ツンデレの弓月先輩は「おあずけ」が出来ない後輩ワンコにお困り中

かぼす

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第1章 甘い地獄のはじまり

4. 帰り道

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時刻は夜の7時を過ぎていた。
最寄駅から暁星国際へ向かう道のりは車通りも少なく、ぽつぽつと道路照明灯が照らすばかりで、もうあたりは真っ暗だった。
言葉もなく少し距離を置いて歩くふたりの足取りは重かった。

電車を降りた後、お互い最寄り駅のトイレに寄って、下着の汚れを応急的に始末したが、それでも拭い去れない肌の不快感が残っていた。
しかし、それ以上にふたりの足取りを重くしていたのは、とんでもない状況で性衝動に流されてしまった、自分たちへの恥ずかしさ、気まずさだった。

黙々と視線を下に向けて歩く弓月の少し後ろを、神矢もまた思いつめたような顔をして、黙り込んだまま歩く。

(……なんでこうなってまうんやろな)

弓月には、自分のしたことに落ち込んでいる神矢を気遣うような心の余裕もなかった。

(……俺、いややって、あかんって言うたのに)

自分も快楽に流されてしまったことは棚に上げておいて、弓月は心中、言うことを聞いてくれなかった神矢を責める気持ちが募った。

(……こいつ、俺のこと、好きやとか言うてるけど、ほんまは俺の気持ちに気づいてて、俺のカラダおもちゃにしてるだけなんちゃうんか……)

そんなことすら頭に思い浮かんだ。
そんな男ではないこと、だからこそ自分が惚れ込んでしまったことも、弓月はちゃんと理解してはいたが、自分の気持ちを尊重してくれなかった神矢に対して、恨む気持ちが消えなかった。

そんな思考の堂々巡りをしながら歩いていると、後ろからおずおずと心苦しそうな様子で、神矢が声をかけてきた。

「……まだ、怒ってはりますよね……。ほんま、すんませんでした……」

心底反省している様子が伝わってくる声だったが、弓月も気安く返答する気にはなれなかった。
少し沈黙してから、ようやく声を絞り出した。

「……お前さ」

自分でもはっとするほど、かすれた、冷めた声だった。

「俺のこと、好きや言うてたけど、あれ、ほんまなんか……?」

弓月の言葉に、神矢は息をのんだようだった。
そして神矢が何か言おうと言葉を探している間に、ふと、弓月のボディバッグの中から、スマホの着信音がした。
黙って弓月がスマホを取り出すと、それはマネージャーからの電話だった。
歩きながらスマホを耳にあてると、電話の向こうから心配そうなマネージャーの声が聞こえて来た。

『弓月くん、今どこにいるの?もう7時過ぎてるよ!』

弓月は無理に気持ちを切り替え、相手に不審を抱かれないように声に張りをもたせた。

「駅から寮に向かってるとこや。もうすぐ着く。……いろいろあって、遅なってもうたわ」

「いろいろあって」という一言に一瞬恥ずかしい思いがよみがえり、胸が苦しくなった。
すると、相手の反応は意外なものだった。

『聞いたよ!神谷くんが迷子の女の子を交番に届けてあげたんだってね。お母さんから学校にお礼の電話が来てたって、監督が教えてくれた』
「……あ、そ、そうやったんか」

弓月は予想外の返事に少し戸惑い、その出来事をすっかり忘れていた自分に気が付いた。

『神矢くんて、ほんとにいい子よね~。弓月くん、ちゃんと褒めてあげてね!弓月くん、普段ちょっと神矢くんに冷たいように見えるから』

マネージャーとの電話が終わると、弓月はまた少し黙った。
自分の言葉を待って、少し後ろを歩き続ける神矢の視線を感じた。
振り返らずに、少し毒を含んだ口調で、弓月は言った。

「……マネージャーがな、『神矢くんはほんとにいい子よね』って」

そう自分で口に出して言ってみて、弓月は自虐めいた笑みを浮かべた。

(そんなん、知ってるわ)

弓月は、急に目頭が熱くなるのを感じた。

(たぶん、世界中でこの俺が一番よう知ってるわ。こいつがどないにアホで、真面目で、一生懸命で、優しくて、ものすごいヤツか、この俺が、一番よう知ってる……)

自然に顔が紅潮して、涙が込み上げてきそうなことに気づかれたくなくて、弓月は少し顔を上げた。
神矢も黙って少し後ろをついてくる。
その顔を見なくても、弓月の機嫌をうかがって、心細い気持ちでしゅんとしている神矢の様子が、弓月には容易に想像がついた。
そして、それを想像しただけで、弓月はどうしようもなく神矢へのいとしさが込み上げてきて、苦しくなった。

(……しんどいわ。たぶん俺の気持ちが重すぎんねんな。俺はこいつのことこんなに好きやのに、たぶんこいつは、そうやない……)

道路照明灯の明かりが影を落とした弓月の横顔に、苦い笑みが浮かんだ。

(ほんなら、片想いと一緒やん……)

夜の鳥が遠くでかすかに鳴き交わしている声が聞こえた。
弓月は振り返ることなく、歩きながらぽつりと言った。

「……お前とおると、おかしなる。俺が俺でなくなる感じがするんや」

神矢は弓月の言おうとしていることを聞き逃すまいと、耳を澄ましている様子だった。

「俺、お前のことが好きや。たぶんお前が思っとるより何倍も……」

背後で、神矢が驚きで身じろいだような気配がした。
しかし、神矢を喜ばすその告白の空気を打ち消すかのように、弓月の冷たい声は続けた。

「……せやけどな、俺にとって一番大事なんは、野球や。お前やない」

弓月は、その一言をいうのに、自分の身が引き裂かれるような思いがした。
弓月の中には、それが心からのお前の本心なのかと問う自分がいて、また一方で、何を迷っているのか、どこまでお前は恋愛ボケなのかとなじる自分もいた。
そんなふたりの自分に引き裂かれる痛みの証のように、弓月の頬に、一筋、涙がこぼれ落ちた。

「せやから、ちょっとお前とは距離取らして欲しい。……卑怯なこと言うて、ほんまに悪い……」



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