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06.婚約破棄
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快復した数日後、ティエリから話があると呼び出されたのは、モンテクリュ邸の応接間だった。
広々とした空間の中、彼は椅子に浅く腰掛け、クラリーヌを一度も見ようとせず、紅茶の表面をぼんやりと眺めていた。
「体調、戻ったんだって? ……それならよかったよ」
口調だけは相変わらず優しげだった。
けれどその言葉に、心配や労りの色はどこにもなかった。
「きみにはずっと、無理はするなって言ってきたよね? なのに倒れるまで無理をして、周囲に迷惑をかけるなんて……正直、失望したよ」
その言葉に、クラリーヌは手を強く握りしめた。
無理をするように仕向けてきたのは、ティエリではないか。
それも、彼のためだったはずなのに──初めから届いてなどいなかった。
「それにね、きみといると最近、どうも空気が重くてさ。僕としては、もっと笑顔のある生活がしたいというか……気を張らずに過ごせる人のほうが、向いてたのかもしれない」
彼はようやくクラリーヌを見た。
けれどその目は、かつて愛しさを向けた相手を見るものではない。
まるで、使い古して役目を終えた品を、丁寧に片付けるかのような冷たさだった。
「最初はきみの真面目さがいいと思ったんだ。支えてくれる感じがしてさ。でも今思えば、それって重かったんだよね。きみ自身も、ずっと無理してただろ? つまり、最初から合わなかったってことだよ」
彼の言葉は一見論理的で穏やかだったが、そのどれもが、自分は優しくあろうとしているという自己陶酔で彩られていた。
「それと……今、僕の隣には、もっと自然に笑ってくれる人がいるんだ。気も使わなくていいし、僕の考えてることを理解してくれる。……比べるつもりはなかったけど、どうしてもね」
名前を出すまでもなく、誰のことかは明らかだった。
エリサ・ランベール伯爵令嬢。
クラリーヌが倒れた日に、彼の傍らで笑っていた女。
そしてそのときだった。
応接間の奥から、衣擦れの音とともに、侯爵夫人が現れた。
「ようやく気づいたのね、ティエリ。やはり、うちにはもう少し華のある方がふさわしいわ。子爵家のお嬢さんでは限界があるもの。……品も育ちも、やはり出てしまうわね」
上品な口調のまま、侯爵夫人は目を細めてクラリーヌを見た。
まるで、片がついてよかったと言わんばかりの、心底からの解放感を滲ませながら。
「……きみも、わかってるよね?」
ティエリが再び口を開く。
「きみ自身が、この家にふさわしくなかった。無理をして倒れるような人に、僕の婚約者は務まらないよ。だから、婚約は解消しよう。きみのためにも、そのほうがいいと思う」
その声音は、まるで善意のつもりだった。
追い出すくせに、助けてやっていると言わんばかりの、救済者のような口ぶりで。
クラリーヌは、胸の奥にぽっかりと穴があくのを感じながら、それでも背筋を伸ばした。
これ以上、何を言っても無駄だとわかっていた。
「承知しました。……今までお世話になりました」
クラリーヌの声は震えていなかった。
もはや哀しみも、怒りも、感情すら残っていなかったのだ。
ティエリは満足げに頷くと、再び紅茶に口をつけた。
その視線の先に、クラリーヌの姿はもうなかった。
広々とした空間の中、彼は椅子に浅く腰掛け、クラリーヌを一度も見ようとせず、紅茶の表面をぼんやりと眺めていた。
「体調、戻ったんだって? ……それならよかったよ」
口調だけは相変わらず優しげだった。
けれどその言葉に、心配や労りの色はどこにもなかった。
「きみにはずっと、無理はするなって言ってきたよね? なのに倒れるまで無理をして、周囲に迷惑をかけるなんて……正直、失望したよ」
その言葉に、クラリーヌは手を強く握りしめた。
無理をするように仕向けてきたのは、ティエリではないか。
それも、彼のためだったはずなのに──初めから届いてなどいなかった。
「それにね、きみといると最近、どうも空気が重くてさ。僕としては、もっと笑顔のある生活がしたいというか……気を張らずに過ごせる人のほうが、向いてたのかもしれない」
彼はようやくクラリーヌを見た。
けれどその目は、かつて愛しさを向けた相手を見るものではない。
まるで、使い古して役目を終えた品を、丁寧に片付けるかのような冷たさだった。
「最初はきみの真面目さがいいと思ったんだ。支えてくれる感じがしてさ。でも今思えば、それって重かったんだよね。きみ自身も、ずっと無理してただろ? つまり、最初から合わなかったってことだよ」
彼の言葉は一見論理的で穏やかだったが、そのどれもが、自分は優しくあろうとしているという自己陶酔で彩られていた。
「それと……今、僕の隣には、もっと自然に笑ってくれる人がいるんだ。気も使わなくていいし、僕の考えてることを理解してくれる。……比べるつもりはなかったけど、どうしてもね」
名前を出すまでもなく、誰のことかは明らかだった。
エリサ・ランベール伯爵令嬢。
クラリーヌが倒れた日に、彼の傍らで笑っていた女。
そしてそのときだった。
応接間の奥から、衣擦れの音とともに、侯爵夫人が現れた。
「ようやく気づいたのね、ティエリ。やはり、うちにはもう少し華のある方がふさわしいわ。子爵家のお嬢さんでは限界があるもの。……品も育ちも、やはり出てしまうわね」
上品な口調のまま、侯爵夫人は目を細めてクラリーヌを見た。
まるで、片がついてよかったと言わんばかりの、心底からの解放感を滲ませながら。
「……きみも、わかってるよね?」
ティエリが再び口を開く。
「きみ自身が、この家にふさわしくなかった。無理をして倒れるような人に、僕の婚約者は務まらないよ。だから、婚約は解消しよう。きみのためにも、そのほうがいいと思う」
その声音は、まるで善意のつもりだった。
追い出すくせに、助けてやっていると言わんばかりの、救済者のような口ぶりで。
クラリーヌは、胸の奥にぽっかりと穴があくのを感じながら、それでも背筋を伸ばした。
これ以上、何を言っても無駄だとわかっていた。
「承知しました。……今までお世話になりました」
クラリーヌの声は震えていなかった。
もはや哀しみも、怒りも、感情すら残っていなかったのだ。
ティエリは満足げに頷くと、再び紅茶に口をつけた。
その視線の先に、クラリーヌの姿はもうなかった。
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