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第24話 物語の幼馴染
時刻は午後9時。タクシーを降りた僕は、冬の冷たい風に襟を立てながら、ゆっくりと家の前へと歩を進めた。表札には「相沢」と刻まれ、玄関の灯りが温かな色を放っている。夜の静寂の中、吐く息が白く宙に溶け、足元で霜が微かに軋む音が響いた。
扉を開け、靴を脱ごうとした瞬間、ふと目に入ったのは見慣れない靴だった。黒のパンプスに、女性らしいデザインのブーツ。
誰か来ているのかと首を傾げながら、少し緊張しつつ家へ上がる。
リビングに向かう途中、微かに聞こえてきたのは楽しげな笑い声だった。複数の女性の声が重なり合い、普段の家とは違う、にぎやかで温かい雰囲気を作り出している。
まさか、と思いながら扉を開けると、目の前に広がった光景に僕は一瞬、動きを止めた。
リビングのテーブルを囲むのは、見慣れた母さんの姿。相沢 翔子――その優しげな糸目と、耳元でふんわりと揺れるショートカットが特徴的な女性で、短く整えられた襟足が清潔感を漂わせ、その穏やかな笑顔が家の中に優しい雰囲気を作り出している。
その隣には、僕の担当編集者である緋崎 美紗さん。
二十代後半ながらも落ち着きがあり、整ったミディアムロングの髪が知的な雰囲気を醸し出している。透き通るような白い肌と鋭い観察眼を持ちつつも、どこか親しみやすい雰囲気が漂う女性だ。
だが、それよりも僕の視線を奪ったのは、真凛と神楽の姿だった。
彼女たちの姿を目にした瞬間、僕は思わず息をのんだ。
「え……どうして二人が……?」
思わず零れた言葉に、母さんや緋崎さんがくすりと笑う。
真凛は長い黒髪をさらりと肩に流しながら、嬉しそうに紅茶のカップを手にしていた。その瞳は輝き、普段よりもどこか弾んだ様子で、まるで特別な時間を楽しんでいるかのようだった。
一方の神楽は、対照的に余裕の笑みを浮かべながらカップを傾けていた。その瞳は鋭く、僕を捉えたまま口元に小さな微笑みを浮かべている。
「遅かったわね、啓」
母さんが僕の姿に気づき、柔らかく微笑む。
「皆、啓の帰りを待っていたのよ」
「……僕、何も連絡もらってないんだけど?」
困惑しながら問いかけると、母さんが穏やかに説明してくれた。
緋崎さんが僕を訪ねてきたが、母さんが僕は響姉と食事に出かけていると伝えると、一度はそのまま帰ろうとしたらしい。しかし、母さんがそれならと声をかけ、せっかく来たのだからと彼女たちを家に招き入れたのだという。
「それは分かったけど……どうして真凛さんと神楽さんまで?」
「それは……」
緋崎さんが口を開く。
「実は、はじめ先生の小説『二人と一人』の映画化の件で打ち合わせがあったのよ。その場で色々あって、どうしても直接伝えなければいけないことができたの。それで、私が家に行こうとしたら、真凛さんと神楽さんが一緒に行きたいってお願いしてきて……仕方なく連れてきたのよ。」
「それで、お二人も?」
「えっと……」
ソファに座っていた真凛が、恥ずかしそうにしながら口を開いた。
「私……先生にどうしてもまた会いたかったから……」
「まあ?」
母さんが驚いたように声をあげる。緋崎さんは苦笑し、神楽は面白そうに笑っていた。
「私は別に……真凛が行くならついていこうと思っただけだけど?」
神楽は何でもないことのように言うが、その横で真凛が頬を膨らませ、すぐさま口を開いた。
「神楽だって、『先生に会いたい』って言ってたのに!」
「なっ……!」
予想外の反撃に、神楽さんは耳まで真っ赤に染めて慌てた。
「へぇ……」
母さんはニコニコしながら緋崎さんの方を向く。
「緋崎さん、この二人とうちの息子は、どういう関係なのかしら?」
「え……それは……」
緋崎さんは言葉に詰まる。しかし、すぐに話を本題に戻した。
「そ、それよりも、はじめ先生に話したいことがあるの。明日、映画化を正式に発表する記者会見があるのだけど……そこにはじめ先生にも出席してほしいのよ」
「記者会見に?」
僕は驚いた。映画化は知っていたが、記者会見に参加する話は初耳だ。
