天然の仮面を被った令嬢は、すべてを賭けて傭兵領主に嫁ぐ──愛と復讐を誓う、たったひとりのあなたへ

葵 すみれ

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06.名ばかりの夫婦、その第一夜2

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 扉を静かに閉じたあと、レオは手を離すのにわずかに時間がかかった。
 手のひらがじんわりと汗ばんでいたことに気づいて、眉をひそめる。
 こんなはずじゃなかった。

 ──あれで、夫婦になったつもりか。

 式も、指輪も、祝宴もない。
 神官が形式的に立ち会い、署名を交わしただけの婚姻。
 互いの意思も、感情も、どこにも必要とされていなかった。

(紙切れ一枚。……それで十分だろう)

 そう思っていたはずだった。
 感情など、必要ない。
 この結婚は、目的のための取引にすぎない。
 なのに──。

(……何を考えてる、あの女は)

 ふわふわとした笑顔。
 間延びした声音。
 空気を読まない天然令嬢──のはずだった。

 だが。
 あの一言。

「お名前も、由来も……ちゃんと知りませんと、味が変わってしまいそうですもの」

 それはまるで、“本当のあなたを見せて”と告げる誘い文句のようだった。
 そして、極めつけは。

「おやすみのキスはいただけませんの?」

 軽い冗談、という風を装ったその一言。
 けれど、彼女の目は冗談を言う目ではなかった。

 確かに、笑っていた。
 でも──笑っているのは“仮面”のほうだ。
 それがわかってしまった自分が、腹立たしい。

(気づいてる。あいつは、自分がどう見られているかを、完璧にわかってる)

 だからこそ、隙を演じ、弱さを武器にする。
 あの女は自分の価値と脆さを、天秤にかける目をしていた。

 なのに。

 なぜ、あのとき……手を伸ばさなかったのだろうか。
 脅して、組み伏せて、思い知らせるはずだった。
 どちらが主で、どちらが従か。
 それを初夜のうちに、刻みつけるつもりだった。

 けれど──できなかった。

 あの柔らかい声と、笑顔の奥に潜む冷たい意志が、刃のように自分を見透かしてくる気がして。

 レオは廊下の柱に拳を当てて、息をひとつ吐いた。
 心がざわついている。

(……利用するだけだ。あれは、仇の家の娘だ。この結婚も、ただ──過去に決着をつけるための一手にすぎない)

 けれど、心のどこかが、静かに反論していた。

 ──本当にそうか?

 あの瞳の奥には、敵意も傲慢さもなかった。
 ただ、ひたむきに何かを見極めようとする光──まるで、かつてどこかで見たような。

(……いや。違う。それは、気のせいだ)

 自分を惑わすな。
 あれはただの女だ。目的のために“使い切る”はずの存在だ。

 それでも。
 今夜、あの仮面の奥に見えたものが──妙に、胸に残っている。

 ──勝ったのは、あの女だ。
 それを認めたくない自分が、いちばんたちが悪い。
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