人生最高到達点

深海めだか

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二つの線が交わる座標は

一話

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 燕ノ宮 薫
 季節外れにやってきた転校生で長い前髪が重っ苦しい地味眼鏡。最初こそテンプレート的に取り囲まれてはいたものの、芳しい反応が返ってこないとなれば、一人また一人と興味を失い去っていった。
 俺も他のやつらと変わりなく、野次馬に紛れて何度か言葉を交わしただけ。それ以外にめぼしい接点なんてなかったはずだ。

 だからこそ、裏庭に呼び出され『付き合って欲しい』と告白された時には驚きよりも疑惑が勝った。人違いではないかと聞いた上で、それでも信じられずに、タチの悪いドッキリなのではないかとあたりを何度も見渡したほど。
 けれど結局、一番疑っていた展開──にやけ顔の友人が陰から現れるなんて演出もなく、本気で告白されているのだという事実に対して絞り出した答えはもちろん

「え、普通に無理」

 である。当たり前だ。
 可愛い女の子ならまだしも何の接点もない地味メガネ(しかも男)に告白されてYesと返す馬鹿がどこにいる。せめてもう少しマイルドにというご指摘には、面と向かってこう返そう。実際同じ状況でお前が告白されてみてから言えと。

「……そうだよね。ごめん、いきなりこんなこと」
「あー、や……気の迷い的なあれだろ? お互い忘れようぜ」

 眼鏡の奥、涙を堪えているのか赤く腫れた目がこちらを向いて多少の罪悪感が胸を刺す。
 俺だって別に、好き好んで傷つけたいわけではない。一時の気の迷いだと言うのなら、誰にも話さず記憶から消し去るくらいの優しさは持ち合わせているつもりだし、クラスメイトとして最低限の交流くらいは保証する。だから早く気の迷いだと言ってくれ。

「…………」

 けれど燕ノ宮が口を開くことはなく、俺は強いていえば無言を気まずいと感じるタイプの人間だった。まあこの場合は性格に関わらず、誰もが気まずいと答えるだろうが。

「えー、っと、誰にも言わないからさ、じゃ……──」

 無言は肯定、そのはずだ。
 うやむやにして帰ろうと決意をし、回れ右をしたまでは良かった。途端、背中に走る鈍痛に目を閉じて恐る恐る見開いた先、まだ日差しの高い青空を背に、燕ノ宮がじっとこちらを見つめていた。顔に濃い影がかかって、遠く聞こえる部活動生たちの声がやたらわんわん耳に響く。

「わかった、諦める」
「はっ……そ、……か」
「うん。無理言ってごめんね」

 諦める。たった三文字の言葉の安心感に、体中の力がどっと抜けた。
 ならば一体なぜ、このような体勢で俺は押し倒されているのだろうか。掠れた声は疑問を乗せるには荷が重く、吐息がかかるほどの距離の近さに、思わず口の端が引き攣った。

「恋人は諦める。でも代わりに桜木くんの時間を買わせてよ」

 涙が滲んでいたはずの目は、いつの間にやら色を変え、重く冷たい視線をこちらへ投げる。地面に押し付けられたままの両腕がジクジクとした痛みを生んだ。

 ああ、真正面から向けられるそれを、なんと言葉にすればいいのだろう。──断ったら殺される。平凡を絵に描いたような人生の中で、生まれて初めて頭に浮かんだ言葉だった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 ぼうっと見上げた視線の先、流れていく雲は自由気ままに形を変え、青空の海を泳ぐようにして進んでいく。秋に変わり始めた空気は少し冷たい。

「今日はいい天気だね」
「……そうだな」
「テストはできた?」
「まあまあ」

 あれから一年と少し。人間なんて案外単純なもので、嫌々始めたこの時間も気づけば習慣と化していた。
 動かせない右手の代わりに、左手でスマホのロックを解除する。残り三十秒、側から見ればただの無機質な数字だろうが、俺にとっては金を生んでくれる魔法のようなものだ。

 ピピピ ピピピ
 
 決して弾むことのない会話。機械音が鳴った瞬間に一秒のズレもなく手を抜き取る。薄らと汗ばんだ熱の生々しさにはいつになっても慣れなくて、早く吸い取らせようとコンクリートの壁に体重をかけてくっつけた。秋の空気を吸い込んでひんやりとした温度が心地いい。

「今日はもう終わり?」

 その言葉に頷けば、燕ノ宮は心得たとばかりに財布を取り出す。
 いちにいさん。取り出されていく札束を見ながら、意識は既に使い道の方へと向いていた。欲しかった漫画は粗方買い尽くしてしまったし、今度は……そうだな、下手にものを増やして母さんに詮索されても面倒だ。ゲームに課金しよう。次のピックアップは何だったけ。

「はい、今日の分」

 使い道にぼうっと思いを馳せてはいても、報酬を確認するのだけは忘れない。
 最初は躊躇ちゅうちょこそしたものの、燕ノ宮からの提案で始まり数を重ねていくうちに、いつしか習慣になってしまった。
 そもそもこの行為自体アルバイトのようなものなのだし、そう考えれば別段変なことではないと思う。給料が振り込まれたら誰だって確認くらいはするだろう。

「ん、確かに」
「ふふっ、桜木くんも随分お札の扱いが手慣れてきたね。昔はもっと辿々しかったのに」
「それを言うならお前もだろ。大人しいと思ってたのに、蓋を開ければとんだ猫被り野郎だった」
「能ある鷹は爪を隠すってね」
「はいはい、言ってろ」

 金を貰えば用はない。もともとそういう関係だ。
 軽口を叩きながら鞄を持って立ち上がり、立入禁止の文字は見ないふり、屋上の錆びた扉をあとにした。
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