ONE YEAR AND ONE MONTH WITH “JOHN DOE”〜少年Aと恋した1年間と1ヶ月〜

雪乃 糸

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2. 197X年初夏(出会い、湖のほとりで)

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2. 197X年初夏(出会い、みずうみのほとりで)





 「は、はいぃ…!」

 とりあえず返事をしなくては!と慌てて出した声はとてもみっともないものだった。けれどその声はちゃんと外にいた者に聞こえたらしく、扉が開く。

 “Hey, are you alright? That was a huge noise.(ねぇ、だいじょうぶ?すごい音がしたんだけど)”

「え、ぇえっ…?!」

英語ダァァァ!!と冷や汗が出てくる。けれどすぐに気を持ち直して返事をする。

“Yes! ーーーYes, I’m okay, I just fell.(うん!だいじょうぶ!ただころんだだけ!)”

“Aha, okay. Time to eat, Yuu.(ふーん、わかった。ごはんのじかんだよ、ゆう)”

「え?!」

 ばたん、と扉が閉じる。ちょっと待って、ごはんだよって、ご飯だよ優って言った!
 入って来たのは赤毛の髪の女の子で、優を見るなり怪訝そうな顔をした。大丈夫?なんかおっきな音がしたけど…と言うので、問題ない、転んだだけって言ったら、わかった、「ご飯だよ、優」って。可笑しそうに笑顔を見せてすぐに言ってしまったけれど、自分を見て驚かなかった。そして何より名前を呼ばれて、ご飯だと教えてもらった。

 頭がじわじわとパニック状態になってくる。あれ、あれあれあれ?お尻は痛いし、名前も呼ばれて、なんか知らない子だった。あれ、え?

「何が起こってるの…」

 戸惑いを言葉にしたら、なおさら困惑してしまい、あせっていきなり立ち上がれば立ちくらみでよろけてしまう。立ちくらみが収まるのを待ってから、頬をつねれば確かに痛い。なんだかよくわからないけど、なんだかこれは現実らしい。

 もういいや、とにかくご飯らしいから外に行ってみよう、そう思い立って覚悟を決めて扉を開けると、「うわぁ」とまた口が開く。見る者全てが夢に見た、イギリスのアンティークみたいな家具ばかりで、目の前の階段もその色の深さから重厚さを感じさせた素晴らしいものだった。
 すべすべとその感触を楽しみながら、階下を覗き込めば、下からなんだか賑やかな声がする。おそらく、いや多分、間違いなく、英語だぁ、と感づき、一瞬躊躇したが足を動かして階段を降りる。優は英語も頑張って勉強したのだ。ーーー少年Aはイギリス人だから。という理由で。

 階段を下り終わり、目の前の微かに開いたドアを開ければ、また歓喜の声が出る。すばらしい、すばらしすぎる…豪華な造りでは決してないが、作り込まれた木材と、感じのいいインテリア、キャンドルや手作りの飾り物、棚に並ぶ素敵な食器、目に入る者全てが夢見た者で、優はただただ感動して立ちすくむ。するとそんな優に先ほどの女の子が声かけた。

“What are you doing, let’s eat or they’re going to eat your dinner!(なにしてんの、はやくしないとごはんたべられちゃうわよ)”

“—Okay! … Ah, where should I sit?(わかった!えっと、どこに座ればいいの)”

“…over there, that’s your chair, remember?(…あっちでしょ。自分の席忘れちゃったの?)”

