傷を舐め合うJK日常百合物語

八澤

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◆ 芝浜とドリーミング・ライアーズ ◇

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◆◇◆◇
──今回の物語は落語の演目『芝浜』を元にしています。
──というか、そのままです。登場人物を私とサクラに変更しただけです。
──私が高座で演じていると思って読んでください。因みに登場する二人の年齢は二十歳です。
◆◇◆◇


 日の当たらない路地に建てられた裏長屋に、サクラとレイは住んでおりました。
 凍てつく寒さの中、サクラはそっと手を伸ばします。

「ねぇ……レイ、起きて」
「ん……う、う~~ん……あと五分~」
「それはもう聴いた」
「じゃあ……あと十分だけ……むにゃ」
「あぁ、もう起きなさいッ!」

 サクラは布団に包まるレイに蹴りを入れます。鈍い衝撃は背中に響きます。それはそれは容赦の無い凄まじい蹴りでした。痛いよぉ……。

「うわっ!? な、なななに!?!?」
「おはよう」
「……おはよう、ございます。ねえサクラ、まだ朝だよ」
「もう朝、よ。あんたは覚えていないだろうから教えてあげるけど、あんたは昨日たっぷり呑んでたっぷり眠ったの。さ、その分商いに励みなさい」
「あ・き・な・い?」
「初めて聴いたって顔するな」
「だって私はか弱い儚い普通のJKっすよ…」
「惚けても無駄よ。昨日言ったじゃない、明日から必ず百パー完璧に魚屋をやるのでお願いだから今日だけは呑めるだけ呑まして下さい! って」
「ふうん、それは、サクラの、夢、です」

 レイは満面の笑みでサクラに見つめます。サクラの心拍数が一気に跳ね上がり、レイの可愛さの前に心にミシミシとヒビが入りました。サクラに私の最高の笑顔を浴びせればこっちのものだ、とレイは内心ほくそ笑みますが、サクラはぐっと歯を食いしばって堪えました。

「レイは毎日毎日飽きもせずお酒ばかり呑んで……。もうね、二十日も商いに行ってないのよ。どうするの? 借金だっていつの間にかたんまり拵えて……」
「サクラも頑張って商いしてもいいよ」
「人が稼いだ金をお酒に変えるのは一体どこの誰でしょうか?」
「はい。しかたな……い……むにゃ」

 サクラの怒りも、レイにはまるで子守唄のように伝わります。再び微睡みの中に落ちていきました。が、サクラはレイの掛け布団を引剥返してしまいました。十二月に入っておりますので、現代のような暖房器具の存在しませんので、肌を裂くような冷気がレイを襲います。

「ぎゃぁぁ! 返して、寒いよぉ!」
「いい加減にしなさい」

 ぴしゃり、とサクラは声を荒げます。
 こめかみがピクピクと痙攣してます。これは本気で怒ってます。怖い! これ以上サクラがキレたら私を絞め落とされるとレイは悟りました。

「むぅ、へいへいわっかりましたぁ~、行けばいいんでしょう~」

 いそいそと着替えながら「あ、やっぱり無理! 二十日も休んでいたんだよ、魚を入れる桶が緩んで水が漏れる!」とレイは嬉々として喚きます。

「昨日のうちに私が修理したわ」
「ぐぬぅ……あ、包丁が錆びてる!」「ピカピカになるまで研いだ」「仕入れのお金は? あちゃ~流石にお金が無いと仕事にならないよね、困った困った」「僅かだけど借りてきたわ」
「……じゃあ、えっと……あとは、草鞋は?」
「ほら、そこに出してるでしょ? あのね、レイが思いつきそうなことなんて全部お見通しなんだから。さ、行ってらっしゃい」

 サクラの用意周到さにぐうの音も出ません。
 恨めしくサクラを睨むだけです。

 さて、レイの商いは『魚屋』です。ただ、現在のような店を構えて、威勢のよい掛け声と共にお客さんに売る形式ではなく、よく江戸時代の物語などに登場する細長い棒を方に載せ、その両端に魚が入った桶を吊るした魚屋を指します。当時は魚の保存技術が現在のように発達していないため、魚屋はまず海まで出向き、漁であげられたばかりの魚を仕入れ、街まで持ってきて捌き、道端で売り歩いたり、お得意様に届けたりするのです。

