天然の仮面を被った令嬢は、すべてを賭けて傭兵領主に嫁ぐ──愛と復讐を誓う、たったひとりのあなたへ

葵 すみれ

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19.それは“必要”という名の贈り物1

 仕立て屋の扉をくぐった瞬間、甘やかな布の匂いが鼻をくすぐった。
 柔らかな絹や織地が静かに並ぶ空間に、店主がすぐさま気づき、姿勢を正して迎えに来る。

「アッシュグレイヴ男爵さま、お久しゅうございます。……本日はご夫婦で?」

「ああ。夜会用のドレスが要る。間に合うか?」

「もちろんでございますとも。奥さまのお好みを伺いながら──」

「任せる」

 レオはぶっきらぼうにそう言い捨て、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
 目線だけでパメラを促す。彼女は一瞬まばたきをしてから、そっと頷き、布の棚へと歩み出る。

「……こんなに、たくさん……」

 誰にともなくこぼした声が、妙に耳に残る。
 手に取ったのは、淡いブルーグレーの絹地。次いで、深みのある葡萄色。派手ではないが、どれも光を受けて柔らかな艶を返していた。

「これなど……どうでしょう。少し落ち着いた色ですが、裾に銀糸の刺繍を入れれば、夜会にも……」

「それじゃ地味すぎる」

 思わず、口が先に動いた。
 パメラが振り返る。驚いたような表情に、わずかな紅がさす。

「……そう、ですか?」

「ああ。もっと華のあるやつにしろ。夜会だ。出席者の目に触れる」

「……はい」

 視線を落とし、再び布を手に取り始めた後ろ姿。
 その肩越しに覗く横顔は、どう見ても──ほんの少し、嬉しそうだった。

(……なんだ、その顔は)

 レオは喉の奥に引っかかった何かを、ごくりとのみ込んだ。

 控えめで、遠慮がちで、何かにつけて「わたくしなど」と引いてみせる。
 だというのに、なぜか、目が離せなかった。

 そして──また、言葉が勝手に口を突いて出た。

「……夜会のだけじゃねぇ。普段着も頼む」

 椅子に身を預けたまま、レオは店主に顔を向けた。

「外出着、部屋着、靴、それから帽子もだ。奥方に必要なものを一通り。見劣りしない程度で、派手すぎず……質は落とすな」

 店主は一瞬だけ目を見張ったが、すぐに柔らかな笑みで頷いた。

「承知いたしました、男爵さま。寸法をいただき、すぐにご用意いたします」

 それを聞いて、パメラが驚いたようにこちらを振り返る。
 両手で生地を押さえ、小さく呟いた。

「……これ以上は、贅沢ではないでしょうか」

 控えめに遠慮するその声に、レオは即座に眉をひそめる。

「必要なものだ。みすぼらしい格好の奥方が隣にいちゃ、家の格が疑われる」

 言葉は冷ややかだが、それは照れ隠しのようにも聞こえる。
 だが、それだけでは終わらない。

 一拍置いて、レオは視線を逸らしたまま、ぽつりと続ける。

「……マルトン夫人の件もある。あれくらい追い払ってくれりゃ、礼のひとつもして当然だろ」

 無理やり言い訳を押し込んだような声音だった。
 パメラは一瞬きょとんとしたように目を見開き──次いで、ふんわりと微笑んだ。
 その笑みには、どこか誇らしさと、わずかな照れが交じっている。

「では……ありがたく甘えさせていただきますわ、レオさま」

 ふわふわとした声に、レオはそっぽを向いたまま、短く言い捨てた。

「……そうしろ」

 彼女がまた布に向き直ったのを見届けたとき、レオはようやく小さく息を吐いた。

(……ああ、まただ。なんでこんなことを言った)

 そう思っても、もはや止まらない。支払いの話は進み、注文もすっかり確定している。
 目を輝かせながら布を選ぶその横顔が、なぜか──この場所の空気と妙に馴染んで見えた。

 ──ただの礼だ。あくまで、それだけのはずだ。

 そう何度でも自分に言い聞かせながら、レオはゆっくりと椅子を立った。

「……行くぞ。次は宝石だ」

「はい。ご一緒いたしますわ」

 控えめな返事に込められた小さな喜びの気配を、レオは否応なく感じ取っていた。
 その足取りには、わずかに弾むような軽さがあった。

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