最強の師匠、最後の授業 ~「強くなれ」と教えた弟子が暴君になったので、責任を取って殺しに行きます~

トウガイ(灯亥)

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第6話 時を奪われた少女

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城門の兵士は、俺たちを見て顔をしかめた。

夜の帳が降りかけた王都で、追い出されたはずの男が戻ってくるなど、想定外だったのだろう。兵士の一人が槍を構えかけたが、俺が腰の剣に手を添えただけで動きを止めた。

「……通れ」

兵士は吐き捨てるように言った。顔には嫌悪と、わずかな恐怖が混じっている。
エリナが俺の袖を引く。

「先生、本当に行くんですか」

「ああ」

「死ぬかもしれないんですよ」

「だから、お前は外で待っていろ」

エリナは首を横に振った。その目には、諦めの色はない。

「私も行きます。先生の背中、守るって言ったじゃないですか」

俺は答えなかった。ただ、城門をくぐった。

城内は静まり返っていた。昼間は百人を超える人々で溢れていた謁見の間も、今は誰もいない。長い廊下には松明たいまつが灯っているが、その炎は風に揺れて、壁に人影のような歪んだ影を作り出している。

エリナが小さく息を吐いた。

「……怖い場所ですね」

「怖がるな」

「怖がってませんよ」

強がりだと分かる。だが、俺は何も言わなかった。エリナの震える声が、かつての弟子たちと重なる。リアも、フェリクスも、マルクも、みな最初は怖がっていた。剣を持つ手が震えていた。

だが、俺は彼らに「強くなれ」と言った。

その結果が、今のこの城だ。

廊下の奥から、足音が聞こえてきた。複数人。鎧の音。兵士だ。

「先生」

エリナが身構える。俺は片手を上げて、彼女を制した。

「待て」

足音が近づいてくる。やがて、曲がり角から三人の兵士が現れた。松明の光に照らされた彼らの顔には、驚きと戸惑いがある。

「お、お前は……」

先頭の兵士が声を震わせた。

「陛下が、追放したはずの……」

「地下牢に行きたい」

俺は静かに言った。

「案内してくれ」

兵士たちは顔を見合わせた。一人が槍を構えたが、手が震えている。

「ふ、ふざけるな。お前に命令される筋合いは……」

俺は一歩、前に出た。

それだけで、兵士たちは後退った。

「地下牢だ」

もう一度、言った。

「案内しろ」

兵士たちは黙った。やがて、先頭の男が項垂れた。

「……ついてこい」

地下への階段は、城の北側にあった。

石造りの階段は湿っていて、苔が生えている。松明の光も届かない暗闇が、下へ下へと続いている。

兵士は階段の入口で立ち止まった。

「ここから先は、俺たちも滅多に入らない」

男の声には恐怖が滲んでいる。

「迷宮だ。一度入ったら、二度と出てこれない者もいる」

「お前たちは、ここで待っていろ」

俺は松明を一本取り、階段を降り始めた。エリナがすぐに後を追ってくる。

「先生、待ってください」

「危険だ」

「だから、一緒に行くんです」

俺は振り返った。エリナの顔は松明の光で赤く染まっている。その目には、迷いがない。

「……好きにしろ」

階段は思ったより長かった。百段を超えても、まだ下が続いている。

空気が重くなってきた。湿気と、何か腐ったような臭いが混じっている。エリナが鼻を押さえた。

「何の匂いですか、これ」

「血だ」

俺は答えた。

「古い血と、腐った肉の匂いだ」

エリナが息を止めた。だが、足は止めなかった。

やがて、階段が終わった。

目の前には、長い廊下が伸びている。壁には無数の扉がある。鉄格子の嵌った扉だ。中からは、何も聞こえない。

「囚人は?」

エリナが囁いた。

「いないんですか」

「いるかもしれない」

俺は松明を掲げた。

「だが、生きているかは分からない」

廊下を進む。扉の一つに近づいて、中を覗いた。

空っぽだった。

床には藁が敷かれているが、誰もいない。次の扉も、その次も同じだった。

「誰もいない……」

エリナが呟いた。

「騎士団長は、嘘をついたんですか」

「いや」

俺は首を振った。

「もっと奥だ」

廊下は途中で二手に分かれていた。

俺は右を選んだ。理由はない。ただ、何となくだ。

エリナが後ろを振り返った。

「先生、戻れますか。ここから」

「分からない」

「……そうですか」

エリナは黙った。だが、足を止めなかった。

廊下はさらに続いている。曲がり角を曲がるたびに、方向感覚が失われていく。上なのか下なのか、東なのか西なのか、もう分からない。

やがて、何かが聞こえてきた。

微かな、呻き声だ。

「先生」

エリナが俺の袖を掴んだ。

「誰かいます」

「ああ」

俺は松明を掲げて、声のする方へ向かった。

廊下の突き当たりに、一つだけ扉があった。他の扉よりも大きく、鉄で補強されている。中からは、確かに人の声が聞こえる。

俺は扉に近づいた。

鉄格子の隙間から、中を覗く。

部屋は狭い。三メートル四方ほどだろうか。床には藁ではなく、石が剥き出しになっている。そして、その石の上に、一人の人間が倒れていた。

女だ。

長い黒髪が床に広がっている。泥と血に塗れた牢獄の中で、その髪だけが、まるで濡れた烏の濡れ羽色のように、不気味なほどの艶を放っていた。

服はボロボロで、所々に血が滲んでいる。手足には鎖が嵌められ、壁に繋がれている。

だが、それだけではない。

女の背中から、無数の管が伸びている。血管のように細く、半透明な管が、彼女の白い肌に食い込んでいた。壁に埋め込まれた奇妙な装置に繋がっていて、ドクン、ドクンと青白い光を放っている。魔力供給装置だ。

異様だった。

その肌は、地下牢の闇の中でも透けるように白く、傷だらけなのに、どこか陶器の人形めいた作り物のような美しさを保っていた。

まるで、硝子ケースの中に飾られた標本のように。

腐敗することすら許されず、永遠にその姿を留める呪いをかけられているかのように。

顔は見えない。俯いているからだ。

だが、その背中に、俺は見覚えがあった。

「……まさか」

俺の声が震えた。

エリナが俺の顔を見上げた。

「先生?」

「開けろ」

俺は扉を叩いた。

「開けろ!」

鍵はかかっている。鉄の錠前が、扉を固く閉ざしている。

俺は剣に手をかけた。

だが、抜かなかった。

代わりに、松明を床に置き、扉の蝶番を確認した。古い鉄だ。錆びている。

「エリナ、下がれ」

「先生、何を……」

「いいから、下がれ」

俺は扉から三歩下がった。そして、助走をつけて、肩から扉にぶつかった。

鈍い音がした。

扉は開かなかった。

もう一度。

もう一度。

三度目で、蝶番が外れた。扉が内側に倒れ込む。

重い金属音と共に、視界が開けた。

むっとするような甘い腐臭と、冷たい魔力の風が吹き抜ける。

俺は部屋に入った。

鎖の音がした。

倒れていた女が、ゆっくりと顔を上げた。

長い黒髪が揺れ、その隙間から、二つの瞳が俺を捉えた。

その顔を見た瞬間、俺の息が止まった。

心臓が早鐘を打つのを忘れ、全身の血が凍りついたようだった。

そこにいたのは、二十年前の悪夢。

俺が毎晩夢に見た、あの日の少女そのものだった。

「……リア」

掠れた声が、喉から漏れた。

女の目が、わずかに見開かれた。

濁っていた瞳に、一瞬だけ、かつての色が戻る。

「師匠……」

かすれた声だった。

「お前……」

俺は膝をついた。

リアの顔は、痩せ細っていた。頬は窪み、唇は乾いて血が滲んでいる。目の下には隈がある。だが、その目には、まだ光が残っていた。いや、光だけではない。そこには深い絶望と、諦めと、それでもなお消えない何かがあった。

「師匠……どうして、ここに……」

「お前を、助けに来た」

リアが小さく笑った。苦しそうな、それでいて安堵したような笑みだった。

「助けに……来てくれたんですか」

「ああ」

俺は彼女を抱き起こした。

軽い。

あまりにも軽い。

そして、気づいてしまった。この身体の重さは、二十年前と変わっていない。骨格も、身長も、手足の長さも。フェリクスは、彼女の時間を止めていたのだ。生き地獄の中で、永遠に少女のまま。

背筋が凍った。

「フェリクス……」

俺の声が低く唸った。

「何を、したんだ……」

「師匠」

リアが俺の手を掴んだ。その手は、驚くほど冷たかった。

「私を……殺してください」

「何を言っている」

「もう、疲れました」

リアの目から、涙が零れた。

「ずっと、ずっと……苦しかった」

「リア……」

「フェリクスは、私を生かし続けた。何度も死のうとしたけど、死ねなかった」

リアの声が震えている。

「この装置が……私の魔力と、記憶を吸い取っていくんです」

「記憶?」

「はい」

リアが俯いた。

「私の『楽しかった記憶』を、城の結界の燃料にしていたんです」

俺の拳が震えた。

「最初は、師匠との修行の日々が消えました。次に、村での暮らしが。そして、両親の顔も」

リアの涙が床に落ちる。

「今は、もう……何も思い出せません。ただ、暗闇だけが残っています」

リアは虚ろな目で宙を見つめた。

「師匠、私……自分がどんな顔をして笑っていたのかも、もう思い出せないんです。鏡を見るのが怖い。そこにいるのが、誰なのか分からないから」

「……くそ」

「師匠……お願いです。私を、楽にしてください」

「馬鹿なことを言うな」

俺はリアの肩を掴んだ。

「お前を助けに来たんだ。殺すためじゃない」

「でも……」

「諦めるな」

俺は管を掴んだ。引き千切ろうとする。

「先生、待ってください!」

エリナが叫んだ。

「それ、魔力で繋がってます。無理に外したら……」

エリナの言葉が途切れた。

俺は構わず、管を引き千切った。

ブチブチと、肉が裂けるような生々しい音が響く。

青白い光が弾け、リアの身体が激しく痙攣した。

「ああっ、ああああっ!」

彼女の口から、悲鳴とも呼べない空気が漏れる。それは、20年分の痛みが一気に逆流したような、魂の絶叫だった。

「リア!」

俺はリアを抱きしめた。彼女の身体は熱い。異常な熱だ。

だが、その熱さは、さっきまでの陶器のような冷たさとは違う。生きている人間の、血の通った熱さだった。

「師匠……」

「大丈夫だ」

「嘘……です」

リアが微かに笑った。

「師匠は、昔から……嘘が下手です」

「黙れ」

俺は鎖を掴んだ。鉄の鎖だ。太く、硬い。

剣を抜くしかない。

だが、俺は躊躇した。

「エリナ、松明を持ってこい」

エリナが松明を手渡した。俺は鎖の繋ぎ目を照らした。溶接されている。

「……くそ」

俺は立ち上がった。そして、剣の柄に手をかけた。

その瞬間、背後で声がした。

「感動の再会だな」

俺は振り返った。

廊下の奥から、黒い鎧の男が現れた。

騎士団長だ。

そして、その後ろには十人を超える兵士たちが並んでいる。

「よく来たな、老いぼれ」

騎士団長が剣を抜いた。

「待っていたぞ」

俺は剣に手をかけたまま、動かなかった。

「罠か」

「当然だ」

男は一歩、前に出た。

「お前が来ると分かっていた。陛下は甘い。お前を殺さなかったからな」

「フェリクスは……このことを知っているのか」

「さあな」

男が笑った。

「知っているかもしれないし、知らないかもしれない」

男の目が、リアに向けられた。

「この女は、陛下の宝物だ。だが、陛下は最近、この女のことを忘れているようだった」

「何?」

「陛下にとって、もう過去のものなんだよ。だから、俺が始末してやろうと思っていた」

騎士団長が剣を構えた。

「だが、お前が来た。好都合だ。お前もろとも、ここで消してやる」

「エリナ」

俺は低く言った。

「リアを頼む」

「でも……」

「いいから」

エリナが黙って、リアの傍に膝をついた。

俺は騎士団長と向き合った。

「お前一人で、俺たちを相手にするつもりか」

男が嘲笑った。

「いい度胸だ」

俺は答えなかった。

剣に手をかけたまま、構えた。だが、抜かない。

「抜かないのか?」

「必要ない」

「舐めるな!」

騎士団長が斬りかかってきた。速い。

俺は横に飛び退いた。刃が壁を削り、石の破片が飛び散る。

「動きは悪くないな」

男が舌打ちした。

「だが、いつまで持つかな」

背後から、兵士たちが迫ってくる。

俺は後退りながら、彼らの攻撃を躱した。槍が俺の頬を掠める。服が裂ける。

「先生!」

エリナの叫び声。

「黙って見ていろ」

俺は兵士の一人の槍を掴み、引き寄せた。

手首を返す。骨が外れる音がして、男が倒れ込んでくる。俺はその身体を盾にして、別の兵士の剣を受け流し、同時に蹴りを放った。

三人が一度に吹き飛ぶ。だが、多勢に無勢だ。息つく暇もなく、次の一撃が迫る。

「やるじゃないか」

騎士団長が再び斬りかかってきた。

俺は腕で受け止めた。刃が皮膚を裂く。血が飛ぶ。

「馬鹿が」

男が笑った。

「剣を抜けば済むものを」

「必要ないと言った」

「強情だな」

男が剣を引いて、再び振り下ろした。

今度は避けきれなかった。

刃が肩を喰らう。肉が裂け、熱い痛みが走る。骨まで届く嫌な感触。

「ぐっ……」

「どうした。もう限界か」

騎士団長が追撃してくる。

俺は後退った。背中が壁にぶつかる。

逃げ場がない。

「終わりだ」

男が剣を振り上げた。

その瞬間、エリナが動いた。

リアを庇うように、身体を張った。

「エリナ!」

「やめて!」

エリナが両手を広げた。

「リアさんには、もう何もしないで!」

「邪魔だ、ガキが!」

騎士団長の剣が、エリナに向かって振り下ろされた。

その軌道が、スローモーションのように見えた。

俺の視界が、真っ赤に染まる……ことはなかった。

逆に、冷えていく。

感情が凍りつき、ただ一つの結論だけが残る。

『こいつは、生かしておけない』

俺の手が、剣の柄を握った。

抜く。

刹那、世界から音が消えた。

キィン、という高い金属音だけが、遅れて鼓膜を叩く。

空気が裂け、衝撃波が走る。

騎士団長の剣が、真ん中から綺麗に両断され、天井に突き刺さった。

男の目が、驚愕に見開かれている。

「な……に……」

俺は、流れるような動作で剣を横に薙いだ。

刃が肉を断つ感触すらない。あまりにも鋭利な一撃。

騎士団長の身体が、上下にずれた。

上半身がゆっくりと滑り落ち、ドサリと床に落ちる。

一拍おいて、血の噴水が上がった。

血が噴き出した。

兵士たちが悲鳴を上げて逃げ出した。

俺は剣を構えたまま、立っていた。

エリナが呆然と俺を見上げている。

「先生……」

「怪我は」

「あ、ありません……」

エリナの声が震えている。

「先生……今の……」

俺は剣を見た。

刃に血が滲んでいる。

「……終わった」

俺は剣を鞘に納めた。

「行くぞ」

「はい……」

エリナがリアを支えた。俺もリアの反対側に回り、肩を貸した。

「師匠……」

「喋るな」

「でも……」

「いいから、黙っていろ」

俺たちは部屋を出た。

階段を上る。

リアの身体は重かった。いや、重いというより、力が入っていない。まるで、生きる気力を失ったように。

エリナが何度も足を滑らせた。その度に、俺がリアごと支えた。

「すみません……」

「謝るな」

階段を上りきったとき、城内は騒然としていた。

兵士たちが走り回り、誰かが鐘を鳴らしている。

「侵入者だ!」

「騎士団長が殺された!」

叫び声が響く。

俺は謁見の間を抜けて、城門へ向かった。

門番が槍を構えたが、俺の顔を見て震え上がった。

「ひ……」

男が槍を落として逃げ出した。

俺は城門をくぐった。

王都の外は、闇に包まれていた。

月が雲に隠れていて、星の光も弱い。

俺は街道を外れて、森の中に入った。

木々の間を縫うように歩く。エリナが後ろで何度も転びそうになったが、俺は止まらなかった。

やがて、小さな泉が見えてきた。

俺はリアを泉の傍に降ろした。そして、水を汲んで彼女の唇を濡らした。

「飲め」

リアが微かに喉を動かした。

「……ありがとう、ございます」

エリナが泉の水で顔を洗った。そして、リアの顔を見た。

「この方が……師匠の、最初の弟子ですか」

「ああ」

俺は頷いた。

「リアだ」

「リア……さん」

エリナがリアの手を握った。

「大丈夫ですか」

「……ええ」

リアが微かに微笑んだ。

「あなたは……?」

「エリナです。先生の、新しい弟子です」

「そう……」

リアの目が、俺を見た。

「師匠……また、弟子を取ったんですね」

「ああ」

「良かった……」

リアが目を閉じた。

「師匠は、もう……独りじゃないんですね」

俺は何も答えられなかった。

ただ、リアの手を握った。

その手は、まだ冷たかった。

夜が明けるまで、俺たちは泉の傍にいた。

リアは眠っている。呼吸は浅いが、少しずつ安定してきている。

エリナは焚火の番をしていた。時折、木の枝をくべて、炎を保っている。

「先生」

エリナが口を開いた。

「あの騎士団長を殺したとき……先生の目、怖かったです」

「……そうか」

「でも」

エリナが俺を見た。

「あれが、先生の本当の強さなんですね」

「違う」

俺は首を振った。

「あれは、弱さだ」

「弱さ?」

「ああ」

俺は焚火を見た。

「俺は、怒りに任せて剣を抜いた」

「でも、私を守るために……」

「それでも、弱さだ」

俺は立ち上がった。

「強さというのは、剣を抜かないことだ」

「でも、先生」

エリナが立ち上がった。

「誰かを守るために剣を抜くのは、間違いじゃないと思います」

「だが……」

「マルクさんも、リアさんを守るために戦ったんです」

エリナの目には、涙が浮かんでいた。

「だから、先生が私を守るために剣を抜いたのは、間違いじゃないです」

俺は黙った。

エリナの言葉が、胸に刺さる。

「……ありがとう」

「え?」

「お前が、いてくれて良かった」

エリナが驚いた顔をした。そして、泣き笑いのような表情になった。

「……先生、それ、ずるいです」

「そうか」

「はい」

エリナが袖で目を拭った。

「私、もっと強くなります」

「ああ」

「だから、先生も……もう、独りで背負わないでください」

俺は頷いた。

空が白み始めていた。

新しい朝が、来ようとしている。

リアが目を覚ましたのは、日が昇ってからだった。

「……ここは」

「森だ」

俺は答えた。

「王都から離れた」

「そう……」

リアが身体を起こそうとした。だが、すぐに力が抜けた。

「無理をするな」

リアは眩しそうに空を見上げた。

「空……青いんですね」

「ああ」

「私……本当に、外に出たんですね」

リアの声が震えた。

「夢じゃ……ないんですね」

「夢じゃない」

俺は彼女の手を握った。

「お前はもう、自由だ」

リアの目から涙が溢れた。

「師匠……ありがとうございます」

「礼を言うのは早い」

俺は言った。

「お前を最初に助けようとしたのは、俺じゃない」

リアが顔を上げた。

「……マルク、ですね」

「覚えているか」

「はい……」

リアが目を閉じた。

「記憶のほとんどは消えました。でも、あの子の涙だけは、消えなかった」

涙が、リアの頬を伝う。

「地下牢で私を見つけた時、泣いていました。『こんなの間違ってる』って」

「マルクは……」

「自分の命よりも、私の尊厳を守ろうとしてくれた」

リアが俺を見た。

「師匠、あの子は……マルクは、どうなったんですか」

俺は黙った。

言わなければならない。

「マルクは……死んだ」

リアが息を呑んだ。

「フェリクスに追われ、最後まで戦って……死んだ」

リアが顔を覆った。

「私の、せいで……」

「違う」

俺は彼女の手を取った。

「マルクは自分の意志で、お前を救おうとした」

「でも……」

「誰のせいでもない」

俺は言った。

「悪いのは、フェリクスだ」

リアが俯いた。

「師匠……私、ずっと……師匠を、恨んでいました」

「……」

「あの日、師匠が来なかったら、私は死ななくて済んだ」

リアの声が震えている。

「でも、師匠は私を見捨てた」

「そうだ」

俺は頷いた。

「俺は、お前を見捨てた」

「だから、恨んでました」

リアが涙を流した。

「でも……今、師匠が私を助けに来てくれた」

「……」

「だから、もう……恨めません」

リアが俺の手を握り返した。

「師匠、ありがとうございます」

俺は何も言えなかった。

ただ、リアの手を握り返した。

昼過ぎ、俺たちは森を出た。

街道に戻る。王都からは遠く離れていたが、まだ油断はできない。

「どこへ行くんですか」

エリナが聞いた。

「マルクの村だ」

「でも、あそこは……」

「フェリクスが襲ってくる」

俺は頷いた。

「だが、俺は約束した。あの村を守ると」

「先生一人で、どうやって」

「分からない」

俺は答えた。

「だが、やるしかない」

エリナが黙った。

リアが俺の背中で呟いた。

「師匠……本当に、変わりましたね」

「そうか」

「昔の師匠なら、フェリクスと戦っていました」

「……」

「でも、今の師匠は……守ろうとしている」

リアが微かに笑った。

「私、嬉しいです」

俺は答えなかった。

ただ、前を向いて歩き続けた。

空は青く、風は冷たかった。

まだ、終わりではない。

これから、本当の戦いが始まる。

ふと、俺は振り返った。

遠く、王都の方角から、黒い鳥の群れが飛び立っていた。

いや、鳥ではない。

飛竜ワイバーンだ。

十、二十……いや、もっとか。

フェリクスは本気だ。

騎士団長を殺された報復として、あるいはリアを奪還するために、国中の戦力を向けてくるだろう。

「急ぐぞ」

俺は足を速めた。

もう、時間は残されていない。
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