1 / 5
EP01
しおりを挟む
この世界における21XX年、3月15日。
突如起きた天変地異により、人類はその人口の半数を失うことになる。生き残った者たちは、癒しと支えを求めて機械を生み出し、共に生きる道を選んだ。
ー※ー
独りの老いた男性がベッドに横たわっていた。
髪は白く、顔には幾つもの皺が刻まれている。彼の閉じられた瞳は、現実よりも過去の遠い記憶を映し出しているのかもしれない。そんな彼に、呼びかける声があった。
何度も何度も、その声は彼の名を呼び続ける。
『……トミオさん』
何度目かで名前を呼ばれた彼――トミオが、その声に反応するかのようにピクリと目元を動かす。
うっすらとわずかに目を開け、とても明るい空間だ、と思った。
ぼんやりとした視界の中で、穏やかな光が辺りを包み込むように広がる。
(ここは……あの世、か?)
『トミオさん』
先ほどから自分を呼ぶのは誰だろう?
朧げな意識の中で聞こえるその声を、その声の主を、トミオは思い出そうとする。
馴染みのある言語。聞きなれた発音と口調。この世で誰より大切にしたいと望んでいた人の声。
(ああそうだ、この声は、彼女だ……)
トミオは安堵感を抱きつつも、まだ微睡みを手放すことができない。
また瞼が閉じられる。
「トミオさん……!」
また自分を呼ぶ声がする。しかしその声は少しだけ変わっていた。
温かみのない、機械音のように冷たい音。
声の主は、妙に高揚したテンションでトミオを呼び続ける。
そこには応えてくれるまで諦めないという強い意志や一生懸命さがあった。
(……リエ?)
トミオは昔から朝が苦手だった。
そんないつも呆れ顔で起こしてくれていたのがリエだ。
彼女は何年経ってもなかなか起きないトミオに対し、何が何でも起こすと必死になる。
(……もう少しだけ、このままで居させて欲しいな)
もしもリエが傍にいて起こしてくれているのなら。もう少しだけ傍にいて欲しい。
トミオはそう考え、寝たフリをする。
起こそうと必死なリエに根負けするまで、トミオはこのイタズラを続けたことがあった。
リエはそれがわかるとムスッと拗ねる。
トミオが“ありがとう”と告げると、「まったく、しょうがないんだから!」とそっぽを向く。
そんなかわいいひと。
「……トミーちゃん!」
声の主は少し間を置いてから、何かを思いついたように変化球を投げる。
それはトミオにとって、想定外のアクション。
(トミーちゃん!? ……トミーって、誰だ?)
トミオの眉間に皺が寄る。
そして声の主はこの反応を見逃さない。
「トミーちゃん、朝!……今すぐ起きる!」
それは勝利を確信した朝の挨拶だった。
トミオの動揺した反応が嬉しかったのだろう。声の語尾は少し上がっていた。
(さてはリエのやつ、俺の反応を楽しんでいるな?)
『違うぞ、俺はトミーではなくトミオだ。やり直しを要求する!』
トミオはリエの勝ち誇った顔を確認しようと、勢いよく目を開いた。
ー※ー
トミオの目が捉えたものは、見慣れた寝室の天井だった。
少し開いた窓から流れ込んでくる生ぬるい風。
今日は夏の熱気が少しだけ穏やかなのかもしれない。
深い皺を刻んだ左手は、小刻みに震えながら宙を彷徨っていた。
(夢……!?)
