愚者が描いた世界

白い黒猫

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~そして愚者は歩き出す~

6-4< 珈琲の薫る部屋で>

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 元老院府の建物の中央南奥に議事堂はある。その部屋を結ぶのは本館から繋がる廊下のみ。その廊下を歩く事が出来るのは議会に出席する者しか許されていない。それ以外のものは廊下手前にある扉で引き返す。
  その廊下を進み議事堂に消えていくフリデリックの背中は小さくそして儚く、それは玉座に続く道を歩く人物というより、断頭台に登る人の後ろ姿のようだった。
  ダンケはその姿に心痛めながら議事堂の扉に遮られ見えなくなるまで見送った。昔グレゴリーに言われた【盾でしかない】という言葉が心にズシリと重く響いてくる。自分はフリデリックを守る盾にすらなれていない。思い詰め日々窶れていくフリデリックの側にいるだけで何の力もない。ダンケは自分の無力さが憎くなる。
  近衛兵といっても何処も共にいられるわけでもない。
  警護にもそれぞれで分担された役割がある。元老院議会所内は専門の警護兵がいるために近衛師団の仕事はフリデリックの側での直接警護のみとなる。また武器持ち込み禁止の議事堂内はいかなる人物の護衛も入る事は許されておらず、会議の出席者しか入れない。その為、議会の間は護衛やお付の人物用にいくつかの部屋に分かれて待機することとなる。最も心細い想いをしている主君に寄り添う事も出来ない。それがもどかしい。
  ダンケが案内された控えの部屋に行くと既にかなりの人はいて、部屋には珈琲のアロマに満ちていた。皆それぞれ椅子やらソファーに腰掛け寛いでいる。声を上げ談笑すらしている姿に、ダンケは眉を顰める。この部屋にいるのはヴォーデモンド公爵家派の三爵以上の護衛等の付き人の控え室となっているようだ。余計な騒動を招かぬように政敵関係にあるブルーム公爵派の者とは部屋そのものから分ける配慮がなされた結果なようだが、ダンケが嫌悪している世界の縮図がそこに広がっていた。情報交換という名の裏取引に探り合いに騙し合い。貴族であるからには腹芸が出来て当然なものの、【正直者が馬鹿を見る】貴族社会はそんな世界なのだ。狡猾な奴はそれこそ何しても許される。レジナルド王弟子暗殺未遂したような奴も、ダンケの親戚にその罪を擦り付け、未だにどこかでのうのうと生きている。誰もが冤罪と分かっている罪で家族を裁きながら、今までのヘッセン家の功績を顧みての慈悲という事でお家断絶はなんとか免れた。どの口がその事に感謝しろというのだろうか?
 『ダンケ、貴方に傍にいてもらいたいのです。貴方に守ってもらいたいのです』
  醜く腐った世界の中、ただ一人純粋で浄かな存在。それがフリデリック王子だった。罷免されそうなダンケを必死になって引き留め、そのように縋り付き訴えてきた。それだけでなく王やら王妃にいつになく必死に掛け合った事が、ヘッセン家の地位を守った。王子にとっては家族で、慕い唯一優しく甘える事の出来た側妃とその娘を、誰も他にかかっていない流行り病で立て続けに亡くした事で不安定になっている時だった。そこに自分の近衛が不祥事により去る事が重なった事も影響していたのだろう。いつになく我を通しダンケの罷免に異を唱えた。何故当時九歳の王子がそこまで自分を求めてくれたのかは良く分からない。
  しかし側妃親子の死を嘆くその姿を見て感じたのは、『王子も自分と同じなのだ』ということ。王妃や貴族の愚かな計略により、大切な存在を簡単に奪われ翻弄される弱い存在。王子の政権争いに巻き込まれお家断絶の危機まで陥った事の怒りより、その理由の一つである存在であっても憎しみより庇護欲の方を強く沸き起る。王子を護りたいという気持ち、そして自分が忌み嫌う王宮という世界でそれを守るべき立場でいる理由にもなった。
  フリデリック王子も純粋で聡明であるから故に何か自分の周囲の状況がオカシイと気付いたのかもしれない。だからこそ王妃やヴァーデモンド公爵派ではないダンケに縋った。フリデリック王子は無意識に、ヴァーデモンド公爵らの息のかかってない者をより好み、
慕う傾向にある事に、ダンケは最近気がついた。
  侍女のマール、絵画の講師で宮廷画家のラファロ、クロムウェル侯爵の弟でありながら明らかな世捨て人となって政治に興味のない講師のグレゴリー、そしてテリー。しかしその中の誰も、今もがき苦しんでいるフリデリックの叫びに応え救える者はいない。