 あれあれなんだか不思議がられた。あたかも私が自分の席を知っていて当然のように。指で示してくれた席につくと、まわりのみんながいそいそと自分たちで自分のプレートにおかずやパンをよそっているのに気づき、慌てて自分も真似をする。まるでビュッフェのようだ、と思いながら、ご飯を盛り付け、また元いた席に戻ると、自分が入って来た扉の斜め前の誰もいない席で、もそもそと食事をしている男の子がいるのが見えた。その子だけが明らかに周りから距離を取られていて、孤立している。けれどそんなことを何もきしていませんと行った様子で黙々と食事をし、あっという間に食べ終わると、静かに席を立ち、食器などを洗い物入れと書かれている容器に入れるとさっさと出て行ってしまった。
 なんだか、その男の子の持つ雰囲気や姿から目を離すことができずに彼が見えなくなるまで、優はその後ろ姿を目で追った。

“What’s the matter?(どうしたの)”

“Oh, urm… nothing, I was just … waiting for you!(え?えっと、なんでもない、待ってただけ!)”

 隣に座った女の子に声をかけられびくりと体を揺らして、ごまかしてしまった。けれど気になったので、一瞬躊躇してから、食事を始めたその子に疑問を投げる。

“… that boy… you know the boy sat over there and ate alone? Who is it?(あのこ、ねぇ、あそこにすわってるあのこしってる?)”

“What? … oh wait, you mean him?  —McFarlane ? (は?あぁ、あいつ?マクファーレンのこと?)”

“McFarlane…? Is that his name?(マクファーレン?それが彼の名前?)”

“That stinky boy, right? He’s McFarlane. Everyone hate and ignore him.(あのいやなやつでしょ。マクファーレン。みんな嫌いで無視してるわ)”

“Wha.. what? Why?(え、え、なんで?)”

 みんなに嫌われててみんなに無視されてるって、それいじめみたいなものじゃない、と思い理由を聞けば、そうではないという。なんでも彼自身が全く人と口を聞かず、無視するのだそうだ。ーーーそれでは嫌われて当然である。
 食事が終わり、しっかりと空腹が満たされ満腹感を感じてしまったので、不安を女の子にぶつけると、とても驚かれ、部屋に呼ばれた。その子は四人部屋で、でもみんな食事をしているのか誰もいなくて好都合だった。気がついたらあの部屋にいたこと、浮かれて制服を着てしまったこと、などを伝えると、女の子との驚きは深まり、ついには俯いてしまった。

「ど、どうしよう、私ものすごく不審者…」

 言わなかった方がいいかもしれない、おかしな奴だと告げ口されるかもしれない(多分寮母さんかなにかに)、と思い怖がっていると、がばっと顔を上げた女の子の顔はキラキラと輝きに満ちていた。その頬にある可愛らしいそばかすすらも輝きに見えてしまった。

“That’s splendid, oh my goodness, what a life!(すごいわ!そんなことってある?すごい、なんて素敵なの!)”

 興奮した様子で二人が乗っかっているベッドの上でぴょんぴょんと跳ねると、優の両手を握り、満面の笑顔で話してくる。いわく、こんな面白いことってないわ!と。すごいすごい、小説見たい!と喜んで、協力するわ、大丈夫よ私はあなたの仲間よ!と言う。
 そのあと、彼女に聞いたのは、優はなんと先週から留学して来たいいトコのお嬢様との設定らしく、だからこそ一人部屋が与えられているんだそうだ。なんだかよくわからないけど、個人部屋なのは色々と助かるので感謝する。そしてなにより、顔がにやけてしまったのは、やはりここはイギリスで、しかも寮だった。今は197X年、女の子の名前はエリザベス。リディと呼んでね、と言われる。その瞬間なんだか一瞬全身にしびれを感じた気がして、不思議に思ったが、一瞬のことだったのですぐに忘れてしまう。けれど、名前を交わした瞬間に優はこの世界と一旦結ばれたのだ。だからなのか、言葉は言語の差を超えて直接意味で脳に伝わるようになった。
 
 リディは17歳、そろそろ卒業なので、色々と忙しいのだが、少し飽きていたので、こんなことが起こってくれてとてもうれしい、先週会った時はなんだかとっつきにくい感じだったので、こうして話せてうれしい!とのことだった。

