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第51話 新章・不確かな影、存在しないはずの少女
ぼんやりとする意識の中、ゆっくりとまぶたを開く。
ぼやけた視界が少しずつ焦点を結び、見上げた天井は闇に沈んでいた。
微かな月明かりがカーテンの隙間から差し込み、天井に淡く滲んだ影を作る。
時折、外を走る車のヘッドライトが一瞬だけ部屋の中を照らし、静寂の中に微かな光と影を落としていた。
次第に意識がはっきりしてくるにつれ、目の前の景色が何を示しているのかを理解した。
無機質な白い壁、静かに流れる機械の電子音、消毒液の匂い。乾燥した空気の中に微かに感じる金属のような冷たさ。
──病院だ。
それがわかった途端、頭の奥がじんと重くなる。
思考が追いつかないまま、首を動かし、辺りを見渡した。
そして、僕の視界に飛び込んできたのは──
ベッドの傍らに並ぶ、三つの人影。
真ん中の椅子には、響姉が腰かけている。
背もたれに寄りかかり、静かな寝息を立てていた。その長い金髪が、月明かりに照らされて柔らかく光を帯びている。表情は穏やかで、どこか安堵したような雰囲気を感じる。
そして──
響姉の両肩にもたれるようにして、雅と葵が眠っていた。
二人とも、響姉に身を預けながら、穏やかな寝息を立てている。
雅の黒髪は微かに揺れ、葵のサラサラとした髪が頬にかかっている。
よく見ると、雅の腕には小さな包帯が巻かれ、葵の膝には薄いガーゼが貼られていた。
二人とも軽い擦り傷や打撲を負っているようだったが、眠る姿は穏やかで、三人とも疲れ果てたのか、深い眠りについていた。
その姿を見た瞬間、心の奥がふっと軽くなる。
良かった──
胸の奥がじんと熱くなり、目頭がかすかに熱を持つ。彼女たちが無事でいる、それだけで十分だった。
──コツン。
小さな音が静寂を破った。
扉を軽くノックする音。
振り向くと、病室の扉が静かに開き、ひょっこりと顔を出したのは──白衣をまとった、二十代くらいの男性だった。
柔らかな印象を持つ端正な顔立ち。整った鼻筋に、穏やかな瞳。知的で落ち着いた雰囲気があり、病院の冷たい空気の中でもどこか温かみを感じさせる人物だった。
その男性は僕が目を覚ましていることに気づくと、軽く微笑みながら小さく頭を下げ、ゆっくりとベッドへと歩み寄った。
「気が付かれたんですね」
優しい声色が、静かな病室に響く。
「あ、はい……おかげさまで。えっと……あなたは?」
寝起きの頭で考えながら問いかける。
「ああ、申し遅れました。僕はこの病院で研修医をしている天音瑞樹といいます」
瑞樹、と名乗った彼は、穏やかな笑みを浮かべながら、ちらりと雅の方に視線を向けた。
「あ……ひょっとして、雅の?」
その仕草に気づいて尋ねると、瑞樹さんは頷いた。
「はい。彼女は僕の従妹になります。それにしても、相変わらず三人は仲が良いんですね……」
そう言って、響姉の肩にもたれた雅と葵を見つめる。
「え? 僕たちのこと、知ってるんですか?」
「ええ、もちろん。覚えてないかもしれませんが、昔、啓くんにも何度か会ったことがあるんですよ。といっても、挨拶程度ですけどね」
瑞樹さんは苦笑しながらそう答えた。
「そ、そうだったんですね。すみません、覚えてなくて……」
申し訳なく思いながら頭を下げると、瑞樹さんは「気にしないでください」と軽く手を振った。
そして、ふと彼は視線を巡らせ、病室を見渡す。
「そういえば、残りの二人はいないんですね……」
「……え?」
思わず首をかしげる。
残りの二人?
