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第十話 弱者
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麻薬を扱う酒場に私はいた。壊れかけているスピーカーからはうるさい音楽が雑音のように流れ続けている。まわりには人の目も気にもしないでキスしている男女や、性交しているもので溢れていた。
「……誰か私を抱いてくれませんか……?」
誰にも聞こえない声で私は小声で囁く……
数名の男たちが私の存在に気づいて、一人が私の手を取った……
首筋や顔を舐められ、胸や股の下を好きなだけ触らせてあげた……
終わった後……いつの間に加わっていたのか? 年の近い女の子にキスされた……というより、口移しでクスリをもらう……
「……私の幻覚はすばらしいよ……孤独の世界がそこにあるから……」
そこは私だけの孤独の世界。年の近い女の子は可笑しそうに笑うと、ほかの男に抱き着き始める。私は一人、幻覚の世界を堪能することにする……口の中にあるクスリを飴玉のように少しだけなめると、後はただ飲み込むだけだった……
星一つない暗い夜空を包帯なしの目で見つめる私……暗いお花畑で跪いているもう一人の私……アイルがいる……
「懺悔でもしているの?」
私が訊いてもアイルは跪いているだけで何も答えない。
「今さら誰に許されたいの? 自分のしてきたことは消えないから……私があざ笑ってあげる……アイルのことは私が壊してあげるんだから……」
跪いているアイルの耳元で私は囁くと、約束どおりあざ笑ってみせた。
「……レユに会いたい……」
彼女は懺悔なんかしていなかった。叶いもしない願いを、この暗い孤独の世界で一人跪きながら願っているらしい……
だから興味が一つだけ湧いた……もしかしたら私も男やリエル、それか同じ女以外に幸せを感じられるもの……
「レユと一緒にいられた日々は幸せだったよね……?」
アイルの耳元に私は囁く。アイルの感じていた幸せを知りたくて仕方がないから……だから私の幸せにしたい……
「幸せだったよ。自分が一人じゃないって信じられたから」
アイルは顔を上げて、暗い空に舞う花びらを見つめる。
孤独の世界に閉じ込められる目にあっているのに、その瞳はまるで尊いものでも見ているかのように美しかった……
「気に入らない……私もアイルだから……同じ幸せを感じてみたい……いいでしょ?」
自分が一人じゃないってどんな気分なんだろう? それは温かいの? 愛おしくて孤独を忘れられるなら、私は喜んでアイルの知っている幸せを手に入れるよ……
「誰も傷つけないで……あなたはきっとそうするから……」
「知らない。私の勝手だから」
我に返ると、そこは街灯が点滅しているスラムの広場だった。いつの間にここまでやってきたのか自分でも思い出せない。
「このパンおいしいね」
「うん。とっておいてよかった」
カビの生えたパンを美味しそうに食べている二人の幼い女の子と男の子。哀れだなと思い私は点滅している街灯に目をやる。
駄目だ。目を背けなんてしてはいけない……アイルのできなかったことを私がする……そうすればレユがアイルに与えた幸せを私にも感じることができる……
「ねぇ。もっと美味しいパンをお姉さんがご馳走してあげる」
私なりに優しく言葉したつもりなのに、子供たちは逃げていく。こんな黒いドレスを着たリエル中毒の女が優しく接したところで妖しまれるだけなのだろうか……?