「はぁ……やっぱり寒いよ、凍えちゃうよ」

 レイはくるっと踵を返しますが、サクラはバッ! と両手を広げて侵入を阻止します。

「レイ、あなたは酒に溺れなかったら腕は確かなのよ。ご贔屓のお客さんだってたくさん居た。皆あんたが酒臭くてちゃらんぽらんな姿にドン引きして離れて行ったけど、真面目にやれば……」
「わかったわかったって、……行ってきます」
「行ってらっしゃい」

☆★☆★

 ──ざっ、ざっ、ざっ……と小気味良い足音を鳴らしながら、レイは海を目指します。
 夜明け前の空は暗く、水平線の先が僅かに青みがかっているだけです。冬の乾燥した空気の中で、両肩を摩りながらゆっくり亀のように歩いていました。けど、潮の香りが混ざると自然と足が早まります。

 ゴーンッ
 ゴーンッ

 増上寺の鐘の音が何度か響き渡ります。空気をからりと染め上げる強い響きに、思わず笑みが零れます。

 海に到着したレイは、さぁ、どこの問屋にしようかな~と辺りを見回します。が、どのお店も開いておりません。というか、人の気配もありません。

「あれ、おかしいな。今日はもしかして……休み? やった、マジか!? ……うーん、でも一つくらいは開いているはずなんだけどな──」

 その時、増上寺の鐘が鳴った回数を思い出します。

「あ~刻を告げる増上寺様の鐘の数が違う。ってことはサクラ、一刻早くお越しやがったな。やれやれ、もうちょっと眠っていられたのに」

 レイは口を尖らせながら、時間を潰すために海岸へ向いました。波岸際にちょうど人一人が座れる岩があり、レイはその上に座り、キセルを取り出しました。
 プカプカ紫煙を吹かしながら水平線を眺めていると、朝陽が僅かに頭を出しました。お天道様に照らされた海が、キラキラと輝き、幻想的な光景が目の前に広がります。

「空もちょっと赤色に染まるの、綺麗……。サクラにも見せてあげたかった。でもサクラはきっと私の布団にくるまってレイの匂い最高とかいいながら寝てるんだろうな」

 レイは大袈裟な欠伸をしながら、足元に押し寄せる波を見やります。

「波って不思議。毎日飽きもせず行ったり来たり……。疲れた休もう! って了見にはならないのかな。私はすぐ休みたくなるのに」

 惚けた顔で静かに行き来する波を眺めていると、その中でキラリと輝く何かを発見しました。最初は魚の鱗が光ったのかな~っと思いましたが、それは波に揉まれながらゆっくりと近づいてきます。

「……人形? え、え……これは、この白黒の斑模様は──くまたん!」

 ゆらゆら水中で漂うそれは、なんとレイの愛するゆるキャラ『くまたん』の人形でした。いや、違う。レイは冷たい海に手を突っ込んで拾い上げたそれは、くまたん型のポーチでした。

「わぁ、可愛い! ちょっと汚れてるけど洗って干せば使えるかも。ふふっ、私のコレクションに追加しよ!」

 くまたんのポーチはずっしりと重たく、中に何かが入っているようでした。レイは暇つぶし、とチャックを開いて、中を覗き込みました──。 
 
☆★☆★

 ――ダンダンダンダンッ!
 ――ダンダンダンダンッ!

「はいはい、どなた?」
「わ、わ、私! レイです! レイ! あ、あ、ねぇあけあけ開けてぇ!」

 サクラが扉を開いた途端、レイは転がり込むように入ってきます。

「どうしたのよ、そんなに慌てて」
「誰もついてきてないよね? お願い、顔そっと出して見て!」
「何で?」「何でもいいから早く!」
「ん、誰もいないわ。また喧嘩でもしたの?」
「違う! あ~扉はもっとしっかり閉めて、鍵も」

 サクラが首を傾げながらも鍵を閉め、そこでようやくレイはほっと胸をなでおろします。サクラに視線を映したところで、サクラの布団の上に移動していたレイの布団が目に入りました。

「私の布団……」
「ち、違うわよ。ただ、レイがついさっきまで眠っていたから暖かくてまぁその熱をなくすのももったいないじゃない? だから私がくるまっていただけで」
「うん、はい……。そんなことより、起こす時間を間違えたよね?」
「そうなのよ、気づいて追いかけたんだけど、レイの姿は無くて。ごめんね」
「だからお店が一軒も……ふふふ、一軒も……ふふふ……無くてさぁ……」
「何、ニヤニヤして」
「ねぇ、早起きは三文の得って言うじゃん」