波木賞を受賞したとき、僕と両親は記者会見への出席を断った。まだ未成年だったし、顔を公にすることに抵抗があったからだ。しかし、今回は事情が違うらしい。
「はじめ先生、今回の映画化に合わせて、できるだけ早くスポンサーを集めたいと考えているの。そのためには、あなたにも記者会見に出席してもらいたいのよ"
「でも、顔バレするのはちょっと……」
悩む僕を見て、緋崎さんがゆっくりと頷く。
「その点は心配しないで。実は打ち合わせで決まったことなんだけど、顔を出さずに記者会見に参加する方法を考えているの。例えば、お面を被るとかね」
「お面……?」
「そう。あなたが顔を出すことに抵抗があるのは分かってる。でも、記者会見にはどうしても出てもらいたいのよ。スポンサーの信頼を得るためにも、作者本人の存在を示すことが重要なの」
それでもまだ決めかねている僕を見て、真凛さんと神楽さんが勢いよく身を乗り出した。
「先生、一緒に出ましょう!」
「お願いします!」
二人の瞳は真剣そのもので、断る余地を与えてくれそうにない。
「……うぅ……本当に、お面で大丈夫なんだよね?」
「もちろん! それに、先生が記者会見に出ること自体が大事なんです!」
緋崎さんが力強く頷き、真凛と神楽も嬉しそうに顔を見合わせる。もう逃げ道はなかった。
「……分かったよ」
観念したようにため息をつくと、三人はそろって笑みを浮かべた。ようやく話がまとまり、母さんが紅茶を入れ直しにキッチンへ向かう。
その様子を見送りながら、ふと視線を感じた。
真凛と神楽が、どこかそわそわとした様子でこちらをじっと見つめている。その瞳に秘められた期待の色に、僕は嫌な予感を覚えた。
「先生の部屋、見てみたいです!」
「え?」
言葉が出てこない。
「ずっと気になってたんです。先生がどんな場所で執筆してるのか……」
「私も。先生の創作の源がどんな環境にあるのか、見てみたいな」
神楽は軽く微笑みながら言ったが、その視線には強い興味が滲んでいた。
「いや、でも……」
断ろうとしたものの、二人の視線がまっすぐに僕を射抜く。期待と好奇心、それにわずかな甘えが入り混じった瞳に、僕は抗えず、結局観念して「分かったよ……」とため息をついた。
「やった!」
真凛と神楽は顔を見合わせ、小さく喜びの声を上げる。
「じゃあ、案内してもらおうかな?」
神楽が軽く笑いながら促し、僕は仕方なく立ち上がる。二人がすぐ後ろをついてくるのを感じながら、廊下を歩く。
夜の静けさに包まれた家の中で、階段を上るたびに微かに軋む音が響く。その音が妙に耳に残り、胸の奥にわずかな緊張感が広がる。二人がすぐ後ろをついてきている気配を感じながら、僕は一歩ずつ慎重に進んだ。
「へぇ、静かで落ち着いた家ですね」
真凛がぼそりと呟く。その声にはどこか感心したような響きがあり、家の静けさと相まって心地よい空気を作り出していた。
「昼間は母さんが家にいて、夜は家族全員が揃うから……まあ、静かだけど賑やかになるよ、うちの両親、凄く仲いいから」
そう答えると、背後から小さな笑い声が漏れた。
「なんだか先生らしいですね」
「うん、お母様も優しそうな人だし、仲がいい家族って先生のイメージにピッタリくる」
神楽が微笑みながら言い、真凛も軽く頷く。その言葉に、妙な誇らしさと少しの気恥ずかしさが混ざり合い、胸の奥でくすぐったい感覚が広がった。
そんな会話を交わしながら、僕はゆっくりと部屋のドアの前に立った。そして、一拍置いてからノブに手をかけ、そっと開く。
部屋の中に足を踏み入れた瞬間、二人は目を輝かせた。
「ここが……先生の部屋……!」
静かに息をのむような声が響く。
部屋はシンプルだ。白を基調とした壁に、最小限の家具が配置されている。ゲーム機や漫画はなく、代わりに几帳面に整理された本棚が存在感を放ち、小説の参考資料が整然と並んでいた。
机の上には、使い込まれたノートがいくつも重ねられ、所々に付箋や鉛筆の跡が残っている。
パソコンの画面には開かれた原稿の文字が光を放ち、執筆に没頭する彼の日常がそこにあった。
窓際には小さな観葉植物が置かれ、無機質になりがちな空間に微かな温かみを添えている。
