ツンデレの弓月先輩は「おあずけ」が出来ない後輩ワンコにお困り中

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第1章 甘い地獄のはじまり

1. 買い出し

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(……あー、なんやろなぁ、この感じ……)

弓月涼馬は、困惑していた。
ふわふわと地に足がついていない感覚で顔が熱く、心地いいような、それがまた胸苦しくて泣きたいような……。
9月の早朝、風さわやかなグラウンドで、思い思いにランニングに励む部員たちを眺めるふりをしながら、キャプテン弓月の意識は、まったく別のことに飛んでいた。

(……とうとうあいつと、キス、してもうたなぁ……)

弓月の目の奥には、前夜の精悍な神矢広太の肉体がまざまざと浮かび上がっていた。
弓月への情欲に駆られ、のぼりつめた神矢のモノの凶器に近い雄々しさ。
弓月の身も心も蕩かした、もどかしくも荒々しい、燃えるような口づけ。

(あいつ、普段はほよんとしとんのに、アノ時はあんなんなるんやなぁ……)

思い返しただけで弓月は全身が小さく震え、頬が火照りだして目が潤むのを感じた。

(……あかんわ。朝から最悪や……)

このまま神矢のことを考えていると、朝練の真っただ中で発情しかねない。
どうしようと頭を必死に回転させていると、背後から息せき切って駆けてくる、聞き慣れたあわて声が聞こえて来た。

「すんませーん!!!寝坊してもうたっすー!!!」

その瞬間、自分でも驚くほどの速さで、弓月のスイッチは切り替わった。

「神矢!お前何しとんねん!何分遅刻やと思ってる!」

ピリリと朝の空気を震わすような弓月の叱声がグラウンドに響き渡った。

「ふぇ~、はいっすー!」
「はよランニングの列に加われ!」

遅刻した申し訳なさに半泣きの顔で駆けていく、なんだか頼りないいつも通りのその大きな後ろ姿を見つめながら、弓月は、少しほっとしている自分に気づいた。

(……大丈夫や。俺たち、なんも変わってへん)

神矢は不器用だがこれまで遅刻したことはなかった。だから、今朝の遅刻は「昨日の今日だから」ということはあったのだろう。

(……あいつも興奮して寝付けへんかったのかもな)

そう思うと弓月は、この甘い高揚感を神矢と共有しているという背徳的な喜びを感じる一方で、今後出てくるかもしれないその弊害への不安で、気持ちがざわつくのを感じた。

(こんな頭ん中桃色で、ほんまに秋季大会勝ち抜いて行けるんか……?)


弓月は朝の打撃練習を終えて、ひとり部室で着替えをしていた。
そこに、走り込みが終わった神矢が、練習に遅刻したことを詫びようとやってきた。

「……あっ、あのっ……弓月、先輩……」

呼びかけに気づいて弓月が振り返ると、神矢の顔は真っ赤で、挙動不審なほど視線がさまよっていた。
おそらく自分と同様に、昨夜のことを思い出して照れくさいのだろうと思うと、弓月にも苦笑する心の余裕が出来た。

「……なんや」

わざとつっけんどんに聞き返すと、神矢はちらりと弓月の顔をうかがうように見て、また目をそらして真っ赤になった。

(……お前、今絶対、俺の顔見てやらしいこと思い出したやろ……)

そう思うと弓月も恥ずかしくなり、唇を小さく尖らせて、困ったように大げさに腕を組んだ。

「広太、お前今日遅刻した罰として、次の土曜、当番の代わりに買い出しな」
「……えっ?は、はいっす……!」

暁星国際の野球部では、スポーツドリンクやガム、糖分補給のための菓子などを買い出しに行く際は、最寄駅から電車で数駅の街にある、大きなドラッグストアまで行っていた。
寮の近くにスーパーがないことと、そのドラッグストアでないと売っていない商品があったためである。
普段は一年の補欠メンバーがふたり、輪番で買い出しに行くのだが、意外に重労働であるため、今回のようにたまに補欠でない部員が、遅刻などの罰則の意味合いで行かされることもあった。

「買い出しのことは、俺からマネージャーに言うとく」

照れ隠しに背を向けてそっけなくそう言うと、神矢の返事がないので、不審に思ってふと振り向いた弓月は、いつのまにか自分の背後のすぐ近くに神矢がぬぅっと立っていることに気づいて、びくっとした。

「……なっ、お前……」

瞬間、神矢の大きな体から放たれる、むわっとした雄の気配のようなものに飲み込まれる感覚がして、弓月は背筋がぞわぞわとするのがわかった。
自分の尻のあたりになにか熱くて硬いものがぶつかっているのがわかったが、おそろしくて弓月はそれがなんであるのか、考えるのを放棄した。
弓月は自分の理性とは裏腹に、その熱くて硬いものの感覚に悦び、無意識に尻を揺らした自分の体もおそろしかった。

「……こっ、広太!返事は!?」
「……あ、は、はいっす!すんません!」

神矢は、弓月の大きな声にはっと目が覚めたような顔をして、あわてて弓月から離れた。
しかしまだどこかぼんやりとして、心ここにあらずといった雰囲気の神矢は、そんな自分がもどかしそうに小さくため息をついて顔をしかめた。

