僕らのイヴェンター見聞録

隠井迅

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LV1.2 パンデミック下のヲタ活模様

第22イヴェ 〈スギ・ノ〉、あるいは〈SGDD〉のハイシン「回し」

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「シューニー、今週末はどの配信を観る予定なの?」
 土曜日の朝、一晩かけて、オンライン講義のレポートを書き上げた秋人に、弟の冬人が、土日に数多く配信されるライヴ映像の中で何を視聴するのかを尋ねてきた。
「フユ、ちょっと待って。今週、何があるか把握していないから、杉山さんのまとめツイートを確認するわ」

 「杉山さん」というのは、秋人の知人で、〈現場〉で知り合った超弩級のイヴェンターである。
 杉山さんのイヴェンターとしてのキャリアは、前世紀にまで遡り、四半世紀を越えている。こうした時間が物語っているように、幾つもの伝説的な逸話や、数多の名言、さらには、数多くの二つ名を有している。
 だが仮に、一言で、杉山さんを言い表わすのならば、〈SDD(スーパー・ディー・ディー)〉である。
 〈DD(ディー・ディー)〉というのは、〈誰でも大好き〉を意味するイヴェンター用語なのだが、秋人の知っているDDの多くは、特定の〈おし〉がいる分けではなく、学校や仕事が休みの日に、地元や近隣で開催される〈現場〉に足を運ぶ、そのような無理のない範囲でイヴェントに顔を出すようなヲタクの事である。つまり、「どこの〈現場〉にでもいるな、あの人」的な感じのイヴェンターで、DD一般とはこういったタイプが大多数なのだ。
 しかし、杉山さんの場合、たしかに、その他大勢のDD一般と同じように、どこの〈現場〉にでもいる、という点では同じなのだが、関西在住であるにもかかわらず、彼が出没するのは、東京を中心とする首都圏の〈現場〉がほとんどで、新幹線を利用して上京し、DDをしているのだ。事実、秋人が杉山さんと知り合ったのも、その後、一緒している〈現場〉も東京なのである。

 どこかの〈現場〉で、誰かが杉山さんに、こう尋ねていたのを耳にした事がある。
「遠征民の多くは、特定の演者を〈おし〉ているのに、そうではないDDである杉山さんのモチヴって、どこにあるんすか?」
 杉山氏、否、杉山〈師〉、曰く。
「そこに行きたい〈現場〉、見たい演者がいるからさ」
 杉山さんは、人懐っこそうな笑顔を浮かべながら、このように応じていた。

 至言である。

 そして、杉山さんは、毎週のように新幹線を使って東京に来ているので、「シンカリオン」という二つ名さえ持っている。
 さらに、「シンカリオン・スギヤマ」さんの凄い所は、時間を無駄にしないという点である。
 もちろん上京の理由は、行きたい〈現場〉・見たい演者がいるからなのだが、例えば、そのライヴが、日曜の夕方五時から開始だとすると、土曜日の早い時間帯に東京に来て、土曜の昼、土曜の夕方、日曜の午前、日曜の午後、そして目的の日曜の夕方といったように、五本の〈現場〉に足を運ぶのである。場合によっては、移動の問題さえクリアできれば、六本以上を〈回す〉場合もあるらしい。
 ちなみに、〈回す〉というのは、〈現場〉を梯子するという意味のイヴェンター用語である。

 秋人は、これまた、とある〈現場〉で、杉山さんが誰かと次のように話しているのを肉眼で視認した事がある。
「今日は、どこから『回し』てきたんですか?」
「この後、どこの〈現場〉を『回す』んですか?」
「三〈現場〉ですか!? 今日も『スギって』ますね!」

 文脈から判断するに、「スギる」とは、〈杉〉山さん、〈現場〉を回し〈過ぎ〉を意味する、そのヲタクの造語であるらしい。
 しかし、目下、COVID―19のせいで、イヴェント、ライヴ・コンサートなどの〈リアルな現場〉は無くなってしまった。当然、杉山さんも、以前と同じように、「スギ」れないはずである。
 だがしかし、杉山さんが、〈スギ〉っている凄い所は、この状況下においてさえ、〈回し〉ているという点である。

