったが、かつては休暇に入ると家族揃って訪れることが多かった。
「――幼いころのアイリ様は、伯爵様と仲良しでしたよね」
光景が浮かんだのか、ルーディカは目許を和ませる。
「それは楽しそうに、一緒にお馬に乗られたり、剣のお稽古をされたり……」
身体を動かすのが大好きなアイリーネを父は頻繁に外へと連れ出し、さまざまな武術を教えてくれた。
当時を思い返すと、アイリーネの胸の中には懐かしさと、それを上回る苦さが入り交じる。
「けれど……」
ルーディカは表情を曇らせた。
「末のフリアーネ様がお生まれになったあたりで、アイリ様に対する伯爵様の態度はすっかり変わってしまわれて」
父から「男のまねごとの時間はもう終わりだ」と告げられたときの衝撃が、アイリーネの胸にまた生々しく甦る。
「伯爵様は武術の指南をぱたりと止められ、アイリ様がお一人で鍛錬に励まれることにさえ、いいお顔をなさらなくなりましたよね」
ルーディカは美しい眉を顰めた。
「『淑女らしくふるまうように』とのお言いつけに従ってアイリ様がお姉さま方を精一杯真似られても、伯爵様は『全くなっていない』と手厳しく、かといって、能力を活かせる道にアイリ様が進まれても、事あるごとに『お前に騎士が務まるはずがない』とおっしゃって」
一体どうすればお心に適うというんでしょう、とルーディカは憤懣をにじませる。
「私の学業に関しては、寛いお心で温かく支援し続けてくださった大恩あるお方ですが、アイリ様に注がれる辛辣さだけは本当に理解できません」
アイリーネの心の奥底に残る古傷が、ひりひりと疼く。
「――私、偶然見てしまったことがあるんです。赤ちゃんだったフリアーネ様をお連れになって、ご一家でフォルザにいらしたときに……」
ルーディカの声音には、哀しみと憤りがこもっていた。
「大股で廊下を歩いて行かれる伯爵様を、子供用の剣を携えた小さなアイリ様が小走りで追いかけながら、『どうして、けんをおしえてくださらなくなったのですか?』と、真っ直ぐにお訊ねになって……」
「――ああ」
アイリーネの目のふちを越えて涙がひとすじ流れ出し、ルーディカはハッと息を呑んだ。
「あ……。ア……アイリ様、申し訳ありません。わ、私、こんなふうに事細かに振り返るつもりでは……」
「……ううん」
アイリーネは片手で頬を拭うと、うろたえるルーディカに向かって小さく笑ってみせた。
「私も憶えてるよ……。お父様は振り返らずに、『お前に教えても無駄だからだ』って答えたんだよね」
領地では全く相手をしてくれなくなった父だったが、息抜きに訪れた別荘ではもしかしたらとアイリーネが抱いていた淡い期待が、脆くも砕け散った瞬間だった。
「前は笑顔で『騎士になるか?』なんて言ってたお父様に、そんなふうに突き放されたときはそりゃ悲しかったけど……もう昔のことだよ」
ルーディカはアイリーネの片方の手を握り、おろおろと謝罪の言葉を繰り返した。
「ほ、本当に申し訳ありません。わ……私が考えなしで……。『フィン様は伯爵様とは違う』ということを言いたかっただけでしたのに……」
幼なじみを安心させたくて、アイリーネは努めて明るい声を出す。
「別人だっていうのは分かってるよ」
「……それなら」
少しためらった後、ルーディカは思い切ったように訊ねた。
「なぜ、フィン様のお話を聞いて差し上げないんですか?」
アイリーネは瞬きを止める。
「真意を質したら、あのフォルザでの出来事のように更に辛い思いをすることになると、どこかで思い込んでいらっしゃるのではないですか……?」
「えっ……」
「必死に背中を追いかけて『どうして』と問い掛けたりなさらなくても、フィン様はきちんとアイリ様の方を向いて、ご自分からお気持ちを伝えようとなさっていますよ」
大きく目を開けたまま、アイリーネはルーディカをじっと見た。
「大好きな人だからこそ、本心を確かめて失望したらと考えると怖くなるのはよく解ります。揺るがないと思っていたことが裏切られたらと想像するだけで竦みますよね」
ルーディカは真剣なまなざしで続ける。
「私も同じような心境になって逃げ回ったことがありましたが、やっぱり、大好きなら、解り合いたいなら、どういう結果になろうとも、まずは向き合うしかないと思うんです」
室内が沈黙に包まれる。アイリーネの視界に映るルーディカの姿が、じわじわと滲み出した。
「アイリ様……」
心配そうに名前を呼ばれ、再びこぼれ落ちそうになった涙を指で押さえると、アイリーネは視線を落とした。
「……私、自分がもっと傷つくことばかり恐れてたけど、聞く耳を持たずに撥ねつけられたフィンだって、傷ついたよね……」
