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昔話(第24話)
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心愛に押し出されるようにして、私は鳴沢と二人きりになった。
彼女は「ちょっと飲み物取ってくるね」と軽い調子で言い残し、そのまま店の奥へと消えていったきり、戻ってくる気配はない。まるで、二人で今後のことを話し合えと言わんばかりに、空間だけが取り残された。
エッセンラーデンの店内は、午後の柔らかな光に満ちていた。ガラス越しに差し込む陽射しが、木製のテーブルに淡い影を落とし、コーヒーの香ばしい匂いが静かに漂っている。カウンターの奥ではミルの低い音が一定のリズムを刻んでいて、周囲の客たちはそれぞれの時間を過ごしていた。
「な、鳴沢……あのね……」
「は、はい……」
久しぶりに向かい合った鳴沢の横顔は、どこか大人びて見えた。けれど、緊張しているのは私だけじゃないと、彼の声でわかる。胸の奥がきゅっと縮まり、うまく言葉が見つからない。
「あの……ね。その……」
「……は、はい」
沈黙が、妙に重たかった。
「鳴沢がいない間も、私なりに歌詞を書いてみたの……でも、やっぱり鳴沢といる時の方が、いい歌詞が書けそうな気がする。本当にごめん」
自分でも驚くほど、素直な言葉が口をついて出た。鳴沢は一瞬目を見開き、それから慌てたように首を振った。
「そ、そんな……悪いのは僕の方なので、頭あげてください。周りの目もありますし……」
「そうだね。ごめん」
顔を上げると、鳴沢は視線を逸らしながらも、気まずそうに笑っていた。その表情が妙に新鮮で、数ヶ月間、会えなかった時間の重さを静かに思い出す。
「そうだ。鳴沢。私の書いた歌詞、見て欲しいのだけど……」
カバンの中に手を伸ばし、作詞ノートを取り出そうとした、その瞬間だった。
「その件ですけど……近藤さん」
鳴沢の声に、手が止まる。
「これから受験が本番になるので、この間書いてもらった歌詞で、歌作りました」
「え……?」
「はい。もう、大部分は完成してます。近藤さんの歌詞のおかげで、僕もいい歌が作れたと思います」
胸の奥が、ざわりと揺れた。
心臓の周りに、黒い靄がゆっくりと広がっていくような感覚。
「私……歌詞に納得してないって、言ったよ」
「そうですか。でも、僕はすごくいい歌詞だと思いますよ。特に——」
「納得してないって言ったよね!」
思わず声を荒らげてしまった。
店内の空気が一瞬で変わり、周囲の視線が一斉に私へと集まる。何人かと目が合い、慌てて机の木目に視線を落とした。
「あ、あの……近藤さん……」
「鳴沢。なんで、一人で作ったの?」
言葉が止まらない。
「約束したよね。二人で作ろうって。私が忙しいからって、もし一人で作るつもりなら、なんで言ってくれなかったの? 私が書いた歌詞、無駄になるし……時間だって、全部無駄になるでしょ!」
頬を伝って、熱いものが落ちた。
涙だと気づいたときには、もう止められなかった。
恥ずかしくて顔を隠すけれど、嗚咽だけは抑えきれない。
「……近藤さん」
「もういい! 勝手にしてろ!」
私は勢いよく椅子を引き、エッセンラーデンを飛び出した。
鳴沢の表情を見る余裕なんてなかった。
心愛が来ていなかったのが、不幸中の幸いだ。もし見つかっていたら、あの足の速さには到底かなわない。
鳴沢は追いかけてこなかった。
別に、追いかけてほしかったわけじゃない。
それでも、胸の奥がひどく寂しかった。
家に帰れば、きっともっと泣いてしまう。
そう思って、私は家の裏にある廃れた祠へ向かった。
小さい頃は、よくこの辺りで遊んだ場所だ。
中学に上がる前から来なくなっていたけれど、それでも数年しか経っていないはずなのに、祠は今にも崩れそうで、かつて広場だった場所は雑草に覆われた荒地になっていた。
昔からそこにあった、ボウリングボールほどの大きさの石に腰掛ける。
冷たい感触が、じんわりと伝わってきた。
空を見上げると、雲がゆっくりと流れていた。
——せっかく、仲直りしたばかりなのに。
なんで、あんな言い方しちゃったんだろう。
また鳴沢を困らせてしまった。
もう、一緒に歌を作ることはできないのかな。
そもそも、鳴沢は東京に行くんだ。
そこで、私の歌詞は終わる。