「……ほんま、すんません……。なんや、弓月先輩、ええ匂いするなぁ思てたら、知らん間にふらふらってなって」

神矢は心底困惑したような顔をしている。
嘘ではないのだろう。
困惑は弓月も同様だった。神矢から伝染したようにひとつため息をつくと、意を決して切り出した。

「広太、これはキャプテンである俺からの指示や。聞けるな?」
「……は、はいっす」

神矢は、何を言われるのかと戦々恐々とした様子である。
弓月は、出来るかぎり淡々と、感情を交えずに告げた。

「今後はほかの部員がおる前で、俺に対して馴れ馴れしい態度を取らんこと」

神矢は一瞬ぐっと眉間に力が入ったが、一息飲み込んで、頷いた。

「用もないのにいちいち近寄ってこんこと」

神矢は唇を引き結んだが、ちゃんと弓月の目を見て頷いた。
次の一言は、弓月も少し言うのが恥ずかしかった。

「練習中は野球に集中、授業中は学業に集中、……ヘンなことに意識を向けんこと」

思わず神矢が困ったような、気恥ずかしそうな顔をして問い返す。

「……ヘンなことて?」
「ヘンなことはヘンなことや!」

聞き返された弓月も赤くなって声が上ずった。
神矢は見るからに悄然と肩を落とした。

「……なんや、急に寂しなって来たっす……」

寂しそうな神矢を見るのが本意ではない弓月は、被せるように続けた。

「その代わり!人がおらんとこやったら……」
「人がおらんとこやったら……?」
「……キス……だけやったら、してもええ」
「ほんますか!」

その程度のことで急にテンションの上がった神矢の姿に苦笑いしつつ、弓月はちゃんと釘を刺すのを忘れなかった。

「ただし!先言ったこと守らへんかったら、キスもなしやで」
「はいっす!」

神矢の返事は明るく元気だった。

「……で?この手はなんや?」

弓月はさっそく神矢の大きな体にがっしりと抱きしめられて、ウキウキしながら腰や尻を思うままに撫で回されている状況に、頭が痛くなってきた。

「今!人おらへんす!」

(……こいつもアホやけど、俺の体もアホすぎやわ!なんですぐ反応すんねん!)

理性とは裏腹に、弓月の腰は神矢に抱かれただけで痺れるような快感をおぼえ、「もっと触ってほしい」と媚びるようにくねりはじめる。

「……ァんっ……や……」

(……いややのに……気持ち……ええ……)

しかし、快楽にとりこまれかけていた弓月の視界にふと、壁の貼り紙の「全国制覇」の文字が映った。

(……ここは、部室や……!)

ここがどこなのかを思い出し、弓月はかろうじて理性を取り戻した。
鼻息も荒く、性急にキスしはじめた神矢の顔を両手の平で押さえ、全力で押し返した。

「たとえ人がおらんくても、部室ではヘンなこと禁止!」
「えぇ~?」

蕩けてしまいそうに淫らな感覚が、まだ弓月の全身に埋火のように残っていた。
これ以上触られたら、持ちこたえられそうにない。
自分たちの聖域のひとつである部室で、後輩に抱かれて自分がおかしくなるなど考えたくもなかった。

「えぇ~やあらへん!ほな、解散!」

弓月は、まだ不満げに自分を見つめる神矢の視線を振り切って、逃げるように部室を後にした。


弓月が神矢に買い出しを指示した土曜日になった。
全体練習の終わった午後3時になって、弓月は神矢の姿が見えないことに気づいた。

(……そういえば、買い出し当番にさせたんやったな)

ふと、グラウンドを見ると、神矢と一緒に買い出しに行ったはずの1年の部員が残って練習をしていたので、弓月はどうしたのかと気になった。

「……お前、今日神矢と一緒に買い出し当番やなかったか?」

その部員は弓月の言葉に振り向くと、少し恐縮したような顔で説明した。

「……あの、あいつ、俺の上達が遅れてるの気にかけてくれて、自分は力持ちだからひとりで買い出しの荷物運びは大丈夫だからって、お前は練習しろって」

(……あいつの言いそうなこっちゃな)

弓月は腕組みをしながら苦笑まじりのため息をつくと、本当にひとりで大丈夫なのかと気になって、マネージャーの元に向かった。


「今日の買い出し、神矢ひとりで行ったらしいんやけど、ちゃんとやれそうやったか?」

部室で資料の整理をしていた2年の女子マネージャーのひとりに声をかけると、意外に心配性な弓月がおかしかったのか、彼女はくすくす笑いながら答えた。

「私も当番の子とふたりで行ってきなよって言ったんだけどね、大丈夫だって言って。買い出しのリストはスマホで写真撮ってたみたいだけど」
「……そっか。ほんなら大丈夫やな」
「弓月くん、そんなに心配なら電話してあげたらいいじゃん」
「……せやけど……そうかぁ?」

普段見せない弓月の世話焼きな様子に興味津々のマネージャーに促され、弓月はロッカーからスマホを取り出して、神矢の番号にかけてみた。
……すると。

部室のロッカーのどこからか大きな着信音がして、弓月もマネージャーも思わずびくっとした。
鳴り続ける着信音の音源を探して、ふたりでロッカーの前をうろうろしていると……

「……弓月くん、やばい。ここっぽい」

マネージャーが指さしたロッカーは、神矢のものだった。




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