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第42話 交差する記憶と未来
ぎこちなさが残るものの、僕たちは幼い頃のように並んで歩いていた。
雅と葵。かつては何の違和感もなく、当たり前のようにいつも一緒にいた二人。だけど、今はこうして歩いていることがどこか奇妙で、まるで時間が巻き戻ったみたいだった。
懐かしいはずのこの並びが、今はどこかぎこちなく感じる。それでも、会話が少しずつ弾み始めると、昔のような心地よさが戻ってくるのを感じた。
笑い声が交じる。けれど、それが無邪気だったあの頃とは違うことを、僕たちは誰よりも分かっていた。
「ねえ、啓?」
雅が不意に口を開いた。その声は、まるで確かめるように慎重で、けれど心の奥底からの問いかけだった。
「何?」
僕は雅の顔を見る。彼女の瞳には迷いと決意が同居していた。
数秒の沈黙の後、彼女は少し息を吸い込み、意を決したように口を開いた。
「やっぱり……啓が蘭学事啓なんだよね?」
一瞬、胸の奥が重くなる。
蘭学事啓――それは僕が作家として活動しているときのペンネーム。
隠していたつもりはない。でも、話す勇気がなかった。
僕たちの間にあった溝、それを埋める方法が見つからないまま、時間だけが過ぎてしまった。
「……そうだよ」
雅と葵の表情が変わる。驚きというより、確信が形になったような、けれどどこか信じたくないような、複雑な感情が入り混じった顔だった。
「私、まだ……啓が書いた小説、読んでないの……どんな内容なのか気になるわ」
雅がぽつりと呟くように言う。葵も、小さく頷いた。
「わ、私も読んでみようかな……」
僕は二人を見て、柔らかく微笑んだ。
「うん、ぜひ読んでほしい。読んで、その目で確かめてほしい。だって、そのために書いたんだから」
僕の言葉に、雅の唇が小さく震えた。葵も、何かを堪えるように拳をぎゅっと握る。
「でも、どうして話してくれなかったの……?」
雅の声がかすかに震えた。
「……それ、私も気になってた。啓が一人で何かしてるのは分かってた。でも、それが小説だったなんて……」
葵の目も不安げだった。
「……訳があったんだ」
僕は少しだけ苦笑しながら答えた。
「訳?」
雅が小さく首を傾げる。
僕は息を吸い込み、昔の記憶を手繰るように口を開く。
「二人とも、僕が願い事を聞いて約束した言葉、覚えてる?」
その言葉に、雅と葵の肩がわずかに震えた。
「え、ええ……」
「二人を物語の主人公にできたら……そのあと……」
葵が消え入りそうな声で続ける。その先を、雅が引き継ぐ。
「……僕のお嫁さんになって、だったよね……?」
雅の声がわずかに震えた。僕は小さく微笑んで、静かに頷いた。
「ああ、やっぱり……、本当はこうだったんだ。波木賞を取って……二人を物語の主人公にできたら、僕のお嫁さんになってくださいって、波木賞なんて言葉、僕はたまたま知ってたけど、普通子供には聞きなじみない言葉だよね」
「じゃ、じゃあ『あと少しだけ待って欲しい』って言ったのは!?」
雅が驚いたように声を上げる。葵も続く。
「『僕だって頑張ってたんだ』っていう言葉も……!?」
二人の顔が驚愕と戸惑いに染まり、青ざめるほどだった。
僕は少し俯きながら、ゆっくりと息を吐いた。
「う、うん……あの時はまだ作品の選考中で、結果が出てなかったんだ……。担当の緋崎さんが『間違いなく僕なら取れる』って言ってくれてはいたけど、それは確実ではなかったから……。でもやっぱり、これ以上待てなかった。ずっと我慢してきたからね。だからあの日、まだ結果を受け取っていないのに、僕は先走っちゃったんだ」
「あはは……」
苦笑が口をつく。だけど、それは乾いた笑いだった。
雅と葵は一瞬、言葉を失った。まるで心の中で何かが崩れ落ちる音が聞こえたかのように。
二人の瞳が揺れ、唇が震える。感情が溢れるのを必死で抑えようとするが、押し止めることはできなかった。
「……そんな……」
雅が小さく呟く。その声には、自責の念と後悔が滲んでいた。
葵は両手を強く握りしめ、肩を震わせる。そして、ついに限界がきた。
「……っ!」
彼女の瞳から大粒の涙が溢れた。それを皮切りに、雅の目にも次々と涙が溜まり、頬を伝って落ちていく。
「ごめん……ごめんね、啓……!」
雅は両手で顔を覆い、嗚咽を堪えきれなかった。葵も震える指先で目元を拭うが、涙は止まることを知らなかった。
「ずっと……そんなに頑張ってたなんて……私たち、本当に何も分かってなかった……!」
雅は両手で顔を覆い、肩を震わせながら嗚咽を漏らした。葵もまた、こらえきれずに涙をこぼし、必死に目元を拭うが、止めることができない。
「こんなに……苦しんでたのに、気づいてあげられなかった……」
震える声で葵が続ける。悔しさと後悔が入り混じった言葉だった。
雅は顔を上げ、涙で濡れた目で僕を見つめた。
「本当に……ごめんね、啓……」
その瞳には、ただの謝罪ではなく、積み重ねた時間の重みと、それを取り戻したいという切実な願いが滲んでいた。後悔と、自分たちの愚かさを噛みしめるような痛み。その奥には、かつての無邪気な日々への憧れと、もう一度やり直したいという強い想いが、静かに揺れていた。僕も経験した痛みだから分かる。
もう一度やり直したいと、あの日何度も切に願った事だから。
でも……失くした過去は、決して戻ることはない。
例え、どれほど強く願ったとしても。時の流れは無情で、あの頃と同じ形で取り戻すことなどできない。
それでも、僕は今、確かに感じていた。
この瞬間、二人が僕を思ってくれていること。その事実が胸を温かく満たしていく。
過去をなぞるのではなく、今ここからまた新しい関係を築いていけるのではないか。
やり直すのではなく、それがどんな形だったとしても、改めて一歩を踏み出せるのではないか。
そんな希望が、心の奥からじわりと広がっていく。
今の二人となら、きっと――
雅と葵はその場にしゃがみ込む。嗚咽が朝の静寂の中に響く。
僕はそっと、昔のように二人の頭を撫でた。
「もういいんだよ。全部、話せたから」
涙を流しながら、二人は幼い頃のように僕に寄り添った。
長い間、すれ違っていた時間が、ようやく一つになった瞬間だった。
雅と葵。かつては何の違和感もなく、当たり前のようにいつも一緒にいた二人。だけど、今はこうして歩いていることがどこか奇妙で、まるで時間が巻き戻ったみたいだった。
懐かしいはずのこの並びが、今はどこかぎこちなく感じる。それでも、会話が少しずつ弾み始めると、昔のような心地よさが戻ってくるのを感じた。
笑い声が交じる。けれど、それが無邪気だったあの頃とは違うことを、僕たちは誰よりも分かっていた。
「ねえ、啓?」
雅が不意に口を開いた。その声は、まるで確かめるように慎重で、けれど心の奥底からの問いかけだった。
「何?」
僕は雅の顔を見る。彼女の瞳には迷いと決意が同居していた。
数秒の沈黙の後、彼女は少し息を吸い込み、意を決したように口を開いた。
「やっぱり……啓が蘭学事啓なんだよね?」
一瞬、胸の奥が重くなる。
蘭学事啓――それは僕が作家として活動しているときのペンネーム。
隠していたつもりはない。でも、話す勇気がなかった。
僕たちの間にあった溝、それを埋める方法が見つからないまま、時間だけが過ぎてしまった。
「……そうだよ」
雅と葵の表情が変わる。驚きというより、確信が形になったような、けれどどこか信じたくないような、複雑な感情が入り混じった顔だった。
「私、まだ……啓が書いた小説、読んでないの……どんな内容なのか気になるわ」
雅がぽつりと呟くように言う。葵も、小さく頷いた。
「わ、私も読んでみようかな……」
僕は二人を見て、柔らかく微笑んだ。
「うん、ぜひ読んでほしい。読んで、その目で確かめてほしい。だって、そのために書いたんだから」
僕の言葉に、雅の唇が小さく震えた。葵も、何かを堪えるように拳をぎゅっと握る。
「でも、どうして話してくれなかったの……?」
雅の声がかすかに震えた。
「……それ、私も気になってた。啓が一人で何かしてるのは分かってた。でも、それが小説だったなんて……」
葵の目も不安げだった。
「……訳があったんだ」
僕は少しだけ苦笑しながら答えた。