 この状況下、〈リアルな現場〉がなくなってしまった結果、数多くの演者が動画配信サイトを使って、過去のライヴ映像を蔵出ししたり、あるいは、過去のライヴ映像をセットリストとして編集した動画を配信したり、無観客ライヴなどを提供してくれるようにもなった。
 そうした配信の中には、期間限定でアーカイヴとして動画を残すものもあれば、アーカイヴを残さず、配信とはいえ、〈生〉に拘るものもある。そして、無料配信もあれば、有料配信もあるし、あるいは、最初の数曲は無料だが、途中から有料に代わるものもあり、その配信の様態は様々なのだ。
 このように多種多様な配信をしてくれるのは、イヴェントがなく、〈在宅〉を余儀なくされているイヴェンターには実にありがたいことなのだが、しかし困った問題は、配信があまりにも多過ぎて、特に土日に、リアルな〈現場〉以上に、ヴァーチャルな〈現場〉が重なるという事態である。

 実は、リアルのイヴェントがあった頃、開催されるアイドル・アニソン系の〈現場〉をまとめた『イヴェンター・ノート』、通称〈イヴェ・ノ〉というサイトがあって、自分の参加する〈現場〉を登録したり、また、何処で誰のイヴェントがあるのかを確認できた。
 しかし、配信の場合には、知る限りにおいて、「イヴェノ」のようなものがなく、また、演者・運営側が突然、配信開始を告知する場合もある。
 頻繁に情報をチェックしたり、SNSで「通知」を設定している自分の〈おし〉ならばまだしも、〈おし〉以外の演者の配信に関しては、情報を追い切るのは、なかなか難しい。
 しかし、である。
 SDD杉山さんは、土日の配信情報をまとめて、SNSにアップしているのだ。それは、幾つもの演者にアンテナを張っている杉山さんだからこそできるまとめである。
 こういったまとめが好きな〈在宅〉って、探せば、杉山さん以外にも存在するかもしれないが、杉山さんの凄いところは、情報をまとめて、それで終わりではなく、自分でも、配信ライヴを楽しみ、さらに、配信を〈回している〉という点である。

 そうした杉山さんの目下の悩みは、観たい配信が重なってしまう事らしい。だが、〈被った〉場合には、アーカイヴが残る物は後回しにしているそうだ。それでも、配信の数が多すぎて消化しきれず、幾つもの端末を駆使して、マルチウィンドウで、同時に幾つもの配信を視聴するという、リアルでは不可能な、ヴァーチャル・イヴェントならではのDDをしているらしい。
 こういった状況下にあっても、〈SDD〉杉山さんは、さらなる進化を遂げ、〈配信見〉すぎ山、すなわち、〈SGDD(スーパーグレート・ディーディー)〉杉山に進化しているようだ。

 杉山さんのツイートをしばし眺めながら、考えあぐねた後で、秋人は、配信の回し方を決めた。
「そうだな、十年前開催の歌姫の十周年ライヴ、この声優さんのセトリ編集ライヴ、そして、有料だけど、この若手アニソンシンガーの無観客ライヴかな。
 もっと観たい配信もあるけれど、時間が被っているし、俺はこんなところかな。他のは、アーカイヴで後で視聴するわ。
 で、フユ、お前は?」
「シューニー、僕も、だいたい同じ感じだけど、明日日曜の夕方は、この声優さんの有料アコースティック・ライヴにするよ。アーカイヴも残るけれど、コメント実況もしたいし」
「それにしても、まさに、杉山さん、いや、杉山様さまさまだな。この呟きがなかったら、スルーしちゃっている情報もあったし」
 その時、突然、秋人に天啓が舞い降りた。

 〈リアルな現場〉の時には、情報源として〈イヴェ・ノ〉には大変お世話になった。今、配信の情報源として本当にお世話になっているのは杉山さんのツイートである。
 よし、今後、配信情報のまとめのノートのことを、SGクラスのDD杉山さんの名を冠して、『スギヤマ・ノート』、略して〈スギ・ノ〉と呼ぶことにしよう。 
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