最後の思い出になると思っていたのに、今は歌詞のことなんて考えたくなかった。
ぼんやりと空を眺める。
青さは変わらないのに、雲は形を変えながら流れていく。
何も考えなくていい時間が、久しぶりすぎて、少しもったいなく感じた。
「こんなところで、何してるんだ?」
振り向くと、そこに立っていたのは心愛でも鳴沢でもなく、笹川だった。
「笹川こそ、こんなとこで何してんの?」
「玲那がこの森に入っていくのが見えたから、心配で後を追っただけ」
「ストーカー?」
「違うって!」
笹川は慌てて否定し、少し照れたように頭をかいた。
「懐かしい場所だけど、今わざわざ来る場所じゃないだろ。何かあったのかと思ってさ。玲那って、悩むとどこかに逃げる癖あるだろ。小学校の時も、心愛と喧嘩して、真冬なのに川に降りてたじゃん」
「あったね。あの時、見つけてくれたの笹川だったよね」
「そうそう。丸い石探して、心愛に渡すんだって必死になって」
「そんな恥ずかしい思い出、語らないで」
「結局、丸石なくてさ。平たい石に『ごめん』って書いて渡したんだよな」
「もう口開かないで」
そう言うと、笹川は少し真剣な表情で私を見た。
「……今度は何に悩んでる? また心愛か?」
「違う……」
鳴沢の名前を出したら、笹川を傷つけてしまいそうで、言えなかった。
「言いたくなきゃ無理に聞かない。でも、幼馴染として、泣いてる玲那を放っておけないだけだ」
「……ありがとう、笹川」
そう言うと、彼は照れたように視線を逸らした。
「お、おう……これから受験なんだから、あんまり無理するなよ」
「うん」
「一緒に帰るか?」
「もう少しだけ、ここにいる」
「そっか。じゃあ、先に帰るな」
「うん。勉強がんば」
「言うなよ。俺も現実逃避だったのに」
「笹川のことだから、そうだと思った」
「……玲那も、頑張れよ」
「ありがとう」
笹川は小さく手を振り、トボトボと帰っていった。
また一人になった。
空を見上げると、青の中にほんのりオレンジが混じり始めていた。
その時、草むらを踏みしめる「ザッ、ザッ」という音がした。
一瞬、野生動物かと思って身構えるが、何も姿を現さない。
少し怖くなって、立ち上がる。
笹川が帰ってから、まだ数分しか経っていなかったけれど、私は祠を後にした。
夕暮れの空が、静かに一日の終わりを告げていた。
彼女は「ちょっと飲み物取ってくるね」と軽い調子で言い残し、そのまま店の奥へと消えていったきり、戻ってくる気配はない。まるで、二人で今後のことを話し合えと言わんばかりに、空間だけが取り残された。
エッセンラーデンの店内は、午後の柔らかな光に満ちていた。ガラス越しに差し込む陽射しが、木製のテーブルに淡い影を落とし、コーヒーの香ばしい匂いが静かに漂っている。カウンターの奥ではミルの低い音が一定のリズムを刻んでいて、周囲の客たちはそれぞれの時間を過ごしていた。
「な、鳴沢……あのね……」
「は、はい……」
久しぶりに向かい合った鳴沢の横顔は、どこか大人びて見えた。けれど、緊張しているのは私だけじゃないと、彼の声でわかる。胸の奥がきゅっと縮まり、うまく言葉が見つからない。
「あの……ね。その……」
「……は、はい」
沈黙が、妙に重たかった。
「鳴沢がいない間も、私なりに歌詞を書いてみたの……でも、やっぱり鳴沢といる時の方が、いい歌詞が書けそうな気がする。本当にごめん」
自分でも驚くほど、素直な言葉が口をついて出た。鳴沢は一瞬目を見開き、それから慌てたように首を振った。
「そ、そんな……悪いのは僕の方なので、頭あげてください。周りの目もありますし……」
「そうだね。ごめん」
顔を上げると、鳴沢は視線を逸らしながらも、気まずそうに笑っていた。その表情が妙に新鮮で、数ヶ月間、会えなかった時間の重さを静かに思い出す。
「そうだ。鳴沢。私の書いた歌詞、見て欲しいのだけど……」
カバンの中に手を伸ばし、作詞ノートを取り出そうとした、その瞬間だった。
「その件ですけど……近藤さん」
鳴沢の声に、手が止まる。
「これから受験が本番になるので、この間書いてもらった歌詞で、歌作りました」
「え……?」
「はい。もう、大部分は完成してます。近藤さんの歌詞のおかげで、僕もいい歌が作れたと思います」
胸の奥が、ざわりと揺れた。
心臓の周りに、黒い靄がゆっくりと広がっていくような感覚。
「私……歌詞に納得してないって、言ったよ」
