俺の彼女と私の彼

由耀

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EP01

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  この世界における21XX年、3月15日。
 突如起きた天変地異により、人類はその人口の半数を失うことになる。生き残った者たちは、癒しと支えを求めてを生み出し、共に生きる道を選んだ。

 ー※ー

 独りの老いた男性がベッドに横たわっていた。
 髪は白く、顔には幾つもの皺が刻まれている。彼の閉じられた瞳は、現実よりも過去の遠い記憶を映し出しているのかもしれない。そんな彼に、呼びかける声があった。
 何度も何度も、その声は彼の名を呼び続ける。

『……トミオさん』

 何度目かで名前を呼ばれた彼――トミオが、その声に反応するかのようにピクリと目元を動かす。
 うっすらとわずかに目を開け、とても明るい空間だ、と思った。
 ぼんやりとした視界の中で、穏やかな光が辺りを包み込むように広がる。

(ここは……あの世、か?)

『トミオさん』 

 先ほどから自分を呼ぶのは誰だろう?
 朧げな意識の中で聞こえるその声を、その声の主を、トミオは思い出そうとする。
 馴染みのある言語。聞きなれた発音と口調。この世で誰より大切にしたいと望んでいた人の声。

(ああそうだ、この声は、彼女だ……)

 トミオは安堵感を抱きつつも、まだ微睡みを手放すことができない。
 また瞼が閉じられる。

「トミオさん……!」

 また自分を呼ぶ声がする。しかしその声は少しだけ変わっていた。
 温かみのない、機械音のように冷たい音。
 声の主は、妙に高揚したテンションでトミオを呼び続ける。
 そこには応えてくれるまで諦めないという強い意志や一生懸命さがあった。
 
(……リエ?)

 トミオは昔から朝が苦手だった。
 そんないつも呆れ顔で起こしてくれていたのがリエだ。
 彼女は何年経ってもなかなか起きないトミオに対し、何が何でも起こすと必死になる。

(……もう少しだけ、このままで居させて欲しいな)

 もしもリエが傍にいて起こしてくれているのなら。もう少しだけ傍にいて欲しい。
 トミオはそう考え、寝たフリをする。
 起こそうと必死なリエに根負けするまで、トミオはこのイタズラを続けたことがあった。
 リエはそれがわかるとムスッと拗ねる。
 トミオが“ありがとう”と告げると、「まったく、しょうがないんだから!」とそっぽを向く。
 そんなかわいいひと。

「……トミーちゃん!」

 声の主は少し間を置いてから、何かを思いついたように変化球を投げる。
 それはトミオにとって、想定外のアクション。

(トミーちゃん!? ……トミーって、誰だ?)

 トミオの眉間に皺が寄る。
 そして声の主はこの反応を見逃さない。

「トミーちゃん、朝!……今すぐ起きる!」

 それは勝利を確信した朝の挨拶だった。
 トミオの動揺した反応が嬉しかったのだろう。声の語尾は少し上がっていた。

(さてはリエのやつ、俺の反応を楽しんでいるな?)

『違うぞ、俺はトミーではなくトミオだ。やり直しを要求する!』

 トミオはリエの勝ち誇った顔を確認しようと、勢いよく目を開いた。

 ー※ー

 トミオの目が捉えたものは、見慣れた寝室の天井だった。
 少し開いた窓から流れ込んでくる生ぬるい風。
 今日は夏の熱気が少しだけ穏やかなのかもしれない。
 深い皺を刻んだ左手は、小刻みに震えながら宙を彷徨っていた。
 
(夢……!?)

「トミオさん、やっと起きた! おはようございます」

 抑揚のない単調な声。
 穏やかで、静か。人の声を模倣した機械のような声を、トミオは知っている。

「おはよう、サツキ」

 左側を向く。
 ベッドサイドに立つのは、大きな洗濯カゴを抱えた――、サツキだ。
 白い特殊塗料で着色された軽量合成金属製のスリムボディに、藍染めのエプロンを着用している。

「今日はイイ太陽! キレイな一日の始まり!」
「良い太陽なら洗濯もはかどりそうだね」 
「ハイ。だから今日は洗濯沢山する。だから、トミオさん起きる、着替える、いつもの測定する!」

 頭部中央に直径4センチほどの黒く丸い、二つ並んだカメラが目のようにも見える。
 鼻はないが、おちょぼ口のような小さな横に広がる楕円形の穴がある。
 サツキはアゼレウス社の家庭用ドールだ。
 ボディの核にはアゼロン・カンパニーと呼ばれる企業が開発した特殊なAIが搭載されている。
 
 サツキのカメラアイが、トミオから開いた窓に向けられる。
 少し強くなった風が、藍染のエプロンの裾を揺らしていた。

 サツキの冷たい手の上に、トミオが右掌を乗せることで始められる毎朝の測定。
 これはトミオの主治医の指導による健康チェックだ。
 サツキは、ユーザーの主治医から要請があった場合、体温、脈拍、血圧、心拍数などの健康測定を行う。
 この測定データは、測定終了と共にトミオの携帯端末に送信、データとして保存される。
 こうしてデータとして保存することは治療の一環なのだ。
 
「完了……。トミオさん、いい夢、見られた?」
 
 完了を合図に、無言のままトミオがサツキから手を離す。
 首をかしげ、トミオを二つの黒いカメラの目が見つめる。
 
「良い夢か……」

 トミオはサツキの言葉に少し、思案する。
 夢を見たのか見なかったのか。大事なことは夢の内容ではなく、目覚めが良かったかどうか。
 
「……わからない。ただ、サツキのおかげで目覚めは良かったよ」
 
 穏やかな表情でサラッと告げる。
 “サツキのおかげ“という点は意図的に強調して。
 
「ヤッター! これで今日も一日ずっと幸福!」
 
 トミオの言葉にサツキはカメラアイをピンク色に、4回点滅させる。
 子供のように素直な反応だ。トミオは苦笑しながらも、悪い気はしなかった。
 穏やかな微笑みの奥で、サツキをリエと勘違いしてしまったことに罪悪感を覚える。
 無駄のない動きで仕事をこなす姿をしばらく無言で見守る。
 愛用の杖を頼りに、トミオはゆっくりと寝室を後にした。
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