「待って……」
私は手を伸ばすが、子供たちは暗がりへと逃げていった後だった……
「これは汚い手じゃない……温かい人を知りたいだけ……」
私はただ俯いただけなのに、その目からは自然と涙とやらがこみ上げてくる……
「……私は……」
私はなに? 言葉にすれば少しだけだけど楽になるかもしれない。
アイルの思っていることなんて私にはいらない。いらないのに……
「学校にも行けない……綺麗な制服だって着られない……友達もいない……」
自分の嘆きと孤独を一人だけで笑うしかなかった……
「あの、アイルさん?」
私は名前を呼ばれたので、俯くのをやめると、銀色の髪をした少女が不思議そうに小首を傾げていた。まるでどうして泣いているのといわんばかりに不思議そうな表情をしていた。
「あの、私。シルです。忘れました? 食事をくれた……」
ああ……確か……確かそうだ……アイルがずっと前に安レストランで食事を与えたストリートチルドレンの少女だ……
銀色の髪が最初に出会ったころより伸びていて、緑色の澄んだ瞳は私にはお人よしそうな印象を覚えさせる。夏が終わろうとしている夜なのに、半ズボンと白いシャツは相変わらずな出で立ちに思えた。
「……そんな恰好で、飢えた男に今まで襲われなかっただけよかったね……」
シルに嫌味をぶつけたつもりだった……目から出る涙を拭いながらの嫌味……
「逃げ足だけは早いですから」
嫌味を言われたのに、シルは笑っている……可愛らしい子だというのはわかるが、正直怒りを覚えてしまう……どこかいい子すぎるから……
「あの、泣いているんですか?」
いちいちあのという言葉を使うのも気に入らない。
「泣いているけど、いけない?」
私の異様さに気づいたのか? シルは後ろへと少しだけ後ずさる。
「さようなら」
「逃げないでよ。シルには特別に美味しいパスタをご馳走してあげる。柔らかい白いパンも食べさせてあげるから」
まるで弱い虫を捕まえるかのように、私はシルの細い腕を簡単に取った。そして笑う。優しい笑みを浮かべるはずだったのに、不思議と綺麗な銀色の蝶を手に入れたかのように心が舞い踊った気分で、どこか壊れた笑みを自分でも浮かべていたと感じている……
「捕まえたのはいいですけど……」
「いいですけど? 何?」
「今のアイルさんからはなにも貰いたくありません」
「心が気持ちいい私の今を否定するの?」
心が気持ちいのはリエルを飲んでいるから……そんなことは自分でもわかっている。捕まえているシルの手を力いっぱいに握りしめていた。
「あの、痛いです……」
私を否定したから痛くしている。当然だ。
「今度気持ちのいい私を否定したら、可愛い顔が台無しになるまで殴り続けてあげる」
「否定なんてもうしませんから……放してください……」
悲痛そうな声を上げるシル。私は喜びを覚えた……それが歪んだ喜びだと知っても、この感情はリエルと同じでやめられそうにない。私にとって些細な暴力だけで、シルという美少女を支配できることを知ったから……
「これからは私といつまでも一緒にいるって約束するのなら、もう痛くしない」
「あの……アイルさんと一緒にいます……痛いのは嫌です……」
あのという口癖が相変わらず気に入らないがまぁいい。
正直、これで自分が寂しくないとわかると、安心できていた……
安レストランに私たちはいた。約束どおりトマトソースのパスタと柔らかい白パンをシルにご馳走してあげている。
「さぁ、遠慮はいらないから、どうぞ食べて」
私は笑みを浮かべている。私がご馳走してあげているパスタをシルが美味しそうに食べる姿を見てみたいから……
「あの、ありがとうございます……アイルさん……」
この子の暗い表情も可愛らしく思えて私は笑顔を崩すことができない。それなのにシルは、白パンを手で少しだけ千切っては、少しずつ口に運ぶだけだった……
「トマトソースのパスタ。あの子は好きだった気がするのに……どうして食べないの?」
私が訊くとシルは怯えた様子で白パンを千切って食べるのをやめた。
