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真白は嗅ぎとった。
しおりを挟む「ただいま」
秀ちゃんが帰ってくるまでグルグルと一人で考え込んでしまっていた私は、声が聞こえて慌てて玄関までパタパタと出迎える。
「秀ちゃん、お帰り」
「真白、どうした?」
ギクッと一瞬強張ると心配そうに私を覗き込んでいた秀ちゃんの瞳がスッと細まった。
「……食事に行ったヤツになにかされたのか?」
「ううん、何もされてないよ! ほんと、全然何もされてない!」
「誤魔化すの下手くそか。それに、お前は顔にすぐ出るんだよ。俺の顔を見るなりあからさまに安心した顔しておいて、今更ごまかせると思うな。で、何を言われた?」
「なんで言われたって分かるの!?」
「何もされていないなら、言われたと考えるのが普通だろ? 告白でもされた?」
一瞬言葉に詰まると、眉間に皺を寄せた秀ちゃんが深くため息をついた。
「やっぱりか」
腕が引かれたと思ったら、頬にシャツ越しの温かな熱を感じて、一拍置いて、秀ちゃんにギュッと抱きしめられていることに気づいた。
「しゅうちゃん?」
「ちゃんと断れたのか?」
「あのね……」
包み隠さず伝えようと思ったのに、私の鼻は微かなノイズをキャッチした。大好きな秀ちゃんの香りに混じった女性ものの甘い香水の匂い。しかも、ごく最近、嗅いだばかりの。
昨日の昼間に見た光景が頭をよぎる。綺麗な女の人に向かって優しい笑みを向けていた秀ちゃんの姿が。
「真白?」
「秀ちゃん……今日会ってたのは女性の方だったの?」
「は? いや、違うけど」
どくん、と心臓が嫌な音をたてる。
「じゃあ、誰と会ってたの?」
「世話になった人で、今は会社の役員やってる人だよ」
じゃあなんであの女の人の匂いがするの、と喉元までせり上がった言葉を唇を噛んで飲み込んだ。
私は、秀ちゃんの彼女でもなんでもないから。秀ちゃんが他の女性と会っても、何をしても文句なんて言える立場じゃない。私は、秀ちゃんの従妹で、ただの同居人なんだから。
でも、どうして匂いが移るの?
こうして私を抱きしめるみたいに、あの綺麗な女の人のことも抱きしめたの?
そう考えると胸が締め付けられて、泣きたい気分になってしまう。
「それよりも、ちゃんと断ったんだろうな?」
「……どうして、断らなきゃいけないの?」
縋るように見つめてしまう。一縷の希望に縋って。
「は? 受ける気なのか?」
「どうだろう、私にはもったいないくらいの人だから」
「止めとけよ」
「どうして?」
「受けるって即答できないような奴、論外だろ」
そっか、そうだよね。
喘ぐような息が自分の口から漏れる。
分かっていたはずなのに、期待して。バカみたいだ。
好きだから、なんて言ってもらえるはずないのに。せり上がりそうになる涙を堪えて、ぎゅっと手を握る。
「無責任に、そういうことを言わないで」
こんな風に優しく抱きしめられながら、止めとけよ、なんて言われたら期待しちゃったよ。秀ちゃんが、私のことを、想ってくれてるんじゃないかって。そんなわけないのに。
「真白?」
「どうして。どうして、そういうことを私に言うの?」
分かってるよ。秀ちゃんは私の事を好きなわけじゃないって。全部、全部、妹への心配でしかない。
それなのに、どうして、抱きしめるの。どうして、キスさせるの。今日は、お世話になった先輩との会食じゃなかったの? どうして、嘘をつくの? 女性と会うなら、ちゃんとそう言ってよ。私との約束よりも優先させる相手なんでしょう? いい感じの女性がいるのに、どうしてそんな思わせぶりな態度を取るの?
私……本当は……本当は、すごく期待しちゃってたよ。もしかして、秀ちゃんが、実は私のことを好きでいてくれてるんじゃないかって。必死に理由を作って期待しないように抑えてたけど、でも期待してた。同棲の終わる日に告白しようかな、なんて夢見てたよ。
結局、私は、秀ちゃんにとってなんだったの?
「秀ちゃん、私だってもう大人なんだよ? どうして『従兄の』秀ちゃんにそこまで、干渉されなきゃいけないの? 自分は彼女を作ってもいいのに、私はダメなの? 私だって、彼氏、ほしいよ……」
冷静にならなきゃ、と思うのにアルコールが入っているせいか涙があふれて仕方がない。
本当は彼氏が欲しいんじゃなくって、ずっとずっと秀ちゃんが欲しかった。秀ちゃんしか要らなかった。
「過保護な従兄はもう十分だよ……」
優しく私に触れようとする秀ちゃんの手を押し止めて、そっとその胸を押した。
「ごめん、今は何も聞きたくない。私、明日も仕事があるからお風呂入ってくるね」
急いでお風呂に入って、秀ちゃんが出てくる前にベッドに潜った。しばらくして、秀ちゃんがお風呂から出てきたのが音で分かった。
「真白」
名前を呼ばれても私は壁の方を向いたまま、返事をすることができなかった。
「さっきは俺が悪かった。焦って、イライラして……ダサいな。でも、お前のことになると、冷静でいられなくなるんだ」
また、そんなカン違いしそうになることを言って。そう思うのに、秀ちゃんの真剣な声音に心が反応して、きゅぅっと胸が痛くなって、ハラハラと涙が零れる。
ズルいよ、こんなんだからずっと秀ちゃんのことを諦められなかったんだよ。
大好きな低い声が最後に「ごめん」と「おやすみ」と紡いだ。
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