薄暗い照明の下、部屋全体が静けさを纏い、外界とは切り離された聖域のようだった。
「……普通の学生みたいに遊ぶものは何もないんだ。つまらない部屋でしょ?」
そう、本当につまらない部屋。中学生の頃からプロの小説家になるため、ひたすら小説だけを書いてきた。他の事には見向きもせず。
流行りのゲームやおもちゃなんかにも目もくれず、ただ約束を守るため、ただがむしゃらに……。
「僕には小説を書くしかなかったからね……おかげでクラスメートには、いまだに根暗の引き籠りだなんて言われてるよ」
自嘲気味に言った僕に、次の瞬間、神楽が唐突に抱きついてきた。
「そんなことない!」
「えっ……!」
驚く僕をよそに、真凛も勢いよく抱きついてくる。
「先生はもっと自分を誇ってほしいんです!」
「そうです、はじめ先生を蔑むような目で見る幼馴染なんか気にしないでください!」
「「蔑む……? あっ」
そこまで言って僕は、真凛と神楽の三人で行った、喫茶店での出来事を思い出した。
あとから来た雅と葵に言い詰められていた時だ。
おそらく二人は、あの時感じたのだろう、雅と葵が僕にぶつける侮蔑のような視線を。
二人の言葉には真剣な思いが込められていた。
彼女たちの温もりが胸に伝わり、じわりと心が揺れる。
「……ありがとう」
無意識に、二人の頭をそっと撫でていた。
「あっ……」
触れた瞬間、二人の動きが止まる。頬がみるみる赤く染まり、驚いたようにこちらを見上げる。
「私たちが……先生の幼馴染になっちゃダメですか?」
「……え?」
「本物の幼馴染じゃなくても、物語の中だけでもいいから、はじめ先生の幼馴染になりたい……!」
思いも寄らぬ言葉に、頭が真っ白になる。
その時、部屋のドアが突然開いた。
「啓、紅茶が入ったわよ――って、え?」
母さんと緋崎さんが、開いたドアの向こうで固まっていた。
「……またうちの息子と真凛さんと神楽さんの関係について、真剣に聞かないといけないわね?」
母さんがじっと僕を見つめる。
「お、お母さま、落ち着いてください……!」
緋崎さんが必死に宥める中、二人はまだ抱きついたまま。
僕だけが、どうしたらいいのか分からず、途方に暮れ、深いため息をつくしかなかった。
扉を開け、靴を脱ごうとした瞬間、ふと目に入ったのは見慣れない靴だった。黒のパンプスに、女性らしいデザインのブーツ。
誰か来ているのかと首を傾げながら、少し緊張しつつ家へ上がる。
リビングに向かう途中、微かに聞こえてきたのは楽しげな笑い声だった。複数の女性の声が重なり合い、普段の家とは違う、にぎやかで温かい雰囲気を作り出している。
まさか、と思いながら扉を開けると、目の前に広がった光景に僕は一瞬、動きを止めた。
リビングのテーブルを囲むのは、見慣れた母さんの姿。相沢 翔子――その優しげな糸目と、耳元でふんわりと揺れるショートカットが特徴的な女性で、短く整えられた襟足が清潔感を漂わせ、その穏やかな笑顔が家の中に優しい雰囲気を作り出している。
その隣には、僕の担当編集者である緋崎 美紗さん。
二十代後半ながらも落ち着きがあり、整ったミディアムロングの髪が知的な雰囲気を醸し出している。透き通るような白い肌と鋭い観察眼を持ちつつも、どこか親しみやすい雰囲気が漂う女性だ。
だが、それよりも僕の視線を奪ったのは、真凛と神楽の姿だった。
彼女たちの姿を目にした瞬間、僕は思わず息をのんだ。
「え……どうして二人が……?」
思わず零れた言葉に、母さんや緋崎さんがくすりと笑う。
真凛は長い黒髪をさらりと肩に流しながら、嬉しそうに紅茶のカップを手にしていた。その瞳は輝き、普段よりもどこか弾んだ様子で、まるで特別な時間を楽しんでいるかのようだった。
一方の神楽は、対照的に余裕の笑みを浮かべながらカップを傾けていた。その瞳は鋭く、僕を捉えたまま口元に小さな微笑みを浮かべている。
「遅かったわね、啓」
母さんが僕の姿に気づき、柔らかく微笑む。
「皆、啓の帰りを待っていたのよ」
「……僕、何も連絡もらってないんだけど?」
困惑しながら問いかけると、母さんが穏やかに説明してくれた。
