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12.この優しさを、運命が壊す前に
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馬車は静かに街道を進んでいく。規則的な車輪の音が、穏やかに耳に響いた。
向かい合う座席の向こうには、いつものように無表情で座るサディアスがいる。沈黙は続いていたけれど、今のオリアナにとっては、それほど居心地の悪いものではなくなっていた。
(この沈黙にも慣れたというより……心地よく感じるなんて)
不思議な気持ちだった。つい先日までは恐れていた相手なのに、今はむしろ気遣いや優しさを感じている。
オリアナがそんなことを考えていると、不意にサディアスが視線を向けてきた。
「疲れてはいませんか?」
「え……?」
「まだ先は長いので、無理はなさらず。休憩が必要なら言ってください」
「あ、ありがとうございます。お気遣い、とても嬉しいですわ」
オリアナが小さく笑みを返すと、サディアスは目をそらして頷いた。
表情は相変わらず変わらないけれど、彼が照れているのが何となく伝わってくる。
(こうして見ていると、本当にただ不器用なだけなのね……)
そんな彼が、妙に可愛らしく思えてしまう自分がいる。
オリアナは微かな笑みを浮かべながら、そっと窓の外に視線を移した。
ちょうどそのとき、馬車が速度を緩め、小さな町の入口に差しかかった。
広場には多くの人が集まり、何やら儀式らしきものが行われている。
白い神官服の一団が、人々に祝福を与えているようだった。
何気なくその光景を見ていたオリアナの目に、一人の女性が映った。
(あの人……)
長く艶やかな黒髪、静謐な青い瞳。そして胸元に輝くのは、神殿の紋章。
オリアナは胸がざわりと騒ぐのを感じた。実際に会ったことはないが、彼女が何者なのか、はっきりとわかる。
(あれは……ライラ?)
『物語』の中の、ヘクターの幼なじみ──後に聖女として覚醒する神官ライラ。
どうして彼女がこんなところにいるのだろうか。
「……知り合いですか?」
サディアスの問いに、オリアナははっと我に返った。
「いえ……見間違いかもしれません。少しだけ気になっただけで……」
「そうですか」
サディアスは静かに頷き、再び窓の外へと目を向ける。
馬車がゆっくりと動き出し、その黒髪の神官──ライラの姿はすぐに視界から消えた。
(まさか、こんなところで出会うなんて……)
『物語』が、確かに動き出している。そんな予感が胸をよぎった。
オリアナは、急に自分の足元が不安定になった気がして、小さく唇を噛んだ。
日が沈み、街道沿いにぽつんと佇む宿に到着した頃には、辺りはすっかり夜の色に染まっていた。
夕食を終え、オリアナは部屋に用意された椅子に腰を下ろすと、深く息をついた。
(疲れたけれど……今日は不思議な日だったわ)
道中で見かけた黒髪の神官、ライラ。
彼女がここに現れるということは、『物語』が本格的に動き始めているという証拠なのだろうか。
(まだ、サディアスと直接関係する出来事ではないけれど……)
何かが迫っている──そんな焦燥感にも似た予感が胸に残る。
不安を紛らわせるように、窓際に立って外を見下ろすと、宿の庭に立つ人影が目に入った。
「あれは……?」
月明かりの下に浮かぶのは、サディアスの横顔だった。
彼はひとり静かに、夜の空を見上げている。
(何をしているのかしら……)
少し迷った末、オリアナは部屋を出て、宿の庭へと向かった。
静かな夜風が頬を撫で、柔らかな草の感触が足元に広がる。
オリアナが近づくと、サディアスは気配に気づいて振り返った。
「……オリアナ姫?」
「あの……眠れなくて。サディアスさまは?」
「私も少し、頭を整理したくて」
短い返答だったけれど、その表情は昼間よりもどこか穏やかで柔らかく見えた。
しばらく黙ったまま、ふたりは夜空を仰いだ。
「昼間……街で何か気になることでも?」
サディアスが静かに問いかける。
「あ……はい、少しだけ」
「そうですか。あなたが不安に感じることがあれば、言ってください」
「……ありがとうございます」
彼の横顔をそっと盗み見ると、いつもよりもさらに柔らかな表情をしているように感じた。
月明かりのせいか、それとも──。
「サディアスさまは、優しいのですね」
思わずそう口にすると、サディアスがぎょっとしたようにこちらを見た。
本当に彼が驚いているのがわかる。目を見開き、ほんのわずかに耳が赤くなったようにも見えた。
「……私が?」
「はい。とても」
「それは……誤解かもしれません」
彼は困惑したように眉をひそめたが、オリアナは小さく首を振った。
