犬になりたい葛葉さん

春雨

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葛葉と夏目

来世は犬になりたい

 昔から「いい子」だった。
弟妹たちの世話も文句言わずに、疑問も抱かずにしていたし学校の成績だって良かった。
「お姉ちゃんは本当にしっかりしててお母さんの自慢だよ」
 そう言われれるのが嬉しくて、高校も専門学校も、親の決めたところに進学した。だって、それが、いい子、と褒められる行動だと思ったからだ。
「お姉ちゃんって、自分の意見とかないわけ?」
 妹の冷ややかな声が心臓を刺す。
「お姉ちゃんの好きな方を選んでいいのよ」
 母の優しい声がそう促したと同時に、わたしは20歳になってから初めて気付いたのだ。
わたしの好きな方って何?お母さんが選んだ方がいいのに?そう当たり前のように思っていることが、もしかしてまずいのではないか、と。
 そして就職と同時に物理的に家を出て実家と距離を取った結果、自分で選択という行為をしてこなかった失敗まみれの私が行き着いた先は風俗という道で生計を立てることになった。が、現在は紆余曲折あってシステムエンジニアとして生きている。
「お先に失礼します」
「お疲れ様~」
「葛葉ちゃん、今日この後予定とかある?」
「あー、友達と会う予定で」
 まあそんな予定ないんですけど。そう思いながら席を立つ。社会人生活、今年で7年目。
程々に足を踏み外しながらも、それなりに上手くやってきて今の会社が3社目。同年代と比べたら給料は平均ちょい下ぐらい、ボーナスがないのを考えたらそんなもんか、という感じ。
 職場の同僚からの誘いを断って足早に駅へと向かう。さっさと帰って化粧を落としたい、今日は月曜、夜も無いしサラダかなんか食べたらネフリで映画でも見よう。家と会社の往復の日々、アラサーで結婚願望もない私には特別寂しくもない。むしろ、散々遊んで満足したからもういいかな、という感じだ。
 ──葛葉凪紗、現在26歳。
 彼氏は1年前に別れて以来、人生に不要と判断をして気楽なおひとり様ライフへと足を突っ込んだ。子供も嫌いだし、妊婦に自分がなると思うと具合が悪くなる。東京の満員電車には慣れそうにないけど、と電車のアナウンスが促すままに乗り換えで電車を降りて歩き出す。
「お姉さん! これ、落としましたよ!」
「ぇ、……あ、ありがとう、ございます」
 差し出されたハンカチは確かに自分のものだった。スマホを出した時に落としたのか、と思いながら受け取ると扉が閉まって電車の動く音。
「あ、行っちゃった。まあいっか、暗いし気を付けてくださいね」
「は、はあ……ありがとうございます……?」
 黒い髪が少しだけ紫がかっていた。キツネっぽい顔の美人だったな、乗り換えのホームに向かいながら思い返す。自分がたぬき顔なのでちょっと憧れるな、ああいう目元。細身で背も私より高かったし、自分みたいな陰キャのオタクとは違うんだろうなあ、キラキラした人生歩んでそうだった。きっと、ああいう人はまともに結婚とかするんだろうな。そう思いながらぼーっとしていると最寄り駅へと辿り着く。
 最寄り駅を出るといつも通りチラホラと見かける犬の散歩をしている人。この辺りは都心部から少し離れた高級住宅街にあたるらしいのか、妙に犬を飼ってる人が多いなと思う。
 そして、それを見ながら「羨ましいなあ」と思うのだ。別に犬が飼いたいんじゃない。
 わたしは誰かの犬になりたい。
親の言うことが絶対正しいという宗教で20年生きてきたわたしは誰かの言うことを聞いて褒められるのが性に合っているらしい、と気付いたのは実家を出て2年経過した頃だった。そのうえマゾ気質という性癖を持ち合わせていることに同時に気付いてしまえば、誰かの犬になりたい、ペットになりたい、と思うのは必然だと言えよう。
(出来れば金持った女のペットがいい、男はもういい、セックスがだるすぎる)
 そんでもって、ツラが好みだったらもっといい。
家に帰る前にいつも通りコンビニでタバコと夕飯のサラダを適当に買いながら家路を歩く。まだ2月、冬の寒さが厳しくなるのはこれからだ、と自然に早足になりながら自分の根城へ向かうのだった。



「来週から異動、ですか」
 朝礼後、上司からそう相談を持ち掛けられたわたしはこの中途半端な時期に、と目を丸くする他なかった。
「そう。新プロジェクトの増員で、うちからは葛葉さんを推薦しようと思ってるんだけど、どうかな」
「あー……と、じゃあ、行きます。経験積みたいと思ってたので」
「すぐ決めちゃっていいの?」
「はい。ここで悩んでもなって感じですし」
「うん、ありがとう。じゃあ俺から部長に伝えておくし、午後からは挨拶に行こうか」
「分かりました、よろしくお願いします」
  まさかまさか、だ。
自分に声がかかるとは思わなかったものの、実際に異動となったら流石に驚いてしまう。別に給料が下がるとかは無いだろうけど、とただでさえ永遠に金がないと思っているのだからさらに無くなるのだけは避けたい。パソコンに向かいながら、一旦は提出用の月報作成に手を付けることにした。
「ずはちゃん、お昼いこお」
「うん、今行く」
 "ずはちゃん"とわたしを妙なあだ名で呼ぶ同期の声で時計を見つめるとすっかりお昼。パソコンにロックをかけていつもお弁当の彼女についてタバコだけポケットに放り込んで食堂へと向かう。ヤニが吸いたい、午前中は結局集中して忘れてた。
「そういや、ずはちゃん聞いた?」
「何を?」
「総務の方に偉い人の親戚が異動してきたんだって~。つまりお嬢様だよ、お嬢様」
「へー、興味無いなあ……」
「だと思ったあ、ずはちゃんそういうとこありけり」
 だって部署も違うわけだし。エンジニアが総務になんの用があるというのか、そんなの強いて言うなら郵便物出す時ぐらいでしょ、と感じながら売店でカロリーメイトを購入。それを持って先に席を取りに行った同僚を探してそちらに向かう。食べ終わったら喫煙所だな、と席に座ってカロリーメイトの封を切る。
「ずはさあ、まじでもっと食べなよ」
「めんどくさい」
「長生きできんぞお」
「早死したいんで大丈夫で~す」
 偏食ってわけでもない。苦手な食べ物はあれど、アレルギーも特にないが食に頓着が無いというか。強いて言うなら、太ることは怖い。過食嘔吐に走るほどでは無いものの、太ることで夜のバイトに支障が出てしまう。
「あ、ずは。あの囲まれてる子じゃない、お嬢様って」
「……ふーん」
「うわ、どうでも良さそう」
「どうでもいいからなあ」
 昨日のハンカチのねーちゃんじゃん、というのは口を噤んでおいた。面倒臭い詮索をされたくない、とカロリーメイトを口に含んでは飲み物を忘れたことに気付けば息を吐く。さすがに口の中の水分が無くなるのには耐えられない、飲み物買ってくる、と同僚に声を掛けて近場の自販機へと向かう。
 何買おう、と思いながらお茶でいいやとあったか~いと書かれたボタンを押してそれを取り出すと、隣にいた女性と目が合う。
「あ、昨日の」
「……どうも」
「同じ会社だったんですね。私、今日からここに異動になったんです。これからよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ。……じゃあ、人、待たせてるので」
 陰キャな上にコミュ障にも程がありすぎる返答だなと席に戻れば同僚も食べ終わったのかスマホを触っている。
「絡まれてたじゃん」
「世間話に捕まっただけだよ」
「そういや、ずは来週から異動なんでしょ? 案件に追加アサインだっけ」
「うん。昼から挨拶回り」
「良かったじゃん、ずは、経験積みたいって言ってたし」
「知識も経験も不足してるからねえ」
 エンジニアとしては新人でペーペーもいいとこ。お茶の蓋を開けて飲めば少しだけ熱かったので覚ましておく。ぼんやりとしたまま、もそもそ食事を口に運んでいきながら遠目に先程のお嬢様を見つめる。横に並んだ時も思ったけど本当に細身だ。
(……飼い主はああいう女がいいな、ツラが好みで金持ってそうで。それでいて主導権握ってくれるタイプなら万々歳)
 全体的に華奢で折れそう。男ウケも良さそうだ、とお茶に口を付けながら、男ウケするのは自分もだけどな、と自己肯定感を回復させておく。他人と自分を比べて凹んでる場合じゃない、持病が悪化する、と息を吐く。
「そういや、ずは彼氏出来た?」
「ぜーんぜん。今そういう恋愛モードじゃないもん。そっちは?」
「相変わらず仲良しで~す」
「胃もたれと胸焼けするから惚気は業後で」
 同棲して2年になる同い年の同僚は結婚間近、秒読み。一方の私は誰かの犬になりたいまま、そうじゃないなら恋人なんていらない、と決めている。適当な雑談を終えて、自身のデスクに戻って10分程の仮眠をとるのに突っ伏して。
 寝て起きたら業務再開、それと同時に上司から声が掛かって新プロジェクトへの挨拶回りに向かう。いつも通りにこにこ顔を取り繕って、顔ぐらいは知ってる面々に挨拶をする。一旦今週は手続きがあるとかなんとか、今のチームに残留となった。
「あ、ついでだから総務にも行こうか。聞いてるかもだけど、お偉いさんの親戚が異動してきたからね」
「らしいですね」
「葛葉さんとの方が歳も近いし、まあそれなりに仲良くなれると思うよ」
「だといいんですが。総務って用事ないので緊張しますね」
 おじさんと仲良くなるのは色んな意味で得意なんだけどな、と比較的良くしてくれる上司の背中について行きながら遠い目をしてしまう。上司は物凄く穏やかでいい人で、わからないです、しか言えなかった私に色々手解きしてくれた。懐かしい、と思いながら上司にだけは嫌われないように、呆れられないようにしようとさえ思う。
 そのまま総務部で上司が数人に挨拶しているのを見ながら、顔が広いなあ、と思いつつ噂の彼女が目に入る。涼し気なつり目の美人だな、スペック高そう、少なくとも100……115ぐらいか、とつい夜職目線で女性を見てしまうのだから良くない。
「夏目さん。こちら、うちの部署の葛葉さん」
「葛葉凪紗です。よろしくお願いします」
「夏目玲央です。もしかして、案件の歳の近い女性って葛葉さんのことですか?」
「?」
「夏目さんには総務と掛け持ちで現場の案件の雰囲気を感じてもらうためにアサインしてもらうんだよ」
「ああ、そういうことですか」
 道すがらの上司の言葉の意図を理解した。こうして、私と夏目玲央の共通点が出来たのである。
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