俺の彼女と私の彼

由耀

文字の大きさ
2 / 5

EP02

しおりを挟む
 この世界では、生活の殆どのモノの情報はデータで管理されている。
 例えば今。
 サツキは天候や気温データをもとに、トミオの衣装をクローゼットから検索する。
 夏とはいえ半袖だけでは肌寒いと考えたのか、薄手のカーディガンも選択したようだ。
 そして必要があればトミオの着替えを手伝うこともある。
 
「トミオさん、本日の予定ーー」

 ダイニングテーブルでゆっくりと食事を行うトミオに、サツキが声を掛ける。
 今食べている食事はサツキによってカロリー計算されたものだ。
 これも主治医の指示によってサツキが用意している。
 量は少なめだが、満足感が得られるように丁寧に作られている。

「今日は病院に行く日だったね」
「そう、お迎えのバスは9時に来る。病院の後、帰りに何かお土産を持ってくる!」
「うん? 9時に病院へ向かうバスだな。わかったよ」
 
 予定を告げる中で、サツキがジョークを付け加えるのは初めてのことだ。
 サツキと暮らして10年。こんな事は今日が初めてのことだ。

(たまには良いかもな)

 不思議に思ったものの、トミオは特に気にしなかった。
 ただ少しだけサツキを驚かせてやりたくなった。
 
「……それ、エラー。」
 
 トミオが無関心を装ったためか、サツキはカメラアイを数回光らせ背中を向けた。
 食器を洗浄ボックスに並べている。
 その背中が少し寂しそうに思えて、トミオは背を向けるサツキに向けて呟いた。
 
「お土産は何か考えておくよ」
 
 水音よりも小さな声で告げる。
 彼女のことだ、この状態でも聞こえているだろう。
 ここにサツキが来てくれた日から、人間らしい生活を取り戻すことができた。
 そのことに日々感謝しているし、どんなことでも一生懸命なサツキを喜ばせたかった。

(とは言え、何が良いんだろうか……)

 リエならこういう時、お気に入りの店のマロングラッセを喜ぶだろう。
 サツキは、台所でお茶を淹れていた。
 適度な温度と適度な量。
 差し出された緑色のお茶を受け取る。
 しかし小さな茶柱が立っていたことにトミオは気付かなかった。

 ー*ー
 
 杖を使って歩き、リビングのソファーに座る。
 これから行うのは毎朝の儀式。慣れた手つきで薬剤の注射を行う。
 その後はニュースの確認だ。
 25センチほどのスティック端末は、リビングテーブルの引き出しの中にある。
 取り出して空中に画面を表示させれば、数多くのニュースが次々に映し出された。
 この世界の一部の地域で起こっている宗教紛争。
 謎の暴走車によって引き起こされる事故。
 子供に発症する謎の奇病の状況。
 と、思わずため息が出るような暗いニュースばかりだ。
 何か明るい話題を求めて検索をかける。
 男性アイドルユニット“RARUTO”の新曲が大絶賛されていること。
 アゼロン社と提携を結ぶアゼレウス社が、動物型AIドールの販売を発表したこと。
 ある海域の島の地下から古代遺跡が発掘されたこと。
 暗いニュースの中で、こうした話題は少しだけ心を和ませる。

(そういえば、ユイの誕生日が近いな) 

 誕生日が来れば、孫のユイはもう成人に達する。時の流れは速いものだ。
 ユイもAIドールを欲しがっていたから、話題のAIドールを贈るのもいいかもしれない。
 そんなことを考えながらトミオが時計を見ると、時刻は8時。
 業務連絡をさっと確認し、後のことは帰宅後にしようとすべての画面を閉じた時だった。
 
「トミオさん宛てに急ぎの通信が来てる」
「おや、誰からだろう。サツキ、繋いでくれるかい?」 
「ハイ。転送します……」

 端末に転送されるメッセージ。送信者はユイだ。
 トミオが首を傾げながらリンクを開くと、画面に目が赤いユイが映し出される。
 
『おはよう……。こんな朝早くに連絡してごめんね』
「おはよう。気にせずとも大丈夫だよ、何かあったかい?」
『実は……これ……』
 ユイがボロボロになった携帯端末を取り出す。
 端末裏の蓋が開いており、萎んだ白いバルーンが垂れ下がっている。
 それが何を意味するのか、トミオは誰よりもよく知っていた。