「訳?」
雅が小さく首を傾げる。
僕は息を吸い込み、昔の記憶を手繰るように口を開く。
「二人とも、僕が願い事を聞いて約束した言葉、覚えてる?」
その言葉に、雅と葵の肩がわずかに震えた。
「え、ええ……」
「二人を物語の主人公にできたら……そのあと……」
葵が消え入りそうな声で続ける。その先を、雅が引き継ぐ。
「……僕のお嫁さんになって、だったよね……?」
雅の声がわずかに震えた。僕は小さく微笑んで、静かに頷いた。
「ああ、やっぱり……、本当はこうだったんだ。波木賞を取って……二人を物語の主人公にできたら、僕のお嫁さんになってくださいって、波木賞なんて言葉、僕はたまたま知ってたけど、普通子供には聞きなじみない言葉だよね」
「じゃ、じゃあ『あと少しだけ待って欲しい』って言ったのは!?」
雅が驚いたように声を上げる。葵も続く。
「『僕だって頑張ってたんだ』っていう言葉も……!?」
二人の顔が驚愕と戸惑いに染まり、青ざめるほどだった。
僕は少し俯きながら、ゆっくりと息を吐いた。
「う、うん……あの時はまだ作品の選考中で、結果が出てなかったんだ……。担当の緋崎さんが『間違いなく僕なら取れる』って言ってくれてはいたけど、それは確実ではなかったから……。でもやっぱり、これ以上待てなかった。ずっと我慢してきたからね。だからあの日、まだ結果を受け取っていないのに、僕は先走っちゃったんだ」
「あはは……」
苦笑が口をつく。だけど、それは乾いた笑いだった。
雅と葵は一瞬、言葉を失った。まるで心の中で何かが崩れ落ちる音が聞こえたかのように。
二人の瞳が揺れ、唇が震える。感情が溢れるのを必死で抑えようとするが、押し止めることはできなかった。
「……そんな……」
雅が小さく呟く。その声には、自責の念と後悔が滲んでいた。
葵は両手を強く握りしめ、肩を震わせる。そして、ついに限界がきた。
「……っ!」
彼女の瞳から大粒の涙が溢れた。それを皮切りに、雅の目にも次々と涙が溜まり、頬を伝って落ちていく。
「ごめん……ごめんね、啓……!」
雅は両手で顔を覆い、嗚咽を堪えきれなかった。葵も震える指先で目元を拭うが、涙は止まることを知らなかった。
「ずっと……そんなに頑張ってたなんて……私たち、本当に何も分かってなかった……!」
雅は両手で顔を覆い、肩を震わせながら嗚咽を漏らした。葵もまた、こらえきれずに涙をこぼし、必死に目元を拭うが、止めることができない。
「こんなに……苦しんでたのに、気づいてあげられなかった……」
震える声で葵が続ける。悔しさと後悔が入り混じった言葉だった。
雅は顔を上げ、涙で濡れた目で僕を見つめた。
「本当に……ごめんね、啓……」
その瞳には、ただの謝罪ではなく、積み重ねた時間の重みと、それを取り戻したいという切実な願いが滲んでいた。後悔と、自分たちの愚かさを噛みしめるような痛み。その奥には、かつての無邪気な日々への憧れと、もう一度やり直したいという強い想いが、静かに揺れていた。僕も経験した痛みだから分かる。
もう一度やり直したいと、あの日何度も切に願った事だから。
でも……失くした過去は、決して戻ることはない。
例え、どれほど強く願ったとしても。時の流れは無情で、あの頃と同じ形で取り戻すことなどできない。
それでも、僕は今、確かに感じていた。
この瞬間、二人が僕を思ってくれていること。その事実が胸を温かく満たしていく。
過去をなぞるのではなく、今ここからまた新しい関係を築いていけるのではないか。
やり直すのではなく、それがどんな形だったとしても、改めて一歩を踏み出せるのではないか。
そんな希望が、心の奥からじわりと広がっていく。
今の二人となら、きっと――
雅と葵はその場にしゃがみ込む。嗚咽が朝の静寂の中に響く。
僕はそっと、昔のように二人の頭を撫でた。
「もういいんだよ。全部、話せたから」
涙を流しながら、二人は幼い頃のように僕に寄り添った。
長い間、すれ違っていた時間が、ようやく一つになった瞬間だった。
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