緋崎さんが僕を訪ねてきたが、母さんが僕は響姉と食事に出かけていると伝えると、一度はそのまま帰ろうとしたらしい。しかし、母さんがそれならと声をかけ、せっかく来たのだからと彼女たちを家に招き入れたのだという。
「それは分かったけど……どうして真凛さんと神楽さんまで?」
「それは……」
緋崎さんが口を開く。
「実は、はじめ先生の小説『二人と一人』の映画化の件で打ち合わせがあったのよ。その場で色々あって、どうしても直接伝えなければいけないことができたの。それで、私が家に行こうとしたら、真凛さんと神楽さんが一緒に行きたいってお願いしてきて……仕方なく連れてきたのよ。」
「それで、お二人も?」
「えっと……」
ソファに座っていた真凛が、恥ずかしそうにしながら口を開いた。
「私……先生にどうしてもまた会いたかったから……」
「まあ?」
母さんが驚いたように声をあげる。緋崎さんは苦笑し、神楽は面白そうに笑っていた。
「私は別に……真凛が行くならついていこうと思っただけだけど?」
神楽は何でもないことのように言うが、その横で真凛が頬を膨らませ、すぐさま口を開いた。
「神楽だって、『先生に会いたい』って言ってたのに!」
「なっ……!」
予想外の反撃に、神楽さんは耳まで真っ赤に染めて慌てた。
「へぇ……」
母さんはニコニコしながら緋崎さんの方を向く。
「緋崎さん、この二人とうちの息子は、どういう関係なのかしら?」
「え……それは……」
緋崎さんは言葉に詰まる。しかし、すぐに話を本題に戻した。
「そ、それよりも、はじめ先生に話したいことがあるの。明日、映画化を正式に発表する記者会見があるのだけど……そこにはじめ先生にも出席してほしいのよ」
「記者会見に?」
僕は驚いた。映画化は知っていたが、記者会見に参加する話は初耳だ。
波木賞を受賞したとき、僕と両親は記者会見への出席を断った。まだ未成年だったし、顔を公にすることに抵抗があったからだ。しかし、今回は事情が違うらしい。
「はじめ先生、今回の映画化に合わせて、できるだけ早くスポンサーを集めたいと考えているの。そのためには、あなたにも記者会見に出席してもらいたいのよ"
「でも、顔バレするのはちょっと……」
悩む僕を見て、緋崎さんがゆっくりと頷く。
「その点は心配しないで。実は打ち合わせで決まったことなんだけど、顔を出さずに記者会見に参加する方法を考えているの。例えば、お面を被るとかね」
「お面……?」
「そう。あなたが顔を出すことに抵抗があるのは分かってる。でも、記者会見にはどうしても出てもらいたいのよ。スポンサーの信頼を得るためにも、作者本人の存在を示すことが重要なの」
それでもまだ決めかねている僕を見て、真凛さんと神楽さんが勢いよく身を乗り出した。
「先生、一緒に出ましょう!」
「お願いします!」
二人の瞳は真剣そのもので、断る余地を与えてくれそうにない。
「……うぅ……本当に、お面で大丈夫なんだよね?」
「もちろん! それに、先生が記者会見に出ること自体が大事なんです!」
緋崎さんが力強く頷き、真凛と神楽も嬉しそうに顔を見合わせる。もう逃げ道はなかった。
「……分かったよ」
観念したようにため息をつくと、三人はそろって笑みを浮かべた。ようやく話がまとまり、母さんが紅茶を入れ直しにキッチンへ向かう。
その様子を見送りながら、ふと視線を感じた。
真凛と神楽が、どこかそわそわとした様子でこちらをじっと見つめている。その瞳に秘められた期待の色に、僕は嫌な予感を覚えた。
「先生の部屋、見てみたいです!」
「え?」
言葉が出てこない。
「ずっと気になってたんです。先生がどんな場所で執筆してるのか……」
「私も。先生の創作の源がどんな環境にあるのか、見てみたいな」
神楽は軽く微笑みながら言ったが、その視線には強い興味が滲んでいた。
「いや、でも……」
断ろうとしたものの、二人の視線がまっすぐに僕を射抜く。期待と好奇心、それにわずかな甘えが入り混じった瞳に、僕は抗えず、結局観念して「分かったよ……」とため息をついた。
「やった!」
真凛と神楽は顔を見合わせ、小さく喜びの声を上げる。