「いいえ。最近、そう思うようになったのです。あなたが、私に優しくしてくださるのが、少しだけわかるようになりました」
サディアスは視線を落とし、黙り込む。無表情のままなのに、どこか落ち着きなく視線がさまよっていた。
「あなたにそう思ってもらえるのは、嬉しい」
やっと口を開いた彼の声は、夜の静寂に溶け込むように静かだった。
「……私は、人と接するのが苦手です。これまでずっと、誰かに優しくする方法を知らずに生きてきました」
ぽつりとこぼれた言葉に、胸が小さく震える。
「……あなたが、そう言ってくれるとは思っていませんでした」
どこか遠くを見据えながら、彼は言葉を選ぶようにしてゆっくりと続ける。
「私には難しいと思っていたことを……あなたは、自然に……」
彼の言葉はそこまでで止まり、再び沈黙が訪れる。
だが、その沈黙は決して気まずいものではなく、むしろ甘やかなものだった。
(サディアスは……本当は、ずっと優しい人だったのかもしれない)
『物語』での彼とは全く違う、その人間らしい姿に触れるたびに、胸が温かく満たされていく。
「……夜風は冷えます。そろそろ戻りましょう」
サディアスの声に促され、オリアナは小さく頷いた。
振り返り、宿に戻ろうとしたとき、不意にそっと上着がかけられた。
「あ……」
「風邪をひかれては困りますから」
サディアスはそれだけ言うと、すぐに先に歩き出した。その背中は少しだけ強張って見えたが、オリアナの胸はじんわりと温かくなる。
(やっぱり、優しい方だわ……)
かけられた上着から感じる彼の体温に、オリアナは小さく微笑んだ。
『物語』の中では決して知ることのなかった、この温もりを大切にしたいと、心から願う。
宿へ戻る途中、オリアナはふと夜空を見上げた。
星の煌めきは美しいが、どこか儚げで、不安を呼び覚ます。
(『物語』では……私はサディアスに殺される)
その事実は、何度考えても心を重くする。
けれど、今日の彼を見ていて思った。
(この方は、決して気まぐれで人を殺めるような人ではない。ましてや……妻である私を)
それならば、そこにはどうしても避けられない事情があったはず。
それは、たとえば──。
(王妃、あるいは王家に関わる何か……)
『物語』では、王妃が裏でさまざまな策謀を巡らせていたことを思い出す。
王都で開かれるジュリアナ王女の誕生祭。それがきっかけとなり、王妃と関わりが生じ、何らかの歯車が狂いだしたのかもしれない。
(きっと、誕生祭に何かがあるのだわ)
そしてサディアスは、やむを得ない理由でオリアナを手にかけるしかなかった──。
今ならば、そう考えられる。
(だとしたら、私は何をすれば……)
「……どうかしましたか?」
隣を歩くサディアスが、静かな声で問いかけてくる。
「……いいえ」
オリアナは慌てて笑みを浮かべた。
「ただ、少し考えごとを……」
彼がわずかに眉を寄せ、困惑を浮かべる。その表情がいじらしくて、胸が締めつけられた。
(私は、あの物語の結末を受け入れるつもりはない)
王都で待ち受ける運命に立ち向かおうと、オリアナは改めて心に誓った。
向かい合う座席の向こうには、いつものように無表情で座るサディアスがいる。沈黙は続いていたけれど、今のオリアナにとっては、それほど居心地の悪いものではなくなっていた。
(この沈黙にも慣れたというより……心地よく感じるなんて)
不思議な気持ちだった。つい先日までは恐れていた相手なのに、今はむしろ気遣いや優しさを感じている。
オリアナがそんなことを考えていると、不意にサディアスが視線を向けてきた。
「疲れてはいませんか?」
「え……?」
「まだ先は長いので、無理はなさらず。休憩が必要なら言ってください」
「あ、ありがとうございます。お気遣い、とても嬉しいですわ」
オリアナが小さく笑みを返すと、サディアスは目をそらして頷いた。
表情は相変わらず変わらないけれど、彼が照れているのが何となく伝わってくる。
(こうして見ていると、本当にただ不器用なだけなのね……)
そんな彼が、妙に可愛らしく思えてしまう自分がいる。
オリアナは微かな笑みを浮かべながら、そっと窓の外に視線を移した。
ちょうどそのとき、馬車が速度を緩め、小さな町の入口に差しかかった。
広場には多くの人が集まり、何やら儀式らしきものが行われている。
白い神官服の一団が、人々に祝福を与えているようだった。
何気なくその光景を見ていたオリアナの目に、一人の女性が映った。
(あの人……)
長く艶やかな黒髪、静謐な青い瞳。そして胸元に輝くのは、神殿の紋章。
オリアナは胸がざわりと騒ぐのを感じた。実際に会ったことはないが、彼女が何者なのか、はっきりとわかる。
(あれは……ライラ?)