何を言っているのか、一瞬、理解が追いつかなかった。
しかし、瑞樹さんはふっと何かを悟ったように、わずかに口元を緩めた。
「ああ……なるほど。そういうことですか……」
どこか含みのある笑み。
その意味を問いかけようとした瞬間──
「今回は、自律神経のバランスが崩れたことによる神経性失神が原因ですね。強い痛みや急激なストレスによって引き起こされることがあります。今目覚めたからと言って、すぐに無理をしてはいけませんよ?」
瑞樹さんは、それ以上話を広げず、淡々とした口調で診断を告げた。
「……は、はい」
突然の医療用語に戸惑いながらも、僕はあたふたと頷く。
「では、失礼しますね」
そう言って瑞樹さんは踵を返し、病室の扉へ向かった。
しかし、扉を開けたところで、彼はなぜか立ち止まる。
ゆっくりと振り返り、僕の方を見つめながら、わずかに唇を歪めた。
「今度こそ、誰も失わずに済むといいですね……」
一瞬、ひやりとしたものが背を撫でる。
得体のしれない寒気が、背筋を這い上がる。
「え……?」
思わず聞き返したが、瑞樹さんは何も言わず、そのまま病室を出ていった。
静寂が戻る。
けれど、胸の奥に残るこの違和感は……。
「ん……?」
声の方に僕は振り返った。
どうやら先に目を覚ましたのは響姉のようだ。
椅子に腰かけたまま眠っていた彼女は、ゆっくりと目をこすりながら顔を上げる。
「啓……?」
まだ寝ぼけた声でそう呟くと、響姉にもたれかかるように眠っていた雅と葵が、彼女の気配に反応するようにして目を覚ました。
「……啓!」
雅が目を大きく見開き、次の瞬間、勢いよく僕に抱きついた。
「良かった……本当に……!」
声が震え、肩が揺れている。
頬を僕の肩に埋めると、堪えきれなくなったのか、嗚咽を漏らした。
「啓……! 本当に良かった、目を覚ましてくれて……!」
遅れて葵も飛びついてきた。僕の腕にしがみつき、必死に涙を堪えようとしているのが伝わってくる。
「おいおい、啓は怪我人だぞ、そのへんにしておいてやれ」
響姉がため息混じりに言いながら、病室の明かりをつけた。
白い光が部屋全体を照らし、ようやく全貌がはっきりと見えてくる。
「ありがとう、響姉」
雅と葵をゆっくりと引き離し、彼女たちの顔を見た。
二人とも涙を拭いながら、どこか痛々しい表情を浮かべていた。
「僕は大丈夫だよ。それより、二人は?」
包帯やガーゼで覆われた腕や脚が目に入り、胸が締め付けられる。
「うん、私たちも大丈夫。抵抗したときにあちこちぶつけたけど……」
雅が微かに微笑みながら答える。
「バスケやってると、こういう怪我はよくするし、慣れてるよ」
そう言いながら、葵は腕を軽く回してみせた。
「……本当に平気?」
「うん、大丈夫!」
しかし、その笑顔にはどこか無理があった。
彼女の指先は、知らず知らずのうちに包帯の端を軽く撫でていた。
言葉とは裏腹に、その小さな動作が、あの出来事がどれほど過酷だったのかを物語っていた。
「でも、やっぱりちょっと痛むんじゃない?雅だって……」
僕がそう尋ねると、雅は一瞬目を伏せたが、すぐに微笑んだ。
「平気よ……啓が無事でいてくれたなら、それだけで十分だから……ふふ、それより葵ね、制服を引っ張られたときに、思いっきり鷹松と伍代の手を噛んだのよ」
雅が思い出したように苦笑する。
「ふふ~ん、ようやく私の八重歯が役に立ったわね」
得意げに笑う葵を見て、雅もつられて笑った。
しかし、二人は努めて明るく振る舞っているが、僕の視線は微かに震える二人の手に留まっていた。
「本当に……二人が無事で良かった」
そう呟きながら、そっと二人の手を握る。
二人はハッとして僕を見た後、困ったように笑う。
もしあの時、間に合っていなかったら今頃二人は……。
考えただけでもおぞましく、胸が苦しくなる。
「啓……」
二人が互いに顔を見合わせる。
その時、ふと脳裏をよぎった疑問が口を突いた。
「そういえば伍代たちは……あの後どうなったの?」
その言葉に、二人の表情が凍りついた。
「え……?」
一瞬、雅と葵は視線を響姉に向けた。だが、響姉は無表情のまま腕を組んでいる。