「そうですか。でも、僕はすごくいい歌詞だと思いますよ。特に——」
「納得してないって言ったよね!」
思わず声を荒らげてしまった。
店内の空気が一瞬で変わり、周囲の視線が一斉に私へと集まる。何人かと目が合い、慌てて机の木目に視線を落とした。
「あ、あの……近藤さん……」
「鳴沢。なんで、一人で作ったの?」
言葉が止まらない。
「約束したよね。二人で作ろうって。私が忙しいからって、もし一人で作るつもりなら、なんで言ってくれなかったの? 私が書いた歌詞、無駄になるし……時間だって、全部無駄になるでしょ!」
頬を伝って、熱いものが落ちた。
涙だと気づいたときには、もう止められなかった。
恥ずかしくて顔を隠すけれど、嗚咽だけは抑えきれない。
「……近藤さん」
「もういい! 勝手にしてろ!」
私は勢いよく椅子を引き、エッセンラーデンを飛び出した。
鳴沢の表情を見る余裕なんてなかった。
心愛が来ていなかったのが、不幸中の幸いだ。もし見つかっていたら、あの足の速さには到底かなわない。
鳴沢は追いかけてこなかった。
別に、追いかけてほしかったわけじゃない。
それでも、胸の奥がひどく寂しかった。
家に帰れば、きっともっと泣いてしまう。
そう思って、私は家の裏にある廃れた祠へ向かった。
小さい頃は、よくこの辺りで遊んだ場所だ。
中学に上がる前から来なくなっていたけれど、それでも数年しか経っていないはずなのに、祠は今にも崩れそうで、かつて広場だった場所は雑草に覆われた荒地になっていた。
昔からそこにあった、ボウリングボールほどの大きさの石に腰掛ける。
冷たい感触が、じんわりと伝わってきた。
空を見上げると、雲がゆっくりと流れていた。
——せっかく、仲直りしたばかりなのに。
なんで、あんな言い方しちゃったんだろう。
また鳴沢を困らせてしまった。
もう、一緒に歌を作ることはできないのかな。
そもそも、鳴沢は東京に行くんだ。
そこで、私の歌詞は終わる。
最後の思い出になると思っていたのに、今は歌詞のことなんて考えたくなかった。
ぼんやりと空を眺める。
青さは変わらないのに、雲は形を変えながら流れていく。
何も考えなくていい時間が、久しぶりすぎて、少しもったいなく感じた。
「こんなところで、何してるんだ?」
振り向くと、そこに立っていたのは心愛でも鳴沢でもなく、笹川だった。
「笹川こそ、こんなとこで何してんの?」
「玲那がこの森に入っていくのが見えたから、心配で後を追っただけ」
「ストーカー?」
「違うって!」
笹川は慌てて否定し、少し照れたように頭をかいた。
「懐かしい場所だけど、今わざわざ来る場所じゃないだろ。何かあったのかと思ってさ。玲那って、悩むとどこかに逃げる癖あるだろ。小学校の時も、心愛と喧嘩して、真冬なのに川に降りてたじゃん」
「あったね。あの時、見つけてくれたの笹川だったよね」
「そうそう。丸い石探して、心愛に渡すんだって必死になって」
「そんな恥ずかしい思い出、語らないで」
「結局、丸石なくてさ。平たい石に『ごめん』って書いて渡したんだよな」
「もう口開かないで」
そう言うと、笹川は少し真剣な表情で私を見た。
「……今度は何に悩んでる? また心愛か?」
「違う……」
鳴沢の名前を出したら、笹川を傷つけてしまいそうで、言えなかった。
「言いたくなきゃ無理に聞かない。でも、幼馴染として、泣いてる玲那を放っておけないだけだ」
「……ありがとう、笹川」
そう言うと、彼は照れたように視線を逸らした。
「お、おう……これから受験なんだから、あんまり無理するなよ」
「うん」
「一緒に帰るか?」
「もう少しだけ、ここにいる」
「そっか。じゃあ、先に帰るな」
「うん。勉強がんば」
「言うなよ。俺も現実逃避だったのに」
「笹川のことだから、そうだと思った」
「……玲那も、頑張れよ」
「ありがとう」
笹川は小さく手を振り、トボトボと帰っていった。
また一人になった。
空を見上げると、青の中にほんのりオレンジが混じり始めていた。
その時、草むらを踏みしめる「ザッ、ザッ」という音がした。
一瞬、野生動物かと思って身構えるが、何も姿を現さない。
少し怖くなって、立ち上がる。
笹川が帰ってから、まだ数分しか経っていなかったけれど、私は祠を後にした。
夕暮れの空が、静かに一日の終わりを告げていた。
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