『物語』の中の、ヘクターの幼なじみ──後に聖女として覚醒する神官ライラ。
どうして彼女がこんなところにいるのだろうか。
「……知り合いですか?」
サディアスの問いに、オリアナははっと我に返った。
「いえ……見間違いかもしれません。少しだけ気になっただけで……」
「そうですか」
サディアスは静かに頷き、再び窓の外へと目を向ける。
馬車がゆっくりと動き出し、その黒髪の神官──ライラの姿はすぐに視界から消えた。
(まさか、こんなところで出会うなんて……)
『物語』が、確かに動き出している。そんな予感が胸をよぎった。
オリアナは、急に自分の足元が不安定になった気がして、小さく唇を噛んだ。
日が沈み、街道沿いにぽつんと佇む宿に到着した頃には、辺りはすっかり夜の色に染まっていた。
夕食を終え、オリアナは部屋に用意された椅子に腰を下ろすと、深く息をついた。
(疲れたけれど……今日は不思議な日だったわ)
道中で見かけた黒髪の神官、ライラ。
彼女がここに現れるということは、『物語』が本格的に動き始めているという証拠なのだろうか。
(まだ、サディアスと直接関係する出来事ではないけれど……)
何かが迫っている──そんな焦燥感にも似た予感が胸に残る。
不安を紛らわせるように、窓際に立って外を見下ろすと、宿の庭に立つ人影が目に入った。
「あれは……?」
月明かりの下に浮かぶのは、サディアスの横顔だった。
彼はひとり静かに、夜の空を見上げている。
(何をしているのかしら……)
少し迷った末、オリアナは部屋を出て、宿の庭へと向かった。
静かな夜風が頬を撫で、柔らかな草の感触が足元に広がる。
オリアナが近づくと、サディアスは気配に気づいて振り返った。
「……オリアナ姫?」
「あの……眠れなくて。サディアスさまは?」
「私も少し、頭を整理したくて」
短い返答だったけれど、その表情は昼間よりもどこか穏やかで柔らかく見えた。
しばらく黙ったまま、ふたりは夜空を仰いだ。
「昼間……街で何か気になることでも?」
サディアスが静かに問いかける。
「あ……はい、少しだけ」
「そうですか。あなたが不安に感じることがあれば、言ってください」
「……ありがとうございます」
彼の横顔をそっと盗み見ると、いつもよりもさらに柔らかな表情をしているように感じた。
月明かりのせいか、それとも──。
「サディアスさまは、優しいのですね」
思わずそう口にすると、サディアスがぎょっとしたようにこちらを見た。
本当に彼が驚いているのがわかる。目を見開き、ほんのわずかに耳が赤くなったようにも見えた。
「……私が?」
「はい。とても」
「それは……誤解かもしれません」
彼は困惑したように眉をひそめたが、オリアナは小さく首を振った。
「いいえ。最近、そう思うようになったのです。あなたが、私に優しくしてくださるのが、少しだけわかるようになりました」
サディアスは視線を落とし、黙り込む。無表情のままなのに、どこか落ち着きなく視線がさまよっていた。
「あなたにそう思ってもらえるのは、嬉しい」
やっと口を開いた彼の声は、夜の静寂に溶け込むように静かだった。
「……私は、人と接するのが苦手です。これまでずっと、誰かに優しくする方法を知らずに生きてきました」
ぽつりとこぼれた言葉に、胸が小さく震える。
「……あなたが、そう言ってくれるとは思っていませんでした」
どこか遠くを見据えながら、彼は言葉を選ぶようにしてゆっくりと続ける。
「私には難しいと思っていたことを……あなたは、自然に……」
彼の言葉はそこまでで止まり、再び沈黙が訪れる。
だが、その沈黙は決して気まずいものではなく、むしろ甘やかなものだった。
(サディアスは……本当は、ずっと優しい人だったのかもしれない)
『物語』での彼とは全く違う、その人間らしい姿に触れるたびに、胸が温かく満たされていく。
「……夜風は冷えます。そろそろ戻りましょう」
サディアスの声に促され、オリアナは小さく頷いた。
振り返り、宿に戻ろうとしたとき、不意にそっと上着がかけられた。
「あ……」
「風邪をひかれては困りますから」
サディアスはそれだけ言うと、すぐに先に歩き出した。その背中は少しだけ強張って見えたが、オリアナの胸はじんわりと温かくなる。
(やっぱり、優しい方だわ……)
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『物語』の中では決して知ることのなかった、この温もりを大切にしたいと、心から願う。
宿へ戻る途中、オリアナはふと夜空を見上げた。
星の煌めきは美しいが、どこか儚げで、不安を呼び覚ます。
(『物語』では……私はサディアスに殺される)
その事実は、何度考えても心を重くする。
けれど、今日の彼を見ていて思った。
(この方は、決して気まぐれで人を殺めるような人ではない。ましてや……妻である私を)
それならば、そこにはどうしても避けられない事情があったはず。
それは、たとえば──。
(王妃、あるいは王家に関わる何か……)
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王都で開かれるジュリアナ王女の誕生祭。それがきっかけとなり、王妃と関わりが生じ、何らかの歯車が狂いだしたのかもしれない。
(きっと、誕生祭に何かがあるのだわ)
そしてサディアスは、やむを得ない理由でオリアナを手にかけるしかなかった──。
今ならば、そう考えられる。
(だとしたら、私は何をすれば……)
「……どうかしましたか?」
隣を歩くサディアスが、静かな声で問いかけてくる。
「……いいえ」
オリアナは慌てて笑みを浮かべた。
「ただ、少し考えごとを……」
彼がわずかに眉を寄せ、困惑を浮かべる。その表情がいじらしくて、胸が締めつけられた。
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