 レイはにぃっと不気味な笑みを浮かべ、ポケットからくまたんのポーチをサクラに差し出します。

「なに……これ、汚いじゃない」
「洗えば使える……って問題はそこじゃない! ほらぁ、見てよこれ!」

 レイは中身を床に広げると、大量のお金がざぁっと音を立てて広がります。
 怪訝な表情をしたサクラも、それがお金とわかると驚きの表情を浮かべました。

「え、本物……こんなに、大量に」
「数えて数えて」
「ひーふーみー」「今何時だい?」「──邪魔するな。……うそ、五十両もあるわ!」

 現在の価格で表すと五百万以上の大金となります。それを聞いたレイの唇が段々と開いていき、腹の底から不気味な笑い声を響かせます。

「ふふふひひひけけけあははっはっはっはっはっは! これきっと芝の浜からひもじい私たちへの授かりものだよ! すごい! こんなに大金──え~~~~どうしよ?」
「どうしようって、私にもわからないわよ……」

 ぎらぎらと輝く大金に怖気付くサクラに、レイは逆に吹っ切れたのか、震えるサクラの手をぎゅっと握り、不可思議な顔から一転、不敵な笑みを浮かべます。

「怖がらないで大丈夫安心して深呼吸、はい、ひーひーふぅぅぅ」
「ひーひーふぅ、違う!」
「早起きは三文の徳ってさっきも言ったけどさ、五十両の徳、それだけさ! 嗚呼、私たちはこれでしばらくの間はひもじい思いをしなくていいんだよ!」

 レイは破顔し、ぎゅっと強くサクラの指を握りしめます。サクラもまだ事態が飲み込めない様子でしたが、レイにぎゅっと握られたことで僅かに頬を染め、コクコクと頷きます。

「サクラも欲しいモノ、あるよね?」
「え、まぁ……カードとか。この前のリミテッドSSRを回す時にコツコツ溜めていた石溶けたから……」「ふっふっふ、これからはガチで無料で回せちゃう。ねぇ、もうこんなめでたいことそうそう無いんだから、長屋の人皆招き入れて、久々にぱぁ~っと大騒ぎしようよ! 美味しいお酒や肴、頼めるだけ頼んじゃおう!」
「でもお金が……」
「だーかーら、あります! ここに、ある、あるっ、あるある……くまたんの中にざっくざく! はぁ、いつまでもそんな乞食みたいな服装辞めてさ、可愛い服たくさん買おう! 旅行とかずっと行ってないじゃん。また二人で一緒に遊ぼうよ!」
「レイ……」

 レイはサクラから手を離すと、お金を指でじゃらじゃら音を鳴らしながら掻き集めます。サクラはそんなレイを黙って眺めておりました。

「ふふっ、もう商いなんて絶対しなーい。このお金が尽きるまで遊んで暮らしてやる。……さぁて、湯屋が開くまでまだ少し時間あるね。それまでに一度寝ようかな。……一刻早起きしたからその分眠るね。……あ、そうだ、昨日の飲み残しまだある?え、こんなに? やれやれ、やっぱり商いに向かう前に飲むお酒はべらぼうにマズいからたくさん残しちゃったのかな? でも今は──ふぅ、美味しい……よぉ……ぅ……むにゃ」

──────
────
──



「ねぇ……レイ、起きて」
「ん、う~ん」
「起きて、起きなさい──」
「あとちょっと、五分だけ……」
「それはもう聴いた」
「ではあと十分だけ~」
「あぁ、もう起きなさいッ!」

 サクラは布団に包まる私に蹴りを入れます。容赦の無い、凄まじい蹴りでした。ホント痛い……。

「うわ!? ……い、いたた……。ねぇ、サクラ、まだ……朝だよ」
「朝だから起こすのよ。昨日たっぷり呑んでたっぷり眠ったのよ! さぁ、その分商いに精を出しなさい!」
「商い?」
「昨日言ったじゃない、明日から必ず百パー完璧に魚屋をやるのでお願いだから今日だけは呑めるだけ呑まして下さい! って」
「それは、サクラの、夢です」
「レイは毎日毎日飽きもせずお酒ばかり呑んで……。もうね、二十日も商いに行ってないのよ。どうするの? 借金だっていつの間にかたんまり拵えて……」
「借金?」
「えぇ」
「もう、なーに言ってるの。ふふふ、借金なんて今すぐ返せるじゃん」
「はぁ?」
「おいおい私が昨日芝の浜で拾ってきたアレ──くまたんでさ……」
「あのぶつぶつ模様のゆるキャラがどうしたの?」
「だから、くまたんポーチに入っておりました、五十両が私共の中にあるじゃあございませんか! もう寝ぼけてるの?」

 布団の中でヘラヘラ笑うレイを、サクラは怪訝な目で睨みます。

「五十両? はぁ……あんたこそ寝ぼけてるんじゃないの? さ、早く支度して商いに向いなさい」
「待ってサクラ、私が昨日海の中で漂うくまたんポーチを見つけて、中に五十両入っていただろ?」

 レイが首を傾げながら問うと、サクラは鼻で笑います。

「貧乏を極めると、こんなつまらない夢を見てしまうのね」
「夢?」
「そう」
「夢って……え、五十両が? おかしいおかしいおかしい。だって、あった、でしょ? サクラ?」
「ありません。そんな大金夢に決まってるじゃない。だって見てみなさいよ、それだけの大金があったら私たちはこんな寒風が入り込む古ぼけた長屋で寒い寒いと体を寄せ合ったり、ガチャを回すためにコツコツ石を貯めるような生活なんかしないわよ」
「サクラ……が、鐘の音を……一つ間違えて、私は浜で……」

 レイが思わずサクラに触れようとしましたが、サクラはレイを避けて立ち上がると、鋭い目つきで床に転がるレイを見下ろします。

「あんたが浜に? ふふ、いつ行ったのよ。昨日だって朝声かけても全然起きやしない。そのまま昼までゴロゴロして、と思ったら突然周囲の皆を呼び寄せて何が嬉しいのやらどんちゃん騒ぎ始めて……。皆の手前、あんたに恥をかかすわけにもいかないから大家さんに頭下げてお金借りて……。魚食べたいって騒ぐから、……うちは魚屋なのに他所様の魚屋まで出向いてお魚買って。で、レイはお酒に潰れて眠ってしまった……。ねぇ、商いはいつ行くの?」

 サクラの言葉ゆっくりとレイに染み渡るように伝わり、ややあってからレイは口を開きました。

「つまり、お金を拾ったのは……夢で、その後は現実? 私は、夢で見たお金に大喜びしちゃって、皆と飲み食いしたの?」
「その通り」

 サクラが吐き捨てるように答えると、レイは一瞬俯いた後、部屋の中を駆け回ります。クローゼットやテーブルをひっくり返し、目当てのくまたんポーチを見つけようと無我夢中で探しましたが、とうとう見つからず、へたりこんでしまいます。

「無いです、無い、ぎゃぁぁぁ……」
「だから言ってるでしょ、レイが見た夢だって」
「ぁ……はは……あはは……はは…あはははは……はぁ、こんなバカな話がある? うっわなんか情けなさすぎる……」
「レイ」
「サクラ、包丁ある?」
「商いに行ってくれるの?」サクラはぱっと顔を輝かせると、台所へ包丁を取りに向います。
「ううん、サクラ──」「え?」「死のう」

 レイはポツリと、殆ど消え入りそうな声で呟きます。
 その瞬間、サクラの表情から笑顔が消え失せ、持ってきた包丁をぎゅっと握り締めます。

「私も?」
「だってこのまま二人こんな貧乏でさ、まるで深海魚みたいに暗闇を延々泳ぐ夢から逃げた亡骸のようなつまらない暮らし、イヤでしょ? 私もこんなだし、サクラも実は──」
「なんで、私もなのよ」
「だって、私だけじゃ寂しいでしょ。サクラも──え……ちょ、待って、危ない! 近いってうぁぁ!?」

 サクラは包丁の刃をレイに向け、ゆっくりと凄みながら近づきます。

「死にたいのなら……ねぇ、もう死ぬのなら、そうね私が殺してあげる。レイも私に商売道具で死ねるなら本望よね? 確かにあんたの言う通り、どうせ適当に生きて後悔しながら傷心して死ぬだけ。だってそうじゃない。あんたはこれからもずっと飲んだくれ。借金ばかりこさえて、私の知ってるレイは……もっとキラキラ光ってる。あなたの声を聴いてから、私はあなたに強く惹かれたの──。だから、今の腑抜けたレイだったら、ホント死んだ方がマシ。で、一人で逝きなさい」

 サクラはそっと腕を振り上げます。
 ぎらり、と包丁が朝陽を浴びて妖しく光りました。
 レイが魚を捌く時に使用する包丁で、サクラがレイのために毎日丹念に磨いていたことで、本日は一段と輝いておりました。

 ──ざんッ

 包丁はレイの額を掠め、畳に突き刺さります。
 サクラは瞳に涙を浮かべながらも、凄まじい眼差しでレイを睨みます。

「あ……あ……あわわわわわ……」
「ねぇ、レイは包丁で捌くの? それとも、私が、レイを捌く?」

 サクラがレイに問いかけるように訴えます。
 レイはサクラをじっと見つめた後、黙り込み、やがて小さく頷きました。

「やれやれ魚屋が捌かれちゃ堪らないね」
「レイ──」
「サクラ、私は……うん、よし、うぉぉぉ……金輪際お酒、飲まないよ。でね、働いて働いて……どうにか商いの形がつくまで一滴だって飲まない、誓うよ」
「ふん、そんな言葉で何度騙されたか」
「今度は本気。って何度も何度も聞かされて、それでもサクラは我慢してくれたんだね。私、気づかなかった。ずっとサクラに甘えていた」

 レイはそっとサクラに近づくと、震えながら包丁を握りしめるサクラの指を優しく包み込みます。サクラの指がゆっくり包丁から離れ、二人の指は絡まるように重なりました。コツン、と互いの額が軽く当たります。

「レイ……」
「ごめんねサクラ。今回は……約束守ります」
「はいはい……」
「ねぇ、サクラ言ったじゃん。私を捌くって──。私がお酒呑んだらさ、それお願いするよ」
「……絶対にイヤ」
「まぁ人を捌くのは抵抗あるよね」
「けど、レイがそれを求めるなら、私は頑張って捌くわ」【そして、レイの後を追う】

 凄まじい嫌悪の感情に、レイはそっと手を離します。次触れることが恐怖に思えるほどの圧力をひしひしと覚えました。それを振り払うように「あ!」と大きく口を開けます。

「やっぱり無理だよ! だって二十日も休んでいたんだよ、魚を入れる桶が緩んで水が漏れる!」
「昨日のうちに私が修理したわ」
「むぅ……包丁が錆びてる!」「ピカピカになるまで研いだ」「仕入れのお金は? はぁ、流石にお金が無いと仕事にならないよね」「僅かだけど借りてきたわ」
「……あと、草鞋は?」
「ほら、そこに出してるでしょ? レイが思いつきそうなことなんて全部お見通しなんだから。さ、行ってらっしゃい」
「デジャブを感じる。なんか夢とそっくり。あ、実は~?」
「ん?」
「包丁を構えるのは辞めて……」

☆★☆★

 レイは酒を絶ち、まるで人が変わったかのように商いに精を出します。もとより、レイの捌く魚は美味しいと評判の魚屋でした。桶に入れた魚はついさっきまで海を泳ぎ回っていた魚ですが、その活きの良さを見抜く目を備えておりました。加えて、凛々しい声色を響かせながら捌く様は、人だかりが出来るほどの賑わいを生み出します。捌く腕も相まって、どんどんとお得意様も増えていきます。

 三年後には、若い者を雇い、いつしか表通りにこじんまりとしながらも可愛らしい店を構えるレイの姿がありました。

「あ、お帰りなさい」
「はぁ……寒い」
「お湯はどうだった」
「うん、さっぱりしたよ~。……ん、なんかいい匂いがする。あれ、畳が──」
「レイが行ってる間に変えてもらったのよ。傷みや汚れが酷かったからね」
「はぁ~私新しい畳の匂い好き」

 畳の上で寝転がっていたレイですが、はたと止まると表情を曇らせます。

「……さて、もう大晦日。そろそろ来るよ、怖くてしつこい借金取りが……」
「何言ってるの。借金なんて無いじゃない」
「ウ、ソ……」
「ホントよ。レイが頑張ってくれたからね、今年は無し」
「そっか。うぅ三年目にしてついに……。はぁ、こんな晴れやかな気分で大晦日を過ごすなんて初めてかも。ほらいつだっけ、私朝からずっと押入れの中に隠れてさ、サクラがあれこれ言い訳を変えて追い払ってくれたんだよね。で、最後の番頭さんが出て行って、サクラがもういいわよ……と言ったから出ていったら番頭さんが忘れ物したって慌てて戻ってきてさ、私咄嗟にくまたんの巨大フィギュアの陰に隠れたの。その時の番頭さんのセリフ覚えてる? 『今夜は冷えますね、その人形も震えています』って、あれは生きた心地がしなかったよ」
「ふふっ、そんなこともあったわね。さ、レイ……お茶──」
「わぁ、ありがとう。明日は最高の元旦になるよ。お風呂から帰ってくる時に空を見上げたら満天の星空だった。まるで星が空から落ちてくるみたいだったよ」

 サクラはレイにお茶を差し出しますが、その手が小刻みに揺れておりました。

「どうしたの、寒い? 風邪でも引いたの?」

 レイが心配そうに声をかけると、サクラは深呼吸を一つした後、レイを真っ直ぐに見つめ、ややあってから口を開きます。

「レイ、あなたに話しておきたいことが、ううん、まずは見て貰いたいモノがあるの」
「ど、どうしたの急に改まって……」

 サクラはすっと下がると、ガサゴソとクローゼットから何かを取り出しました。手ぬぐいを畳の上に敷くと、その上にそっと置きました。

「これは? あ、くまたん!」
「レイ、このポーチに見覚えはない?」
「うちにあるくまたんグッズは全て把握してるけど、これは知らない。ってか汚いね。それに……重い。何か入ってる?」
「……中身を出して」

 レイは言われた通りにくまたんのチャックを開きました。すると、中から大量のお金がじゃらじゃらと音を鳴らしながら零れ落ちます。

「うわぁぁあ!? なに、これ……こんな、これ、え、全部サクラの……へそくり? ほぇ~よくこれだけ集めたね、流石倹約家のサクラ」
「へそくりなんかじゃないわよ。これは三年前、レイが芝の浜で拾ってきた五十両よ」
「私、が?」
「うん」
「芝の浜で……拾ってきた──え、あ……待って、なんかそういえばそんな夢を見たような」
「夢なんかじゃない。レイはあの時本当に拾ってきたの」

 サクラの静かな、だけど強い響きを含ませた声色に、レイは一瞬動きを止め、戸惑うような素振りを見せました。やがて、瞳を大きく開き、わなわなと震え始めます。

「あ、あ、あの時は、サクラがレイの……私の夢だ、って!」
「嘘よ」
「嘘ついたの、なんで?」
「あの日のレイは本当に──私が初めて見る心の底から笑顔のレイで、本当に楽しそうだった。何かから逃げるようにたくさんお酒を呑んでごろっと眠った。でも私は隣で眠るレイの寝息を聴いているとどんどん不安になったの。いつもは安心するのにね。このままでいいのかな、私たち、って。何かが間違っているのかもしれない、そう不安になって、私は気がついたら大家さんに相談していたの」
「大家さん──」

 ──サクラは、真っ赤な杖を持ち、数多の次元を渡り歩くと法螺を吹く銀髪を靡かせる大家さんに相談しました。拾ったポーチに大金が入っていた旨を伝えると、──自ら挫折してから何もしていなかったレイちゃんが突然金遣いが荒くなったらお上も気づくでしょう。拾ったということはもちろん落とし主が居る。捕まったら獄門さらし首、良くて一生寄場送り、と伝えます。
 それを聞いてサクラは震え上がります。どうすればいいのか、と相談したところ、大家さんはコンコンと杖を鳴らしながら、全て夢物語、ファンタジーにしちゃえばいいんだよ、とサクラにアドバイスしました。最初は渋るサクラでしたが、レイをお縄につかせないために、夢で押し切ろうと決心したのです。

「──そして次の日の朝、私は大家さんに言われた通り、芝の浜で拾ったお金は全て夢よ、と言ったの。そしたらレイはなんかものの見事に信じちゃって……」

 サクラの声が震えました。
 ポタ、と一滴の雫が真新しい畳に滲みを残します。

「お金はお上に届けたわ。でも持ち主がとうとう現れず、私の手元に戻ってきたの。五十両、全てレイのモノになったわ。これをレイに返したらどんなに喜ぶか、想像するだけで嬉しくて。でもね、商いにのめり込むんだレイは日々楽しそうにお得意様が増えたとか、もう歌いたくなるほど楽しいとか……。もしもこれをレイに返したら、またあの惚けたレイに戻ってしまうんじゃないか、そう思うと恐かった。だから大家さんに預かって貰うことにしたの。……ごめんなさいね、レイ」

 サクラは頭を下げ、か細い声で続けます。

「あの時、騙しているのは私なのに、そもそも堕落しているレイに何も言えずに寄り添うのは私の役目のはずなのに、包丁を振りかざしてレイを散々詰ったわ。非道い人間ね。でも……でもね、あの……嘘をつくのって……嘘をつく方も辛いのよ。三年間も……。ううん、でもやっぱり嘘をつかれる方が腹立つわよね。裏切ったって思われるわよね。……ごめん、ごめんなさい。私はあなたの友達で、親友で、こうして一緒に生活しているのに、裏切って……ホント、最低最悪じゃない。殴るなり、蹴るなり……覚悟はできているわ」

 サクラは歯を食いしばり、震えながら頭を下げました。
 レイはくまたんポーチをそっと置き、腕を組んで小さく頷きました。

「そうだよね、嘘をつく方も辛い。うん……わかる」
「レイ?」
「ってかさ、大家さんの言う通りだよ。こんな大金を突然ばらまき始めたらアイツ怪しいな! って目をつけられてお縄について、今頃牢獄の奥でガタガタ震えてた。バレなくても今頃お酒に溺れてボロボロになっていたかも。サクラが嘘をついてくれたから、私は仕事頑張れたの。サクラのおかげで、今の幸せな私が居る。それにサクラの嘘も、決して私を貶めたり裏切ったりするためについたんじゃないじゃん。私のために、心を鬼にして、嘘つくの下手くそのクセにあんなに包丁振り回してさ……。ふふっ、ねぇ……サクラ、よく嘘をついてくれたね。サクラ……」

 レイはそっとサクラの指に触れました。
 怯えるように震える指をそっと包み込みます。

「なんか久しぶりに、サクラに触ったかも……。ずっと、私のこと避けてる感じがして、ほら……私サクラの気持ち読めるからさ──」
「ごめんね……」
「ううん……。ほら顔をあげて──。サクラ、騙してくれてありがとう」
「……許して、くれるの?」
「許すも何も、迷惑をかけたの私じゃん! ってか三年間も私が情けないばかりにそんなくだらない嘘をつかせて、一人罪悪感を背負わせて。……辛かったよね? サクラの苦しみに比べたら、私の苦しみなんて、一晩見た悪夢に過ぎない。本当にありがとう、サクラ」
「レイ……」
「サクラ、これからは何があっても私たちはずっと一緒だよ。楽しいことも、苦しいことも二人で共有しよう──」

 お互いの視線が重なり、言葉以上に想いが二人の間を行き交いました。
 重なっていた指がぎゅっと力強く絡まります。
 ──と、そこでレイは鼻をクンクンさせます。

「……ねぇ、さっきからいい匂い、が……」
「ふふ、流石ね、実は──」

 サクラは名残惜しそうにレイの指から離れると、お酒と肴を持ってきました。

「はい、どうぞ」
「え……えぇぇぇええ!?」
「驚き過ぎでしょ」
「い、いやいやいや、だって私はもうお酒は……」
「今日は特別、三年間我慢したレイへのご褒美」
「飲んだら私捌かれる?」
「……あれ、やっぱりいらない?」
「あぁ待って! 欲しいです!」

 サクラはそっとお酌します。レイは目玉が零れ落ちそうになるほど目を見開いて注がれるお酒を睨みます。
 ゴォーン! と鐘の音が響き渡りました。

「おっ、増上寺様の鐘も呑めって言ってるのかな」
「かもね」
「いやぁ、最高の大晦日だよ……」

 サクラはお酒の香りをウットリとした顔で嗅ぎ、溜息をつきます。

「サクラがいいって言うから、飲むんだからね!」
「はいはいどうぞ」
「はぁ……ふぅぅぅ……んっ!」

 こんっ、と音を立て、レイは銚子を置きました。

「辞めよう、また夢になるといけないからね」


◆◇◆◇
ep.芝浜とドリーミング・ライアーズ

◆◇◆◇
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キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

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