「な、何?」
僕がもう一度聞くと、葵が気まずそうに口を開いた。
「えーと……一応、あいつらもこの病院にいるみたい」
その言葉に、僕は思わず身をこわばらせた。
「でも大丈夫よ」
雅が慌てて続ける。
「病室の前には警察官が見張ってるらしいから」
「……そっか」
それを聞いて少し安心したが、僕の横で響姉が小さく鼻を鳴らした。
「啓をこんな目に合わせたんだ。むしろあれぐらいで済んだことを感謝して欲しいくらいだな」
彼女はあっけらかんとした口調で言う。
「あれぐらいって……?」
嫌な予感がして尋ねると、響姉はにやりと笑った。
「ん? まあとどめに片方だけ潰してやっただけだ。二つあるんだし、別に一つぐらいいいだろ」
その瞬間、病室の空気が一気に凍りついた。
「二つが……え? 一つ……?」
僕が呟くと、葵が慌てて話題を変えようとした。
「ね、ねえ啓!」
「あ、うん、何?」
「どうやってあの場所が分かったの? 私、スマホ取り上げられてたし、場所まで伝えられなかったのにさ」
葵は軽く首を傾げながら僕に尋ねた。
「あ~、実は雅たちを探している時、偶然にも鈴ちゃんに出会って……あ、鈴ちゃんっていうのは小な──」
そこまで言った時だった。
「鈴ちゃん……?」
響姉の声が、妙に硬かった。その違和感に、僕は思わず眉をひそめる。
「響姉、鈴ちゃんのこと知ってるの?」
僕が聞き返すと、響姉は一瞬だけ目を伏せ、ため息をついた。
「そ、そうか……お前、母さんに何も聞いてないんだな……」
響姉の口調はどこか慎重だった。言葉を選びながら、どう説明すべきか考えているように見える。
僕の胸の奥に、ぞわりとした感覚が広がった。
「響姉……?」
彼女は一度唇を引き結び、何かを飲み込むようにしてから、低く言った。
「鈴ちゃんは……五年前にもう亡くなってるはずだぞ……?」
響姉の言葉を聞いた瞬間、室内のわずかな機械音がやけに大きく聞こえた。僕の中で、さっきまでの会話が急激に遠ざかるような感覚に襲われる。
「……え?」
思考がうまくまとまらず、ただその言葉を頭の中で何度も反芻《はんすう》する。
その言葉に衝撃を受け、僕は呼吸を忘れたように凍りついた。鼓動だけが耳の奥で大きく響く。
「亡くなってるって……」
あの時、僕は鈴ちゃんと話しをした。確かにあの時、彼女はあそこにいたはずなのに。
言葉が出ないまま、僕はただ、響姉の顔を見つめることしかできなかった。
ぼやけた視界が少しずつ焦点を結び、見上げた天井は闇に沈んでいた。
微かな月明かりがカーテンの隙間から差し込み、天井に淡く滲んだ影を作る。
時折、外を走る車のヘッドライトが一瞬だけ部屋の中を照らし、静寂の中に微かな光と影を落としていた。
次第に意識がはっきりしてくるにつれ、目の前の景色が何を示しているのかを理解した。
無機質な白い壁、静かに流れる機械の電子音、消毒液の匂い。乾燥した空気の中に微かに感じる金属のような冷たさ。
──病院だ。
それがわかった途端、頭の奥がじんと重くなる。
思考が追いつかないまま、首を動かし、辺りを見渡した。
そして、僕の視界に飛び込んできたのは──
ベッドの傍らに並ぶ、三つの人影。
真ん中の椅子には、響姉が腰かけている。
背もたれに寄りかかり、静かな寝息を立てていた。その長い金髪が、月明かりに照らされて柔らかく光を帯びている。表情は穏やかで、どこか安堵したような雰囲気を感じる。
そして──
響姉の両肩にもたれるようにして、雅と葵が眠っていた。
二人とも、響姉に身を預けながら、穏やかな寝息を立てている。
雅の黒髪は微かに揺れ、葵のサラサラとした髪が頬にかかっている。
よく見ると、雅の腕には小さな包帯が巻かれ、葵の膝には薄いガーゼが貼られていた。
二人とも軽い擦り傷や打撲を負っているようだったが、眠る姿は穏やかで、三人とも疲れ果てたのか、深い眠りについていた。
その姿を見た瞬間、心の奥がふっと軽くなる。
良かった──
胸の奥がじんと熱くなり、目頭がかすかに熱を持つ。彼女たちが無事でいる、それだけで十分だった。
──コツン。
小さな音が静寂を破った。
扉を軽くノックする音。