  ダンケは先ず部屋の中を見渡す。見覚えのあるそれらの顔を一人一人確認し何か不審さを感じる者はいないかチェックする。初めて見るといった意味での怪しい存在は流石にいない。そこにいる者は侍女らに振る舞われる珈琲を飲みながら悠然としている。彼らにしてみたら今は一息つける休憩時間帯なのだろう。元老院府内で、ここは宮殿の次に警備の厳しい所。何かあるとは思えない。その事が彼らを安心させているのだろう。それよりも今後の自分の立場の方が重要なようで活発に意見を交換している。フリデリックが若い分、完全にヴァーデモンド公爵に絡み取られていた前王よりも付け入る隙があると思っているのだろう。もっともらしい理由を口にしてフリデリック王との面談の道筋を付けようとしているのが分かる。
  そんな会話を注意して聞きながらも近衛としての仕事をダンケは続ける。他の護衛のように勤務中に気を抜く事は出来ない。ダンケらは皆のように椅子に座ることもせず、入口に近い位置で立ったまま、ドア越しに部屋の外の気配も探っていた。そんなダンケらをみて給仕をしてきた侍女は気遣うように笑い、椅子と珈琲を勧めるがダンケは穏やかに『職務中ですので』と笑みを返し、珈琲だけを受け取り下がらせた。ダンケの部下もそれにならう。その様子を見て困ったように女性は笑ったが、それ以上何も言わず下がっていった。議会の規模も大きい為に世話をする相手も多い。彼女らも忙しいからダンケらに構っている暇もないのだろう。ダンケはその後ろ姿を見送ってからソーサーにのった状態のコーヒカップに口をつける事もせず、そっと近くにあったテーブルに置く。
 「珈琲飲みながらの仕事なんて優雅ですよね」
  立ちながら珈琲を飲む部下にダンケは苦笑してしまう。仕事で緊張しっぱなしで喉も乾いていたのだろう部下二人は珈琲を美味しそうに、だが早めに飲み干してから食器をテーブルに置き、すぐにダンケ同様警護態勢にはいる。その事に頼もしさを感じながら、ダンケは意識を室内の方に少しだけ戻す。
 「やはり近衛師団の方は心構えからして違いますね。流石です」
  突然そんな言葉をかけられダンケは顔を動かす。声のする方向を見ると、入り口近くの椅子に腰掛けた男がコチラを人懐っこい笑みを浮かべている。薄茶色の髪に茶色の目で丸い鼻で、平凡そのものの顔立ちの人物にも見覚えはあった。騎士の格好をしているものの、それがなんとも似合っていない。着崩しているとかではなく、冴えないその容貌とその雰囲気が騎士らしくないのだ。
 「あっ私、トマスと申します。いきなり声かけで驚かせてしまいました?」
  陽気にニコニコ話にかけてくるその男に戸惑い曖昧な笑みを返す。
 「貴公はたしかバーソロミュー家の……」
  胸についた紋章を見るまでもない。その男はキリアン・バーソロミューがフリデリックの講義を監視に来る時、連れている護衛の一人だった。といっても単なる護衛がフリデリック王子の近づける訳もなく、部屋の手前で主と離れていつも控の間で待機しているので、顔を知っているだけの男。
 「覚えて下さっていましたか! 嬉しいです。 ずっとお話したかったのですが、流石に宮殿内でお仕事中の貴方に声をかけられなくて」
  チラリと奥のソファーに座るバーソロミュー家のお付きのエミール・オーウェンを見ると、コチラを見て苦笑し申し訳無さそうに目を伏せ謝るが下がらせるという事までしないようで、ヴァーデモンド家のお付の者との会話を再開させてしまう。トマスと名乗った男は、なおも笑顔で話しかけてくる。
 「近衛兵なんて、俺にとって憧れの存在ですから、やっとお話出来て嬉しいです。
  家柄だけでなく、やはりなるまで様々な厳しい審査あるんですよね?! 本人だけでなく家族の事まで審査の対象になるとか! それを乗越えて来られたなんて尊敬しちゃいます」
  無邪気に彼は言っているのだろうが、家族の事に関しては重犯罪を出した事で【問題あり】とされているダンケはその話題はここで止めて欲しいのであいまいな笑みだけを返す。同時にどうしたものかと悩む。部下二人が仕事をしてくれているから良いが、そうでなかったら速攻離れてもらいたい所。
