「無理をするな」と言うだけで何もしなかったあなたへ。今の私は、大公家の公子に大切にされています

葵 すみれ

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11.本当の幸せ

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 王都を離れる日の朝、王城の使者から正式な文書が届けられた。
 クラリーヌ・ラシャンブル嬢を、ベルモント大公家第三公子ジュリアン・ベルモントの婚約者として認可するとの布告書である。

 それは単なる形式ではなかった。
 過去に蔑まれた日々を知る者たちが、それでも彼女の名を正面から口にせざるを得ない、確かな証だった。

 馬車の窓から見える王都の街並みは、あの日と同じだった。
 けれど、心の在り方はまるで違う。

 義務として通った街。苦しみの記憶。
 でも今、それはただの通過点に過ぎなかった。

 クラリーヌはそっとジュリアンの肩にもたれかかる。

「やっと……帰れる気がします」

「ええ。おかえりなさい、クラリーヌ」

 その言葉に、胸の奥がじんわりとあたたかく満たされていく。



 ベルモントの地は、変わらぬ穏やかさに満ちていた。
 豊かな緑と、澄んだ空気と、誠実な人々。
 ここで過ごした時間が、確かにクラリーヌを癒してくれた。

 王都で倒れ、すべてを失ったと思ったあの日。
 手を差し伸べてくれたのは、王城で幾度となく顔を合わせていた黒髪の騎士──ジュリアンだった。
 彼に導かれ、この地に辿り着いたとき、クラリーヌはただ働く場所を得たのだと思っていた。
 けれど、日々を誠実に積み重ね、与えられた役目に真摯に向き合うなかで、周囲の人々は少しずつ、彼女を内側の存在として扱ってくれるようになっていったのだ。

 正式に婚約者として迎えられた日、ジュリアンの両親である当主夫妻は、二人の絆を家の誇りとして、惜しみなく認めてくれた。
 二人の兄もあたたかく迎えてくれ、屋敷に仕える使用人たちも、変わらぬ気配りと敬意で彼女を支えてくれたのだ。

 外から来た者ではなく、この家の一員として扱われること。
 過去には決して得られなかったその温もりが、今、ここにあった。

 そんなある日、邸に一通の私信が届く。
 王都からの手紙だった。そこには祝意とともに、かつての人々の『今』が綴られていた。

 

 ──モンテクリュ侯爵家の嫡男ティエリ。
 元婚約者に過剰な負担を押しつけた末に婚約を破棄し、その後、彼女が大公家の婚約者として迎えられたことで、社交界の評判は地に落ちた。
 「仕事のできない男」「口先だけの気遣い屋」として囁かれ、いまやどの名家からも縁談は打診されず、家督相続も保留のまま。
 社交の場からは、静かに姿を消している。

 そして、その母であるモンテクリュ侯爵夫人もまた責任を問われた。
 「子爵家の娘など、うちにはふさわしくない」と最初からクラリーヌを見下し、婚約者として迎え入れながらも、日々あからさまないびりを重ねていた。
 その高慢な振る舞いが縁談破談の一因と見なされ、今では「身分差別に狂った高慢な姑」と陰で囁かれ、社交界での立場を完全に失っている。
 屋敷に引きこもり、顔を出すこともなくなったという。

 

 ──ランベール伯爵令嬢エリサ。
 王城での騒動と、不遜な態度が尾を引き、社交界では「扱いにくい人物」として距離を置かれるようになっていた。
 さらに、田舎貴族の三男と見下していた相手が大公家の公子だと知るや、あからさまに態度を変えて言い寄る姿を目撃されたことで、「節操がない」「品格に欠ける」との声が急増。
 もともと男性に対して気安すぎる振る舞いが目立っていたこともあり、その名は今や見目麗しいだけの滑稽な令嬢として、陰口の格好の種となっている。



 ──ラシャンブル子爵家。
 かつて見限った娘が大公家の婚約者として迎えられたと知るや、手のひらを返したように「我が家の誇り」と称え、婚儀を通じて恩恵にあずかろうと奔走した。
 だが、大公家はその不誠実な態度を看過せず、申し出は一切受け入れられなかった。

 さらに、過去にクラリーヌの意思を無視してモンテクリュ侯爵家との縁談を強引に進めたこと、婚約破棄の直後には修道院送りや老齢の後妻として処分しようとした計画までもが、関係者の口から明るみに出ることとなる。

 「娘を家の道具としか見なかった無情な家」として、ラシャンブル家は社交界からの信用を完全に失った。
 援助を打ち切られ、縁談も絶え、いまやその名を語る者はほとんどいない。



 クラリーヌは手紙を閉じ、静かに息を吐いた。

「……『無理をするな』と言いながら、結局、誰よりも他人に無理をさせてきた人たち。 その結果が、今の彼らなんですね」

 その横で、ジュリアンは何も言わなかった。
 ただ、彼女のそばに在り続けることで、すべてを支えていた。

「でも、私はもう違います。無理をしなくていい場所で、私らしく生きていく。これからは、それだけです」



 そして春。
 二人は、静かに、しかし温かく見守られるかたちで婚礼を迎えた。

 大仰な披露は望まなかったが、館の人々は自然と花を飾り、菓子を用意し、庭を整えてくれた。
 それは、「あなたがこの家の一員であることが嬉しい」という、無言の祝福だ。

 白い花の庭で、ジュリアンがクラリーヌの手を取る。

「努力を当たり前にされるのではなく、その重みをきちんと見てもらえる場所……あなたに、ようやくそれが届いてよかった」

 クラリーヌは、そっと微笑んで答える。

「頑張ることしか選べなかったあの頃、『無理をするな』と言われても、誰も、無理をしなくていい環境なんてくれなかった。でも、あなたは──黙って支えてくれた。行動で、そっと」

 クラリーヌはまっすぐに、ジュリアンを見つめる。

「だから今度は、私が──無理をさせない人になります」

 ジュリアンはやわらかく目を細め、その手をしっかりと包み込んだ。

「それが、何よりの誓いです。……これからも、二人で」

 春の光が、二人の肩にそっと降り注いでいた。
 誰かに選ばれるためではなく、自分で選び取った未来。
 それが、クラリーヌの本当の幸せだった。
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