19 / 95
19.それは“必要”という名の贈り物1
仕立て屋の扉をくぐった瞬間、甘やかな布の匂いが鼻をくすぐった。
柔らかな絹や織地が静かに並ぶ空間に、店主がすぐさま気づき、姿勢を正して迎えに来る。
「アッシュグレイヴ男爵さま、お久しゅうございます。……本日はご夫婦で?」
「ああ。夜会用のドレスが要る。間に合うか?」
「もちろんでございますとも。奥さまのお好みを伺いながら──」
「任せる」
レオはぶっきらぼうにそう言い捨て、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
目線だけでパメラを促す。彼女は一瞬まばたきをしてから、そっと頷き、布の棚へと歩み出る。
「……こんなに、たくさん……」
誰にともなくこぼした声が、妙に耳に残る。
手に取ったのは、淡いブルーグレーの絹地。次いで、深みのある葡萄色。派手ではないが、どれも光を受けて柔らかな艶を返していた。
「これなど……どうでしょう。少し落ち着いた色ですが、裾に銀糸の刺繍を入れれば、夜会にも……」
「それじゃ地味すぎる」
思わず、口が先に動いた。
パメラが振り返る。驚いたような表情に、わずかな紅がさす。
「……そう、ですか?」
「ああ。もっと華のあるやつにしろ。夜会だ。出席者の目に触れる」
「……はい」
視線を落とし、再び布を手に取り始めた後ろ姿。
その肩越しに覗く横顔は、どう見ても──ほんの少し、嬉しそうだった。
(……なんだ、その顔は)
レオは喉の奥に引っかかった何かを、ごくりとのみ込んだ。
控えめで、遠慮がちで、何かにつけて「わたくしなど」と引いてみせる。
だというのに、なぜか、目が離せなかった。
そして──また、言葉が勝手に口を突いて出た。
「……夜会のだけじゃねぇ。普段着も頼む」
椅子に身を預けたまま、レオは店主に顔を向けた。
「外出着、部屋着、靴、それから帽子もだ。奥方に必要なものを一通り。見劣りしない程度で、派手すぎず……質は落とすな」
店主は一瞬だけ目を見張ったが、すぐに柔らかな笑みで頷いた。
「承知いたしました、男爵さま。寸法をいただき、すぐにご用意いたします」
それを聞いて、パメラが驚いたようにこちらを振り返る。
両手で生地を押さえ、小さく呟いた。
「……これ以上は、贅沢ではないでしょうか」
控えめに遠慮するその声に、レオは即座に眉をひそめる。
「必要なものだ。みすぼらしい格好の奥方が隣にいちゃ、家の格が疑われる」
言葉は冷ややかだが、それは照れ隠しのようにも聞こえる。
だが、それだけでは終わらない。
一拍置いて、レオは視線を逸らしたまま、ぽつりと続ける。
「……マルトン夫人の件もある。あれくらい追い払ってくれりゃ、礼のひとつもして当然だろ」
無理やり言い訳を押し込んだような声音だった。
パメラは一瞬きょとんとしたように目を見開き──次いで、ふんわりと微笑んだ。
その笑みには、どこか誇らしさと、わずかな照れが交じっている。
「では……ありがたく甘えさせていただきますわ、レオさま」
ふわふわとした声に、レオはそっぽを向いたまま、短く言い捨てた。
「……そうしろ」
彼女がまた布に向き直ったのを見届けたとき、レオはようやく小さく息を吐いた。
(……ああ、まただ。なんでこんなことを言った)
そう思っても、もはや止まらない。支払いの話は進み、注文もすっかり確定している。
目を輝かせながら布を選ぶその横顔が、なぜか──この場所の空気と妙に馴染んで見えた。
──ただの礼だ。あくまで、それだけのはずだ。
そう何度でも自分に言い聞かせながら、レオはゆっくりと椅子を立った。
「……行くぞ。次は宝石だ」
「はい。ご一緒いたしますわ」
控えめな返事に込められた小さな喜びの気配を、レオは否応なく感じ取っていた。
その足取りには、わずかに弾むような軽さがあった。
柔らかな絹や織地が静かに並ぶ空間に、店主がすぐさま気づき、姿勢を正して迎えに来る。
「アッシュグレイヴ男爵さま、お久しゅうございます。……本日はご夫婦で?」
