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EP03
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トミオがまた時計を確認した時、時計の短針は「9」を指していた。
(そろそろ病院へ向かわなければならない)
主治医から何を言われるのかなんておおよそ予測がついている。
自分の病気は母の病気と同じだ。症状も末路もその経緯は知っている。
(ユイの携帯端末の修理が、俺の最後の大仕事になるかもしれない)
家族のために残せる何かがあるのなら、自分はそれでいいと思う。
ソファーに座り、電源を落とした端末を片付ける。
「トミオさん。エントランスに病院のバスが到着した!」
サツキが手に持つのは、トミオが病院を訪れる時に持ち歩く小さなショルダーバッグ。
栗色に染めた山羊の革で作られたそのバッグは、ユイから誕生日に贈られたものだ。
柔らかい手触りは当時のまま今も保たれている。
「わかったよ。ありがとう」
サツキのカメラアイが光る。
トミオはゆっくりと立ち上がり、ショルダーバッグを受け取り玄関に向かった。
「いってらっしゃい!」
「行ってきます」
玄関先でサツキに見送られ、エレベーターに乗り込む。
閉じていくエレベーターのドアの隙間から、サツキが静かに手を振る様子が見えた。
ー※ー
トミオが暮らすマンションのエントランスに、一台の黄色いバスが停まっている。
携帯端末をかざすと、バスの扉が開く。
乗り込んだトミオが着座するタイミングを待って、バスはゆっくりと稼働を始める。
運転手は存在せず、バスの運転はバスに搭載されたAIが行っているのだ。
バスの画面に病院までの経路図と道中の各停留所、病院への到着予定時刻、現在の混雑状況が表示される。
わかりやすい大きな文字で見やすい。
このマンションからだと30分程度の到着予定で、現在は少し混み始めた、といったところ。
緩やかなカーブに沿って走るバスの窓から大きなマンションが見えた。
シニア向けに建てられたマンションは、今も新棟が次々と建てられ、そのほとんどが埋まっているそうだ。
座る座席の窓からは、澄んだ青空が見える。
サツキが「イイ太陽」と表現するとき、それはトミオにとって過ごしやすい天候を意味していた。
(こうした天気をリエは好んでいたし、良い太陽と言っていた……)
仕事柄、日中外に出ることはあまりない。
天候なんて衣服を決める時に少し確認するくらいのものだと思っていた。
(どうでもいいなんて言ったら、サツキとリエに怒られるな……)
ピコンと音が鳴り、バスは何回目かの停車を行う。
停まる度、バスは病院へ向かう患者を乗せて走る。
ゆっくりと傾斜の穏やかな坂を下り、カラフルな車とすれ違いながらも次の目的地を目指す。
止まったのは、ユイがかつて通っていた小学校の前。
開いた出入り口から数人の患者が乗り込み、座席に着く。
シートのサイドにはボタンが付いており、慣れた手つきで保護ベルトを装着する。
そしてまたバスは動き出す。
換気のために自動で窓が少し開くと、空を飛ぶ海鳥の甲高い鳴き声が聞こえる。
海沿いを走り、バスはまた坂を上がる。
その後二カ所ほど停車して患者を乗せた後、病院のエントランスに到着した。
ー※ー
病院のエントランスでは、揃いの白いポロシャツを着た学生が待っていた。
彼らはサポーターと呼ばれる学生達だ。
この病院には付属の医療学校がある。
その学校に所属する彼らはサポートが必要な患者をサポートするのだ。
患者は彼らのサポートを匿名で評価するが、この評価が高い学生は学生生活で優遇される。
『最初はね、優遇狙いでサポーターを始めるの。でも次第に、将来への学びが多いことに気が付くのよ』
だから遠慮しないで、困ったことがあったらサポーターに頼っていいという。
それが学生のためでもあるからだと、リエは言っていた。
「こんにちは、何かお手伝いさせていただくことはありませんか?」
