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五章(快楽堕ちエンド編)
その1
しおりを挟む「津村さんの旦那は、どんな人だったんですか」
何気ない自身の問いかけに、棚から本を取り出そうとする男の手がぴたと止まった。
津村の家を訪れること早五回。今日は普段より早い時間に来て、彼の言う「断捨離」の手伝いをしていた。
前回は目的を遂げる直前に、まさかの寝落ちをしてしまった。彼は気にした様子を見せなかったが、自身の気が収まらないと、こうして日中の手伝いを申し出た次第だ。
この家は、本という例外を除けば全体的に物が少ない。必要最低限の家具と生活用品に、無数の本の海。先程「本が好きなのか」と問いかけた際も、一瞬の沈黙があり、自ずと本の持ち主の正体が知れた。
「えー……どうしたの、急に」
「この本、殆どが津村さんのものじゃないでしょう」
「なんでそう思うの?」
「文芸中心の古書が六割、評論が二割五分、金融書籍が一割、小中学生向けの児童書が五分」
「……ひょっとして、俺の読んでる本が児童書だけだと思ってる?」
「違いましたか?」
「ウゥ、違わない。合ってるけどぉ」
津村がしゃがみ込み、顔を伏せる。耳を赤くするその姿に、恥を掻かせてしまった罪悪感が少々。この場にそぐわない劣情が九割五分。何とか気を逸らし、平静を取り戻すべく口を開く。
「俺も、小学生の頃はよく読んでましたよ」
「フォローになってないんだなぁ~~……ハァ、昔からあんまり頭良くなくてね。難しい本読むと眠くなっちゃうから」
「ならこの本は」
「君の思ってる通りだよ。旦那は中学校の先生をやってて、本が好きな人だった」
彼は、顔を伏せたままぽつぽつと話し始めた。
津村明人。享年52歳。中学時代の国語教師で、仁美は在学中からずっと彼に片想いをしていたらしい。
「卒業式の日に告白して、普通にフラれたね。今思えば当たり前のことだけど……その後は適当に高校入って、卒業後地元で就職して三年。彼が難病を患い、教師の仕事を辞めたことを知った」
明人の病気はいつ倒れるかも分からぬもので、そうなった時に現場の迷惑になるからと、自ら職を辞したそうだ。
酒も煙草も賭け事せず、古本屋で本を集めて読むのが趣味の彼には、まとまった財産があった。団地の一室を購入し、国からの支給金や体に差し支えない範囲の副業で、細々と暮らしていた彼の元に、仁美は押しかけ女房同然にやってきたのだという。
「いきなり行ったんですか」
「行ったね若かったから……」
「拒絶、されたりとかは」
「されたけど若さゆえの勢いで押し切った。今思えば、悪いことしたなぁ」
ふと、頭の中をよぎった既視感を振り払う。自身と津村は、最初から両想いだったのだ。何も重なることなどない。
「あの人は本当に優しくて、かっこよくて、頭の良い人でね。病気で辛かった筈なのに、俺の前ではいつも穏やかな笑顔を絶やさなかった。病床で、あの人に置いて行かれたくなくて泣く俺を、逆に慰めてくれたこともあったかな」
いつしか津村は顔を上げていて、その瞳はどこか遠くを見つめていた。
津村仁美。自身は彼のことを、三十六年の月日を生きた今の姿でしか知らない。
込み上げてくる感情に、敢えて名前を付けるとすれば「嫉妬」の二文字が当て嵌まるだろうか。
口惜しくてならなかった。自身の知らない彼を、独占し続けていたであろう男の存在。そうしてそれが故人となって尚、未だ津村の心の中に残り続けている事実に。
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