「あ、あの……もったいないから……」
怯えながらシルは答える。それにしても誰に怯えているのだろうか? 私は訊く気にもなれないでいた。それはどういうわけか自分にもわからない……
「食べなよ」
「あの……パンだけでいいです……」
ストリートチルドレンというのは皆がこうなのだろうか? まるで自分が可愛そうですといわんばかりにパンをかじっているだけ。目の前にある料理になんて見向きもしない。だから私は……
「自分が可哀そうだとでも?」
一人の女の子らしく私は小首を傾げれたと思う……
「あ……」
私はシルがいつまでも千切って食べている白パンを、自らの手で払いのけると、白パンは安レストランの汚い床に落ちた。
「どうしたの? 拾って食べなよ」
「あの……」
シルが最初に使うあのという言葉遣い……とても好きになれない……
「その言葉遣い。今すぐやめて」
私は椅子から立ち上がって、シルを平手打ちで殴った。
座っている椅子から無様に転げ落ちるシルを見て私は笑う。その拍子でせっかくご馳走してあげたパスタも台無しで机から落ちて皿の割れる音が嫌でもする。安レストランにいた数人の客たちが私とシルを見ている。私が支配してやっているのに、どうしてもシルのことが気にいらない。
「床に落ちているものを食べないと、シルのことが好きそうな男たちに差し出すから」
私は本気だった。シルは震えあがり怯えた目で私を見ると、床に落ちたパスタを食べ始める。
「……いい子……」
笑みを浮かべながら私はシルの姿を見る。震えた手で床に落ちたものを食べている惨めなシルを。
「よさないか……」
安レストランにいた客の一人が私に恐る恐る小声で言ったのが聞こえた。店にいた数人の客たちは奇異な目で私を見ている。
「この子はお腹を空かせた可哀そうなストリートチルドレンだから、私は食事をご馳走してあげている」
店の客たちに言い放つ私。
「シル。美味しい食事でしょ?」
私が小首を傾げながら聞くと、
「……は、はい……」
床に落ちたものを食べながらちゃんと返事をしてくれた。
これからは二人で暮らそう。弱いシルを私が支配して守り続ける暮らしを……
私は自宅へとシルを連れて帰ると、まず彼女のにおいを嗅いだ。不潔なにおいはしなかったが、石鹸の匂い一つしないところが女の子らしくないと思った。
「あの、なにを……?」
この子のこの口癖だけはどれだけ殴っても直りそうにない。あきらめるしかないのだろうか。
「髪も大丈夫そうだね。ノミもシラミもない」
シルの銀色の髪を触りながら言う。
「前に水浴びしましたから……」
一応は清潔にしているらしいが、着ている服はボロボロだった。
「あの、やめて……!」
私はシルが着ている服を脱がそうとするのだが、抵抗されたので無理矢理剥ぎ取ると、元がボロボロの服だったので簡単に破れる。
「うう……」
シルは泣き出すのだがどうでもいい。とにかくシャワーを浴びさせて綺麗な服を着させよう。
シャワーのぬるま湯を頭から浴びさせてあげるのだが、シルが泣き止む気配はない。
「いつまで泣いているの? シャワー浴びるのなんてきっと久しぶりでしょ?」
相変わらず冷水が少し混じったぬるま湯だが、水浴びよりずっといいはずだ。
「……パパとママがきっと迎えに来てくれる……」
シルは泣きながら祈るように両手を握りしめていた。
「ああ……確か私のお母さんと呼ぶ人は、スラムの地下鉄で死んだ……自分でも泣いた気がするけど、それは無様に死んでいったと思う……それは私なんかのために……シルは、きっと捨てられたくせにどうして両親を思うの?」
「忘れられないから……」
シルの答えに私は心から馬鹿らしさを感じる。自分をストリートチルドレンにした張本人たちを憎んでいる素振りすらない。やっぱりいい子過ぎるところが癇に障る。
「いい? シルはパパとママに捨てられた。もう迎えにも来ないし、きっとシルのことなんて忘れている」
シルの銀色の髪をシャンプーで洗いながら、私は正しい現実を伝えてあげたつもりなのだが、シルはいっそう泣き続けてしまう。