杖をついて歩くトミオにも学生のサポーターが付く。
彼の左胸には『トオル・ルオ・タケシバ』と書かれたネームプレート。
トミオは穏やかな笑みで、断りの言葉を伝えた。
「ありがとう、タケシバさん。僕はリハビリをしたいので、他の方をサポートしてあげてください」
「わかりました! どうか足元にお気をつけて、お大事にされてください」
彼はトミオに一礼すると、違うバスから降りた患者に声を掛ける。
その様子を応援の意味を込めて眺め、トミオは杖をついてまた歩き始める。
自動ドアをくぐり、並ぶ10台ほどの自動受付機に携帯端末をかざす。
携帯端末を管理しているAIが、あとは診察の手続きは完了させてくれる。
(おっと、忘れないうちに評価しておかないと)
受付機の画面に「サポーター利用ボタン」が現れ、押す。
本日の担当サポーター一覧から、彼の名前を選ぶ。
名前を選んだあとは、「拍手」ボタンと「涙」ボタンがある。
トミオは迷わず「拍手」ボタンを選ぶ。
『サポーターの評価をありがとうございます!』という一文が表示された。
少し離れた場所で、車椅子をゆっくりと押しながら、サポーターの女子学生が受付機に患者を案内していた。
優しい笑顔で患者に接する女子学生の姿に、学生時代のリエの姿を想像する。
画面を終了させて、トミオは受付機を離れる。
携帯端末のAIが診療室までの経路、診療時刻、診療受付番号を知らせる。
「診療受付番号は63番です。経路の案内が必要でしたら教えてください」
トミオは再来のため診察室までの経路は把握している。正面に見える、ガラス張りの窓の向こうの広い中庭を見つめた。中庭には陽光が降り注ぎ、大きな噴水を中心に、たくさんの植物が植えられ随所にベンチが置かれている。
――リエと出会った中庭だ。
この場所からリエとの時間が始まったのだ。
あの日の白衣姿のリエの姿は、今でもトミオの脳裏に鮮明に残っている。
思い出の中庭で当時を振り返りたくなったが、今は他にしなければならないことがある。
トミオは杖をつき、目指す場所へ再び歩き始めた。
(そろそろ病院へ向かわなければならない)
主治医から何を言われるのかなんておおよそ予測がついている。
自分の病気は母の病気と同じだ。症状も末路もその経緯は知っている。
(ユイの携帯端末の修理が、俺の最後の大仕事になるかもしれない)
家族のために残せる何かがあるのなら、自分はそれでいいと思う。
ソファーに座り、電源を落とした端末を片付ける。
「トミオさん。エントランスに病院のバスが到着した!」
サツキが手に持つのは、トミオが病院を訪れる時に持ち歩く小さなショルダーバッグ。
栗色に染めた山羊の革で作られたそのバッグは、ユイから誕生日に贈られたものだ。
柔らかい手触りは当時のまま今も保たれている。
「わかったよ。ありがとう」
サツキのカメラアイが光る。
トミオはゆっくりと立ち上がり、ショルダーバッグを受け取り玄関に向かった。
「いってらっしゃい!」
「行ってきます」
玄関先でサツキに見送られ、エレベーターに乗り込む。
閉じていくエレベーターのドアの隙間から、サツキが静かに手を振る様子が見えた。
ー※ー
トミオが暮らすマンションのエントランスに、一台の黄色いバスが停まっている。
携帯端末をかざすと、バスの扉が開く。
乗り込んだトミオが着座するタイミングを待って、バスはゆっくりと稼働を始める。
運転手は存在せず、バスの運転はバスに搭載されたAIが行っているのだ。
バスの画面に病院までの経路図と道中の各停留所、病院への到着予定時刻、現在の混雑状況が表示される。
わかりやすい大きな文字で見やすい。
このマンションからだと30分程度の到着予定で、現在は少し混み始めた、といったところ。
緩やかなカーブに沿って走るバスの窓から大きなマンションが見えた。
シニア向けに建てられたマンションは、今も新棟が次々と建てられ、そのほとんどが埋まっているそうだ。
座る座席の窓からは、澄んだ青空が見える。