深く息を吐いて呼吸を整えたアイリーネは、再びルーディカを見る。
「……ルーディカ、ありがとう」
目は赤いままだったが、今度の微笑みは空元気ではなかった。
「今日はもう遅いから、明日フィンと話してみるね。……先走って決めつけたりしないで、フィンが思ってることを本人の口からちゃんと聞くよ」
「アイリ様……」
「また意見が合わなかったり、喧嘩しちゃったりするかも知れないけど……」
それでも、背中を向けるようなことはもう止めようとアイリーネは思った。解り合いたいという気持ちがある限り、フィンがそうしてくれたように、自分も向き合っていくのだ。怖くても。
「おふたりなら、きっと大丈夫だと思います」
安請け合いじゃありませんよ、とルーディカはずいぶん自信ありげに言った。
「フィン様は、騎士としてのアイリ様のことも高く認めていらっしゃるんですから!」
やけにきっぱりとした物言いにアイリーネが不思議そうな顔をすると、ルーディカは昨日のことを語り始めた。
「出生の秘密を陛下から知らされたとき、私は仰天して取り乱すばかりだったのですが、フィン様は比較的すんなりと事実を受け止められたようで、泰然としたご様子でした」
アイリーネには何となくその場面が想像できた。
「陛下から今後の意向を問われても、考えが全くまとまらない私に対して、フィン様のお答えは明快でした。私が王位を継ぐのなら今までと変わらず騎士を続けていきたいし、私が辞退するというのなら王位を継いでもいい。――ただし、ひとつだけ譲れない条件がおありになると」
「条件?」
笑みを浮かべてルーディカは頷く。
「どちらの道に進むにしても、自分が決めた相手との結婚は必ず許していただきたい、というのがフィン様の条件でした」
「え……」
「すでに隠密から情報を得ていらしたという陛下から『その相手とは、先ほど隣にいたアイリーネ・グラーニか』と問われると、フィン様は『はい』と即答されて」
アイリーネは頬が熱くなってくるのを感じた。
「陛下は安堵されたように『それなら何の申し分もない』とおっしゃったのですが、陛下に招ばれて同席されていたモードラッド伯爵と一番上のお兄様は、寝耳に水といったご様子で、それはもう驚かれて。求婚はまだだけど今すぐにでも申し込むつもりだとフィン様から告げられると、さらに慌てられて」
王宮の歩廊で会ったときに、フィンの長兄が「その方なんだね!?」と声を弾ませていたのをアイリーネは思い出す。
「どんな女性なのかとお兄様がお訊ねになると、フィン様は少し照れくさそうに、アイリ様の素晴らしいところをいくつも挙げられました。ひたむきで、勇敢で、優しくて、美し……」
「く、詳しく再現してくれなくていいから!」
面映ゆさに居たたまれなくなったアイリーネが遮ると、ルーディカは「じゃあ、ひとつだけ」と優しくことわって続けた。
「フィン様は、アイリ様のことを『騎士としても、すごく尊敬してる』と、はっきりおっしゃっていました」
薄く開けたアイリーネの口からは何の言葉も出てこなかったが、晴れ間が広がるように煙水晶の瞳が明るく澄んでいくのを、ルーディカは嬉しそうに眺めた。
「アイリ様が一心に打ち込んでこられたことを、フィン様が軽んじておられるはずがありません。何の憂いもなく、お話し合いをなさってください」
◇ ◇ ◇
「お前……〝漆黒のハヤブサ〟に、そんなことを……?」
キールトが呆れ声を上げると、フィンは深いため息をついた。
「俺は自分の希望を口にしただけで、何が何でも騎士を辞めろなんて無理強いしたつもりはなかったんですけど……。その後はもうあんな調子で、全く話し合いの余地がなくなって」
キールトは少し責めるような口調で言った。
「並の男性隊員よりさらに優れた者しか残らない女性隊員の中でも、アイリが特に抜きん出てるのは、お前だって知ってるだろ?」
国境を護る北の要衝エルトウィンで、アイリーネが異例の速さで出世していったのは、確かな実績があってのことだ。
異名が付けられるきっかけとなった入隊前の活躍を別にしても、幾度となく起きている隣国との小競り合いでは味方の窮地を何度も救ってきたし、武術大会でも様々な部門で精鋭たちを倒して優勝している。
「アイリがどれほど騎士道に全力を注いで、誇りをもって任務に当たってきたか」
「お、俺だって、あいつが寸暇も惜しんで鍛錬を積んで、誰よりも努力してきたのは知ってるつもりです」
でも、とフィンは続けた。
「レクリン男爵夫人から、『自分には騎士の道しかない』とリーネが思い込んでるって聞いて……」
「オディから?」
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