希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~

白い黒猫

文字の大きさ
29 / 59
AFTRE

言葉はなくても

しおりを挟む
  安住さんの言う通り、あんなに激しく届いていたキーボくんの漫画はピタリと来なくなった。もう大概の所まできていたので、ネタも尽きたのかもしれない。
就職決めて俺、俺が仕事以外で始めた事が一つある。それは朝のランニング。キーボくんをやっていくには体力が必要である。お蔭で体力もつき、前ほどキーボくんで転ばなくなった。キーボくんを着ての活動も以前より楽になったように感じる。 二号さんのように全力疾走は無理でも、かなり軽快な動きも出来るようになった気がする。

 とはいえ、着ぐるみでの仕事はそんなに甘くない。というのは季節が冬から春そして夏に。着ぐるみにとって大きな試練を感じる時期になってきた。二月の状態でも着ぐるみの中はかなりの暑さで汗をかいたが、夏となるとそれどころでなく、滝のような汗というのを俺は初めて体験することになった。冷えピタしていても汗で冷えピタが落ちてしまう状態で、以前キーボくんの足元から冷えピタが落ちるという恥ずかしい事をしてしまった。そこで頭に巻くタイプのアイスノンを巻きその上からタオルを頭に巻く。キーボくんの中にはコールドドリンクと、汗拭きようのタオルを多めに用意して挑んでいる。それでも結構キツい。