「トミオさん、やっと起きた! おはようございます」
抑揚のない単調な声。
穏やかで、静か。人の声を模倣した機械のような声を、トミオは知っている。
「おはよう、サツキ」
左側を向く。
ベッドサイドに立つのは、大きな洗濯カゴを抱えた人形――、サツキだ。
白い特殊塗料で着色された軽量合成金属製のスリムボディに、藍染めのエプロンを着用している。
「今日はイイ太陽! キレイな一日の始まり!」
「良い太陽なら洗濯もはかどりそうだね」
「ハイ。だから今日は洗濯沢山する。だから、トミオさん起きる、着替える、いつもの測定する!」
頭部中央に直径4センチほどの黒く丸い、二つ並んだカメラが目のようにも見える。
鼻はないが、おちょぼ口のような小さな横に広がる楕円形の穴がある。
サツキはアゼレウス社の家庭用ドールだ。
ボディの核にはアゼロン・カンパニーと呼ばれる企業が開発した特殊なAIが搭載されている。
サツキのカメラアイが、トミオから開いた窓に向けられる。
少し強くなった風が、藍染のエプロンの裾を揺らしていた。
サツキの冷たい手の上に、トミオが右掌を乗せることで始められる毎朝の測定。
これはトミオの主治医の指導による健康チェックだ。
サツキは、ユーザーの主治医から要請があった場合、体温、脈拍、血圧、心拍数などの健康測定を行う。
この測定データは、測定終了と共にトミオの携帯端末に送信、データとして保存される。
こうしてデータとして保存することは治療の一環なのだ。
「完了……。トミオさん、いい夢、見られた?」
完了を合図に、無言のままトミオがサツキから手を離す。
首をかしげ、トミオを二つの黒いカメラの目が見つめる。
「良い夢か……」
トミオはサツキの言葉に少し、思案する。
夢を見たのか見なかったのか。大事なことは夢の内容ではなく、目覚めが良かったかどうか。
「……わからない。ただ、サツキのおかげで目覚めは良かったよ」
穏やかな表情でサラッと告げる。
“サツキのおかげ“という点は意図的に強調して。
「ヤッター! これで今日も一日ずっと幸福!」
トミオの言葉にサツキはカメラアイをピンク色に、4回点滅させる。
子供のように素直な反応だ。トミオは苦笑しながらも、悪い気はしなかった。
穏やかな微笑みの奥で、サツキをリエと勘違いしてしまったことに罪悪感を覚える。
無駄のない動きで仕事をこなす姿をしばらく無言で見守る。
愛用の杖を頼りに、トミオはゆっくりと寝室を後にした。
突如起きた天変地異により、人類はその人口の半数を失うことになる。生き残った者たちは、癒しと支えを求めて機械を生み出し、共に生きる道を選んだ。
ー※ー
独りの老いた男性がベッドに横たわっていた。
髪は白く、顔には幾つもの皺が刻まれている。彼の閉じられた瞳は、現実よりも過去の遠い記憶を映し出しているのかもしれない。そんな彼に、呼びかける声があった。
何度も何度も、その声は彼の名を呼び続ける。
『……トミオさん』
何度目かで名前を呼ばれた彼――トミオが、その声に反応するかのようにピクリと目元を動かす。
うっすらとわずかに目を開け、とても明るい空間だ、と思った。
ぼんやりとした視界の中で、穏やかな光が辺りを包み込むように広がる。
(ここは……あの世、か?)
『トミオさん』
先ほどから自分を呼ぶのは誰だろう?
朧げな意識の中で聞こえるその声を、その声の主を、トミオは思い出そうとする。
馴染みのある言語。聞きなれた発音と口調。この世で誰より大切にしたいと望んでいた人の声。
(ああそうだ、この声は、彼女だ……)
トミオは安堵感を抱きつつも、まだ微睡みを手放すことができない。
また瞼が閉じられる。
「トミオさん……!」
また自分を呼ぶ声がする。しかしその声は少しだけ変わっていた。
温かみのない、機械音のように冷たい音。
声の主は、妙に高揚したテンションでトミオを呼び続ける。
そこには応えてくれるまで諦めないという強い意志や一生懸命さがあった。
(……リエ?)
トミオは昔から朝が苦手だった。
そんないつも呆れ顔で起こしてくれていたのがリエだ。
彼女は何年経ってもなかなか起きないトミオに対し、何が何でも起こすと必死になる。
(……もう少しだけ、このままで居させて欲しいな)
もしもリエが傍にいて起こしてくれているのなら。もう少しだけ傍にいて欲しい。
トミオはそう考え、寝たフリをする。
起こそうと必死なリエに根負けするまで、トミオはこのイタズラを続けたことがあった。
リエはそれがわかるとムスッと拗ねる。
トミオが“ありがとう”と告げると、「まったく、しょうがないんだから!」とそっぽを向く。
そんなかわいいひと。
「……トミーちゃん!」
声の主は少し間を置いてから、何かを思いついたように変化球を投げる。
それはトミオにとって、想定外のアクション。
(トミーちゃん!? ……トミーって、誰だ?)