「とっつきにくかった、って…どうして?」

「だって、…あなたすっごいミステリアスな雰囲気で綺麗じゃない?なんか、お人形さんみたいで近寄りがたいのよね」

 言われた言葉の意味を理解するまで時間がかかり、意味を理解してもなぜそんなことを言われたのか理解できなかった。

「東洋人は真珠色の肌をして、夜のような瞳と髪の毛を持っているって本当だったのね、それに触ったら溶けちゃいそうな感じ!」

 続いて言われたのは賛辞の言葉で、なんだかとっても居心地が悪くなり、俯いてしまう。

「それに、そのアーモンド型の瞳もとっても素敵!あーとにかくうれしいっ!」

 ーーーもっと人種差別的なことがあるんじゃないかと思ったがそうでもないらしい。目が悪いのかもしれないが、とりあえず、日本人ということに対してネガティブな感じはしなかったので、ホッとする。そのままその日は二人で語り合い、同じ部屋の子たちが帰って来たら二人で優の部屋に移動して、夜が明けてしまうまで語り尽くした。リディが帰ったのは、日がちょうど登った頃のことだった。

 優は興奮のせいか全く眠気がなく、とうとう部屋付きの簡易な洗面所で顔を洗い、外に行こうとする。けれどそこにあったシャワーをみてやっぱり思い直してシャワーを浴びると、また制服を着て、髪の毛の乾燥もそこそこに外へと向かった。今は、初夏。学校は夏休み中で、授業がないので、のんびりできるとリディが言っていた。今のうちに慣れとくといいわね、と。確かにそうだと思うので、今のうちに色々なところを見ておこうと思う。そうじゃないといちいち驚き、感動してしまうからだ。

 寮の外に出るには守衛さんのところでサインをしなければならず、面倒だったが正直に散歩したいと言うと、快諾してくれた。そのまま気の赴くまま、ただし帰れるようにしっかりと着た道を覚えておきながら進んでいくと、湖が見えてきた。

 湖水地方らしく、湖が点々とあるらしい。なんて素敵なんだろうと思いながら足を進めれば、革のブーツの下にわさわさとした草の感触がある。踏みしめる土の感触もして、とても楽しい。空気は澄み、吸えば甘い気すらしてきてしまう。早朝の湿った空気はとても美味しく感じ、視界いっぱいに広がる湖はとても美しい。
 がさがさと乾いた音と、少し湿った土の音、足を動かすたびになる自然の音が優の耳を楽しませていた。

 ーーーその時だ。
 湖のほとりから細長く伸びる桟橋の先端に近い部分に、体育座りしている人影を見つける。少し霧がかっているせいで、その姿が曖昧で、大人なのか子供なのか、はたまた女性なのか男性なのかもわからない。目を細めてじっと見つめ、そっと近づく。こんな時間にこんな場所にいるなんて、少し変わっているに違いない、と自分のことを棚に上げて考える。
 先ほどまで優を楽しませていた自然の音が嫌に気になり始め、慎重に慎重を重ねゆっくりと体重をかけるようにして歩みを進める。

 近づいて、姿が徐々に輪郭をあらわにする。湖の水面に反射する朝焼けの光にその輪郭が飛ばされる。こちらに背を向ける形で座っているその人らしきものがすごく気になる。なぜだかとにかく、そうしなければならないような気がした。

 そろそろと近づく。ゆっくり、ゆっくりと近づく。そしてようやくクリアに見えたその後ろ姿を見て、優の心臓は大きく一回跳ねた。

あれは、きっと、彼だ。

ーーーマクファーレン。
 

 ばくばくとなり始めたこの心臓は、ただこの密かに気づかれないように近づいている状況に対してのものなのかそれとも他のことに対してなのか。頭の中にすら「ばくばく」という文字が浮かんできてしまうほど、体全身がドキドキしている。なんでだろう、と疑問が湧くもその疑問すらすぐにドキドキにかき消されてしまった。
 思わず立ち止まる。どうしようか。きっと、彼だ。だけど、それでどうするのだ。話したこともない、目があったこともない、そもそも自分が来たのはつい昨日のことなのだから当たり前のことなのだけど、とにかく接点がない。ーーーこのまま立ち去るべきだろうか。
 そう思った時、彼の両手が座っている縁を力強く掴んだ気がした。何かに耐えているかのように。

 気のせいかもしれない。けれど、もしかしたら。なんだか不穏な気配がして、立ち去る気になれず、その後ろ姿を見つめる。

 
 ーーー足は正直だった。
 気がつけば両足は右左と動き始めていて、その向かう先には彼がいる。密やかに、けれど確実に、彼の方へと向かっていく。そうして彼が座っている桟橋へと距離を縮めていく。一歩、二歩、三歩、四歩。そろりそろりと向かっていく。

 その横顔は、以前見たときと同じように前髪で目元が隠されている。柔らかな朝日と霧の中で見るその様は、水彩画のようで、それでいて硬く閉じたくちもとだけが異様によく見えた。鳶色の髪の毛は湖のほとりによく生えている枯れた葦に混じってしまいそうだが、まだ初夏らしいからそんな心配はいらない。その髪の毛は朝日を受けて透き通ってしまいそうだ。羨ましい。

 どうしようか。少年の横顔を見つめたまま、頭の中で冷静に考える。その桟橋は板でできていて、きっと足を乗せれば音がなる。そうしたら少年がこっちに気づいて、…きっと逃げられてしまう。そんな気がする。これは当たる直感だ。だったら、

 ごく、と唾を飲んで覚悟を決めると、優は桟橋へと足を動かし、そのまま少年の方へと走って近づいた。急に聞こえた急いだ足跡に少年がパッと優の方へと振り向き、一瞬硬直する。そして驚いたまま逃げようとして、腰を浮かせたのだがパニックになった彼の体はうまく動かなかったらしい。優の手が少年にあと少しで触れそうだ、というあと一歩な距離で少年の体がぎくしゃくと変な動きで湖へと落ちてしまった。

「うわっ…!」

「きゃあ!うそっ!」

 少年がさっきまで座っていた場所に両手のひらから落ちると、すぐに上体を起こして少年が落ちた湖へと視線を向ける。そこでもがいている少年を見つけて優はすぐに片手を伸ばして少年の手を掴む。両手で掴まれ、自分の体も落ちそうになったが、運良く桟橋の柱があったのでそこに片手で捕まって、火事場の馬鹿力で少年の両手を一旦桟橋のへりへと導くと、一旦乱れた呼吸を整えようと荒く呼吸をする少年を見つめる。

「ーーー大丈夫?」

「…っだいじょう、ぶだっ!…どっかいってくれ、なんなんだおまえ!」

「その言い方はなくない?!」

 絶対に大丈夫じゃなさそうなのに、言葉悪くそんなことを言われたものだから、優もむかっとして、必死に桟橋にすがりついている少年の片手をはがしてしまう。

「なにすっ…ぅぷ、う、わ!」

「おっとっと、やりすぎた!ごめんなさい!」

 一気にその小さな体ごと湖の中に勢いよく沈んでしまったので、優は焦って少年を引っ張る。優にひっぱってもらって、なんとか桟橋の上へと戻ってこれた少年は、ぜぇぜぇと肩で息をしながら、びしょびしょになってしまった体で桟橋の上に仰向けに転がった。

「おま、え、なにして、はぁっ、は」

「ごめんなさい、落とすつもりはなかったの!」

 荒く呼吸しながら、少年がべったりと顔に張り付く前髪をうっとおしげに両手でかきあげ、その顔があらわになる。目を閉じてはいたが、とても整った顔立ちをしていることがわかり、優は息を飲む。

 そして、少年が目を開ける。その瞳は薄い灰色で、少し憎たらしげに自分を見てくる彼の瞳から優は目をそらすことができなかった。


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