「泣かないでよ」
泣き止む気配がないシル。なら黙らせるだけだ。
私は後ろからシルの細い首を両手で絞める。
「や、やめて……」
苦しそうなシル。きっと呼吸ができないのはわかっている。
「さっさと泣き止んで命乞いしたらやめてあげる」
耳元で言葉にしてあげても無駄だとわかっている。だって私はシルの首を絞めているから、彼女は言葉を発することができない……
「命乞いなんてできないよね? このまま私が殺してあげるから……どうか暗闇に身を任せて……」
シルの呼吸が浅くなっていく感覚が私の両手から伝わってくる……この子が死んだらまた新しいストリートチルドレンでも探して、気に入ったらまた拾ってあげよう……
『……アイル……もう傷つかないで……』
すぐ後ろで聞こえた声に私は驚いて振り向くがそこには誰もいない。
いるのはリエルによって壊れた私と、ぬるま湯のシャワーが流れ出るバスタブに苦しそうに横たわるシルだけだった……
「……誰か私を抱いてくれませんか……?」
誰にも聞こえない声で私は小声で囁く……
数名の男たちが私の存在に気づいて、一人が私の手を取った……
首筋や顔を舐められ、胸や股の下を好きなだけ触らせてあげた……
終わった後……いつの間に加わっていたのか? 年の近い女の子にキスされた……というより、口移しでクスリをもらう……
「……私の幻覚はすばらしいよ……孤独の世界がそこにあるから……」
そこは私だけの孤独の世界。年の近い女の子は可笑しそうに笑うと、ほかの男に抱き着き始める。私は一人、幻覚の世界を堪能することにする……口の中にあるクスリを飴玉のように少しだけなめると、後はただ飲み込むだけだった……
星一つない暗い夜空を包帯なしの目で見つめる私……暗いお花畑で跪いているもう一人の私……アイルがいる……
「懺悔でもしているの?」
私が訊いてもアイルは跪いているだけで何も答えない。
「今さら誰に許されたいの? 自分のしてきたことは消えないから……私があざ笑ってあげる……アイルのことは私が壊してあげるんだから……」
跪いているアイルの耳元で私は囁くと、約束どおりあざ笑ってみせた。
「……レユに会いたい……」
彼女は懺悔なんかしていなかった。叶いもしない願いを、この暗い孤独の世界で一人跪きながら願っているらしい……
だから興味が一つだけ湧いた……もしかしたら私も男やリエル、それか同じ女以外に幸せを感じられるもの……
「レユと一緒にいられた日々は幸せだったよね……?」
アイルの耳元に私は囁く。アイルの感じていた幸せを知りたくて仕方がないから……だから私の幸せにしたい……
「幸せだったよ。自分が一人じゃないって信じられたから」
アイルは顔を上げて、暗い空に舞う花びらを見つめる。
孤独の世界に閉じ込められる目にあっているのに、その瞳はまるで尊いものでも見ているかのように美しかった……
「気に入らない……私もアイルだから……同じ幸せを感じてみたい……いいでしょ?」
自分が一人じゃないってどんな気分なんだろう? それは温かいの? 愛おしくて孤独を忘れられるなら、私は喜んでアイルの知っている幸せを手に入れるよ……
「誰も傷つけないで……あなたはきっとそうするから……」
「知らない。私の勝手だから」
我に返ると、そこは街灯が点滅しているスラムの広場だった。いつの間にここまでやってきたのか自分でも思い出せない。
「このパンおいしいね」
「うん。とっておいてよかった」
カビの生えたパンを美味しそうに食べている二人の幼い女の子と男の子。哀れだなと思い私は点滅している街灯に目をやる。
駄目だ。目を背けなんてしてはいけない……アイルのできなかったことを私がする……そうすればレユがアイルに与えた幸せを私にも感じることができる……
「ねぇ。もっと美味しいパンをお姉さんがご馳走してあげる」
私なりに優しく言葉したつもりなのに、子供たちは逃げていく。こんな黒いドレスを着たリエル中毒の女が優しく接したところで妖しまれるだけなのだろうか……?