  相手があのバーソロミュー家に関わる人物だけに逆に興味もある。ヴォーデモンド公爵派ではあるものの、その行動は至って全うで穏健派にも見えるキリアン・バーソロミュー。しかしテリーやフリデリックには何故か悪意あると思われる言動を示す。野心家でありながらエリザベスのあからさまなアプローチをやんわりと遠さげる。そして多くの貴族が王妃の御機嫌伺いにきたというのにキリアン・バーソロミューは一度弔意を示しにきただけだった。病気療養中にも関わらずバーソロミュー公爵は数度も王宮にきたというのに。キリアンのダンケから見て、そんな読めなさ過ぎる所があった。
 「バーソロミュー家の騎士されているくらいですから、貴方だってなれるでしょに」
  そう返すと男は慌てたように首を横にふる。
 「いえいえいえいえ! 俺には夢のまた夢ですよ! 近衛兵なんて、農民の息子だと先ず家柄で落とされます」
  その言葉に何処か納得しつつも驚く。粗野さというものはそう簡単に消せるものは無い。この男のどうしようもない野暮ったさは生まれにあり、貴族のような教育を受けて育ってきていないからだ。
 「こんな平民の俺を騎士として取り上げてくれるような奇特な事するの、キリアン様くらいですから」
  ダンケが驚いたのは、ヴォーデモンド公爵派、つまり貴族主義の人が集まる派閥にいながら、平民を手元に置いている事だ。ヴォーデモンド公爵らは自分の側にいるものは先ず家柄容姿そういったものを気にする。しかしこの男にはどちらもない。男の剣によるタコのついた手、袖があっても分かる鍛えられた腕をみると鍛錬はしているようだし、実力はそれなりにあるのだろう。
 「しかし、キリアン殿は厳しい方だ。その分仕えがいもありそうですが、応えるのも大変でしょう」
  ダンケの言葉にトマスは顔を横にする。
 「ストイックなお方で自分には厳しいけど、人にまでそれを求めないので俺も自由にさせてもらっています! と言っても、キリアン様に恥をかかせるような事したくはないですので努力はしていますよ!」
  何が楽しいのか、ズッと笑顔で話を続ける相手にダンケは色々戸惑う。しかも彼の言葉でますますキリアンという男が分からなってくる。
 「気取って見えるかも知れませんが、結構お人好しですし、意外と熱血漢です。だから皆もあの方をほっとけないというか……だからついて行きたくなるし、守りたくなる」
  ダンケの反応なんて気にせずベラベラと話し続けるトマス。そんなに声は大きくないが、この部屋で主あるじの事をベラベラ話しても良いのだろうかとも思う。そこで部屋が妙に静かなのが気になった。
  先ず感じたのはエミール・オーウェンの視線。キリアンのように笑みを浮かべたような表情でコチラをジッと見ていた。その濃い青い瞳にはどういう感情を秘めているのか分からない。目が合うと笑みを深めた。ゆっくりと立ち上がりコチラに近づいてくる。
 「トマス余計な事を色々喋り過ぎだ。
  いくら他の皆さんに聞こえてないとはいえ」
  そう言いながら部屋をゆっくりと見渡す。室内の人間が皆目を閉じ椅子に凭れた状態でグッタリしている。
  ガダッ
    ドサ
 鈍い音がした方向に視線を走らすと部下の二人が床に崩れるように倒れるところだった。一人はトマスがとっさに受け止めた為に転倒は免れたようだが、共通しているのは、二人とも意識はまったくないということ。転倒で強く身体を打っても起きる気配はない。
 「貴様ら、何を企んでいる?」
  出されたコーヒーに何か薬が入っていたのだろう。そして飲まなかった三人だけがこの部屋で立っている。ダンケは任務中だから飲まなかった。しかし二人は? 
  ダンケはユックリと近すぎる位置にいるトマスから離れ、エミール双方が見える場所をとる。トマスはさり気なくドアを塞ぐように移動しているのを確認しダンケは顔を顰めた。


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 今回登場の、エミールはレジナルド主人公の物語【真白き風にそよぐ黄金の槍 4―4 <傍観する者>】にて、キリアンと会話していた人物です。
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