振り向くと、病室の扉が静かに開き、ひょっこりと顔を出したのは──白衣をまとった、二十代くらいの男性だった。
柔らかな印象を持つ端正な顔立ち。整った鼻筋に、穏やかな瞳。知的で落ち着いた雰囲気があり、病院の冷たい空気の中でもどこか温かみを感じさせる人物だった。
その男性は僕が目を覚ましていることに気づくと、軽く微笑みながら小さく頭を下げ、ゆっくりとベッドへと歩み寄った。
「気が付かれたんですね」
優しい声色が、静かな病室に響く。
「あ、はい……おかげさまで。えっと……あなたは?」
寝起きの頭で考えながら問いかける。
「ああ、申し遅れました。僕はこの病院で研修医をしている天音瑞樹といいます」
瑞樹、と名乗った彼は、穏やかな笑みを浮かべながら、ちらりと雅の方に視線を向けた。
「あ……ひょっとして、雅の?」
その仕草に気づいて尋ねると、瑞樹さんは頷いた。
「はい。彼女は僕の従妹になります。それにしても、相変わらず三人は仲が良いんですね……」
そう言って、響姉の肩にもたれた雅と葵を見つめる。
「え? 僕たちのこと、知ってるんですか?」
「ええ、もちろん。覚えてないかもしれませんが、昔、啓くんにも何度か会ったことがあるんですよ。といっても、挨拶程度ですけどね」
瑞樹さんは苦笑しながらそう答えた。
「そ、そうだったんですね。すみません、覚えてなくて……」
申し訳なく思いながら頭を下げると、瑞樹さんは「気にしないでください」と軽く手を振った。
そして、ふと彼は視線を巡らせ、病室を見渡す。
「そういえば、残りの二人はいないんですね……」
「……え?」
思わず首をかしげる。
残りの二人?
何を言っているのか、一瞬、理解が追いつかなかった。
しかし、瑞樹さんはふっと何かを悟ったように、わずかに口元を緩めた。
「ああ……なるほど。そういうことですか……」
どこか含みのある笑み。
その意味を問いかけようとした瞬間──
「今回は、自律神経のバランスが崩れたことによる神経性失神が原因ですね。強い痛みや急激なストレスによって引き起こされることがあります。今目覚めたからと言って、すぐに無理をしてはいけませんよ?」
瑞樹さんは、それ以上話を広げず、淡々とした口調で診断を告げた。
「……は、はい」
突然の医療用語に戸惑いながらも、僕はあたふたと頷く。
「では、失礼しますね」
そう言って瑞樹さんは踵を返し、病室の扉へ向かった。
しかし、扉を開けたところで、彼はなぜか立ち止まる。
ゆっくりと振り返り、僕の方を見つめながら、わずかに唇を歪めた。
「今度こそ、誰も失わずに済むといいですね……」
一瞬、ひやりとしたものが背を撫でる。
得体のしれない寒気が、背筋を這い上がる。
「え……?」
思わず聞き返したが、瑞樹さんは何も言わず、そのまま病室を出ていった。
静寂が戻る。
けれど、胸の奥に残るこの違和感は……。
「ん……?」
声の方に僕は振り返った。
どうやら先に目を覚ましたのは響姉のようだ。
椅子に腰かけたまま眠っていた彼女は、ゆっくりと目をこすりながら顔を上げる。
「啓……?」
まだ寝ぼけた声でそう呟くと、響姉にもたれかかるように眠っていた雅と葵が、彼女の気配に反応するようにして目を覚ました。
「……啓!」
雅が目を大きく見開き、次の瞬間、勢いよく僕に抱きついた。
「良かった……本当に……!」
声が震え、肩が揺れている。
頬を僕の肩に埋めると、堪えきれなくなったのか、嗚咽を漏らした。
「啓……! 本当に良かった、目を覚ましてくれて……!」
遅れて葵も飛びついてきた。僕の腕にしがみつき、必死に涙を堪えようとしているのが伝わってくる。
「おいおい、啓は怪我人だぞ、そのへんにしておいてやれ」
響姉がため息混じりに言いながら、病室の明かりをつけた。
白い光が部屋全体を照らし、ようやく全貌がはっきりと見えてくる。
「ありがとう、響姉」
雅と葵をゆっくりと引き離し、彼女たちの顔を見た。
二人とも涙を拭いながら、どこか痛々しい表情を浮かべていた。
「僕は大丈夫だよ。それより、二人は?」
包帯やガーゼで覆われた腕や脚が目に入り、胸が締め付けられる。
