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23 ロンレムのおとぎ話

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 むかしロンレムの険しい山の峠を越えたところに、フォート城というお城がありました。
 とても勇敢な一族の王が、難攻不落の場所が気に入り建てたお城でした。
 お城ができて何年か過ぎたころ、王と王妃のあいだにひとりのお姫さまが生まれました。
 お姫さまはすくすくと成長し、とても美しいと評判でした。

 しかし、お姫さまの心はいつも晴れませんでした。
 お城の周りには色がなかったからです。
 晴れた日も曇りの日も雨の日も雪の日もありますが、灰色の地面に緑はありません。
 物語にでてくる美しい花々を見てみたいと思い、王にお願いをしたことがありますが、お姫さまの手元に届いたときには、枯れていました。

 お城の周りには作物が育たず果物が実らないので、多くの人々は新鮮な食べ物を口にできません。
 王と一緒に移り住んできたひとびとは、しだいに他の土地へと離れていきました。

 それを悲しんだお姫さまは、毎日フレルアに祈ることにしました。
 お城の周りが緑にあふれて食物が育ち、果物が実り、花がたくさん咲きますように。
 何年も祈り続けました。
 しかし、何年経っても変わりませんでした。
 
 その様子を毎日小鳥が見に来ていました。
 美しいお姫さまが結婚もせず、毎日祈り続けているのは、かわいそうだ。
 小鳥はそう思っていました。
 小鳥はお姫さまの願いを叶えるために、フレルアに会いに行くことにしました。
 小鳥は晴れた空に飛び立ちました。
 険しい山の山頂を越え、さらに上へと飛び続けます。
 そのうち、羽がぼろぼろになってしまいましたが、天を目指しました。
 そうして、天にたどり着いたとき、小鳥の白くてきれいだった羽はほどんどなくなっていました。

 フレルアは小鳥の前にやって来て、言いました。

 あなたが来た理由は知っています。
 しかし、わたしの力だけではどうすることもできません。
 アマメイラに会ってください。

 小鳥はアマメイラに会うために飛び立ちました。
 羽はほとんど動きませんが、いいのです。
 アマメイラは海の底にいます。
 小鳥は険しい山といくつかの街の上を飛び、ようやく海へたどり着きました。

 そして海の中をどんどん沈んでいきました。
 いつしか、小鳥の心臓は動くことを止めてしまいました。
 その小さなからだを手にしたアマメイラは、嘆き悲しみました。
 小鳥はお姫さまの願いを叶えられたらよかったのです。
 小鳥は亡くなったとき微笑んでいました。

 アマメイラはフレルアと話をして、フォート城の周りを一夜で緑色に変えました。
 土に生命を与え、実のなる木が育ち、花が咲きました。
 お姫さまは朝起きて外をみると驚きました。
 そして天に祈りが届いたことを喜びました。

 それからフォート城は繁栄しました。

 ある日、お姫さまのもとに、とてもまぶしい光が現れました。
 フレルアとアマメイラです。
 お姫さまに小さな宝石を渡し、こう告げました。
 ある勇敢な小鳥があなたの願いを叶えるために、亡くなりました。
 この宝石は、小鳥の心です。
 小鳥の心がフォート城に緑をもたらしました。
 この宝石がフォート城にある限り、いまの繁栄は続くでしょう。

 お姫さまは小鳥に感謝し、その宝石を大切にしました。

 ***

「お仕事の関係とはいえ、今後この屋敷に薄汚い探偵を招き入れることは許しませんよ」
 レイチェルはオリヴィエに小言を繰り返していた。
 アリーナとジャンパール卿は、レイチェルの機嫌をなだめるのに必死だった。
 マレーネとモリーネは屋敷を訪ねてきた怪しげな探偵に興味津々だった。
 たまたま今朝は皆朝食が遅く、同じ時間に食堂に集まってしまったのだ。
 オリヴィエは部屋で食事をとるべきだったと後悔したがもう遅い。
 昨晩眠る前に、リシエ・ピエレイドが置いていった『天と海の涙』というロンレムのおとぎ話を読んだので、寝つきが悪くなってしまったのだ。

 あんな話を子どもが寝るときに聞かせたら、泣くだろう……
 小鳥がかわいそうすぎる。

 オリヴィエはそのおとぎ話をすぐ忘れることにした。

 マレーネは”探偵”に会えなかったことをしきりに残念がった。
「どうして早く帰って来なかったのかしら。”探偵”に会いたかったわ」
「姉さんは男に気が多すぎるわ」      
「わたしは”探偵”という職業に興味があるだけよ」
 レイチェルは娘たちを叱りつける。
「おやめなさい! あの汚い男に、この屋敷の敷居を二度とまたがせませんよ」
 アリーナはレイチェルを落ち着かせようと微笑んだ。
「オリーはわかっていますわ。仕事柄、いろいろな方とのおつき合いがあるのでしょう」
「そのお仕事についても、わたしはまだ言いたいことがあるのですよ」
 ジャンパール卿は飲んでいたコーヒーを卓上に置いた。
「お義母様、オリヴィエ君は、見かけによらずたいした男ですよ。何も心配することはありません」
「どこがなの? いまは息子の非常識について話をしているのですよ」
 ジャンパール卿はオリヴィエに思わせぶりな視線を送ってくる。
「…………」

 オリヴィエは額に手をあてた。
 少し絶望的な気持ちになりながら思う。

 義兄上は一日《ミスティ》から戻って来なかったことを誤解している。
 わたしは精力絶倫ではない。
 リシエ・ピエレイドには、もう来るなと連絡を入れておこう。

 ようやくレイチェルの言葉が尽きたのを見計らい、アリーナは皆を散歩へ連れ出した。
 オリヴィエはリシエ・ピエレイドが今夜話をしたいと言っていたのを覚えていたが、今後用事があれば手紙で連絡するようにと一筆したためた。
 机の引き出しを開けると、丁寧に折りたたんだ白いスカーフと手巾が入っている。
 これらをリシエに返すタイミングがないだろうと思い、ジョールへ手紙と一緒にデルフェ探偵事務所へ届けるよう頼んだ。その後、ロンレムのおとぎ話も一緒に返してもらおうと本を持って階下に降りて行くと、ジョールがメリルからの手紙を携えて上がってくるところだった。
 オリヴィエはそれに目を通し、出勤前にメリルを訪ねた。

 週明けの昼前だが、ガッティ通りは人気が少なく静かだった。
 看板が出ていない店の扉を開くと、大きな机に新聞を広げたメリルが顔を上げた。
「オリヴィエ様、大丈夫かい? 表情が暗いね」
 つま先から頭まで隙ひとつ無い装いをしているはずだった。表情も完璧だ。
 オリヴィエは首を傾げた。
「ここの照明が暗いからでは?」
「そうでもないよ。何かあったのかい?」
 メリルは鋭い視線を向けてくるが、オリヴィエは怯まなかった。
「大丈夫だ。話を聞こう」
「仕方がないね」
 メリルはオリヴィエから話を聞き出すのは諦めたようで、話し始めた。
「知り合いのデザイナーから聞いたんだが、最近ロレーヌの有名店に、金のボタンのセットを注文した客がいるそうだ。デザイナーはロレーヌ出身で、同業者から聞いたと言っていた。それはメデルタイン侯爵家の使いの者だったそうだよ」
 オリヴィエは頷いた。
「見当はついていたのかい?」
「その情報だけでは確証は持てないが」
「あんたは社交界に顔を出さないからあまり知らないだろうが、メデルタイン侯爵は若い頃に爵位を継ぎ、たくさんの女性と浮き名を流してきた。裏では遊興費と手切れ金で破産しかねない状況だと言われていたんだ。それが最近は羽振りが良くなっているという噂だ」
「警察の給料だけでは、急に羽振りが良くなることはないだろう」
「あんたはこれ以上首をつっこまないほうがいい。王宮に報告しておくよ」
「…………」
 沈黙したオリヴィエにメリルが気遣わしげな視線を向ける。
「あんたに何かあったらエメルドの刑事さんたちが心配するだろ。その他にもあんたを気にかけている人がいるんだろう」
「また何かわかったら連絡をくれ」
 オリヴィエは答えず、メリルに背を向けた。
 店の外に出ると、日差しがとても眩しかった。
 
 オリヴィエが警察本部へ着くと、今度はナターリア・フェイから手紙が届いていた。
 その手紙は開封された状態でオリヴィエの机の上に置かれていた。誰が読んだのかわからない。
 手紙には、本日の午後なら都合が良いと書かれていた。それを上着の内側へしまったところで、外から戻ってきたミーシャが駆け寄ってくる。
「警部、管理官はいませんか」
「今日は休みだそうだ」
「ラッキーっす。管理官が作った勤務表がめちゃくちゃなんですよ。彼女とデートもできなくて」
「有休とったらどうだ? いまならわたしが休暇申請に判子押してやるぞ」
「ほんとですか! すぐに総務から用紙もらってきます」
 ミーシャが駆けだしていくと、オリヴィエは席を立った。

 ミーシャが勝手に開けたのか?

 汚いミーシャの机の上には、開封済みの封筒が散らかっているが、開封の仕方が同じように汚い。オリヴィエは嘆息した。

 単純に好奇心なのか、それとも、管理官の指示でわたしを見張っているのか。

 オリヴィエは装備室に行き、拳銃をホルスターに収めると、ナターリアの家へ向かった。
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