「ああ。夜会用のドレスが要る。間に合うか?」
「もちろんでございますとも。奥さまのお好みを伺いながら──」
「任せる」
レオはぶっきらぼうにそう言い捨て、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
目線だけでパメラを促す。彼女は一瞬まばたきをしてから、そっと頷き、布の棚へと歩み出る。
「……こんなに、たくさん……」
誰にともなくこぼした声が、妙に耳に残る。
手に取ったのは、淡いブルーグレーの絹地。次いで、深みのある葡萄色。派手ではないが、どれも光を受けて柔らかな艶を返していた。
「これなど……どうでしょう。少し落ち着いた色ですが、裾に銀糸の刺繍を入れれば、夜会にも……」
「それじゃ地味すぎる」
思わず、口が先に動いた。
パメラが振り返る。驚いたような表情に、わずかな紅がさす。
「……そう、ですか?」
「ああ。もっと華のあるやつにしろ。夜会だ。出席者の目に触れる」
「……はい」
視線を落とし、再び布を手に取り始めた後ろ姿。
その肩越しに覗く横顔は、どう見ても──ほんの少し、嬉しそうだった。
(……なんだ、その顔は)
レオは喉の奥に引っかかった何かを、ごくりとのみ込んだ。
控えめで、遠慮がちで、何かにつけて「わたくしなど」と引いてみせる。
だというのに、なぜか、目が離せなかった。
そして──また、言葉が勝手に口を突いて出た。
「……夜会のだけじゃねぇ。普段着も頼む」
椅子に身を預けたまま、レオは店主に顔を向けた。
「外出着、部屋着、靴、それから帽子もだ。奥方に必要なものを一通り。見劣りしない程度で、派手すぎず……質は落とすな」
店主は一瞬だけ目を見張ったが、すぐに柔らかな笑みで頷いた。
「承知いたしました、男爵さま。寸法をいただき、すぐにご用意いたします」
それを聞いて、パメラが驚いたようにこちらを振り返る。
両手で生地を押さえ、小さく呟いた。
「……これ以上は、贅沢ではないでしょうか」
控えめに遠慮するその声に、レオは即座に眉をひそめる。
「必要なものだ。みすぼらしい格好の奥方が隣にいちゃ、家の格が疑われる」
言葉は冷ややかだが、それは照れ隠しのようにも聞こえる。
だが、それだけでは終わらない。
一拍置いて、レオは視線を逸らしたまま、ぽつりと続ける。
「……マルトン夫人の件もある。あれくらい追い払ってくれりゃ、礼のひとつもして当然だろ」
無理やり言い訳を押し込んだような声音だった。
パメラは一瞬きょとんとしたように目を見開き──次いで、ふんわりと微笑んだ。
その笑みには、どこか誇らしさと、わずかな照れが交じっている。
「では……ありがたく甘えさせていただきますわ、レオさま」
ふわふわとした声に、レオはそっぽを向いたまま、短く言い捨てた。
「……そうしろ」
彼女がまた布に向き直ったのを見届けたとき、レオはようやく小さく息を吐いた。
(……ああ、まただ。なんでこんなことを言った)
そう思っても、もはや止まらない。支払いの話は進み、注文もすっかり確定している。
目を輝かせながら布を選ぶその横顔が、なぜか──この場所の空気と妙に馴染んで見えた。
──ただの礼だ。あくまで、それだけのはずだ。
そう何度でも自分に言い聞かせながら、レオはゆっくりと椅子を立った。
「……行くぞ。次は宝石だ」
「はい。ご一緒いたしますわ」
控えめな返事に込められた小さな喜びの気配を、レオは否応なく感じ取っていた。
その足取りには、わずかに弾むような軽さがあった。
あなたにおすすめの小説
【完結】時戻り令嬢は復讐する
やまぐちこはる
恋愛
ソイスト侯爵令嬢ユートリーと想いあう婚約者ナイジェルス王子との結婚を楽しみにしていた。
しかしナイジェルスが長期の視察に出た数日後、ナイジェルス一行が襲撃された事を知って倒れたユートリーにも魔の手が。
自分の身に何が起きたかユートリーが理解した直後、ユートリーの命もその灯火を消した・・・と思ったが、まるで悪夢を見ていたように目が覚める。
夢だったのか、それともまさか時を遡ったのか?
