ツンデレの弓月先輩は「おあずけ」が出来ない後輩ワンコにお困り中

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第2章 トライアル・アンド・エラー

1. 生い立ち

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10月の初旬に入っていた。
暁星国際の新チームは、秋季の県大会で、あぶなげなく決勝まで順当に勝ち上がっていた。
神矢は守備にまだ難があったが、打撃力を買われて公式戦でも代打での起用が増え、やがてファーストとしてスタメンで起用されるようになった。
試合前の練習にも自然に熱が入っていた。

秋晴れの空を突き抜けるような弓月の峻烈な声が、暁星国際のグラウンドにこだました。

「神矢!ここはバント練習や言うてるやろ!体起こしすぎや!」
「球にぶつかりに行くな!受け止めるようにするんや!」
「球の勢いもっと殺せ!ファーストすぐそこまでチャージしてきとるやろ!」

守備につく選手たちも、バント練習の順番を待つ選手たちも、みなぎる緊張感に固唾をのんでいる。
バッティングピッチャーを務めている一年生も、隣に立つ弓月の気迫に圧倒されている様子だった。

神矢が特に苦手にしているバント練習だった。
何度やっても目の前にボールを落とすことが出来ない。

(……俺、なんでこんなうまく出来へんのやろ。なんや泣きたなってきたわ)

くりかえす不慣れな低い構えに、腰と腿がつりそうになった。
力任せに思い切り振りぬくのは好きだが、勢いを殺すように当てる、といった、より繊細な技術を求められる作業は、大柄で不器用な神矢にとって、相当な苦労をともなうものだった。

(弓月先輩、イライラしてはるやろな……)

そう思うと、神矢も気持ちが沈んできた。

買い出しでの一件以来、プライベートでは弓月との接近が事実上不可能になった神矢にとって、野球部での練習や試合は、弓月と大っぴらにコミュニケーションが取れる、数少ない貴重な機会でもあった。
それなのに、自分はここでも弓月の期待に応えられていないと思うと、歯がゆかった。

「……よし!神矢はもうええ!次!」

マウンド横に凛と立つキャプテン弓月の横顔は、もう自分を見てはいなかった。
しかしその冷厳な横顔すら、神矢の目には、近寄りがたく美しい、どこか悲壮なものに見えた。


神矢は張った腰を腕で押し、ぎこちなく伸びをしながらグラウンド横のベンチに戻った。
水筒に入ったスポーツドリンクを紙コップにうつすと、深々とベンチに腰掛けて、それを一気に飲み干した。
グラウンドでは、まだいたるところで打撃練習をする打球音や、守備練習をする選手たちの活気に満ちた声が響いている。
その中でも、キャプテン弓月の怜悧でゆるぎない声が、ひときわ鮮明に耳に聞こえて来た。
空になった紙コップの底を見つめると、神矢は自然にため息が出た。
すると、神矢は誰かに背後から肩をぽんと叩かれた。

「よっ!ゴールデンルーキー!……なんだよ、ため息なんかついて」

はっと振り向くと、そこにいたのは2年生のエース、早瀬だった。
早瀬も右手に紙コップを持ち、投球練習がひと段落して、休憩中の様子だった。
いつも余裕ありげな笑顔を浮かべている印象の早瀬だが、今も、気持ちがふさいでいる神矢の様子を、どこか面白そうに観察しているふうにも見えた。
神矢は、少し警戒するように唇を引き結んだ。

(早瀬先輩はピッチャーとしてはすごい先輩や思うけど、なんか苦手なんよな……)

無意識のうちに、弓月をめぐるライバルととらえているのかもしれなかった。
神矢の中にはまだ、屋上で弓月にキスしていた早瀬の姿が目に焼き付いていた。

「……なんでも、ないす……」

自分をのぞきこむ早瀬から顔をそらし、神矢は大きな肩を丸めて、ぼそっと答えた。
そんな神矢の小さな声に呼応するかのように、グラウンドの方から弓月の大きな叱声が聞こえて来た。

「センター、もっと声出せ!そんなんやったら聞こえへんで!」

それを聞きながら、早瀬は苦笑を浮かべた。

「おー、こわ。あいつ、あんなに顔キレイなのに、まるで氷の女王様だよな。お前もそう思わない?」

神矢は返答に困り、黙り込んだ。
早瀬はグラウンドの弓月の様子をながめながら、のんびりと言った。

「……最近ほんとにピリついてるよなぁ、あいつ。鬼気迫るっていうかさぁ。あいつ県大会の打率、今6割超えてんだぜ?やばいって」
「練習も誰よりも早く来て、誰よりも遅くまでやってるよな。ちょっと副キャプテンとしてもやりにくくて困ってんだけどさ……」

それから早瀬は、ちらりと神矢の方を見た。

「これって……誰のせい?」
「……」

神矢はどうにもいたたまれない気持ちになり、思いつめた顔で視線を落とした。
そんな神矢の様子を見て、早瀬は苦笑いをした。

「ははっ、いいよ。弓月とお前がどうであろうと、俺の知ったこっちゃないしな」

そう言いながらも、ふいに、早瀬の声は静かなものに変わった。

「……でもな、お前もこの先、あいつの野球にかける情熱の強さに戸惑うこともあるかもしれないから、ひとつ教えといてやるよ」

そう言って、早瀬は空になった紙コップを潰して、離れたゴミ箱に向けて軽く投げ、見事にホールインワンさせた。

「あいつの野球にかける想いが人一倍強いのは、あいつの家の事情も関係してるらしくてな……」

そう言って、早瀬は神妙な顔で話し始めた。

「弓月の親父は弓月が小さい頃に死んじまったらしくて、そのあとは母ちゃんがひとりでパートとかかけもちしながら、弓月とあとふたり、弟と妹を育ててるらしいんだ。経済的にだいぶ厳しい家庭に育ったらしい」
「野球したくても、グラブもボールも買ってもらえなくて、母ちゃんが近所の子からもらってきたおさがりで野球したりな。中学の時は新聞配達のバイトもしてたって」
「だから、授業料免除で奨学金ももらえる暁星国際を選んで、すぐにプロになって家族を楽にさせたいと思ってる」
「もうプロのスカウトの目にはとまってるけど、甲子園で優勝出来たら、もっと評価は上がるだろ?契約金も違ってくるだろうから」

はじめて知る弓月の家庭の事情に、神矢は驚くばかりだった。
容姿もよい、才能にあふれる華やかなスター選手としての弓月は、そんな苦労の影はまったく見せてこなかった。

「……まあ、だからといって、あいつが金の亡者なわけでもないよ。苦労してきたわりにひねたところもないし、野球が好きな気持ちはここにいる誰よりも強い。だからこそ、あれだけの努力して、あれだけの数字残せてるんだろうからな」

早瀬はそれだけ言うと、もう一度神矢の肩を軽く叩き、ひらひらと手の平を振りながら投球練習に戻っていった。

――せやけどな、俺にとって一番大事なんは、野球や。お前やない――

あの時弓月から告げられた言葉の本当の意味が、今さらながら神矢の中に落ちて来た。

(……家族を、背負ってはったんか……)



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