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第十三章 夢

41話

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 木々が生い茂る森の中。何の変哲もない木の上に、一人の青年は腰掛けていた。
 遠く聞こえる声が煩わしいのだろう。形のよい眉はしかめられ、その下にある双眸そうぼうには剣呑な光が満ちている。ひとたび声をかければ、稲妻でも落ちてきそうな風体だ。

「兄様、トゥオーノ兄様」

 けれど、そんなことはお構いなしに、声をかける人影がひとつ。凛とした響きの中には、ほんの僅かに甘えの色が滲んでいる。
 青年はため息を溢しながらも、指を手繰たぐり、木の下にいる体を浮かしてやった。

「……イエルバ、何しに来たの」
「ふふっ、やっぱりここにいたんだね。トゥオーノ兄様の髪は目立つのに、どこにいっても見当たらないから」

 黒髪の青年が、空に浮いたままふわりと微笑む。まるで毒気を抜くようなそれに、苛立ちを持ったまま接する方が無理のある話だろう。
 ──けれど、銀髪の青年も折れてやる気はないらしい。

「どんなに言ったって、俺は戻らないよ。あの人形たちは大嫌いだ」

 憎々しげに吐き出された声は、朝の澄んだ空気に溶けていく。眠る必要がない彼らにとって、夜が沈み、太陽が昇ることなど、取るに足らない些事だった。

「…………兄様」
「納得できないのなら、悪いところをあげようか。不完全な癖に欲張りで、手足があるのに他人よがりで、おまけに喚き声が堪らなくうるさい。あんなものを聞いてたら、耳がおかしくなってしまう」
「それは違うよ。不完全だから欲しがるし、手足があるから方法を探すし、伝えるために叫ぶんだ。ねえお願い。少しだけでも聞いてあげて」

 青年は美しい銀色を揺らしながら、右へ左へ首を振る。その光景に眉尻を下げて、イエルバと呼ばれた青年は、拗ねたように呟いた。

「トゥオーノ兄様は臆病なんだね」
「………俺が?」
「そうだよ。話せば分かり合えるかもしれないのに、いつだって逃げてばかりだ。……知らないことは怖いことだよ。それは彼らだって同じ。だから、兄様と話したがってるのに」

 反論しようと口を開いて、それでも言葉は出てこない。青年は参ったとばかりに両手を上げ、柔らかい黒髪に手を伸ばす。

「………はぁ。君がそこまで言うのなら、少しは頑張ってみようかな」
「本当に!?」
「うん。でも無理だと思ったら逃げるからね。俺は兄弟以外に興味はないし」
「勿論だよ! 僕がずっと傍にいるから安心して」

 ね、トゥオーノ兄様。甘さがより滲む声に、銀髪の青年は穏やかに微笑む。朝日に照らされる中、二人の兄弟は幸せそうに笑っていた。

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 体が飛び跳ねるような揺れに、意識がふっと浮き上がる。暗闇でよく見えないが、どこか狭い場所にいるらしかった。ここ、どこだ……?

 無意識に声を出そうとして、まず口にまわされた荒い縄の感触に気づく。慌てて外そうとしたけれど、肝心の手が、背中側から動かせない。

「んん"っ!」(縛られてる……?)

 身を捩って、何とか抜け出せないかと試みる。けれど体を揺らす度、鋭い痛みが頭に走って、どうにも力が入らない。幸い、足は縛られていないようだけど、この揺れでは立ち上がることすら不可能だ。
 その上、馬車の中にでもいるのか、道の凹凸に沿うようにして、激しい揺れがやってくる。頭が割れそうに痛んで、それが何より辛かった。

「ん"ー!!!」

 そして、不審な点がもうひとつ。暗闇に慣れた目を凝らしてみると、僕以外にも、人が大勢いるらしかった。 
 遠くの方は分からないけど、皆一様に後ろ手に縛られ、狭い床に転がっている。まるで荷物でも運ぶかのような仕打ちに、ぞっとするなという方が無理な話だ。
 他に声を上げている人はいないから、意識があるのは僕だけなのかもしれない。

『ッチ、うるせぇな。鼠でも入り込んだかぁ?』

 荒々しい声に──ではなく、入り込んできた光に目を細める。馬車の入り口であろう布を押し退け、ランプを手にしたその男は、目敏く僕を見つけたらしい。

『……あ"? テメェなんで起きてんだ』

 声を出すのも恐ろしくて、無言で首を横に振る。黙っていれば良かったと、一瞬の間に、何度後悔したことだろう。
 けれど、何を思っても既に遅く、酒臭い息が眼前に迫った。ランプの光が、やけに眩しく感じて目が痛い。
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