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42.信じた一夜2
レオは、執務室の扉を開けたまま、使用人の言葉を反芻していた。
「──奥さまなら、今朝、おひとりで外出されましたの。行き先は……ご実家だと」
「……ラングリー家、だと?」
絞り出すように繰り返した声は、低く沈んでいた。
ラングリー家。それは、レオにとって“敵の名”だった。
その家の娘が、よりによって──よりにもよって、黙って戻ったというのか。
「なんでそんな勝手な真似を……!」
拳が机を叩く直前、慌てて間に入った侍女が、そっと一枚の便箋を差し出してきた。
「こちら……書斎に置かれておりました。きっと、奥さまは旦那さまにご迷惑をかけたくなくて……」
その手紙は、見覚えのある封蝋で綴られていた。ラングリー家の印──中を開けば、金銭援助の要求が並んでいる。
格調を装った文体。家の名を背負う娘への期待。
だが、要約すればただ一言。「金をよこせ」。
レオは無言のまま手紙を置いた。
怒りの熱が、皮膚の下を這う。けれどその炎の正体は、単なる怒りだけではない。
あいつは──パメラは、何も言わなかった。
この手紙を見せず、言い訳もせず、ただ黙って姿を消した。
(黙って、あんな場所へ戻るなんて……)
屋敷は、妙に静かだった。
パメラがいないだけで、使用人たちの足取りさえ重い。誰もが、どこか心ここにあらずの様子だった。
(……すっかり、この屋敷を掌握していたんだな、あの女)
いつの間に、こんなにも空気を変えたのか。
ふわふわした笑顔の裏で、どれほどの計算を巡らせていたのか。
(あいつは弱者の皮を被った、計算高い獣だ)
そう言い聞かせるように、レオは心の中で呟く。
だがその“獣”は、一度だって、彼の足を引っ張るような真似をしなかった。
──むしろ、立ててくれた。
評判を上げるようにふるまい、自分の利益を得るついでに、レオをも“よき夫”として見せる。
そのやり方は、抜かりなく、見事だった。
……そして、思い出す。
屋敷に来たばかりの頃のパメラは、明らかに痩せていた。
着慣れていないドレスの下から浮かぶ肩の細さに、当初は「貧相な育ち」としか思っていなかった。
だが、夜会で出会ったあの女──ミランダ・ラングリーは、違った。
肉付きのよい顔に、勝ち気な目元。贅沢な暮らしぶりが容易に見て取れる外見だった。
(あの女、自分のことをパメラより上だと思ってやがった)
そのくせ、品格もなければ気品もない。
ああいう女が、姉に当たる者を大人しく立てるとは思えない。
(……もしかすると、パメラは)
そう思った瞬間、レオは思考を遮った。
もし、あの女が虐げられていたとしても──それでも、ラングリー家の娘であることには変わりない。
(あいつは、仇の娘だ)
それでも、どうしてだろう。
思い浮かぶのは、笑顔だった。
新調したドレスに袖を通し、くるりと一回転して見せた日のこと。
作り物ではない、素の笑顔。
その一瞬が、どうしようもなく胸に残っている。
あれはただの仇だ──そう言い切れない自分がいる。
レオは、立ち上がった。
「……迎えに行ってくる」
誰に向けたでもないその言葉を、侍女は小さく目を見開き──けれど、何も問わずに見送った。
レオはそのまま、外套を羽織って屋敷を出る。
夜気のなか、馬の蹄が石畳を叩く音だけが、静かに響いていた。
「──奥さまなら、今朝、おひとりで外出されましたの。行き先は……ご実家だと」
「……ラングリー家、だと?」
絞り出すように繰り返した声は、低く沈んでいた。
ラングリー家。それは、レオにとって“敵の名”だった。
その家の娘が、よりによって──よりにもよって、黙って戻ったというのか。
「なんでそんな勝手な真似を……!」
拳が机を叩く直前、慌てて間に入った侍女が、そっと一枚の便箋を差し出してきた。
「こちら……書斎に置かれておりました。きっと、奥さまは旦那さまにご迷惑をかけたくなくて……」
その手紙は、見覚えのある封蝋で綴られていた。ラングリー家の印──中を開けば、金銭援助の要求が並んでいる。
格調を装った文体。家の名を背負う娘への期待。
だが、要約すればただ一言。「金をよこせ」。
レオは無言のまま手紙を置いた。
怒りの熱が、皮膚の下を這う。けれどその炎の正体は、単なる怒りだけではない。
あいつは──パメラは、何も言わなかった。
この手紙を見せず、言い訳もせず、ただ黙って姿を消した。
(黙って、あんな場所へ戻るなんて……)
屋敷は、妙に静かだった。
パメラがいないだけで、使用人たちの足取りさえ重い。誰もが、どこか心ここにあらずの様子だった。
(……すっかり、この屋敷を掌握していたんだな、あの女)
いつの間に、こんなにも空気を変えたのか。
ふわふわした笑顔の裏で、どれほどの計算を巡らせていたのか。
(あいつは弱者の皮を被った、計算高い獣だ)
そう言い聞かせるように、レオは心の中で呟く。
だがその“獣”は、一度だって、彼の足を引っ張るような真似をしなかった。
──むしろ、立ててくれた。
評判を上げるようにふるまい、自分の利益を得るついでに、レオをも“よき夫”として見せる。
そのやり方は、抜かりなく、見事だった。
……そして、思い出す。
屋敷に来たばかりの頃のパメラは、明らかに痩せていた。
着慣れていないドレスの下から浮かぶ肩の細さに、当初は「貧相な育ち」としか思っていなかった。
だが、夜会で出会ったあの女──ミランダ・ラングリーは、違った。
肉付きのよい顔に、勝ち気な目元。贅沢な暮らしぶりが容易に見て取れる外見だった。
(あの女、自分のことをパメラより上だと思ってやがった)
そのくせ、品格もなければ気品もない。
ああいう女が、姉に当たる者を大人しく立てるとは思えない。
(……もしかすると、パメラは)
そう思った瞬間、レオは思考を遮った。
もし、あの女が虐げられていたとしても──それでも、ラングリー家の娘であることには変わりない。
(あいつは、仇の娘だ)
それでも、どうしてだろう。
思い浮かぶのは、笑顔だった。
新調したドレスに袖を通し、くるりと一回転して見せた日のこと。
作り物ではない、素の笑顔。
その一瞬が、どうしようもなく胸に残っている。
あれはただの仇だ──そう言い切れない自分がいる。
レオは、立ち上がった。
「……迎えに行ってくる」
誰に向けたでもないその言葉を、侍女は小さく目を見開き──けれど、何も問わずに見送った。
レオはそのまま、外套を羽織って屋敷を出る。
夜気のなか、馬の蹄が石畳を叩く音だけが、静かに響いていた。
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