1 / 1
プロローグ:凍夜の鳴動
しおりを挟む⸻
「その刃、覚えがある――いいや、“覚えていく”刃だ」
プロローグ:凍夜の鳴動
夜は、低く息をしていた。
封鎖区S-13。
崩れた路面の割れ目から瘴気が立ち、街は黒い霧に縫い留められている。
廃都の鐘楼にて――
二つの光が、再び交わる。
「特作一、応答せよ」
耳内通信に女の声が落ちる。
「聞こえてる、セシリア」
「心拍正常。瘴気濃度B。……前方、熱源ひとつ。孤立種判定」
「取る」
アレクシスは外套の裾を払って膝を落とす。
手甲から銀色の細線を抜き、崩れた街角へ無音で走らせる。
見えない糸が欄干と標識の間を三角に結んだ。
背中の鞘から、片手剣を半ば抜く。
高周波ブレード――《SEVERIN》。
振動子が目覚め、刃の輪郭が空気を震わせた。
曲がり角の先、乾いた擦過音。
影が一つ、ゆら、と顔を上げる。
痩せた女の輪郭。
白磁の肌が煤に汚れ、髪は風に貼り付いている。
“孤立種”。そう読める。
だが、目だけが妙に澄んでいた。
運命は、再び交わる。
青と紅、二つの記憶が封鎖区に呼び覚まされる。
「NCB特殊作戦班――」と、アレクシスは名乗りかけてやめた。
応答は要らない。
女はゆっくり手を上げ、掌に走った赤い線を指先で掬う。
滴が落ちる前に、細い刃へと形を変えた。
「血刃だ。低出力」
「データ取るわ」セシリアが言う。
「接近、どうぞ」
先に動いたのは女だった。
血の細剣が弧を描き、アレクシスの喉を正確に狙う。
彼は半歩外へ流し、SEVERINを軽く当てる。
刃と刃が触れた瞬間、逆位相が走り、赤い刃の輪郭が微かに乱れた。
運命は、再び交わる。
青と紅、二つの記憶が封鎖区に呼び覚まされる。
「……邪魔な音ね」女が低く笑う。
反撃の角度で、アレクシスは銀糸の三角へ誘導する。
影の足首が糸を踏む――切断はしない。
筋を軽く弾いて、膝の力だけを奪う設定。
崩れる体を《SEVERIN》の峰で受け、肩越しに押し返す。
女は膝をつく直前に、血糸を床に伸ばし、自分の体を吊った。
――判断が速い。
孤立種にしては、底がある。
「致死許可は?」
「保留。サンプル優先。右側高所に二次熱源――観測眼かも」
アレクシスは顎だけ動かして屋上を測る。
夜の縁がきら、と反射した。
誰かが見ている。
女が立つ。
呼吸は乱れていない。
指先で刃を回し、今度は横へ払う。
アレクシスは外套の内から左のマグナムを抜く。《MERCY》。
銀被甲弾を一発、足元すれすれに撃つ。
乾いた破裂音。
銀粉が石畳に霧のように散り、再生を鈍らせる。
女の足首が微かによろめく。
その癖、目には怯えも飢えもない。
「名は?」
「――」
沈黙の間合いで、アレクシスは踏み込む。
SEVERINをHARMONICに切り替え、赤い刃の“結び目”を撫でるように断つ。
一瞬、女の鎖骨の下に薄い紋が浮いた。
錯視か、瘴気の揺らぎか。
彼は刃を引き、距離を取る。
「セシリア、今の光、見えたか」
「ログに微弱反応。……紋様っぽいけど、解像が足りない。孤立種判定のままよ」
女は血の刃を解いた。
血は皮膚に吸われ、傷跡ひとつ残らない。
「追って来ないのかしら?」
声の調子は、挑発よりも確認に近かった。
「追ってほしいのか?」
「どちらでも」
女は視線だけで屋上を示す。
アレクシスがその意図を取った刹那、夜風が流れを変え、屋上の反射が消える。
観測は切れた。
「……楽じゃない夜だ」
「いつもそうでしょ」
女は踵を返し、崩れた歩廊を軽やかに渡る。
銀糸に触れる角度を正しく避けていく。
“学ぶ”。
斬り合いの数合で、仕掛けの癖を読む。
孤立種に、そんな余白は普通ない。
「特作一、撤収か追跡か判断を」
「追わない。サンプルを拾う」
アレクシスは弾痕に残った銀粉と、女が吊るために使った血糸の乾きかけを、滅菌キットへ落とす。
「検体搬送、了解。……アレク、顔、少し切れてる」
「わかってる」
風が聖堂の残骸を鳴らし、遠くで犬のような鳴き声がする。
女の気配はもうない。
残ったのは、刃の形を覚えている血の匂いだけだった。
「セシリア」
「なに?」
「孤立種――“らしくない”奴がいる。底がある」
「解析してみる。あなたは休んで。……でも、次は多分、楽じゃない」
アレクシスはSEVERINを鞘に戻し、二丁のマグナムを確かめる。《JUDGEMENT》と《MERCY》。
銀の匂いが手袋に移る。
彼は振り返らず、封鎖線の内側へ歩き出した。
夜明けは、まだ遠い。
それでも彼は歩き出す――
過去の血と、未来の影を背に。
夜は、まだ鳴動している。
誰かが、こちらを見ている。
そして、次は――互いに少しだけ、深く斬れる。
ープロローグ 完ー
⸻
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる