とある団地にて

由井実緒

文字の大きさ
2 / 19
一章

始まりは (津村仁美視点)

しおりを挟む

 なになになに怖い怖い怖い。

 
 津村仁美。今年で36歳。昼下がりの団地の一室に鳴り響くチャイムに「義実家の柿が届いたかな♪」とウキウキで応対して早数十秒。己の軽率な振る舞いを心底後悔していた。

 目の前には、自身より一回り以上大きな体躯をした青年の姿。ドアを開けて早々、宅配員の身なりをしてない彼に「どちら様?」とのんきに声をかけたのが運の尽き。青年はもごもご二、三言何かを呟いたかと思うと、唐突に隙間からドアをこじ開け家に押し入ってきたのだ。

「お、俺。須藤和男っていいます。ずっと前から、津村さんのことが好きで。ず、ずっと見ててっ」
 
 肩を掴む男の力が強まり、指先が肉に食い込む。い、いたい。痛い。なに。怖い。

 自身の目の前にいる男は、その行動も様子もすべてが常軌を逸していた。おまけに体が大きく、相応に筋肉も付いている。今ここで抵抗しようとも、絶対に勝てないことが分かった。数年に一度あるかないかの本能的恐怖に体が強張り動かない。

 これから、自分は一体どうなってしまうのだろうか。少なくとも痛いのは嫌だ。死にたくない。それは生物なら当然に持ち合わせる生存本能で、直面する危機を前に脳が凄まじい速さで回転し、そうして導き出された答えを吟味する間もないまま、ぎこちなく口を開く。

「お、落ちついて。俺もね、キミのこと好きだからッ」

 そう言って、肩を掴む男の片手に自身のそれを重ね、かろうじて笑顔を取り繕う。そのまま青年の身体に身を預けるようもたれかかると、不意を突かれたのだろう。今度は男の方がびくりと肩を震わせ固まった。

 よし。上手くいきそうだ。

 とにかく相手を刺激せず、全力で媚を売りへつらい、この場をやり過ごす。それが、自身のあまり出来の良くないおつむが弾き出した一つの結論であった。

 密着した際、ちょうど自身の下腹部あたりにごり、と硬いものが当たる感触。とうに死別したが、自身のかつての配偶者は同性の男であった。故に幸か不幸か、こういう時の扱いには慣れている。

 意を決して手を伸ばし、ズボン越しに男の昂りへと触れる。青年はぎょっとした顔でこちらに視線を向けるも、抵抗の様子はみられなかった。

 ええい、もうやるしかない。
 
 非常事態から始まり、それが積み重なった末の混沌とした現状。だが、最早ここで止まる訳にはいかなかった。

 一度溜まっているものさえ出せば、この青年も正気を取り戻すだろう。そんな期待を抱きつつただ視線を下に向け、昂った男の逸物を落ち着けるべく身を屈めた。



 
 結論からいうと全く落ち着かなかった。若者の性欲を舐めていた。自身もかつてはそうであった筈なのに、過ぎゆく時と共に薄れる記憶は残酷である。

「来月……二週間。ううん、一週間後」

 目前に迫る獣のような眼差しが、三度目の打診でようやく和らいだのにホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。何とか男を追い返し、空いた手でしっかりドアのチェーンをかけ。手と口を清めた洗面台の前で、気づけば台のふちに両手をつき項垂れていた。

 一週間後……一週間後!?

「ど、どうしよぉ」

 未だ半泣きのまま、口からはただ情けない声が零れでた。

 警察に駆け込むか?いや、異常な状況下といえ、彼を受け入れてしまったのは間違いなく己の落ち度だ。ましてや事例の少ない男同士での揉め事に、警察がまともに取り合ってくれるとは思えない。

 知人宅への避難もその場凌ぎにしかならないだろう。もう少し時間があれば、身の回りの整理を済ませて逃げることも出来たのに。
 
 改めて、己の軽率すぎる振る舞いと言動を反省する。しかし反省したところで、それがただの現実逃避にしかならないことも同時に理解していた。一週間後、あの男がまた家に来る。その事実が揺らぐことはない。嗚呼。

「…………そういえば、デカかったなぁ」

 ナニがとは言わないが。自身の脳が、悲観的観測にもとづいた現実的な思考を働かせる。なるべく回避はしたいが、もしどうにもならなかった時の為に準備をしておく必要はあるだろう。

 そう一人唸っていると、玄関から再びピンポーンとチャイムの音が鳴り響いた。

 びくりと、一つ大きく肩が震える。先程男と対面した時の恐怖がじわじわと蘇り、体が小刻みに震え始める。

 
 その後はただしゃがみ込み、チャイムの音が鳴り止むのを待つしか出来なかった。

 三度目のチャイムの後、玄関からごとんと郵便受けに何かを投げ入れる音が聞こえた。あとはただ、それきりであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

忘れさられた花嫁

梨子ぴん
BL
【CP】 年下ツンデレ捻くれ美形花嫁攻め×年上包容力あり健気平凡花婿受け 【あらすじ】 ボルト・バリエは花嫁ルスク・ウォータルを迎え入れるが、前途多難で……。 ★ハッピーエンドです!

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした

天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです! 元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。 持ち主は、顔面国宝の一年生。 なんで俺の写真? なんでロック画? 問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。 頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ! ☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。

営業活動

むちむちボディ
BL
取引先の社長と秘密の関係になる話です。

処理中です...