「待って……」
私は手を伸ばすが、子供たちは暗がりへと逃げていった後だった……
「これは汚い手じゃない……温かい人を知りたいだけ……」
私はただ俯いただけなのに、その目からは自然と涙とやらがこみ上げてくる……
「……私は……」
私はなに? 言葉にすれば少しだけだけど楽になるかもしれない。
アイルの思っていることなんて私にはいらない。いらないのに……
「学校にも行けない……綺麗な制服だって着られない……友達もいない……」
自分の嘆きと孤独を一人だけで笑うしかなかった……
「あの、アイルさん?」
私は名前を呼ばれたので、俯くのをやめると、銀色の髪をした少女が不思議そうに小首を傾げていた。まるでどうして泣いているのといわんばかりに不思議そうな表情をしていた。
「あの、私。シルです。忘れました? 食事をくれた……」
ああ……確か……確かそうだ……アイルがずっと前に安レストランで食事を与えたストリートチルドレンの少女だ……
銀色の髪が最初に出会ったころより伸びていて、緑色の澄んだ瞳は私にはお人よしそうな印象を覚えさせる。夏が終わろうとしている夜なのに、半ズボンと白いシャツは相変わらずな出で立ちに思えた。
「……そんな恰好で、飢えた男に今まで襲われなかっただけよかったね……」
シルに嫌味をぶつけたつもりだった……目から出る涙を拭いながらの嫌味……
「逃げ足だけは早いですから」
嫌味を言われたのに、シルは笑っている……可愛らしい子だというのはわかるが、正直怒りを覚えてしまう……どこかいい子すぎるから……
「あの、泣いているんですか?」
いちいちあのという言葉を使うのも気に入らない。
「泣いているけど、いけない?」
私の異様さに気づいたのか? シルは後ろへと少しだけ後ずさる。
「さようなら」
「逃げないでよ。シルには特別に美味しいパスタをご馳走してあげる。柔らかい白いパンも食べさせてあげるから」
まるで弱い虫を捕まえるかのように、私はシルの細い腕を簡単に取った。そして笑う。優しい笑みを浮かべるはずだったのに、不思議と綺麗な銀色の蝶を手に入れたかのように心が舞い踊った気分で、どこか壊れた笑みを自分でも浮かべていたと感じている……
「捕まえたのはいいですけど……」
「いいですけど? 何?」
「今のアイルさんからはなにも貰いたくありません」
「心が気持ちいい私の今を否定するの?」
心が気持ちいのはリエルを飲んでいるから……そんなことは自分でもわかっている。捕まえているシルの手を力いっぱいに握りしめていた。
「あの、痛いです……」
私を否定したから痛くしている。当然だ。
「今度気持ちのいい私を否定したら、可愛い顔が台無しになるまで殴り続けてあげる」
「否定なんてもうしませんから……放してください……」
悲痛そうな声を上げるシル。私は喜びを覚えた……それが歪んだ喜びだと知っても、この感情はリエルと同じでやめられそうにない。私にとって些細な暴力だけで、シルという美少女を支配できることを知ったから……
「これからは私といつまでも一緒にいるって約束するのなら、もう痛くしない」
「あの……アイルさんと一緒にいます……痛いのは嫌です……」
あのという口癖が相変わらず気に入らないがまぁいい。
正直、これで自分が寂しくないとわかると、安心できていた……
安レストランに私たちはいた。約束どおりトマトソースのパスタと柔らかい白パンをシルにご馳走してあげている。
「さぁ、遠慮はいらないから、どうぞ食べて」
私は笑みを浮かべている。私がご馳走してあげているパスタをシルが美味しそうに食べる姿を見てみたいから……
「あの、ありがとうございます……アイルさん……」
この子の暗い表情も可愛らしく思えて私は笑顔を崩すことができない。それなのにシルは、白パンを手で少しだけ千切っては、少しずつ口に運ぶだけだった……
「トマトソースのパスタ。あの子は好きだった気がするのに……どうして食べないの?」
私が訊くとシルは怯えた様子で白パンを千切って食べるのをやめた。
「あ、あの……もったいないから……」
怯えながらシルは答える。それにしても誰に怯えているのだろうか? 私は訊く気にもなれないでいた。それはどういうわけか自分にもわからない……
「食べなよ」
「あの……パンだけでいいです……」
ストリートチルドレンというのは皆がこうなのだろうか? まるで自分が可愛そうですといわんばかりにパンをかじっているだけ。目の前にある料理になんて見向きもしない。だから私は……