「何があった? 怪我はないのか?」
『うん。怪我はしてないよ。昨日事故に遭って……。マシューが……』 
 
 ユイの携帯端末は、アゼレウス社製の最新式の端末だ。
 内部にはアゼロン社製のサポートAIが搭載されている。
 “マシュー“というのは、ユイの携帯端末を管理するこのAIの名前だ。
 緊急用のエアバックをAIが発動させるだけの何かがユイに起き――
 携帯端末の画面には、激しい衝撃を受けヒビが入っている。
 どこか高い場所から落としたか、何かの下敷きにでもなったか。
 どちらにせよ強い衝撃を受けた。おそらく主のユイの代わりに、だ。
 ユイの目から溢れた一滴が、無惨な姿の携帯端末にポトリと落ちる。

『おじいちゃん、マシューを助けて!』
「犠牲になった端末は直接見てみないとなんとも……。何が起きたのか話してくれないか?」
『……うん』 

 ユイが泣きながら語った状況をまとめると。
 食材の買い物に出かけた帰り道、ユイは、信号無視の車に轢かれそうになったのだという。
 回避しようとしたものの、迫りくる暴走車に間に合わなかった。
 マシューは主を護るため、緊急用のエアバッグを出してユイを庇い轢かれたという。
 
「そうか……。元通りに出来るかどうかはわからないが、手を尽くすよ。それにしても怖かっただろう……本当に大丈夫なのか?」
 
 幼い頃、ユイは大切な家族を目の前で失っている。
 トミオの妻、リエはテロリストの無差別攻撃に巻き込まれ、ユイを庇って犠牲になった。
 治安部隊が動き、テロリストは鎮圧されて逮捕、法の裁きを受けて主導者は極刑。
 この凶悪事件は、被害者やその家族に心身共に大きな傷を負わせたまま忘れ去られた。
 
『うん。怖くなかったと言えば嘘になるけど、おばあちゃんとマシューが守ってくれたって思ってる。私だって少しは強くなったんだよ。昔みたいにはならないから……安心して』
 
 目の前でリエを失ったユイは、精神的な大ダメージを受けた。
 トミオ自身もリエを失い、絶望の淵にいたとき、
 友人たちがサツキを連れてやってきた。
 トミオとユイがリエを失った悲しみを乗り越えることができたのは、サツキのおかげだ。
 
「……それなら良いが。くれぐれも無理だけはしないように」
『うん、ありがとう』
 
 ユイの言葉に強くなったな、とトミオは感じる。
 孫の成長を嬉しく感じつつも、同時に襲ってきた暴走車に怒りがこみ上げる。
 ニュースに上がるくらいだから、謎の暴走車は意図的に人間を襲っているのだろう。
 トミオは少し俯き、右手に力を込めて握りしめる。
 
「そろそろ授業が始まるだろう。 その携帯端末は学校の指定便で送ってくれないか?」
『うん、今日の夕方にはおじいちゃんの家に届くようにするね』
 
 トミオが返事をすると、大きく頷き、ユイは微笑みながら手を振る。
 通信はそこで終了し、空調の機械音だけがリビングに響く。
 サツキを探すと、ベランダで洗濯物を干している。
 洗い立ての白いベッドシーツが太陽光を受けながら風になびく。
 無駄なものが一切ない、シンプルで整頓された広々としたリビングを見つめた。
 スタイリッシュな小物が数個アクセントとして置かれ、掃除が行き届いた清潔な空間。
 リエが居ない空間は、トミオには色あせて見えるだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

あんなにわかりやすく魅了にかかってる人初めて見た

しがついつか
恋愛
ミクシー・ラヴィ―が学園に入学してからたった一か月で、彼女の周囲には常に男子生徒が侍るようになっていた。 学年問わず、多くの男子生徒が彼女の虜となっていた。 彼女の周りを男子生徒が侍ることも、女子生徒達が冷ややかな目で遠巻きに見ていることも、最近では日常の風景となっていた。 そんな中、ナンシーの恋人であるレオナルドが、2か月の短期留学を終えて帰ってきた。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

処理中です...