迷いながらもユートリーは動き出す。
サスペンス要素ありの作品です。
設定は緩いです。
6時と18時の一日2回更新予定で、全80話です、よろしくお願い致します。
【完結】侯爵令嬢は破滅を前に笑う
黒塔真実
恋愛
【番外編更新に向けて再編集中~内容は変わっておりません】禁断の恋に身を焦がし、来世で結ばれようと固く誓い合って二人で身投げした。そうして今生でもめぐり会い、せっかく婚約者同士になれたのに、国の内乱で英雄となった彼は、彼女を捨てて王女と王位を選んだ。
最愛の婚約者である公爵デリアンに婚約破棄を言い渡された侯爵令嬢アレイシアは、裏切られた前世からの恋の復讐のために剣を取る――今一人の女の壮大な復讐劇が始まる!!
※なろうと重複投稿です。★番外編「東へと続く道」「横取りされた花嫁」の二本を追加予定★
愛しているだなんて戯言を言われても迷惑です
風見ゆうみ
恋愛
わたくし、ルキア・レイング伯爵令嬢は、政略結婚により、ドーウッド伯爵家の次男であるミゲル・ドーウッドと結婚いたしました。
ミゲルは次男ですから、ドーウッド家を継げないため、レイング家の婿養子となり、レイング家の伯爵の爵位を継ぐ事になったのです。
女性でも爵位を継げる国ではありましたが、そうしなかったのは、わたくしは泣き虫で、声も小さく、何か言われるたびに、怯えてビクビクしていましたから。
結婚式の日の晩、寝室に向かうと、わたくしはミゲルから「本当は君の様な女性とは結婚したくなかった。爵位の為だ。君の事なんて愛してもいないし、これから、愛せるわけがない」と言われてしまいます。
何もかも嫌になった、わたくしは、死を選んだのですが…。
「はあ? なんで、私が死なないといけないの!? 悪いのはあっちじゃないの!」
死んだはずのルキアの身体に事故で亡くなった、私、スズの魂が入り込んでしまった。
今のところ、爵位はミゲルにはなく、父のままである。
この男に渡すくらいなら、私が女伯爵になるわ!
性格が変わった私に、ミゲルは態度を変えてきたけど、絶対に離婚! 当たり前でしょ。
※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。
※中世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観です。
※ざまぁは過度ではありません。
※話が気に入らない場合は閉じて下さいませ。
【完結】離縁したいのなら、もっと穏便な方法もありましたのに。では、徹底的にやらせて頂きますね
との
恋愛
離婚したいのですか? 喜んでお受けします。
でも、本当に大丈夫なんでしょうか?
伯爵様・・自滅の道を行ってません?
まあ、徹底的にやらせて頂くだけですが。
収納スキル持ちの主人公と、錬金術師と異名をとる父親が爆走します。
(父さんの今の顔を見たらフリーカンパニーの団長も怯えるわ。ちっちゃい頃の私だったら確実に泣いてる)
ーーーーーー
ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。
32話、完結迄予約投稿済みです。
R15は念の為・・
第一王子に裏切られた私は意外と身近に転生しました。さぁ復讐を始めましょう……
水城ゆき
恋愛
公爵令嬢のメリアンナは知ってしまった。婚約者である第一王子アストレアが自分の屋敷のメイドであるミレーナにラブレターを送った事を。
憤怒したメリアンナは二人の恋を実らせまいと行動するが、その作戦が上手くいきかけた時。
突然現れたミレーナを見て、思わずアストレアは抱きしめていたメリアンナを突き飛ばした。
メリアンナは階段を転落する事になり、そのまま命を落としてしまう。
しかし次に目覚めた時、メリアンナは第二王子の長女として以前の記憶を保ったまま生まれ変わっていたのだ。
ここからメリアンナの復讐が始まる。
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
◆◆◆◆◆◆◆◆
作品の転載(スクショ含む)を禁止します。
無断の利用は商用、非営利目的を含め利用を禁止します。
作品の加工・再配布・二次創作を禁止します
問い合わせはプロフィールからTwitterのアカウントにDMをお願いします
◆◆◆◆◆◆◆◆
【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。