「自分が可哀そうだとでも?」
一人の女の子らしく私は小首を傾げれたと思う……
「あ……」
私はシルがいつまでも千切って食べている白パンを、自らの手で払いのけると、白パンは安レストランの汚い床に落ちた。
「どうしたの? 拾って食べなよ」
「あの……」
シルが最初に使うあのという言葉遣い……とても好きになれない……
「その言葉遣い。今すぐやめて」
私は椅子から立ち上がって、シルを平手打ちで殴った。
座っている椅子から無様に転げ落ちるシルを見て私は笑う。その拍子でせっかくご馳走してあげたパスタも台無しで机から落ちて皿の割れる音が嫌でもする。安レストランにいた数人の客たちが私とシルを見ている。私が支配してやっているのに、どうしてもシルのことが気にいらない。
「床に落ちているものを食べないと、シルのことが好きそうな男たちに差し出すから」
私は本気だった。シルは震えあがり怯えた目で私を見ると、床に落ちたパスタを食べ始める。
「……いい子……」
笑みを浮かべながら私はシルの姿を見る。震えた手で床に落ちたものを食べている惨めなシルを。
「よさないか……」
安レストランにいた客の一人が私に恐る恐る小声で言ったのが聞こえた。店にいた数人の客たちは奇異な目で私を見ている。
「この子はお腹を空かせた可哀そうなストリートチルドレンだから、私は食事をご馳走してあげている」
店の客たちに言い放つ私。
「シル。美味しい食事でしょ?」
私が小首を傾げながら聞くと、
「……は、はい……」
床に落ちたものを食べながらちゃんと返事をしてくれた。
これからは二人で暮らそう。弱いシルを私が支配して守り続ける暮らしを……
私は自宅へとシルを連れて帰ると、まず彼女のにおいを嗅いだ。不潔なにおいはしなかったが、石鹸の匂い一つしないところが女の子らしくないと思った。
「あの、なにを……?」
この子のこの口癖だけはどれだけ殴っても直りそうにない。あきらめるしかないのだろうか。
「髪も大丈夫そうだね。ノミもシラミもない」
シルの銀色の髪を触りながら言う。
「前に水浴びしましたから……」
一応は清潔にしているらしいが、着ている服はボロボロだった。
「あの、やめて……!」
私はシルが着ている服を脱がそうとするのだが、抵抗されたので無理矢理剥ぎ取ると、元がボロボロの服だったので簡単に破れる。
「うう……」
シルは泣き出すのだがどうでもいい。とにかくシャワーを浴びさせて綺麗な服を着させよう。
シャワーのぬるま湯を頭から浴びさせてあげるのだが、シルが泣き止む気配はない。
「いつまで泣いているの? シャワー浴びるのなんてきっと久しぶりでしょ?」
相変わらず冷水が少し混じったぬるま湯だが、水浴びよりずっといいはずだ。
「……パパとママがきっと迎えに来てくれる……」
シルは泣きながら祈るように両手を握りしめていた。
「ああ……確か私のお母さんと呼ぶ人は、スラムの地下鉄で死んだ……自分でも泣いた気がするけど、それは無様に死んでいったと思う……それは私なんかのために……シルは、きっと捨てられたくせにどうして両親を思うの?」
「忘れられないから……」
シルの答えに私は心から馬鹿らしさを感じる。自分をストリートチルドレンにした張本人たちを憎んでいる素振りすらない。やっぱりいい子過ぎるところが癇に障る。
「いい? シルはパパとママに捨てられた。もう迎えにも来ないし、きっとシルのことなんて忘れている」
シルの銀色の髪をシャンプーで洗いながら、私は正しい現実を伝えてあげたつもりなのだが、シルはいっそう泣き続けてしまう。
「泣かないでよ」
泣き止む気配がないシル。なら黙らせるだけだ。
私は後ろからシルの細い首を両手で絞める。
「や、やめて……」
苦しそうなシル。きっと呼吸ができないのはわかっている。
「さっさと泣き止んで命乞いしたらやめてあげる」
耳元で言葉にしてあげても無駄だとわかっている。だって私はシルの首を絞めているから、彼女は言葉を発することができない……
「命乞いなんてできないよね? このまま私が殺してあげるから……どうか暗闇に身を任せて……」
シルの呼吸が浅くなっていく感覚が私の両手から伝わってくる……この子が死んだらまた新しいストリートチルドレンでも探して、気に入ったらまた拾ってあげよう……
『……アイル……もう傷つかないで……』
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