サツキが「イイ太陽」と表現するとき、それはトミオにとって過ごしやすい天候を意味していた。
(こうした天気をリエは好んでいたし、良い太陽と言っていた……)
仕事柄、日中外に出ることはあまりない。
天候なんて衣服を決める時に少し確認するくらいのものだと思っていた。
(どうでもいいなんて言ったら、サツキとリエに怒られるな……)
ピコンと音が鳴り、バスは何回目かの停車を行う。
停まる度、バスは病院へ向かう患者を乗せて走る。
ゆっくりと傾斜の穏やかな坂を下り、カラフルな車とすれ違いながらも次の目的地を目指す。
止まったのは、ユイがかつて通っていた小学校の前。
開いた出入り口から数人の患者が乗り込み、座席に着く。
シートのサイドにはボタンが付いており、慣れた手つきで保護ベルトを装着する。
そしてまたバスは動き出す。
換気のために自動で窓が少し開くと、空を飛ぶ海鳥の甲高い鳴き声が聞こえる。
海沿いを走り、バスはまた坂を上がる。
その後二カ所ほど停車して患者を乗せた後、病院のエントランスに到着した。
ー※ー
病院のエントランスでは、揃いの白いポロシャツを着た学生が待っていた。
彼らはサポーターと呼ばれる学生達だ。
この病院には付属の医療学校がある。
その学校に所属する彼らはサポートが必要な患者をサポートするのだ。
患者は彼らのサポートを匿名で評価するが、この評価が高い学生は学生生活で優遇される。
『最初はね、優遇狙いでサポーターを始めるの。でも次第に、将来への学びが多いことに気が付くのよ』
だから遠慮しないで、困ったことがあったらサポーターに頼っていいという。
それが学生のためでもあるからだと、リエは言っていた。
「こんにちは、何かお手伝いさせていただくことはありませんか?」
杖をついて歩くトミオにも学生のサポーターが付く。
彼の左胸には『トオル・ルオ・タケシバ』と書かれたネームプレート。
トミオは穏やかな笑みで、断りの言葉を伝えた。
「ありがとう、タケシバさん。僕はリハビリをしたいので、他の方をサポートしてあげてください」
「わかりました! どうか足元にお気をつけて、お大事にされてください」
彼はトミオに一礼すると、違うバスから降りた患者に声を掛ける。
その様子を応援の意味を込めて眺め、トミオは杖をついてまた歩き始める。
自動ドアをくぐり、並ぶ10台ほどの自動受付機に携帯端末をかざす。
携帯端末を管理しているAIが、あとは診察の手続きは完了させてくれる。
(おっと、忘れないうちに評価しておかないと)
受付機の画面に「サポーター利用ボタン」が現れ、押す。
本日の担当サポーター一覧から、彼の名前を選ぶ。
名前を選んだあとは、「拍手」ボタンと「涙」ボタンがある。
トミオは迷わず「拍手」ボタンを選ぶ。
『サポーターの評価をありがとうございます!』という一文が表示された。
少し離れた場所で、車椅子をゆっくりと押しながら、サポーターの女子学生が受付機に患者を案内していた。
優しい笑顔で患者に接する女子学生の姿に、学生時代のリエの姿を想像する。
画面を終了させて、トミオは受付機を離れる。
携帯端末のAIが診療室までの経路、診療時刻、診療受付番号を知らせる。
「診療受付番号は63番です。経路の案内が必要でしたら教えてください」
トミオは再来のため診察室までの経路は把握している。正面に見える、ガラス張りの窓の向こうの広い中庭を見つめた。中庭には陽光が降り注ぎ、大きな噴水を中心に、たくさんの植物が植えられ随所にベンチが置かれている。
――リエと出会った中庭だ。
この場所からリエとの時間が始まったのだ。
あの日の白衣姿のリエの姿は、今でもトミオの脳裏に鮮明に残っている。
思い出の中庭で当時を振り返りたくなったが、今は他にしなければならないことがある。
トミオは杖をつき、目指す場所へ再び歩き始めた。
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