「うん、私たちも大丈夫。抵抗したときにあちこちぶつけたけど……」
雅が微かに微笑みながら答える。
「バスケやってると、こういう怪我はよくするし、慣れてるよ」
そう言いながら、葵は腕を軽く回してみせた。
「……本当に平気?」
「うん、大丈夫!」
しかし、その笑顔にはどこか無理があった。
彼女の指先は、知らず知らずのうちに包帯の端を軽く撫でていた。
言葉とは裏腹に、その小さな動作が、あの出来事がどれほど過酷だったのかを物語っていた。
「でも、やっぱりちょっと痛むんじゃない?雅だって……」
僕がそう尋ねると、雅は一瞬目を伏せたが、すぐに微笑んだ。
「平気よ……啓が無事でいてくれたなら、それだけで十分だから……ふふ、それより葵ね、制服を引っ張られたときに、思いっきり鷹松と伍代の手を噛んだのよ」
雅が思い出したように苦笑する。
「ふふ~ん、ようやく私の八重歯が役に立ったわね」
得意げに笑う葵を見て、雅もつられて笑った。
しかし、二人は努めて明るく振る舞っているが、僕の視線は微かに震える二人の手に留まっていた。
「本当に……二人が無事で良かった」
そう呟きながら、そっと二人の手を握る。
二人はハッとして僕を見た後、困ったように笑う。
もしあの時、間に合っていなかったら今頃二人は……。
考えただけでもおぞましく、胸が苦しくなる。
「啓……」
二人が互いに顔を見合わせる。
その時、ふと脳裏をよぎった疑問が口を突いた。
「そういえば伍代たちは……あの後どうなったの?」
その言葉に、二人の表情が凍りついた。
「え……?」
一瞬、雅と葵は視線を響姉に向けた。だが、響姉は無表情のまま腕を組んでいる。
「な、何?」
僕がもう一度聞くと、葵が気まずそうに口を開いた。
「えーと……一応、あいつらもこの病院にいるみたい」
その言葉に、僕は思わず身をこわばらせた。
「でも大丈夫よ」
雅が慌てて続ける。
「病室の前には警察官が見張ってるらしいから」
「……そっか」
それを聞いて少し安心したが、僕の横で響姉が小さく鼻を鳴らした。
「啓をこんな目に合わせたんだ。むしろあれぐらいで済んだことを感謝して欲しいくらいだな」
彼女はあっけらかんとした口調で言う。
「あれぐらいって……?」
嫌な予感がして尋ねると、響姉はにやりと笑った。
「ん? まあとどめに片方だけ潰してやっただけだ。二つあるんだし、別に一つぐらいいいだろ」
その瞬間、病室の空気が一気に凍りついた。
「二つが……え? 一つ……?」
僕が呟くと、葵が慌てて話題を変えようとした。
「ね、ねえ啓!」
「あ、うん、何?」
「どうやってあの場所が分かったの? 私、スマホ取り上げられてたし、場所まで伝えられなかったのにさ」
葵は軽く首を傾げながら僕に尋ねた。
「あ~、実は雅たちを探している時、偶然にも鈴ちゃんに出会って……あ、鈴ちゃんっていうのは小な──」
そこまで言った時だった。
「鈴ちゃん……?」
響姉の声が、妙に硬かった。その違和感に、僕は思わず眉をひそめる。
「響姉、鈴ちゃんのこと知ってるの?」
僕が聞き返すと、響姉は一瞬だけ目を伏せ、ため息をついた。
「そ、そうか……お前、母さんに何も聞いてないんだな……」
響姉の口調はどこか慎重だった。言葉を選びながら、どう説明すべきか考えているように見える。
僕の胸の奥に、ぞわりとした感覚が広がった。
「響姉……?」
彼女は一度唇を引き結び、何かを飲み込むようにしてから、低く言った。
「鈴ちゃんは……五年前にもう亡くなってるはずだぞ……?」
響姉の言葉を聞いた瞬間、室内のわずかな機械音がやけに大きく聞こえた。僕の中で、さっきまでの会話が急激に遠ざかるような感覚に襲われる。
「……え?」
思考がうまくまとまらず、ただその言葉を頭の中で何度も反芻《はんすう》する。
その言葉に衝撃を受け、僕は呼吸を忘れたように凍りついた。鼓動だけが耳の奥で大きく響く。
「亡くなってるって……」
あの時、僕は鈴ちゃんと話しをした。確かにあの時、彼女はあそこにいたはずなのに。
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