トミオの眉間に皺が寄る。
そして声の主はこの反応を見逃さない。
「トミーちゃん、朝!……今すぐ起きる!」
それは勝利を確信した朝の挨拶だった。
トミオの動揺した反応が嬉しかったのだろう。声の語尾は少し上がっていた。
(さてはリエのやつ、俺の反応を楽しんでいるな?)
『違うぞ、俺はトミーではなくトミオだ。やり直しを要求する!』
トミオはリエの勝ち誇った顔を確認しようと、勢いよく目を開いた。
ー※ー
トミオの目が捉えたものは、見慣れた寝室の天井だった。
少し開いた窓から流れ込んでくる生ぬるい風。
今日は夏の熱気が少しだけ穏やかなのかもしれない。
深い皺を刻んだ左手は、小刻みに震えながら宙を彷徨っていた。
(夢……!?)
「トミオさん、やっと起きた! おはようございます」
抑揚のない単調な声。
穏やかで、静か。人の声を模倣した機械のような声を、トミオは知っている。
「おはよう、サツキ」
左側を向く。
ベッドサイドに立つのは、大きな洗濯カゴを抱えた人形――、サツキだ。
白い特殊塗料で着色された軽量合成金属製のスリムボディに、藍染めのエプロンを着用している。
「今日はイイ太陽! キレイな一日の始まり!」
「良い太陽なら洗濯もはかどりそうだね」
「ハイ。だから今日は洗濯沢山する。だから、トミオさん起きる、着替える、いつもの測定する!」
頭部中央に直径4センチほどの黒く丸い、二つ並んだカメラが目のようにも見える。
鼻はないが、おちょぼ口のような小さな横に広がる楕円形の穴がある。
サツキはアゼレウス社の家庭用ドールだ。
ボディの核にはアゼロン・カンパニーと呼ばれる企業が開発した特殊なAIが搭載されている。
サツキのカメラアイが、トミオから開いた窓に向けられる。
少し強くなった風が、藍染のエプロンの裾を揺らしていた。
サツキの冷たい手の上に、トミオが右掌を乗せることで始められる毎朝の測定。
これはトミオの主治医の指導による健康チェックだ。
サツキは、ユーザーの主治医から要請があった場合、体温、脈拍、血圧、心拍数などの健康測定を行う。
この測定データは、測定終了と共にトミオの携帯端末に送信、データとして保存される。
こうしてデータとして保存することは治療の一環なのだ。
「完了……。トミオさん、いい夢、見られた?」
完了を合図に、無言のままトミオがサツキから手を離す。
首をかしげ、トミオを二つの黒いカメラの目が見つめる。
「良い夢か……」
トミオはサツキの言葉に少し、思案する。
夢を見たのか見なかったのか。大事なことは夢の内容ではなく、目覚めが良かったかどうか。
「……わからない。ただ、サツキのおかげで目覚めは良かったよ」
穏やかな表情でサラッと告げる。
“サツキのおかげ“という点は意図的に強調して。
「ヤッター! これで今日も一日ずっと幸福!」
トミオの言葉にサツキはカメラアイをピンク色に、4回点滅させる。
子供のように素直な反応だ。トミオは苦笑しながらも、悪い気はしなかった。
穏やかな微笑みの奥で、サツキをリエと勘違いしてしまったことに罪悪感を覚える。
無駄のない動きで仕事をこなす姿をしばらく無言で見守る。
愛用の杖を頼りに、トミオはゆっくりと寝室を後にした。
0
あなたにおすすめの小説
妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
あんなにわかりやすく魅了にかかってる人初めて見た
しがついつか
恋愛
ミクシー・ラヴィ―が学園に入学してからたった一か月で、彼女の周囲には常に男子生徒が侍るようになっていた。
学年問わず、多くの男子生徒が彼女の虜となっていた。
彼女の周りを男子生徒が侍ることも、女子生徒達が冷ややかな目で遠巻きに見ていることも、最近では日常の風景となっていた。
そんな中、ナンシーの恋人であるレオナルドが、2か月の短期留学を終えて帰ってきた。
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
【完結】愛されないと知った時、私は
yanako
恋愛
私は聞いてしまった。
彼の本心を。
私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。
父が私の結婚相手を見つけてきた。
隣の領地の次男の彼。
幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。
そう、思っていたのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる