カレイなる日々

隠井迅

文字の大きさ
60 / 209
一巡目(二〇二二)

第046匙 三日月の壺の中の水の無いカレー:BAR CAFE 三月の水(E03)

しおりを挟む
 十月初旬の木曜日の十四時半過ぎ、雨が降りしきる中、目当ての店のカレーが枯れていたため、書き手は、神保町界隈を右往左往していた。

 提供するカレーが無くなった結果、閉店予定時刻以前に店じまいするケースがある。
 そして、昼にランチ営業を行っている店のラスト・オーダーや営業終了時刻が、十四時半の場合が割と多く、そのため、書き手は入るべきカレー店を探していたのだ。

 予定が狂ってしまった書き手が、計画していたスタンプ・ラリー巡りのスケジュールを崩してでも、どこかの店に入る事を望んだのも致し方なかろう。

 神保町界隈において、カレー店が特に密集しているのは、靖国通りからみると、逆Ⅴ字の〈△〉になっている、こう言ってよければ、〈神保町デルタ・ゾーン〉である。
 雨が降っているので、片手で傘を差しながら、スマフォで検索したり、紙のガイドブックを開くのは面倒だったので、歩けばカレー店に出くわす、このゾーンに赴く事にしたのだ。
 神保町デルタならば、昼営業終了前の店に出会えるにちがいない、そんな期待感を抱きながら書き手は、靖国通りから、逆V字の左辺を上り出した次第なのである。

 「神田カレーグランプリ」参加店の店の前には、リラックマののぼりが立っているので、カレー店は本当に見つけ易い。
 そして、坂道を上り出してすぐに、書き手は、道の左側の雑居ビルの入り口に、件のノボリを見止めたのである。
 店は、そのビルの三階にあるので、書き手は、ビルの入り口で傘の水を切ってから、建物に足を踏み入れた。

 その店こそが「BAR CAFE 三月の水」で、このバーは昼の時間帯にも営業しているのだ。

 実は、三月の水は、昼営業のラスト・オーダーが十四時半、閉店が十五時なので、十四時半過ぎであるその時点で、営業が終わっている可能性もあったのだが、〈3〉〈月〉〈壺〉という店名を表わした図が描かれている扉を抜けて、入店の可否を問うたところ、まだ入れるとの返答を得て、書き手は胸を撫でおろした。

 店のメニューには、様々な料理があったのだが、その中でもカレー系は、「豚肉と牛肉のたっぷり野菜キーマカレー」「無水ベトナムチキンココナッツカレー」「無水ベトナムチキンココナッツカレーヌードル」「サグカレー(野菜カレー)」「無水ココナッツシーフードクリーミー卵カレー」、そして「無水ココナッツ豚バラ角煮カレー」であった。

 このラインナップから察するに、この店のカレーの特徴は、ベトナムのココナッツカレーがベースになっているという点と、〈無水〉という点であるようだ。

 〈無水〉とは、無水調理のことで、この調理法は、途中で水分を加えずに、食材の水分だけで仕上げる方法である。 
 普通の水を加える煮込みをすると、加熱によって、食材に含まれている水分が水蒸気となって出て行ってしまうのだが、これに対して、無水調理だと、水を加えないので、食材の水分を逃がさずに済むらしい。

 ちなみに、無水調理のメリットとは、まず第一に、煮込むことによって水蒸気となって損なわれてしまうビタミンやミネラルといった栄養素が失われない点にある。
 また、無水調理では、素材自体に水分をたっぷり含んでいる野菜を、水代わりに使うので、料理で野菜をふんだんに採れる点も栄養面におけるメリットである。
 そして、それより何より、食材それ自体の水分を使って調理するので、その旨味を逃さずに済むのが最大のメリットである。
 ちなみに、この店のメニューに「無水ココナッツ」と書かれているのは、水分をココナッツから取っているからなのかどうか、その点は定かではない。

 とまれ、栄養面でも味の面でもメリットのある、無水調理の濃厚なカレーが、美味くないはずはなかろう。

 そして、この〈三月の水〉の〈無水ココナッツカレー〉のラインナップの中から、書き手が選んだのは、メニューの一番下に載っていた「無水ココナッツ豚バラ角煮カレー」であった。
 メニューの説明書きによると、このカレーは、具材として、豚バラ肉角煮、つまり、「ルーローハンで使うほろほろの豚肉」を使っているらしく、それだけでも垂涎ものなのだが、このメニューの煽り文句として、「漫画『カレーマン』連載記念メニュー」と書かれていた点に、書き手は非常に興味を引かれた。

 神保町にほど近い竹橋に、出版社・小学館があり、そこから、毎月、五日と二〇日の月二回発売されている漫画雑誌が『ビッグコミックオリジナル』である。
 その『ビックコミックオリジナル』の二〇二二年七月二〇日発売の「第十五号」において、神保町を物語の舞台としたカレー漫画、『カレーマン』の連載が開始された。そして、その第一話に、十月の初めに書き手が訪れた、まさにこの「BAR CAFE 三月の水」が登場しているそうなのだ。

 恥ずかしながら、現時点で、書き手は未だ『カレーマン』は未読である。

 第十五号の発売は、書き手の来店の時点ですら、その約二か月半前なので、本屋にはもはや置いてはおらず、もし、第一話を読みたいと欲するのならば、何らかの方法で探すか、『ビックコミックオリジナル』のバックナンバーが揃っている漫画喫茶に赴かねばならない。
 それならば、単行本を買えばよいではないか、という意見もありそうなのだが、この論考を書いている十二月二十日の時点で、未だ単行本は発売されてはいない。

 しかし、だ。

 実は、二〇二二年の十二月二十八日(このエッセイの初稿アップの約一週間後)に、ついに、『カレーマン』の第一巻が発売される。
 『カレーマン』を未読の書き手は、年末に『カレーマン』を読む事で、「無水ココナッツカレー」の調理法を知れれば、と考えている。

 また、来店から時間が経つと、舌の記憶が薄れてしまうのは、〈時は無慈悲な忘却の女王〉である以上、不可避な事態なのだが、近い未来、『カレーマン』の第一話を読みながら、三月の水の無水ココナッツカレーの味を思い出せれば、と望んでいる書き手であった。

〈訪問データ〉
 BAR CAFE 三月の水:神保町・お茶の水
 E03
 十月六日・木曜日・十四時四十五分
 無水ココナッツ豚バラ角煮カレー:一三〇〇円(QR)

〈参考資料〉
 「BAR CAFE 三月の水」、『神田カレー街 公式ガイドブック 2022』、三十六ページ。
〈参考資料〉
 「カレーマン」、「2022年12月のコミックス発売リスト」、『ビックコミックBROS.NET』、二〇二二年十二月二十日閲覧。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

処理中です...