 駅前でのイベントの仕事を終え、俺は最後の気力を振り絞り喫茶店トムトムの扉を開る。紬さんは慣れたものでキーボくんのアイスコーヒー注文のハンドサインに頷き、最も冷房を感じられるクーラーの前のキーボくん専用シートに案内してくれる。一機にキーボくんの熱を表面から奪ってくれるクーラーの風に、文明の素晴らしさを実感する。そして少しましになってきたことで、ふと視線を外の世界を気にすると、目の前に人がいた。その人物はコチラを困ったように見つめている。
『璃青さん、奇遇ですね。ところで、お店は?』
 もしかして、俺がめちゃくちゃ寛ぎすぎて、璃青さんが声をかけていたのに無視していたのだろうか? そう思いポケットから携帯を取り出しメールを出す。彼女は一人でお店を切り盛りしている為に、昼のお休み以外の営業時間に外を歩いているのは珍しい。メールを受け取ったらしい璃青さんは何故か背筋を伸ばし,キョロキョロと顔を動かす。
 そうしていると、キーボくんの背後をポンポンと叩く音がして、チャック開き水筒に入ったアイスコーヒーが差しれられる。俺は頭を下げ紬さんにお礼を言う。
「璃青ちゃんのオーダーは?」
「は、あの、いえ、店番に母を置いてきてしまっているので、わたし、すぐに戻らないと………」
 璃青さんと紬さんのそんなやり取りが聞こえる。なるほど、オープンには、お祖母さんのご病気でこれなかったというお母さんが来られているのかと納得する。だからこの数日お昼時にランチでみかけなかったのだろう。瑠璃さんとはお昼をとるタイミングが同じなようで、よく一緒にお昼を食べていたからだ。
『お母さんがいらっしゃったんですね。ならば安心ですね』
そうメールを送ると、また璃青さんはギョッとした顔になる。
  あら? もしかして、気づいていない? 俺は通じるように前に座っている璃青さんに手をふってみる。おずおずと手を振り返してくる。その時に俺の携帯が何か受信する。瑠璃さんからで。
『ユキくん、どこにいるの?』
 そして目の前の璃青さんは、コチラをハッとした顔でみてくる。良かった気付いてもらえたようだ。
「ま、まさか………。ええぇぇっっ?!!」
 そう叫ぶ様子がまた面白くてつい笑ってしまう。良かったキーボくん着ていたから、こっちのつい笑ってしまった表情は分かっていないだろう。
『ごめんなさい、璃青さん知っているとばかりに。実はキーボくんの中身って俺なんです。あ、この青いの、“キーボくん”っていって、ここの商店街のマスコットなんだ』
『そうだったの……。大声出してごめんなさい』
璃青さんは、もう普通にしゃべっても大丈夫なのに、そうメールで返してきた。
『いやいや、知らなかったら驚いて当然なので』
『ユキくんは、どうしてここに?』
 考えてみたら、メールでなかったら彼女の独り言になる。メールで正しかったのかもしれない。
『駅前のイベントの帰り。暑くて倒れそうだったから避難してきた。ここはよく水分補給に利用させて貰ってるんだ。そして今もここの美味しいアイスコーヒー飲んでいる所です。さっき入れてもらったのがソレなんだ』
『そうなのね。ねぇ、わたしもそのファスナー開けてみてもいい?』
 その言葉に、ギョッとする。ハッキリいって今の俺はかなり見苦しい。頭にタオル巻いているし、汗で色の変わったTシャツとチノパン。
『ここで、ガバーと開けられると、困るかな』
そう返しておく。
『璃青さんはどうして、ここに?休憩?』
そして話題を変えることにした。
『ううん。実は、キーボくんを追いかけてきて………』
なぜ!
『俺を?どうして』
『ごめんなさい、そうとは知らず好奇心で付いてきてしまいました……』
責めているわけでもないのに。謝られてしまった。
『別に謝らなくても』
『ユキくんは、お店のお仕事の他に、そういうお仕事もしていたのね。大変そう』
真っ直ぐな瞳でコチラを見つめてくる璃青さん。そんな表情でこう言われるとなんか照れる。
『まぁ、流れでね。初めは仕方なくだったけど、今ではそれなりに楽しんでるよ。ちなみに他にあと一体いるんだけど、そっちは動きが激しいし、たまに声を出していることがあるんだ。見た目も少し違うけど、それが簡単に見分ける方法。そして出現率は俺より低め』
 なんか、余計な事まで書いているような気がする。
「はい、アイスティー」
紬さんの声がする。
「ありがとうございます。………あっ、ユキ………じゃなくてキーボくん、お代わりいる?まだ喉が渇いてるんじゃない?」
 確かに飲み切ってしまったのでもうアイスコーヒーはない。俺はハンドサインでお代わりを請求する事にした。
「もしかして、中の人の正体、分かっちゃった?」
「はい。携帯のメールで教えて頂きました」
「うふふ。ふたりはもう携帯のアドレスを交換してたのね」
 紬さんと璃青さんとの楽しそうな会話が聞こえる。スッカリ彼女もこの商店街に溶け込んでいる様子なのが嬉しかった。
 そして二人でいつものランチタイムの時のように会話を楽しむ。ただしメールを介して表面上は無言で。でもそのコソコソと会話するのがまた楽しくいつも以上にその時間が面白く感じた。そんな事していると小野くんのお迎えが来る。俺は黒猫の仕事をするために帰る事にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~

白い黒猫
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある希望が丘駅前商店街、通称【ゆうYOU ミラーじゅ希望ヶ丘】。 国会議員の重光幸太郎先生の膝元であるこの土地にある商店街はパワフルで個性的な人が多く明るく元気な街。 その商店街にあるJazzBar『黒猫』にバイトすることになった小野大輔。優しいマスターとママ、シッカリしたマネージャーのいる職場は楽しく快適。しかし……何か色々不思議な場所だった。~透明人間の憂鬱~と同じ店が舞台のお話です。 ※ 鏡野ゆうさんの『政治家の嫁は秘書様』に出てくる商店街が物語を飛び出し、仲良し作家さんの活動スポットとなってしまいました。その為に商店街には他の作家さんが書かれたキャラクターが生活しており、この物語においても様々な形で登場しています。鏡野ゆうさん及び、登場する作家さんの許可を得て創作させて頂いております。 コラボ作品はコチラとなっております。 【政治家の嫁は秘書様】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 【希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々 】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/188152339 【日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 【希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~】  https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ 【希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376  【Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/813152283

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

処理中です...