「じゃあ、案内してもらおうかな?」
神楽が軽く笑いながら促し、僕は仕方なく立ち上がる。二人がすぐ後ろをついてくるのを感じながら、廊下を歩く。
夜の静けさに包まれた家の中で、階段を上るたびに微かに軋む音が響く。その音が妙に耳に残り、胸の奥にわずかな緊張感が広がる。二人がすぐ後ろをついてきている気配を感じながら、僕は一歩ずつ慎重に進んだ。
「へぇ、静かで落ち着いた家ですね」
真凛がぼそりと呟く。その声にはどこか感心したような響きがあり、家の静けさと相まって心地よい空気を作り出していた。
「昼間は母さんが家にいて、夜は家族全員が揃うから……まあ、静かだけど賑やかになるよ、うちの両親、凄く仲いいから」
そう答えると、背後から小さな笑い声が漏れた。
「なんだか先生らしいですね」
「うん、お母様も優しそうな人だし、仲がいい家族って先生のイメージにピッタリくる」
神楽が微笑みながら言い、真凛も軽く頷く。その言葉に、妙な誇らしさと少しの気恥ずかしさが混ざり合い、胸の奥でくすぐったい感覚が広がった。
そんな会話を交わしながら、僕はゆっくりと部屋のドアの前に立った。そして、一拍置いてからノブに手をかけ、そっと開く。
部屋の中に足を踏み入れた瞬間、二人は目を輝かせた。
「ここが……先生の部屋……!」
静かに息をのむような声が響く。
部屋はシンプルだ。白を基調とした壁に、最小限の家具が配置されている。ゲーム機や漫画はなく、代わりに几帳面に整理された本棚が存在感を放ち、小説の参考資料が整然と並んでいた。
机の上には、使い込まれたノートがいくつも重ねられ、所々に付箋や鉛筆の跡が残っている。
パソコンの画面には開かれた原稿の文字が光を放ち、執筆に没頭する彼の日常がそこにあった。
窓際には小さな観葉植物が置かれ、無機質になりがちな空間に微かな温かみを添えている。
薄暗い照明の下、部屋全体が静けさを纏い、外界とは切り離された聖域のようだった。
「……普通の学生みたいに遊ぶものは何もないんだ。つまらない部屋でしょ?」
そう、本当につまらない部屋。中学生の頃からプロの小説家になるため、ひたすら小説だけを書いてきた。他の事には見向きもせず。
流行りのゲームやおもちゃなんかにも目もくれず、ただ約束を守るため、ただがむしゃらに……。
「僕には小説を書くしかなかったからね……おかげでクラスメートには、いまだに根暗の引き籠りだなんて言われてるよ」
自嘲気味に言った僕に、次の瞬間、神楽が唐突に抱きついてきた。
「そんなことない!」
「えっ……!」
驚く僕をよそに、真凛も勢いよく抱きついてくる。
「先生はもっと自分を誇ってほしいんです!」
「そうです、はじめ先生を蔑むような目で見る幼馴染なんか気にしないでください!」
「「蔑む……? あっ」
そこまで言って僕は、真凛と神楽の三人で行った、喫茶店での出来事を思い出した。
あとから来た雅と葵に言い詰められていた時だ。
おそらく二人は、あの時感じたのだろう、雅と葵が僕にぶつける侮蔑のような視線を。
二人の言葉には真剣な思いが込められていた。
彼女たちの温もりが胸に伝わり、じわりと心が揺れる。
「……ありがとう」
無意識に、二人の頭をそっと撫でていた。
「あっ……」
触れた瞬間、二人の動きが止まる。頬がみるみる赤く染まり、驚いたようにこちらを見上げる。
「私たちが……先生の幼馴染になっちゃダメですか?」
「……え?」
「本物の幼馴染じゃなくても、物語の中だけでもいいから、はじめ先生の幼馴染になりたい……!」
思いも寄らぬ言葉に、頭が真っ白になる。
その時、部屋のドアが突然開いた。
「啓、紅茶が入ったわよ――って、え?」
母さんと緋崎さんが、開いたドアの向こうで固まっていた。
「……またうちの息子と真凛さんと神楽さんの関係について、真剣に聞かないといけないわね?」
母さんがじっと僕を見つめる。
「お、お母さま、落ち着いてください……!」
緋崎さんが必死に宥める中、二人はまだ抱きついたまま。
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